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2010年5月31日月曜日

地名:錫高野〔近世〕

昨日、小金井公園のフリーマーケットで「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)を入手した。茨城県在住の元新聞記者の方の蔵書(といわれるもの)が並んでいたが、郷土史資料は僅かしかなかった。
これから、茨城県下にある鉱物採集でお馴染みの鉱山関連の地名について参照してみたい。
まず第一の地名は錫高野だ。ところで辞典には、錫高野の見出しに「すずこうや」とあるが、通称「すずごや」と聞いていたのだがどうなっているのだろうか。

錫高野の〔近世〕について、辞典は次の通り紹介されている。(〔近代〕は別日に記載)
「すずこうや 錫高野 <桂村>
那珂川の支流桂川に臨み、八溝山地鶏足山塊の東縁部に位置する。もと高野(こうや)といい、天保5年(1834年)徳川斉昭の命によって錫の産出にちなみ錫高野と改める。
〔近世〕錫高野村 江戸期~明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領、のち慶長14年(1609年)からは、水戸藩領。村高は『旧高簿』666石余。鎮守は三枝祇神社。宇梅ヶ沢(山神社がある)・宇銀山・宇錫ヶ沢などに小規模の鉱山があり、江戸期にもっぱら錫を産出。徳川光圀の保護によって発展、他所人足のほか百姓の農間余業としての錫掘りを認め、公納銀として吹立錫年間1,000貫を上納。享保末期頃から衰微、一時斉昭の保護によって復興したが、幕末の乱で衰退。(以下、当村出身のわが国初の女性教師、黒沢止幾子の紹介があるが省略)」

⇒以降、錫高野の〔近代〕、および同地関連の高取鉱山、仏国寺などについて紹介予定。

(付記)
本日、地元の韓国料理店(本ブログ関連:2009年の11/24、2010年の4/23)で純豆腐チゲをとり、その足でお茶の水の韓国関連書店にてイ・ソンヒの自伝「夢よ愛よ出会いよ」(本ブログ関連:5/30)の探索・購入を頼んだ。

2010年5月30日日曜日

イ・ソンヒの自伝

ブログ「PETER@LOG」は、イ・ソンヒの14集リリース直前に、「イ・ソンヒの高音」(2009年1月12日)について、彼女の独特な発声から止揚すべく、いかに脱却したかの経緯を具体的に考察している。(本ブログ関連;2009年の8/27

ところで上記小論には、イ・ソンヒが著した自伝「夢よ愛よ出会いよ(꿈이여 사랑이여 만남이여)」(1991年:253ページ、ケイ・スタッフインターナショナル)が紹介されている。どのような内容なのだろうか興味深い。
イ・ソンヒといえばイメージに浮かぶのは清々しい声であるが、同時に圧倒的な高音の声量もあって、音楽性に疑問に思われたこともあって悩んだようだ。それに対して彼女は、「ダイナミックでパワーにあふれる歌手という固定された歌手のイメージを脱して、魅力が十分ある歌手と認められたかった」と同書に述べているという。

★★★★★ 孫が、滑り台に登ろうと「アジャジャー(訳:登れた)」と言いながら遊んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年5月29日土曜日

Pearly Shells

いいなあ、のんびり熱い夏の陽のもとで、潮風にうたれながら青い海原眺めていたいものだ。真珠貝というより真珠そのものか、その輝きよりも爽やかに麗しい瞳を思い浮かべて、すっかりハワイアン。
というわけで、ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn)の「真珠貝(Pearly Shells)」(1965年)を聴く。いつもと違ってサキソフォンを抑えて、ヴィブラフォン、フルートそして弦楽器でリズミカルに奏でている。親しみやすく軽快で耳に残る。

Hawaiian Musicの「『真珠貝』とメロディにかくれたハワイの歴史」によれば、この曲は著名なラジオ・ショー「Hawai`i Calls」のホストをつとめたWebley Edwardsによって、古いハワイ語の歌に英語をあてはめて作られた。彼は、Leon Poberとともに、地元で人気のあった「Pupu A `O` Ewa」のメロディラインを使ってコラボレーションしたという。解説のつづく内容に、真珠にまつわるいろいろな歴史を知ってしまうけれど。

(Youtubeに登録のkotetu1011、orosco83に感謝)

2010年5月28日金曜日

韓国日報 創刊56周年記念コンサート

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている情報によれば、 「韓国日報(한국일보)」は、創刊56周年記念音楽会「護国コンサート」を次の通り開催する。
・日時:6月2日、午後3時~
・場所:世宗文化会館
・出演:ピ、f(x)、イ・ソンヒ、フィソン、ユンナ、オ・スングンなど最高の歌手たちと、モーストリー・オーケストラ、ソウル大学校音大キム・イネ教授、国楽のオ・ジョンヘ氏などが出演する。

(注)「クラシックと国楽、大衆歌謡が一体となる最高の舞台として、インターネット韓国日報会員ならば誰でも無料で応募することができます。」とのこと。

大信証券CI変更祝い公演

NATEニュースに、ソウル経済(서울경제)による、大信証券(대신증권)が創社48周年振りに初めてCIを変えるために次のような祝い公演を開く記事(5/28)が載っている。
・日時:5月28日、午後5時30分から
・場所:汝矣島(ヨイド)本社前庭
・出演:ティアラ(티아라)、Bobby Kim(바비킴)、イ・ソンヒなどの公演が順に進行される予定

(Youtubeに登録のrealdocuに感謝)

2010年5月27日木曜日

孫と公園散歩

今日、休みを取った息子夫婦が、今月生まれのわたしを招いて誕生日を祝ってくれた。孫とペアのシャツをプレゼントしてくれたのだ。うれしいね、昔と違って孫となら、ペアルックに照れることはない。いつの日か、公園散歩に一緒に着て出かけたいものだ。
これは、孫がいてくれたからの喜びだ。おいしい食事やケーキによる誕生日祝いを満喫させてもらった。

孫宅から160mほどのところにある小さな公園まで家族全員で出かけた。この路を、もうじき1歳3ヶ月になる孫が何と歩き続けたのだ。自動車に注意しながら、SP並みの体制で前後を固めた。孫はまっすぐ歩かない、極端にいえば、家一軒ずつご挨拶して歩くような調子だ。それでも、楽しそうに歩き続ける孫への驚きは新鮮だった。

公園では、近所の子どもたちが、サッカーやブランコ遊びに熱中していた。孫は用意したサッカーボールをわずかに蹴っては進み、腹をボールに乗り上げていた。やっぱり他の子どもたちが気になるようだった。総がかりで、孫のサッカーボールに関心を戻すのに苦心した。

2010年5月26日水曜日

チャン・ウクチョ音楽室

イ・ソンヒが祥明女子高(상명여고)の3年生のとき、ソウル特別市龍山区南営洞(남영동)にある「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」で歌の勉強をしていたが、そこで当時無名の作曲家イ・セゴン(李世建(이세건))と出会い、名曲「Jへ」を譲り受けることになる。
(本ブログ関連:1/7

「チャン・ウクチョ音楽室」のチャン・ウクチョこそが、ブログ「老木樹のチャン・ウクチョが生命樹になって」で、イ・ソンヒの思い出を語る「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)のチャン・ウクチョと想定する。この思い出の記述の中で、「チャン・ウクチョ音楽室」時代については、青字で表示されている。
当時イ・ソンヒは、特にプロを目指していたわけではなかったが、才能を認められたのだろう、「一種、奨学生に似た待遇を受けることとなる破格な経験」をしている。

チャン・ウクチョ(Chang,Wook-Cho)について、現在牧師をされているが、歌手でもあり作曲家でもある次のような人物と想定する。
Maniadbによれば、1980年代前後に「チャン・ウクチョとコインドル(Jang, Wook-Jo & A Dolmen)」として活動したようだ。また、最近は賛美歌のアルバムを出しているようだ。この二つの時代に発表した歌の題名を用いて、ブログ名「老木樹(고목나무)のチャン・ウクチョが生命樹(생명나무)になって」を作られたのだろう。

(本ブログ関連:全て2009年の4/136/76/88/48/108/2510/210/1711/1411/2911/30 、2010年の2/33/244/65/225/25 【付録】2009年の10/5

2010年5月25日火曜日

イ・ソンヒとイム・ソンギュン

先日(5/22)、イ・ソンヒの思い出を語ったブログ「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」の「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)には、彼女が「江辺歌謡祭」(1984年7月29日)で大賞受賞した「Jへ」でデュエットしたイム・ソンギュン(임성균)との関係についてセンシティブに回想されている。

イム・ソンギュン個人のこと、イ・ソンヒを含めて彼らが属したグループ<四幕五場>のことについて苦い思い出がうかがわれる。果たして、イ・ソンヒの言葉なのかわからないが、彼女の地球レコード社からのソロデビュー(専属契約)に対する周囲の嫉妬というべきものがあったようだし、そのことが彼女を葛藤させ、深く傷つけたのだろう。

なお、イ・ソンヒは、「江辺歌謡祭の後、約3ケ月の間、イム・ソンギュンとデュエットで活動していた。」が、ソロで歌いたいという思いから、「(彼女から)先に決別を宣言した」という。翌1985年2月に、彼女は初めてのアルバム1集を世に出した。

(本ブログ関連:全て2009年の4/136/76/88/48/108/2510/210/1711/1411/2911/30 、2010年の2/33/244/6、【付録】2009年の10/5

孫と保育園

息子との外出を終えて、一緒に、初めて保育園に孫を迎えに行く。お嫁さんと待ち合わせて、3人で建物に入る。ガラス戸越しに遊んでいる孫の様子が見えた。母親に気付いた瞬間、孫は安堵に泣き出した。分かるよ、痛いほどにわかるよ。
そのとき、保育園の幼児たちが一斉に、3人の大人を見ていたのだ。言葉にできない幼い子どもたちの視線を受けて、彼らの期待を満たせないのなら、私だけでもと部屋を出て待つことにした。

いつもは、お嫁さんの父親に車で送り迎えしてもらう大そうな孫だが、今日は電車とバスを乗り継いで帰ることになった。電車の座席で、孫を抱っこしたことはいうまでもない。
孫宅までの帰り道、保育園と母親とをつなぐノートを見せてもらった。入園当初の孫の様子が事細かに書かれている。そうそう、孫はだいぶ泣いていたようだ。ブロック遊びが好きなようだ。そして、すぐに3人のお友達の名前が出てきた。だんだんと慣れていく様子がうかがえて、保育士の方々の個性あふれる暖かな観察の筆致に感謝する。

孫は不思議な存在である。会って満足したはずなのに、帰宅すると十分に孫と遊んだか疑問となり、更に会いたくなる。

★★★★★ 孫が、夏服を次々と袋から出しては、せわしげに着合わせ?する動画が届いた ★★★★★

2010年5月24日月曜日

梅雨の季節

先週から雨天が続いている。今週もウェザーニュースによれば、「火曜日には一旦天気は回復するものの、水〜木曜日は天気急変の心配あり。日差しが届いても、突然の雨には油断できません。」とのこと。このまま、ズルズルと梅雨になだれ込むのだろうか。
気象庁によれば、既に沖縄と奄美は5月6日頃に梅雨入りしている。昨年と比べて12日早いそうだ。関東甲信の昨年の梅雨入りは6月3日頃だったが、今年はいかがだろうか。テレビの気象予報士は6月初旬を予想していたが。
・Yahoo天気情報:「5月の天気
・ウェザーニュース:今日現在の「週間天気予報
・気象庁:「平成22年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)

(本ブログ関連;2009年の6/97/77/107/14

2010年5月23日日曜日

天上沢鉱山 2010年

昨年、栃木県の鉱物採集会は、6月下旬に予定していた天上沢鉱山訪問を雨天のため、7月26日に順延した。その際、ヒル(蛭)の襲撃を受けたことを特記した。いやあ、初めての経験だけに気味悪く、しかも帰宅後やられたことに気付いたのだからたまらない。

今年は同地の訪問時期を早め、昼過ぎからの雨天を避け、午前中採集することになった。採集場所は、前回の土石流ダム下から更に沢を上り、坑口跡が見えるところにした。8名の会員で、沢に転がる岩のなか採集した。
個人的な成果は、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、水晶(晶洞中結晶)、重晶石など。(含いただきもの)

なお5月の今日でもヒルは姿を現し、数名の会員が襲われた。

★★★★★ (鉱物採集の帰宅途上、母親と弾むように喜び声をあげて遊ぶ孫の動画が届いた) ★★★★★
★★★★★ 孫が、魚図鑑に覆い被さって魚獲り遊びをしたり、魚を指差したりする動画が届いた ★★★★★

2010年5月22日土曜日

イ・ソンヒの生誕

イ・ソンヒの誕生について、「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」のブログに「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)として、興味深い貴重な情報が記載されている。
書き出しにある彼女の誕生などについて、次にいろいろなことを知った。

・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。 父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(⇒母の名前、イ・ソンヒの名前の由来を知った)

・彼女の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日だ。 父に頼まれた祖母が届けを忘れて、出生申告が3年も遅れた。
(⇒生年月日の相違を話題にしているブログがあった)

・当時や今もいつも寺と家を行き来している父は、彼女が生まれた直後にまた入山した。
(⇒家と寺が分離されていることがわかる)

・三歳なった日の1966年、両親は彼女を連れて忠南保寧からソウルに移住した。初めての定着地は城北区三仙洞だった。当時父は大韓仏教一乗宗(대한불교 일승종)の宗会議員と同時に、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。
(⇒父親の所属宗派を太古宗としてきたが、一乗宗なのか?)
(⇒ソウルへの移動時期が判明、転校が友人関係をむつかしくして内向的になったようだ)

(参考)韓国仏教宗派別寺院のリスト(万仏会

★★★★★ 孫が、幼児用椅子にお腹をぽってりして、余裕たっぷりに座っている写真が届いた ★★★★★

2010年5月21日金曜日

「あかつき」と「IKAROS」

18日に予定していたものの天候不順のため延期していたH-IIAロケット17号機(H-IIA・F17)は、種子島宇宙センターから早朝6時58分22秒(日本標準時)に打ち上げられた。同ロケットには、金星探査機「あかつき」(PLANET-C)と小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」が搭載されているので成果が楽しみである。(参考:ANNのニュース
上空の硫酸の雨、二酸化炭素の大気に90気圧400℃となる金星の地表を、そして太陽風に宇宙をセイリングする様子をそれぞれ知りたいものだ。

実は朝寝坊して、H-IIAロケット打ち上げの実況を見そこなった、惜しいことをした。「あかつきメッセージキャンペーン」に今年の元旦(1/1)に登録していたので、H-IIAロケットのリフトオフを見送るべきだったのに。

2010年5月20日木曜日

イ・ソンヒと仏教音楽

イ・ソンヒの父親が韓国仏教の太古宗で仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패ボンベ【参考:NAVER百科事典】)」の指導をしていたことから、彼女がどのように仏教(音楽)の影響を受けているのか、つながりがあるのかを知りたいと思っている。
(本ブログ関連:2009年の4/147/258/279/510/711/712/31、2010年の2/2

「仏教新聞(불교신문)」の記事「仏教信者 歌手イ・ソンヒ ライブ劇場引き受け」(2002年7月12日)に、イ・ソンヒにとって仏教の影響の傍証になるかもしれないことが次のように触れられている。
・(記事主題)大学路のライブ劇場を買収、国内では初めて歌手が公演場を直接運営することになった。(2002年6月29日)
・知られているように、イ・ソンヒは、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者で出家した父親イ・ジョンギュ(이종규)氏の影響で、幼い時から仏教的な生活に慣れている仏教信者だ。 「父がいた寺は常にうっそうとした森の中にあるので、幼い時から自然を友として過ごしたのが最も良かった」と回顧した彼女は、「その時期、猟師らの空気銃に犠牲になった鳥を探して『薦度※』してくれた記憶が鮮明だ」と話した。
(※:「薦度」=【仏教】死者の霊魂を極楽に導くこと)

★★★★★ 孫が、ワールドカップに合わせた子供用サッカーボールを体で抱え持つ写真が届いた ★★★★★

2010年5月19日水曜日

フラワー・ドラム・ソング

ミュージカル映画「フラワー・ドラム・ソング(Flower Drum Song)」(1961年)で、Nancy Kwan(リンダ・ロウ)が歌う「I Enjoy Being A Girl (女はうれしいもの)」を多分ラジオで聞いたのだろう。いかにもミュージカルらしい歌だが、その物語舞台がサンフランシスコのチャイナタウンということで関心を持ち、ずっと昔のこと、その映画(Motion Picture)も見ずにサウンド・トラックのレコード(LP、25cm版)を購入した。
Youtubeで、クラブ歌手で踊り子のリンダがデイトの身支度に歌う「I Enjoy Being A Girl 」のおしゃれな映像を見て、レコードジャケットの写真の民俗衣装を着飾った人々のイメージとがらりと違っていて驚いた。そう、映画の観客は、中国系の人々だけではないのだから。
懐かしく思い出深い、そして今も新鮮である。
(Youtubeに登録のbiukucanoeに感謝)

★★★★★ 孫が、眠い朝のお出かけのために、母親に抱かれて元気をもらっている写真が届いた ★★★★★

2010年5月18日火曜日

樹木観察会

初めて小金井公園の「樹木観察会」の案内を見たのが公園サービスセンター前の掲示板だった。小金井公園サービスセンター長で樹木医の松井氏が講師となって、樹木巡りの解説をしてくれるというのだ。さっそく当日の今日、公園サービスセンター前の受付で参加申込をする。たくさんの方々が参集して盛況だった。
公園正面口から「いこいの広場」に至る約30種類の樹木を観察し、植物としての特徴や由来について説明いただいた。午前中の2時間の樹木巡りは、アッというまに終わってしまった。今まで公園を散歩して何気なく見えた光景が、これから違って見えることを期待したい。帰り際に提出のアンケートに次回の案内希望欄に署名したのはいうまでもない。

解説を聞いて興味深い話題を記す。
・公園の正面口に巨木が並んでいるのは、昔ここが鎮守の杜だったからだそうだ。公園はもともと武蔵野の台地の上側にあり乾燥していたところに、玉川上水が引かれ、その分水を得て、東京市が緑地化計画をしたことによるそうだ。そのとき、この地にはかような鎮守の杜の他、畑、雑木林、植木の畑などがあったという。
・仏教に関連する3つの樹木の紹介があった。
    - ナツツバキ(別名サラノキ、娑羅双樹に擬せられる)
    - ボダイジュ(菩提樹)
    - ムクロジ(黒い種子が数珠の珠に似る)
ユリノキ(英名:Tulip Tree)の独特な形の花が咲いていて、カラスが蜜をなめては地上に落としているという。今回の観察会のメインにあげられた。
・その他、茸のベッコウタケによる樹木内部への菌糸の侵入という怖い話を聞く。正常に見える木が、実は根元が蝕まれているというのだ。

孫と虫眼鏡

今日も息子と午後の付き合いの後、息子宅でお嫁さんと孫の帰宅を待つ。あれあれ、孫は少し怪訝な顔。2日も夕方にお邪魔したのがいけなかったのかなあ。
ご機嫌なおしに喜んでもらったものは、何と今日の樹木観察会のために準備していた虫眼鏡だ。直径10cm程度のレンズの先に奇妙な光景が見えるものだから、虫眼鏡を手にした瞬間から孫は満面の笑みになった。しばらく手放さなかった。はしゃぎぶりは多分、初めて「鏡」の向こうに自分の姿を発見したときの驚きに似ているだろう。
子どもの視覚の認知は、大人が想像する以上にでき上がっているのだろう。だから、レンズを通して見える奇妙なゆがんだ世界がおかしくてたまらないのだ。孫は、しばらく部屋の中を大きくて重い虫眼鏡を持ち歩き回っていた。
するとまもなく、虫眼鏡は部屋のすみに置かれ、孫は父親のそばにころがって甘えていた。それでいいのだよ、いいのだよ。それで遊んでくれればいいのだよ。

2010年5月17日月曜日

孫の風呂上り

いやあ、今日も暑かった。午前中ジャケットの下にベスト(チョッキは死語だそうで・・・)姿はきつかった。午後は着替えたが、それでも随分と汗をかいた。そんな中、息子と一日付き合い、夕方には息子宅で夕食をいただき、くつろがせてもらった。
さて夕食後、風呂上りの孫がバスタオルにくるまれて、息子からお嫁さんへ、そして私にリレーされた。裸ん坊で身軽になった孫は、部屋中を走り回った。とうとう母親につかまって、「そのままオシッコしたら、またお風呂でしょう」と言われながら、孫はオシメを素早くはかせられていた。
マシュマロのような裸ん坊の孫が可愛くてたまらない。

今年の「五月愛コンサート」

Ruliweb.com(5/16)に、5/15に釜山KBSホールで開かれた「五月愛コンサート」(本ブログ関連:4/27)に母親と一緒に行った男性の報告記がある。その最後に、「今日のメインと言うに値するイ・ソンヒ」について、次のように綴っている。
・ファンクラブが来ては、花束も手渡し、写真も撮っての大騒ぎだったこと。
・(彼女の)前の歌手らの歌を聞きながら「歌が上手だ」とは考えていたのだが、イ・ソンヒの歌を聞いてみると.... レベルが違いますね。
・もはや人間界の歌の実力ではない。歳月が流れても歌の実力はそのまま。 実質4曲くらい歌ったが、鳥肌がずっとたって、冗談じゃないこと...
・実際、音響設備もコンサートにしてはあまりにも良くなくて、位置もサイドの側に座ってあれこれ良くなかったが、それをみな無視してしまうイ・ソンヒの歌に驚きました。

無料コンサートとはいえ、上記掲載の3,300席規模会場の盛況ぶりを示す写真に驚く。そういえば、イ・ソンヒの足元には大きなバスケットに飾られた花が見える。

(参考)4/27記載の再掲
ブログ「わっ(와!)」には、昨年の同コンサート(本ブログ関連:2009年の5/30)が紹介されていて、「特に久しぶりに舞台に戻ったイ・ソンヒ、彼女の歌唱力は健在だった。」と語られている。

2010年5月16日日曜日

国民歌手

LIVE HIPに、2004年の「イソンヒJへ 20周年記念コンサート」(世宗文化会館大劇場)公演前に、イ・ソンヒの紹介記事が載っている。(時期未詳)
そのなかで、イ・ソンヒが「国民歌手」であることについて、次に触れている部分がある。
・(彼女は)老若男女を問わず厚いファン層を持っている。・・・世代、地域、性別を超えて愛されるイ・ソンヒと彼女の歌は、私たちの歌手であり私たちの歌として永遠に私たちと一緒だろう。
・韓国ロックの大物シン・ジュンヒョン(신중현)の歌をリメークして、88(パルパル)ソウル・オリンピックの応援歌で歌った「美しい江山(아름다운 강산)」は、その後オリンピックには常に応援歌として登場しており、2002年全国をサッカー熱に駆り立てたワールドカップの時は国民を一つに集める中心的な役割をし、その光を放った。

先日(5/1)、本ブログの「イ・ソンヒとオリンピック」で、ソウル・オリンピックのときのイ・ソンヒの活動が未確認であったが、「美しい江山(아름다운 강산)」が応援歌を担っていたことが分かる。具体的な公演・イベントの確認が残る。

★★★★★ 孫が、同じ学年になる従兄と、それぞれ空き箱を大事に抱えている写真が届いた ★★★★★

2010年5月15日土曜日

ハンサラン・フェスティバル

ハイ・チューニングの記事「会社創立記念式に来たイ・ソンヒ」(5/14)に、本ブログで先日(5/2)記した、5月13日(木)のサムスンコーニング精密ガラスの行事「ひとつの心祭り」で、イ・ソンヒが「ああ、昔よ(아, 옛날이여 )」を歌う様子(含映像)が記されている。
会社創立記念行事ということで、イ・ソンヒは「ハンサラン(한사랑)Festival」の舞台で一座圧倒する力で歌ったそうだ。映像は、次に「美しい江山(아름다운 강산)」を歌い始めたところで終わっている。

2010年5月14日金曜日

2010牧園フェスティバル

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、彼女の5月の新たなイベントが次の通り紹介されている。
イ・ソンヒは、大田(テジョン)にある牧園大学校(목원대학교)の大同祭(学園祭)で催される「2010 Mokwon Festival」(5/25~5/28)に次のように出演する。
・日時:2010年5月27日(木)、18:30 ~ 21:30
・主催:牧園大学校総学生会
・所在:Googleマップ

なお、同フェスティバルに招請されている歌手は、イ・ソンヒの他に次の通り。
・5/25:シュープリームチーム(슈프림팀)、アウトサイダー(아읏사야더)、MCスナイパー(MC스나이퍼)、デフコン(데프콘:DEFCON)
・5/26:MCモン(MC몽)、シーヤ(씨야:SeeYa)、エバン(에반:EVAN)
・5/27:イ・ソンヒ、ダビチ(다비치)、4men

2010年5月13日木曜日

イ・ソンヒへの称賛

CINE21.comに、10人の音楽評論家たちが選んだ2005年のベストアルバム([1][2]:2006年1月20日)が紹介されている。その中に、イ・ソンヒの13集「四春期(사춘기)」が最初にとりあげられ、評論家のカンホン(강헌)が次のように述べている。
まず、(80年代に歌謡トップ10で1位を果たした回数がチョー・ヨンピルに次ぐ)イ・ソンヒを、「一時代を一人帝国に平定したチョー・ヨンピルの歴史的権威に比肩できる唯一の資格を持った女性アーティストは断然イ・ソンヒであろう。」とし、彼女の13集「四春期」所収の「Rose(장미)」を以って、「ただ一曲で女諸侯としてのそれを完璧に証明する。」として、独特の分析と称賛でちりばめられている。
(本ブログ関連:2009年の11/18、2010年の2/28

彼女の他の曲目と比べて、「Rose」の趣の違いに、インパクトの強さに驚かされたことがある。その余韻は14集にもうかがえる。

2010年5月12日水曜日

孫と風邪

今日の日付に変わっての夜中に、孫が風邪のため保育園を休ませるという電話があった。朝、孫の一日看病の応援に出向いた。休暇をとった息子と一緒だったので、少しは安心だったが、幸い病状は軽く、孫は思いのままに部屋の中を遊び回っていた。急激に回復したようだ。
父親がちょっと部屋から出て姿が見えなくなると、大粒の涙が孫の目にあふれた。どれほど心細い思いをしていたかを知る。すぐに戻って来るよとあやすことしかできない。そんな孫も、皆がいるときは疲れを知らない。看病するはずの大人が疲れ果てたのだから。
やがて夕方、仕事から帰った母親に孫は切ないほどに泣き、甘えた。それは安堵であり、愛情の求めであり、確認のようにも見えた。母親に優しく抱きかかえられた孫は、やがて心落ち着いた。
孫宅からの帰り際には、すっかり笑顔を見せるようになった。ただ玄関で少しぐずってくれたことが、なぜか嬉しかった。これからは、病気でも呼んで欲しいものだ。

2010年5月11日火曜日

CMソング

冷え冷えとした春雨になってしまった。雨は夜も降り続いている。

ネスカフェのコマーシャルは、昔のぼくらにヨーロッパの満ちたりた家庭のイメージをもたらした。それは、家族の充実した愛情と笑顔にあふれる明るい室内に漂うコーヒーの香りだった。でもそれって、インスタント・コーヒーだよねとは承知していたが。ともかく、おしゃれなコマーシャル音楽を流していた。

その中でも、今も印象に残っているのが「雨に濡れてる 黄昏の街 ・・・」で始まる曲だ。よい曲だ。残念ながらYoutubeに、当時のCFを見つけることができない。ただ、雰囲気の合うものがあった。千明せらが歌っている。彼女のホームページに、「和・なごみ オリエンタルジャズ 日本人のための和み」というサブタイトルがある。本当にぴったりしている。

ちなみに、この歌は水原弘が歌った「黄昏のビギン」だそうだ。

★★★★★ 孫が、一段と成長して、母親と一緒に積み木遊びに集中し5個も重ねる動画が届いた ★★★★★

2010年5月10日月曜日

イ・ソンヒとバラード

ブログ「ロマンソナムの青い話(낭만소나무의 푸른 이야기)」(5/8)に、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」(1984年)で「Jへ」により大賞受賞してデビュー後、彼女の活躍により、いかにしてバラードの流れが開かれたかについて詳細に語っている。バラード全盛時代その最も核心的な歌手(イ・ムンセ(이문세)、ビョン・ジンソプ(변진섭)など)の中の一人に彼女がいて、大衆的人気として最も大きかったと綴っている。
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

イ・ソンヒの曲には、いわゆるバラード曲特有の膠着したものを感じない。むしろ清々しいのだ。それは多分、彼女の声質にもよるのだろう。彼女の高音のはちきれるような健全さこそ、ひとびとの心の中に求められていた本当の意味の健全さであり、いまも支持されているのではないだろうか。
彼女のバラードは時代とともに、彼女の人生に合わせて新しく歌い続けられる。

2010年5月9日日曜日

両親の日

The classicのビューティフル・サウンドの「魔法の城(마법의 성)」を、イ・ソンヒが歌う舞台に彼女の幼い娘が上がってくる映像を、以前('09/7/31)本ブログに記したもののリンク先を今見ることができない。幸いDaum tvPotなどで視聴できる。
(同様にThe classicについてもリンクできなくなっているので上記に張りなおした。登録者gd2loveに感謝。)
イ・ソンヒの母親の顔を垣間見ることができる貴重な映像である。娘の留学に合わせて渡米したとか、彼女のその後の音楽上のいろいろなきっかけを娘が与えてくれたなどといった、母娘の話題はあるようだがプライベートに留めるべきでしょう。

韓国の今月は家族の月で、いろいろ記念日があてられている。それについて以前('09/5/30)本ブログに記したように、今日は「両親の日」、すなわち<母の日>であり<父の日>である。

★★★★★ 孫が、滑り台の下から何度も登ろうとしては滑り落ちる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、電柱を気に入ったらしく犬と取り合いしたというメールが届いた ★★★★★

2010年5月8日土曜日

歌手J

イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」(1984年)が登場した当時、小説で英字イニシャルの主人公が多かったという話(本ブログ関連:2009年の4/13)があるが、この曲が大当たりしたことで、「Jの英字イニシャルを取った歌とか、(歌手)名にJが入った方たちは一緒に株が上がったという後聞もあるという。」(「ファルコン・スケッチ」の「BJ音楽倉庫」(5/8)より)

ところで、イ・ソンヒのほぼ一回り後の世代に、歌手J(제이:本名チョン・ジェヨン(정재영)、1977年5月2日生まれ)がいる。彼女の名は、上記の流れとは別のきっかけだろうけれど。
最新のスペシャルアルバム「SENTIMENTAL」(2010年2月3日)をYoutubeで聴くことができる。
(Youtubeに登録のmnetprissに感謝)

(付記)
イ・ソンヒは、今日の午後7時半、京畿道城南市盆唐区庁前芝広場で開催される、アルム放送による「第2回ABNファミリー楽フェスティバル」のコンサートに出演する。 彼女の5月のスケジュールについて記した(4/275/2)が、年間のスケジュールを知りたいところである。

(追記)
「美しい江山(아름다운강산)」を歌うイ・ソンヒの舞台映像がYoutubeに登録されている。
(Youtubeに登録のdpftlに感謝)

2010年5月7日金曜日

長寿の運

一昨日(5/5)、小金井公園に孫と遊んだとき、お嫁さんが塩船観音寺の「つつじ祭り」(5/3)でいただいたお守りを息子が預かり持ってきてくれた。
お守りは球状の、水晶(含む玄武の彫り)、へマタイト(赤鉄鉱)、ブラックオニキス(黒瑪瑙)で構成されたストライプで、「[玄武]長寿の運」の解説に、玄武は北方の守護神で、北風をさえぎり、病魔の災難を防ぎ、健康と長寿をもたらすと記されている。玄は黒色を意味することから、黒瑪瑙を以って組み込んだのだろう。
ストライプを見ながらあらためて思った。玄武の加護を得て、孫を守る。

2010年5月6日木曜日

ブランコ

イ・ヒョリの曲「ブランコ(그네)」(歌詞)の心象的なミュージックビデオについて先日(4/29)記した。物語の帰結がどうであれ、葛藤を海辺という舞台に描くイ・ソンヒの「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(11集、歌詞)にも通じている。
行き返すさざなみに、なるほどいろいろな思いが込められているのかな。この繰り返しを象徴した、イ・ヒョリの「ブランコ」の曲名と映像がピッタリというわけだ。
(Youtubeに登録のawakorea、KnightmareSMに、および歌詞登録先に感謝)

さてブランコについて、「東国歳時記」(洪錫謨 著)の「五月」(陰暦)に、次に語られている。
<民間では男女が、さかんに鞦韆戯(ぶらんこ、그네뛰기)※をおこなう。/かんがうるに、『古今芸術図』には、「北方の戎狄(じゅうてき)族が、寒食の日※に鞦韆をなし、身軽にうごくことを習う。それがのちに中国の女子たちの学ぶところとなった」と書いており、(略)いまの風俗では寒食の日の鞦韆戯が、端午の日にかわったのである。>
(※)Konestの「端午」の「クネ(ブランコ)遊び」、「寒食(ハンシッ:한식)」を参照。

2010年5月5日水曜日

孫と子どもの日

午前中、小金井公園の「江戸東京たてもの園」の「友の会」会員更新手続きがてら、特別展「多摩の酒蔵」を見る。田村酒造場(嘉泉)の建築物資料(写真、図面、瓦、レンガなど)が代表的にとりあげられている。同酒造場の初代は文人でもあったようだ。また知られている小澤酒造(澤乃井)などの説明パネルもあった。また、酒税を確保するため、日本酒を恒常的に生産できるように、国家として醸造技術の向上に取り組んだこともさりげなく説明されていた。
当然ながら利き酒コーナーはない。

午後家に戻りゆっくりしていると、息子と孫の二人が小金井公園に遊びに行くという連絡があった。不思議なことに、何の苦もなく軽く公園に出向く。到着したばかりの孫は寝起きでうつろなため、しばらく芝に胡坐をかいて膝上に抱えた。至福の時であった。
歩き上手になったとはいえ、孫はボールの追いかけっこに疲れると足がもつれてくる。シャボン玉遊びをしたり、「いい子いい子」や「かっこいい」のポーズをしてくれたり、五月晴れの「子どもの日」を孫と楽しく過ごすことができた。
別れ際の孫の笑みは最高だ、また遊ぼうね。遊んでもらっているわけだが。

2010年5月4日火曜日

離別小曲

イ・ソンヒが2001年に発表したアルバム12集「MY LIFE」所収の「離別小曲(이별 소곡)」(歌詞)について、neo music community「IZM」(2001年4月)は次のように記している。
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・「1990年代荒れ狂ったダンス・シーンは文化革命の一断面を見せた同時に、多くのことを奪い取った。」その結果、「'80年代に歌姫の席」にいた「イ・ソンヒも同じだ。・・・発表したどんな音楽もファンたちの注目を引くことができなかった。」と言い切っている。
・新しいアルバム(12集「MY LIFE」)により、「彼女が、アルバムの題名で漂うように自身の自伝的人生を歌ったアダルト・ミュージック『離別小曲』でまた戻った。」としている。
・アルバム発表に合わせたこの批評は、「『離別小曲』は、典型的な成人好みの曲で、節制美があらわれる中低音を生かした曲」と述べている。
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イ・ソンヒが独特の高音から脱却する試みは、以前のアルバムから始まっていたことを前に紹介した。その時期はどうであれ、彼女は歌手であることを主張しているわけで、歌うべくして歌っていることになる。
(本ブログ関連:2009年の8/2711/18、2010年の3/22

★★★★★ 孫が、「描き描き」の呼びかけにクレヨンを両手に持って振っている動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、歩くコツを覚えたのだろう横揺れなく、サササッと元気に歩む動画が届いた ★★★★★

2010年5月3日月曜日

富井鉱山

新たに得た栃木県宇都宮市富井鉱山の採集場所情報を基に、暖かい春の陽の今日、いつものようにxаякава氏と鉱物採集に行く。待ち合わせ場所へは早朝始発の電車を利用しているが、以前と比べてすっかり明るい空になっているのに驚く。

同鉱山へは過去3度訪れた。射撃場になったとか自動車解体場になったとか言われている更地の鉱山跡周辺を探したことがあるが、満足なものを採集できていない。
(本ブログ関連:2009年の11/28
この産地で有名な紫水晶を諦められず、場所を変えてのリベンジである。今回の結果は次の通り。(もちろん紫水晶はいただきものである)
・紫水晶(微小晶群)、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、銅藍

遅い昼飯のおにぎりを頬張っていたら、或るご夫婦が来られて富井鉱山のことを尋ねられた。お話を聞くと、同じ鉱物の会に最近入会されたとのこと。日本全国を巡っていらっしゃるようだ。

(余談)
次の採集場所へ移ろうと、尾根越えをしようと山道を登ったところ、竹薮で行き止まりになった所にクマの糞があった。xаякава氏と別々に行動して、それぞれが見つけている。あわてて戻ったことはいうまでもない。

★★★★★ 孫が、塩船観音の「つつじ祭り」の会場で、つつじを背景に凛々しく写った写真が届いた ★★★★★

2010年5月2日日曜日

スリーデーマーチ2010

小金井公園を起点・終点にする「第15回東京国際スリーデーマーチ」(5/1日(土)~3日(祝))に参加した。

昨年同様、長距離ルートのある「メインウオーク」は遠慮して、取り付きやすい「エンジョイウオーク」の<小金井探訪コース>の中から市内東側を中央線をまたいで巡る「Bコース」を選択した。
「Bコース」の主なポイントは次の通り。

【小金井公園】⇒関野橋⇒(栗山通り)⇒二枚橋⇒(野川)⇒小金井神社⇒金蔵院⇒(農工大通り)⇒三光院⇒旧浴恩館⇒【小金井公園】

良い天気で日差しも暑く歩き疲れて、同行のямадзаки氏と旧浴恩館で一息ついて、世間話に花を咲かせる。ウォーキングを目的でなく手段だなどと言いわけして時間をつぶす。
約2万歩の結果、小金井公園に戻って、公園広場で開かれた各地の物産販売店を覗き、青森県産のリンゴを買う。黄色地のリンゴは歯ざわりもよく甘くて疲れた体にとても美味い。

(本ブログ関連:2009年の5/4

★★★★★ 孫が、歩くことを楽しんで先に進むため、初めて迷子ひもを着けた動画が届いた ★★★★★

5月のイ・ソンヒ(続)

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている彼女の5月スケジュールに次の2つが追記された。
(本ブログ関連:4/27

・5月13日(木)に、イ・ソンヒは、慶尚北道 亀尾市(경북구미)のサムスンコーニング精密ガラス(삼성 코닝정밀유리)の行事「ひとつの心祭り(한마음잔치)」に参加する。

・5月20日(木)に、イ・ソンヒは、グランドヒルトン コンペンションセンターで開かれる、教保生命、ミレ・アセット(MIRAE ASSET)による行事に参加する。

以上について主催者情報、時間、他出演者など詳細未確認。

2010年5月1日土曜日

イ・ソンヒとオリンピック

以前、イ・ソンヒの20年ごとのできごとを見たが、オリンピック開催と次のように一致している、
・旧暦1964年11月11日(新暦1964年12月14日)に、本籍地忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生している。その年10月10日~24日に、東京オリンピックが開催されている。当然ながら、この年から4年の倍数ごとにオリンピックの時期と重なる。
・イ・ソンヒが20歳直前の1984年7月29日に、MBC「第5回 江辺歌謡祭」で大賞を受賞して歌謡界にデビューを果たした同じ年に、ロサンゼルス・オリンピックが7月28日~8月12日の間に実施されている。
・さらに20年後の2004年8月26日~28日に、イ・ソンヒが20周年記念コンサートを世宗文化会館の大劇場で開催した年には、アテネオリンピックが8月13日~29日の間に開かれている。

さて20年後ごとの周期ではないが、ソウル・オリンピック(1988年)のとき、彼女の公演イベントはどうだったか、おいおい調べてみよう。

(本ブログ関連:2009年の8/10、2009年の1/11