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2010年6月30日水曜日

仏国寺

本ブログに先日(5/316/86/22)紹介した、「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)に記載の錫高野、高取鉱山につづき、仏国寺について次に記す。
なお仏国寺は、錫高野への入り口のひとつでる。(本ブログ関連:3/28

「仏国寺<七会(ななかい)村>
西茨城郡七会村塩子にある寺。真言宗豊山派、岩谷山清浄院と号す。本尊は十一面観音で、岩谷観音として信仰を集める。寺伝によれば行基の開創という。古くから関東の高野山、女人高野山として広く信仰されていたといわれる。慶長年間に教導上人が中興してから寺勢が盛んになった。幕府からの朱印寺領は10石とも25石ともいわれる。本尊の十一面観音は室町末期~江戸初期の作(県文化財)。水戸藩家老が奉納したと伝える貞亨元年在銘の銅造梵鐘(県文化財)などがある。」

(参考)西茨城郡七会村は合併により2005.02.01から東茨城郡城里町になりました。(日本郵便

2010年6月29日火曜日

ザ・ウォーカー

今日の昼間は、大変蒸し暑かったものの天気は良かった。久し振りに息子と一緒に、有楽町マリオンにある丸の内ピカデリーに映画「ザ・ウォーカーThe Book of Eli)」を見た。
主人公のイーライ(デンゼル・ワシントン)は自らを使命として、一瞬の光に廃墟となった世紀末後のアメリカ大陸を、ある<書物>を背に西海岸へと横断する。途中、荒廃した町の支配者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)はその<書物>の価値(効用)を感知して、多数の部下を死に至らしめてまで、その奪取を試みる。結果、支配者はその<書物>を手に入れるのだが。
果たして、<書物>は何を語っているのか。支配者は、それを読むことができるのか。そして、主人公イーライは、使命を果たすことができるのか。
イーライは、彼を慕う娘ソラーラ(ミラ・クニス)と伴に、その聖なる<書物>が復活すべき場所にたどり着くことができる。彼こそは、稗田阿礼であった。

映画の物語は、「マッド・マックス」+「ポストマン」+アルファをイメージする世界にあるものの、題材の<書物>の意義を重視するなら暴力場面はどう理解すれば良いのだろうか。あっ、それからソラーラの母親クラウディア役のジェニファー・ビールスが美しく印象に残った。

ところで帰宅途中に、雷鳴をともなう土砂降りに遭い、駅前の喫茶店で長時間過ごして、ようやく帰宅することができた。

★★★★★ 孫が、激しい雷鳴と雨音に驚いて父親のふところに飛び込んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月28日月曜日

佐野史郎のなぞの石学

今晩(22:25~)からNHK教育TVの番組「極める!」で、「佐野史郎のなぞの石学」(全4回シリーズ)が始まった。

第1回は、タイトル「古代のパワーストーン」で、古代日本の神々と石の関係を<祭祀考古学>の立場で、「神話のふるさと・島根県出雲」ほかを訪ねて検証する。山中の自然巨石にいます神々を想う古代人の精神世界に触れてみることからこのシリーズは始まる。(【講師】國學院大學名誉教授…椙山林繼)
ところで、「パワーストーン」という言葉には違和感があるが、流行り言葉を使う番組の苦心の立場として了解しよう。

次回の第2回は、タイトル「輝きの科学」(7/5、22:25~)で、堀秀道先生から<鉱物学>の立場で、美しい結晶世界を教えうけることになるだろう。楽しみだ。うらやましい。
そうだ早速、番組テキストを求めねば。(テキスト:「極める!6・7月」 佐野史郎のなぞの石学ほか)

パティ・キムの「Jへ」

パティ・キム(패티김、〔本名〕キム・ヘジャ:김혜자、1938年2月28日~)といえば、日本ならば雪村いずみ(1937年(昭和12年)3月20日~)を思い浮かべてしまう。ほぼ同年齢の二人であり、圧倒的な歌唱力に通じるものがある。
日本で活躍する韓国出身の歌手以外に、直接韓国の歌手のCDを探すきっかけなったのは、パティ・キムの曲集をCDで聞いたときだった。スケールの大きさ、迫力に驚いたが、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」のような明るく軽快なメロディーにすぐに馴染んだ。

(本ブログ関連:2009年の2/17

彼女が、イ・ソンヒの「Jへ」を丁寧に歌う映像がある。常々思うことだが、カバーするときに、独自色を出そうとする日本の歌い手と違い、韓国の歌い手は曲そのものを尊重しているように見える。大御所のパティ・キムもその例に漏れない。

(Youtubeに登録のSeoulRiver、hsianggelilahに感謝)

(付記)
イ・ソンヒがSBSの「イ・ソンヒと友人達」で、「私の街(나의 거리)」(1989年)を歌う姿は、ちょっと気難しげだが美しい。
(Dailymotionに登録のgamuwangに感謝)

2010年6月27日日曜日

HDPN-U320K

先日から、WindowsXPの動作が不安定のため、CDにデータ・バックアップをしようと始めたところ大変手間がかかることに気付き(6/25)、ようやく今日、吉祥寺のヨドバシカメラで、電子辞書サイズのUSB接続HDD(I-O DATA「HDPN-U320K」)を購入した。
専用高速化ソフトを使わなくても、あっという間にバックアップ・データはHDDにコピーされた。とても簡単、何で早く気付かなかったのかなあ。おまけに費用は、ヨドバシカメラのポイントを使って最小で済んでしまった。これまた楽々。
でも、Windowsの再インストールは面倒だな。

(付記)
帰り道、吉祥寺駅の書店「ブック1st」で、「ゲーテ地質学論集・鉱物篇」(ちくま学芸文庫、木村直司編訳)を見つけた。鉱物関連ならばと物怖じせず手に入れよう。文学論的強迫感に臆することなく読めるだろうことが幸いである。
鉱物篇の「ボヘミアの森」の「カールスバート」では、宝石彫刻師の標本(コレクション100種)について、個々の標本番号ごとにカールスバート(カールスバット)の現地産状も紹介している。
「この小冊子に見出される記述は、自然の鉱物体を直感的に見ることなしには明確に把握することができない。前提にされるのはむしろ、読者がカールバートの内外で、このコレクションをテクストとして携行されることである。そうして初めて、この注釈書から利点を引き出し、著者の意図を認識し活用することができるであろう。」(p.145)と極めて実践的です。

2010年6月26日土曜日

孫の成長

先週末に風邪で熱を出した孫が、無事に回復したとのことで、快気祝いを口実に会いに行く。孫は、鼻水など風邪の余韻をまだ残しているが、普通に過ごしていた。
孫は、奥の部屋で気持ちよく寝ていた。昼過ぎも寝続けて、夜眠れなくなるのではと、孫の周りを大人たちが囲んでゆっくりと目覚めさせた。孫は気持ち良さそうにころころと寝返りをうった。

1歳4ヶ月を超えた孫は、言葉につながるだろう<声>を発していた。きっと練習をしているのだ。例えば、物を持ちながら、「これ」に近い声で指したりする。
それに、欲しい物の優先順位がしっかりしてきた。母親のカメラが好きなようで手放さない。携帯電話を渡そうとすると、手を出して受け取ろうと反応するが、カメラとの交換を手真似しても首を横に振って拒否するのだ。その他の物を以ってしても同じだった。しまいに、バイバイと手を振って対話を拒絶までした。これは、会話上の応答ができるだけでなく、会話(セッション)そのものを切る意志表示までできるのだ。

そして、父親が寝転ぶと、孫は繰り返し父親の体の上を這っては乗り越えて遊ぶ。父親の存在をますます意識し、さらに家族の枠組みの中での存在まで認識できているようだ。

また、わたしが帰りの身支度をすると、孫は両手を上げて抱っこをせがんできた。2度までも、別れを惜しむ表現をしてくれたのだ。こんなに感動的なことがあるだろうか。こんなにうれしく切ないことがあるだろうか。

★★★★★ 孫が、私の胡坐の上で一緒に絵本を読んで、歌った?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、父親が布団を使って作った滑り台から転げ落ちる動画が届いた ★★★★★

2010年6月25日金曜日

バックアップ

WindowsXPの調子が悪い。サポートセンターには、OSの再インストールを推奨された。
データをバックアップしようとCDに焼いていたら、手間が大変なことに気付いた(^n^;)。USB接続のHDDを明日にでも用意せねばならないのかなあ。それでだめだったら、新しいPC・・・でも。

ということで、Skeeter Davis の「The End of the World」(1962年)を。
(Youtubeに登録のvezzle12に感謝)

(付記)
そうそう、市役所で参院議員選挙の期日前投票をしてきた。さすがに夜分だけに混雑していなかった。

2010年6月24日木曜日

CD売り上げ状況

Daumミュージック(뮤직)に、イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic 2003年2月号)が載っている。イ・ソンヒがソウルの大学路にライブ劇場を経営していた当時のインタビューである。
(本ブログ関連:1/73/22
<最近(2003年当時)の音楽ファンは、確かにレコードを買うよりも公演を見ようとする。イ・ソンヒも、「レコードから公演に重心が移動していることを実感しています。歌謡界の様子が変わっている。」と楽観を披瀝した。インタビュー中の彼女は、人気歌手というエンターテイナーを超えて、公演会場の経営者の威厳を放った。「小さいけれど大きな」人物、まさにそのイメージだった。>

当時(2003年)の韓国のCDの売り上げ状況を、社団法人日本レコード会「世界各国のレコード売上」で見ると次の通りである。(最近は、ますます厳しくなっていると推測される)
年度__シングル_CD (百万枚)
--------------------------
1998年_0.03__12.5
2000年_0.10__21.5
2002年_0.10__21.4
2004年_0.07__11.5
--------------------------

(付記)
本日の日本経済新聞によれば、「『はやぶさ』カプセルからガス成分回収 JAXA 」と報じられている。小惑星「イトカワ」の土壌成分であるかどうかは、今後の分析で判定されるそうだが、良い結果を期待したい。

2010年6月23日水曜日

Are you Lonesome Tonight

エルヴィス・プレスリーの「今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?)」(1960年 6週間連続1位)は、気のいい若者がいまだ一人合点しているようなセンチメンタルな歌だが、旋律が流れるように美しく、歌の中のプレスリーが語りかける言葉をバックで甘く引き立てる。
それにしてもねえ、早く気付いても良いものを、いつまでも・・・。若者は純情である。 (本ブログ関連:3/164/24

イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も夏の日にかかわる歌だが、こちらは気持を一応整理しているようにも思えるが。どちらにしても、若者にはやっかいな夏が近づいてきている。頑張れ若者たち。

(Youtubeに登録のJackiej61too、013picに感謝)

★★★★★孫が、風邪から元気に回復して、段ボール箱に頭を入れては遊んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月22日火曜日

高取鉱山

本ブログに先日(6/8)紹介した、「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)に記載された錫高野〔近代〕のつづきとして、高取鉱山を次に記す。
「高取鉱山<桂村>
東茨城郡桂村錫高野にある鉱山。古くは錫高野鉱山とよばれた。佐竹時代に開発され、徳川光圀の頃は高取山付近の小勝・塩子・下伊勢畑・高野の4か村に錫山があった。高野には御錫山奉行衆の屋敷・錫蔵・精錬所が置かれ、幕末には徳川斉昭が開発を奨励し、村名を錫高野と改めた。明治41年にタングステン鉱が発見され、名称も高取鉱山と改められて、活況を呈した。三菱鉱業の経営により大正期に全盛を極め、発電所・選鉱所などを設け、従業員約200人、家族を含めると約600人が生活していた。現在、昭和42年に荒川鉱業より継承した千歳鉱業が操業。」

高取鉱山をモデルにした、プロレタリア文学前期の作品といわれる、宮嶋資夫著の小説「抗夫」(大正五年、1916年)がある。(本ブログ関連:1/23

(参考)東茨城郡桂村は合併により、2005.02.01から東茨城郡城里町になりました。(日本郵便

高取鉱山に隣接する「仏国寺」について以降記す。

2010年6月21日月曜日

夏至2010

今日は天気の良い夏至だった。
国立天文台の「こよみの計算」によれば、今日の東京(緯度:35.658、経度:139.741、標高: 0.0、標準時:UT+9h)の<日の出・日の入り>時刻は、<日の出(4:25)、南中(11:43)、日の入り(19:00)>で、昼時間は14時間35分となる。
一日の半分に、2時間35分の昼時間がオマケされたことになる。子どもたちは、その分しっかりと遊んだろうか。

子ども時代、夕暮れどきに、原っぱの周りの家々に明かりが灯ると、遊んでいる仲間が一人ずつ呼ばれては帰っていった。それでも残ったものたちは薄暗いなかで、草野球のボールを追いかけたものだ。

ところで、国立天文台の「よくある質問」のこたえに、夏至と冬至について次のような解説がある。
・「昼間が一番長い日(夏至)に、日の出がもっとも早く、日の入りがもっとも遅くなるわけではありません。同様に、昼間が一番短い日(冬至)に、日の出がもっとも遅く、日の入りがもっとも早くなるわけでもないのです。」
理由は、季節に異なる、太陽の高さと速度によって、昼時間が決まるということのようです。
・「そのため、日本では、日の出がもっとも早い日は、夏至より1週間ほど早く、日の入がもっとも遅い日は夏至より1週間ほど後になります。また、日の出がもっとも遅い日は冬至の半月ほど後、日の入がもっとも早い日は冬至の半月ほど前になります。」
子どもたちよ、これからしばらく、夕暮れまでもう少し遅く遊べるよ。

★★★★★ 孫が、先週末の発熱から回復して、元気に就寝前の歯磨きをしている動画が届いた ★★★★★

ミュージック・パワーコンサート

今日は天気がよくて陽差しが強かった。暑さに勝つにはパワーがいる。
イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている情報によれば、イ・ソンヒは、慶尚南道南部の港湾都市泗川市(사천시)の「ミュージック・パワーコンサート(뮤직파워 콘서트)」に次の通り出演する。
・日時:6月30日(水)、午後7時30分~
・場所:泗川市文化芸術会館 大公演会場客席850席)
・出演者:イ・ソンヒ、ゴナドゥル(건아들)、キム・ジョンソ(김종서)バンド
・主催:泗川市
・前売り:本日(6/21)から

イ・ソンヒの当日の曲目は次の通り。 (事前に曲目が開示されているコンサートは珍しい・・・)
・因縁
・Jへ
・私はいつもあなたを
・ああ!昔よ
・美しい江山
・愛よ...


(Youtubeに登録の013pic、kiseon80に感謝)

2010年6月20日日曜日

イ・ソンヒの年齢

イ・ソンヒは、一般に1964年11月11日(陰暦)に誕生と知られているが、戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。その理由は、届出を父に頼まれた祖母が忘れたため、出生申告が3年も遅れたというのだ。
(本ブログ関連:5/22
芸能人には年齢を少なく見せようとすることはあっても、彼女の場合、結果としてそれが逆になっていることになる。今も容貌は若々しく、肌艶は清潔そのものといった彼女は、アジュンマたちの羨望の対象である。アジュンマ世代になれば、3年若返ったとしても誰もがそうなるわけではないだろうから、彼女の日頃の手入れの賜物ということになるのだろう。

ブログ「野ガラスの通り路~(들까마귀의 통로~)」(2009年4月2日)に、イ・ソンヒが1991年にソウル市議会議員に立候補した際の事情について、次のような気になることが書かれている。
<当時の政界進出を通じた彼女の役割は、誰が見ても1991年「民自党」の3党合同(:民主正義党・統一民主党・新民主共和党が合併し発足)に悪化した民心を収拾するために出した雇われマダムでした。 イ・スンジェ(이순재)、イ・ドクファ(이덕화)、イ・ジュイル(이주일)と同じケースで、各党で皆有名芸能人らを獲得するために血眼になっていた恥ずかしい時代に、彼女は満25の若い年齢で被選挙権獲得のために戸籍まで変えなければならなかった時代の犠牲の羊であり、不幸であった芸能人です。>
(本ブログ関連:2009年の8/3110/29、2010年の3/174/2

上記については、大状況的に捉えていて、かつ恣意的表現が気になる。問題にしている戸籍を変えた内容が不明なので、その重大さが分からないが、単に住所を変えただけなのか知りたいところだ。
ところで、イ・ソンヒが1991年に出した自伝「夢よ愛よ出会いよ」(本ブログ関連:5/30)から、当時の経緯が窺えることができるだろうか。

2010年6月19日土曜日

シド・ミード

子ども時代に、未来のイメージは、少年雑誌の色刷りページに載った空想画から得ていた。代表的な挿絵画家(当時イラストレーターという言葉は使われていなかった)に小松崎茂(1915年2月14日~2001年12月7日)がいる。彼の絵には、未来を描きながらどことなく太平洋戦争の航空機、戦艦のにおいがすることを子どもながら感じていた。戦後の洋画壇のような高踏な反省を振舞うことはなく、彼は子どものためにだけ絵を描きつづけたひとだった。
以前、荒川区の図書館で彼の作品展が開催され、展示された絵画や資料を観覧した。一つ一つの作品を覚えていたわけではないが、雑誌「少年」に掲載された当時の絵を思い浮かべつつ記憶をたどった。懐かしい絵が目の前にあるように思えて驚いた。

その後、空想画という言葉が使われなくなると、デザイナーによって未来のイメージが語られるようになった。特に、SF映画で未来を見ることが当たり前になった。例えば、映画「2001年宇宙の旅2001: A Space Odyssey)」(1968年)のデザインは、当時の工業デザインの延長上に作られているように見えて、妙にリアリティがあったと記憶する。それは超えられないアメリカそのものだった。

映画「ブレードランナーBlade Runner)」(1982年)は、文化も人類も混沌とした世界を描いているわけで、デザインは自由だったろうけれど合理性を意識しているように感じられた。ただし暗い画質のために控えめに思われた。デザインは、アメリカを超えざる得なくなっていたのかも知れない。この映画で工業デザイナーとして指導をしたのは、シド・ミード(Syd Mead)である。

(本ブログ関連:”ブレードランナー”)

彼のデザイン画集「センチネル(Sentinel)」(1979年)は、映画「ブレードランナー」が話題になった後になって、洋書店に並んでいた。今にも利用できそうな未来の室内、自動車だけでなく、遊び場所までが違和感なく描かれていた。当たり前だが、真面目な明るい工業デザイン集だった。彼が映画「ブレードランナー」に関わったのは、この画集の出版の後である。

(Youtubeに登録のchuter、theevilmrravenに感謝)

2010年6月18日金曜日

1980年代の韓国バラード

韓国における1945年から2000年までの大衆歌謡史を鳥瞰した記事「<第20号>韓国人の人生を変えたもの⑧ -大衆歌謡」が、「Weekly共感(공감)」(ハン・キホン(한기홍)記者、2005年7月1日)に掲載されている。1945年以降の韓国大衆歌謡の流れを理解するのに大変有意義な解説である。その中から、イ・ソンヒのバラードに関わる背景や位置づけについて見ると、次のような内容で叙述されている。

・1979年にユン・シネ(윤시내)は、歌謡祭スタイルの曲「熱愛(열애)」で大ヒットを記録した。この曲の核心は、彼女の’血走る歌唱力’とストリングを主に使うポップス・オーケストラのアレンジによる広大なスケールであり、1980年代初頭の主流の成人歌謡に最も大きな影響を及ぼした、・・・としている。

・例えば、1980年代初期の大ヒット曲である、チョー・ヨンピルの「窓の外の女(창밖의 여자)」、イ・ヨンの「忘れられた季節(잊혀진 계절)」、チェ・ジンヒ(최진희)の「愛の迷路(사랑의 미로)」、イ・ソンヒのバック・サウンドやスタイルは、全て「熱愛」を土台にしたものであった、・・・と述べている。

・1980年代の韓国歌謡史は、チョー・ヨンピルで始まる。彼は、1980年の「窓の外の女」、「蝋燭(촛불)」などを通じて韓国成人バラードを‘チョー・ヨンピル式’に変えた。彼は、この年すべての歌謡祭の大賞をさらい、「窓の外の女」は最高人気を得た最高歌謡になった。

・彼はストリング中心のオーケストラ演奏の代わりに、ピアノとシンセサイザーを使って1970年代末のスタイルを維持しながらも1980年代の新しいサウンドの道を切り開いておいた。以後、イ・ヨンの「忘れられた季節」とイム・ビョンス(임병수)の「約束(약속)」、そしてイ・ソンヒの成功でバラードは若者たちが最も好む歌謡ジャンルになった、・・・と述べている。

以上から、韓国歌謡バラードの成立にとってのメルクマールに、ユン・シネとチョー・ヨンピルの存在と影響の大きさを知る。

(Youtubeに登録のorienkorean、mongtec、31CarpeDiem、www0433、ProfessorHiginsに感謝)

2010年6月17日木曜日

宇宙の終焉

Gyaoには映画やTVドラマ以外にも、いろいろと面白い映像がある。例えば、科学番組、ナショナルジオグラフィックチャンネルの「神秘なる宇宙の起源 130億年前の宇宙は手のひらサイズ?」がある。今ある星々の誕生と死はイメージできても、それらを包む広大な宇宙はどうなっているのだろうか・・・というわけで視聴した。

初めに光があった。ビッグバンで膨張して以来、宇宙にH、He、~、Feなどの元素で星々が作られたが、Feより重い元素が登場するのは超新星(supernova)爆発以降だ。そのおかげで人類も栄華を極めているわけだが、宇宙は余勢を駆っていまだに膨張を加速しているという。

知りたかったことは番組の最後に説明された。宇宙の終焉には、あらゆるくびきを解き放たれ、(数千兆年後に)全ての部質が素粒子に戻り、無(空虚:empty)の冷たい暗黒の世界になるだろうというのだ。
どうも、こうなってくると哲学なのか宗教なのか・・・。

なに、そんな心配より明々後日(6/20)の天気の方が大事だ。雨が降るのか降らないのか。鉱物採集には、晴れ空の方がやっぱり良い。雨降りなら、雨合羽を着れば良いだけのこと。

(付記)
今日の「男性の料理教室」の課題「ボンゴレ・スパゲッティ」は、アサリやアスパラガスの具沢山で上々の出来だった。それに、同班メンバーによる「ワカメスープ」、「野菜サラダ」および「桜餅」まで、大したメニューだった。先週の「肉ジャガ」に比べると、とてもうまくいったようだ。

★★★★★ (今日は天気快晴、日差しも強く随分と暑いので、孫は日光浴を楽しんだようだ) ★★★★★
★★★★★ 孫が、おしめ一つの裸ン坊になって、得意そうに絵本を読んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月16日水曜日

ドリス・デイ

高校2年のイ・ソンヒが、「チャン・ウクチョ(ウッチョ、장욱조)音楽室」で歌の勉強をしていたとき、作曲家イ・セゴンから名曲「Jへ」を得て、歌手への道が開けたように、曲との出会いにより歌手のその後が決定付けられることがある。

18歳で専属歌手としてジャズ・バンドに加わったドリス・デイDoris Day、1922年~)は、同バンド・リーダーから「センチメンタル・ジャーニーSentimental Journey)」(1945年、作曲: Les Brown、Ben Homer、作詞:Bud Green)を提供されて、彼女の最初の#1ヒットをものにした。その1945年は、第二次大戦終了の年であり、Wikipediaによれば、この歌は、多くの(ヨーロッパ戦線)退役軍人のための非公式の帰国テーマになったと記されている。
ドリス・デイの父親は音楽教師、母親は主婦だった。彼女の顔立ちは、北欧系の感じがするが、ドイツ移民の孫である。
彼女には、よきアメリカのイメージがある。鼻先の丸いところは、ノーマン・ロックウェルの絵に出てきそうな庶民的な、家庭的なイメージを感じさせる。ただし彼女は離婚を繰り返したようだが。

(Youtubeに登録のDayniac4324に感謝)

2010年6月15日火曜日

イ・ソンヒとイ・スンギのデュエット

イ・ソンヒは、「江辺歌謡祭」(1984年)で「Jへ(J에게)」により大賞受賞したとき、「四幕五場」のチームとしてイム・ソンギュンとデュエットしたわけだが、その後いろいろな歌手ともデュエットしている。
とりわけ彼女が見い出した愛弟子ともいえるイ・スンギとの、2004年ソウル歌謡大賞でのデュエット映像(SBS中継)から、彼の初々しさとイ・ソンヒの暖かい眼差を見ることができる。
(本ブログ関連:2009年の7/21
残念なことに、Youtubeに登録された映像は今は見られない。そのかわりに、In.comに登録の画質の良いものがあるので紹介したい。イ・スンギのデビュー曲「僕の彼女だから(내 여자라니까)」(2004年)と、20年を隔てたイ・ソンヒのデビュー曲「Jへ」(1984年)を二人で歌う。イ・スンギにとっては母親と同じ齢のイ・ソンヒが、気遣って支えているのが良く分かる。また「Jへ」は、他の歌手とのデュエットとは違った複雑な掛け合いがあって、まるで成果を示すようで好感が持てる。

(NATEに登録の김향우、In.comに登録のawenwen1313に感謝)

2010年6月14日月曜日

関東甲信の梅雨入り

昨日とは打って変わって、今日は朝から雨が、しとしとと降り続いている。気象庁は、関東甲信、東北南部が梅雨入りしたとみられると発表した。昨年と比べて11日、平年と比べて6日遅い梅雨入りになる。残るは東北北部の梅雨入りのみだ。
梅雨は農家の方々にとっては貴重な雨水をもたらすが、鉱物採集には(当たり前ながら)厳しいわけで、来週の日曜日に予定している栃木県日光市川俣地先の西沢金山訪問が心配である。
Weathernewsのピンポイント予報では、栃木県日光市川俣を見ると、6月20日(日)は降雨確率50%で、次のようなコメントが記されている。
「この一週間も曇りや雨のグズグズ天気。ムシムシ空気に包まれて、梅雨らしさ満点です。週末は梅雨本番の本降りの雨になる可能性も出てきているため、最新情報はこまめにご確認下さい。」
梅雨に対する気象予報専門家の思い入れを感じるコメントだが、素直に受けとめるしかない。けれども光さす一瞬の幸運を願っている。せめて当日だけでも。

希望コンサート

イ・ソンヒのスケジュールについて、6月11日の全州MBCラジオ公開放送があることを、以前(6/10)紹介したが、当日の会場を撮影したと思われるものが、NATE動画(6/13)にアップされている。
全州MBCラジオ公開放送の文字の下に、大きく「第3回夢と希望のため 全北(전북)教育家族 希望コンサート」と描かれている舞台を背に、イ・ソンヒは「因縁」を歌っている。彼女は随分と細身に見えるが、爽やかな健全さとパワーはいつも通りだ。
登録者によれば、多くの人々が彼女の歌う姿に熱狂する叫び声と、拍手の音... (が動画から聞こえるだろう)と記している。

(NATEに登録の김숙경に感謝)

2010年6月13日日曜日

はやぶさ

asahi.com(23:04)によれば、オーストラリア南部上空の大気圏に約60億キロ、7年間の旅を終えた「はやぶさ」が帰還したとのこと。小惑星「イトカワ」から土壌成分が分かるかもしれない砂を持ち帰った可能性がある。当初予定した帰還を3年遅れて無事地球に戻った。
(参考)
はやぶさ再突入動画(5つ) /Hayabusa re-entry :(Youtubeに登録のpismohirokunに感謝)
・宇宙版プロジェクトX 小惑星探査機はやぶさ#1#2#3:(Youtubeに登録のQPKGHPWGHIに感謝)

専門家の絶え間ない努力の結果、ぼくらは帰還を知ったわけで、こんな劇的なフィナーレになるなんて一般には誰も考えられなかったことだろう。エピローグに、遺品のような「イトカワ」の砂(微粒子)がカプセルから回収されることを期待する。
故郷の地球へと必死に暗黒の空間を翔り、最後には大気圏に焔となって消えた「はやぶさ」に物語を感じる。よくぞ戻られた。

(付記)
Youtubeには、日本人独特の感性だろう、「はやぶさ」そのものに対する深い愛情と敬意を示す動画が登録されている。
Return of the Falcon 小惑星探査機はやぶさ「祈り」 (Part 1234 ):(登録者pismohirokunに感謝)
・〔はやぶさ〕今度いつ帰る ~はやぶさ探査機~:(登録者kappoonに感謝)
・「探査機「はやぶさ」の軌跡 舞」(前編後編):(登録者kotohogi1968に感謝)

孫と動物園散歩

朝、マルコメ姿になった孫の写真と動画が届いた。とても似合っているのだ。何とも可笑しいやら可愛いやらで、そんな孫に会いたいと返信したところ、今日の外出の誘いをうけた。おかげで、孫一家と井の頭公園と動物園散歩の楽しい一日を過ごすことができた。

孫は、井の頭池を渡る七井橋から鯉の群れを見ては手をたたいて喜んだ。ところで一番興味を示したのは、何と池の中から勢いよく水を撒く噴水だった。淡水水族館では、ガラス越しの魚や両生類の生態に、孫は少し引き気味だった。いつか野川で、水生動物(魚や昆虫)を一緒に探したりして、生き物に少しずつ慣れてくれればと思う。

さて、吉祥寺通りを越えた先にある動物園の本園(正式には井の頭自然文化園)では、巨大な象が気に入ったようで随分と見入っていた。でも、本当に楽しんだのは、広場で遊んだり、遊園地の乗り物に親子で乗ったりしたことかもしれない。とても喜んでいたからね。

帰り際に、井の頭池の畔で孫と一緒に噴水を間近に見た。10分間ほどだろうか、両親が楽しませてくれたのだ。足元に鯉が近づいてきた。静かな時間だった。そして孫はとてもなついてくれた。

2010年6月12日土曜日

イ・ソンヒの楽譜

去年、教保文庫でイ・ソンヒの楽譜集がないものかと探したが見つからなかった。専門店でもあれば行ってみたいところだが。
インターネットのサイト「楽譜ショップ(악보가게)」に彼女の楽譜を探してみると、40点のピース・リストを見ることができる。楽譜形式はピアノ譜もあるが、ほとんどはメロディー&コードというカラオケ用楽譜のようなものだろうか。
2種類以上の楽譜があるものは次の通り。
・「因縁」(3種類)
・「Jへ」(2種類)
・「美しい江山」(2種類)
・「愛よ...」(2種類)
・「炎のように蝶のように」(2種類)

上記以外のサイト(楽譜うみ)も覗いたところ、人気のある楽譜を付け加えると、「分かりたいです」、「私はいつもあなたを」(いずれも2種類)がある。特に、「私はいつもあなたを」はピアノ演奏が当然ですから、誰もが欲しくなるものです。

ところで、google画像で「이선희 "악보"」の文字列で検索すると、画像imageながらいろいろな楽譜を見ることができる。

2010年6月11日金曜日

ゴーリカ

めでたいから、祝いごとに、苦い冷やかしでもしてみよう。人は戯れて、やっかんで見せるのもよいものだ。そうさ、祝福されるべきものは、あっという間に苦いものを甘く変えてしまうのだから。

チェリアビンスク地域のサナトリウム・ウラルで、「ゴーリカ!(Горько!)」(作詞・作曲Vladimir Sidorov)を歌うクリスチーナ・ビフローヴァ(Кристина Вихрова)の甘い声を聞いてみよう。

彼女には、ステンカラージンが見た夢に運命を知らされる、ロシアン・フォークソング「ああ、それは夜ではない(Ой, то не вечер)」の歌もある。ともに魅力的だ。えっ、歌がだよ・・・。

(Youtubeに登録のCugopobに感謝)

2010年6月10日木曜日

全州MBCラジオ公開放送

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている情報によれば、今月のイ・ソンヒの活動予定が次のように追加されている。(詳細未詳)
・6月10日に、健康関連食品企業の行事(16:00、大田(대전)忠武体育館)に出演する。
・6月11日に、全州(전주)MBCラジオによる特集公開放送(20:00~21:00)がある。

★★★★★ 孫が、得意気にうれしそうな顔をして、泥んこ姿になって滑り台で遊んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月9日水曜日

星を求めて

ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn)の「星を求めて(Look For A Star)」(1960年)は、サキソフォンを前面に押し出すいつもの演奏と比べて、弦楽器が軽快に響きに、どちらかといえばパーシー・フェイス風イージーリスニングといった感じだ。爽やかで耳に心地よく残っている。今だに馴染みやすい。

ところでWikipediaによれば、この「星を求めて」は、何とイギリスのホラー映画『恐怖のサーカス(Circus of Horrors)』(1960年製作)の曲の<カバー>というのだから、ちょっと驚きである。なお米国で、ビリー・ヴォーン(演奏のみ)のものも含めて4つのバージョンが同時に出され、1960年に大ヒットしたそうだ。ビリー・ヴォーンの他は次の通り。
Garry Mills
Garry Miles
Deane Hawley

この「星を求めて」が発表された同じ1960年に、日本では「見上げてごらん夜の星を」(永六輔作詞、いずみたく作曲)のミュージカルが公演されているが、星に願うのは洋の東西を問わず同じで、歌詞が通底している。もはや坂本九の歌を忘れることはない。

(Youtubeに登録のbega1947、TheLimePopsicle、dowopper51、liratに感謝)

2010年6月8日火曜日

地名:錫高野〔近代〕

本ブログに先日(5/31)紹介した、「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)に記載された錫高野〔近世〕のつづきとして、錫高野〔近代〕を次に記す。
「錫高野〔近代〕
明治22年~現在(注:辞典発行当時)の大字名。はじめ岩舟村、昭和30年からは桂村の大字。明治24年の戸数120・人口679、厩(うまや)81。錫鉱山は明治以後池内鉱業所が採掘。明治42年タングステンの原鉱である「重石」の露頭発見、同44年三菱鉱業が買収し高取鉱山として本格的操業。第1次大戦を契機として急速に発展。大正6年の従業員200人、生産高3万1,463貫。高取鉱山診療所・岩船尋常高等小学校高取分教場が設けられ、ランプ生活の錫高野のなかで鉱山には伝統が輝き、電話が架設された。しかし第1次大戦の終結とともに事業も縮小、操業と休山を繰り返しながら昭和38年閉山となったが、同42年からは千歳鉱業が事業を継承。」

(参考)東茨城郡桂村は合併により、2005.02.01から東茨城郡城里町になりました。(日本郵便

地名「高取鉱山」および隣接の「仏国寺」について以降順に記す。

2010年6月7日月曜日

平沢市民キサルリギ・コンサート

Jo!nsニュース掲載の記事「AKプラザ、愛敬グループ56周年記念イベント」(6/2)によれば、イ・ソンヒは、一昨日(6/5)の夕方6時30分から開催の「平沢(평택)市民キサルリギ(기 살리기)・コンサート」に、ソ・ヨンウン(서영은)、キム・ジョンファン(김종환)などとともに出演した。
(キサルリギ:「元気付け」、「気蘇生」か← 参考:KBS Worldに「気サルリダ」の解説)
同コンサートは、AKプラザが来る9日に愛敬グループ創立56周年を控えて行うイベントのひとつで、京畿道放送と共同して平沢店で催された。

NATE動画に、同コンサートで「美しい江山(아름다운 강산)」を歌うイ・ソンヒを見ることができる。
(NATE登録の안영훈に感謝)

2010年6月6日日曜日

富井鉱山の紫水晶

栃木県の富井鉱山に初めて訪れたのは、2007年7月28日である。以来、今日を含めて5回鉱物採集をしている。狙いは紫水晶だ。最初の3回はどうやら見当違いの場所を探していたようだが、鉱物仲間の情報を得て前回と今回それぞれ新しい場所で採集することができた。今回は「前畑砂防ダム」の上の沢沿いにあるズリだ。
(本ブログ関連:2009年の4/1511/28、2010年の1/315/3

今回の成果は次の通り。
・今までになくしっかりした結晶を採集:水晶(母岩に複数散在する結晶)、黄鉄鉱(他鉱山を含めて今までにない大きな等軸晶系)、黄鉄鉱(きれいな薄片)
・紫水晶(極微小結晶だが色付き)、銅藍、褐鉄鉱、赤鉄鉱

(本ブログ関連:"富井鉱山")

★★★★★ (富井鉱山で採集している山の中に、休日の孫の愉快な写真と動画が届いた) ★★★★★
★★★★★ 孫が、両手両足を使いながら後ろ向きに楽しそうに階段を下りる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、腹を出してイビキをかきながら、豪快に仰向けに寝ている動画が届いた ★★★★★

2010年6月5日土曜日

いま、私たちの隣りに誰がいるのか

以前、図書館で韓国の短編集「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」(安 宇植訳、作品社)を見つけて借りた。この本の表題は、所収第一編にある申京淑(신경숙)の「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」から採っている。他の6作品も表題をもとに読みようがあるから不思議だ。そう、隣りに誰がいるのか、または誰がいたのか。

申京淑の作品を探しては読んでいたので、この短編集を借りたわけだ。彼女の作品は、時制が錯綜する文体で始まる。幼い娘を亡くして深い喪失感から冷え切ってしまった夫婦が、あるみぞれ降る夜に幼子を幻想することで、葛藤の後に絆を取り戻す物語だ。彼女の作品にしては、物語的だし随分と泣かせる話だが、そちらへ安易に振られないようにするためだろうか、妻が心を癒すために登った山々の説明や、わが子を幻想した夜の室内を克明に描写している。でもねえ、ほっとしましたよ、最後に和解と新しい命の芽生えを知ることができたのだから。

そうそう、この短編集に収められている作家達はみな、イ・ソンヒと同じ1960年代生まれである。

(本ブログ関連:2009年の6/77/24、2010年の1/30

2010年6月4日金曜日

ミュージックビデオ

TVREPORTの記事「『ハッピータイム』ムービーの変遷...イ・ソンヒから『UV』ユ・セユンまで 」(5/31)で、MBC番組「ハッピータイム」で放送されたミュージックビデオの時代変遷史を報じている。
まず最初に80年代のイ・ソンヒのミュージックビデオから次のように語られている。

ミュージックビデオの概念さえ疎かった1980年代は、ミュージックビデオの監督などいなくて、ショー番組の演出者らが好きな次元で映像、音楽的に製作した。 特徴は歌詞をまともに伝えるために、歌詞の通り映像を制作したことだ。 歌手イ・ソンヒの「ああ、昔よ」のミュージックビデオでは、<若い男女>を見て昔を懐かしむ<ご老人>の姿を表現している。(以下略)

上記の記事にはミュージックビデオの写真が掲載されているが、イ・ソンヒの「ああ、昔よ」の<若い男女>、<ご老人>とはどうやら人形のようだ。この人形が登場するミュージックビデオをYoutubeでは残念ながら見たことがない。

(付記)
鳩山前首相辞任発表(6/2)後の今日、菅氏が第94代首相に指名された。菅新首相の選挙区は東京都18区(武蔵野市、府中市、小金井市)で地元だ。

2010年6月3日木曜日

イ・ソンヒと韓国日報創刊56周年記念コンサート

昨日(6/2)、韓国日報(한국일보)創刊56周年記念コンサートが開かれ、イ・ソンヒの出演を同紙(6/3)は次のように報じている。(本ブログ関連:5/28
この日の公演のトリはイ・ソンヒが飾った。 彼女は、モーストリー・オーケストラの演奏に合わせて「Jへ」を歌った。 「私はいつもあなたを」、「美しい江」などは、彼女のみの舞台ではなかった。 客席とひとつになって合唱し、音楽祭の意味を振り返った。 イ・ソンヒは、今年で舞台に立って26年になったと、デビュー当時から続いた韓国日報と縁を紹介したりもした。

(付記)
地元の「男性の料理教室」に行く。おじさんのための料理教室である。初回は「ドライカレー」と「ポテトサラダ」だ。一班四人で調理するが、仕上がり上々、味も満足であった。指導体制は、講師と5班それぞれサポーターが付き添うなど至れりつくせりである。(講師以外全て男性)
ずっと先のことながら、孫に満足してもらえる料理ができればよいが。そのためにも腕をみがきたい。
全6回のプログラムである。これから楽しみだ。

2010年6月2日水曜日

無事帰還

国際宇宙ステーション(ISS)に昨年12月から約5カ月半の長期滞在をした野口アストロノーツは、ソユーズTMA17宇宙船によりバイコヌール時間07:25(日本時間12:25)に無事地球に帰還した。着陸地点は、中央アジアのカザフスタン共和国の草原。
・昨年12月21日、ソユーズTMA17宇宙船(21Sミッション)にて出発し、翌々日の23日にISSにドッキングした。(本ブログ関連:2009年の12/2112/23
・野口アストロノーツのISS長期滞在は本日で161日目で、連続宇宙滞在日数は163日となり、日本人最長日数を更新した。

ニコニコ動画の生放送を見た。ソユーズから引き出されたばかりの3人の搭乗員(オレッグ・コトフ、野口聡一、ティモシー・クリーマー)が、医療班の人だろうか、顔や手をしきりに拭かれていたこと、渡されたリンゴを美味そうに食べていたことなどが印象的だった。地球の外気に浸り、新鮮な果実を味わい帰還の無事を確認したことだろう。ああ、それからチェアに座っている宇宙服の野口さんの画像に、ニコニコ動画らしく朝青龍と似ているというコメントがあった。ふむ、そういえば・・・。

(追記)YoutubeにTBSニュースによる報道が登録されている。構成も視聴者が知りたい映像が適時配されているし、野口さんの視点に立った記者報告が素晴らしい。

★★★★★ 孫が、ゼンマイ仕掛けのように走り回りながら親と公園で遊んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月1日火曜日

未来千年の都地決定2周年記念コンサート

イ・ソンヒは、「韓国精神文化の首都安東(안동)」と呼ばれている慶尚北道安東市の「慶尚北道未来千年の都地決定2周年記念コンサート」に次の通り出演する。
・日時:6月8日(火)、19:00~20:30(イ・ソンヒ出演は20:00頃)
・場所:市民会館大公演場
・出演(歌手):〔地域歌手公演〕イ・ミスク(이미숙)など、〔招待歌手公演〕イソンヒ