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2010年3月15日月曜日

孫と歩き初め

孫が、5、6歩も!歩いたというメールがお嫁さんから届いた。今日は記念日になった。

孫は、はいはい、つかまり立ちなどといろいろ成長の歩みを進めて、まわりを驚かせてきた。今回の驚きと喜びには格別なものがある。メールに1、2歩と歩く動画が添付されているが、5、6歩も歩いたという姿を直接見たいものだ。
幼い子どもの発達は、遺伝子の設計図で自動的に進むものではないだろう。深い愛情というトリガーがなければ、そして愛されているという絶対的な自信がなければならないと思う。
孫は、若い両親の愛情に包まれて、成長の歩を進めている。本当に幸せなことだ。

ちょうど1歳を過ぎたばかりの孫が、初めて歩いたことに感謝したい。

カスマプゲ

昨晩、Twitterを覗いたら、韓国の作曲家朴椿石(박춘석)氏の訃報が綴られていて、今日のインターネットのニュースは死去の記事を一斉に報じている。

わたしたちの耳に馴染んだ朴椿石の曲は何といっても、「カスマプゲ(가슴 아프게)」だろう。少し前の会社の飲み会などでは必ず誰かが歌い、カスマプゲのフレーズになると、みな一斉に口ずさんだものだ。日本でのこの曲の流行は、李成愛(이성애)によっている。彼女が最後のステージで歌う感動的な録音がYoutubeにある。当然、今なお日本の歌手に受け継がれている(キム・ヨンジャも含めて)。また、本ブログの左に、元唱者ナムジン(남진)の映像を載せさせていただいている。

朝鮮日報(chosun.com)の記事「’島の先生’から’雨降る湖南線’まで」(3/14)には、朴椿石の幼少時からの天賦の音楽的才能と経歴などが記されている。
・(韓国)国内歌謡作曲家中最も多い2700余曲を残した。そのうちの1152曲が韓国音楽著作権協会に登録された。最多登録である。
・1964年地球レコード社に移った彼は、李美子(이미자)とともに音楽家人生の変化(第2の転換期)を迎える。彼が一生の間作曲した歌の4分の1を李美子が歌ったし、李美子が歌った歌の3分の1を彼が作った。(「島の先生(섬마을 선생님)」)

(Youtubeに登録のkmw2500、zingaz98、yokosuka30に感謝)