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2011年10月31日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 正歌

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/26)に、「身分の高い人々の手で伝えられた、整えられて洗練された音楽である正楽(정악)グループの声楽曲、正歌(정가)」について紹介された。

「詩として書かれたものを歌として歌う形式」の声楽曲の「正歌」には、次の3つがあるということから始まった。
・「歌曲(가곡)」
・「時調(시조)」
・「歌辞(가사)」

<歌曲>
▼イ・ドンギュ(重要無形文化財第30号)による、歌曲羽調(우조)、「初數大葉(초삭대엽)」の「東窓(동창)이 )」を聴く。漂うような緩やかさのなのに、ちょっと重々しく・・・始まる。

歌曲のテンポについて次の通り説明があった。
・昔の音楽「大葉(대엽)」に、テンポについて速い順に、「慢大葉」<「中大葉」<「數大葉(삭대엽)」があったが、現在は數大葉が主流。
・男女が交互に歌う。
・最初の歌は「初」の字が付いて「初數大葉」、二番目の歌は「2」を当て「二數大葉」といい、以降数字と関係なく多様なメロディーの歌が続く。

歌曲の音階について次の通り説明があった。
・西洋音楽の長調と短調のように、国楽にも「羽調(우조)」と「界面調(계면조)」があり、歌曲を歌う時どちらの調かを曲名に表示する。
・歌曲は歌う形式が複雑で楽器も多用なため、簡略化させ比較的簡単な伴奏にのせて詩を歌う、「時調(시조)」という形式の音楽がよく歌われるようになった。

<時調>
▼イ・ジュナによる羽時調(우시조)の「月正明(월정명)」を聴く。以前(7/10)、時調の解説で聞かせていただいた美しい歌だ。月の光りの音が届くようだ。

◆ソリとノの違い
ちょうど知りたかった、ことがわかりましたよ!感謝。ソリとノの違いを次のように説明された。
・昔の人々は、庶民が歌う民謡などは、音という意味合いの「ソリ(소리)」を使い、歌曲や時調のような音楽のみを「ノレ(노래 )」、つまり歌(唄)と呼んでいた。ノレと呼ばれるこれらの音楽が、正しい歌、正歌だというわけ。
・歌曲は、重要無形文化財、第30号に指定され、去年ユネスコ人類の無形遺産に登録された。

(付記)
パンソリのパン(판)は、多くの人々が集まる<場所>を意味し、ソリ(소리)は<音>を意味する。(Wikipediaより)

<歌辞>
歌辞について次の通り説明があった。
・時調よりももう少し長い詩を歌うのがこの歌辞で、時調と同様に簡単な伴奏を添える。
・現在まで、全12曲が伝えられていて、「十二歌辞(십이가사)」とも言われる。

▼イ・ヤンギョによる歌辞「梅花歌(매화가)」 を聴く。繰り返しがのどかな感じがするが・・・物語はいかに。

2011年10月30日日曜日

秩父鉱山 石灰沢 11-10-30

鉱物の会の催す鉱物採集会に参加する。採集場所は、埼玉県秩父市の秩父鉱山石灰沢で、昨年の9/26に個人的に行って以来のことである。
うす曇りのなか、新宿からマイクロバスで向かう。現地集合組と合わせて総勢30名弱だ。今回の採集会は、今までにない特徴があった。何と、小学生以下の子どもを連れた家族が3組もいらしたことだ。随分と和やかな雰囲気になった。

今回の目的は「ベスブ石」と「スピネル」の採集だ。埼玉県道210号線道路沿いの小倉沢の涸れた川原を横切り、石灰沢(地図)を前回より上側に遡った。結果は次の通り。

<石灰沢>
・ベスブ石、スピネル、灰礬柘榴石、方解石・・・(前回より成果は芳しくなく、スピネルはいただきもの)

<小倉沢>
・磁鉄鉱、方解石の球(沢の流れに丸くなったもので、孫のお土産)


(採集帰りのバスの中で、孫が妹のお休み時間に、母親とデートを楽しんだという知らせを受けた)
★★★★★ 孫が、母親と一緒に、足蹴り三輪車、ブランコ、滑り台で遊んでいる写真と動画が届いた ★★★★★

(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景

今回のソウル市長選挙(10/26)を通じて、世代別の特徴(投票の背景)をマスコミ各紙が(社会科学風に)分析している。各世代の一側面だろうけれど、下記のようにまとまったものを、今まで他に見ていない。

(参考)イ・ソンヒファンの世代構成
2010年1月時点の、彼女のファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」会員について調査母数n=77であるが、10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)という、世代構成の公開情報を本ブログに記している。・・・30代を中心にしているが、1964年生まれの彼女と同世代の40代が潜在的に厚いファン層だろう。

<東亜日報の解説>
東亜日報の「[オピニオン]若者の支持獲得」(10/28)は、当選者側に支持の多かった、40代、30代、20代を次のように解説している。(支持陣営などの情報について一部省略した)

◆40代(新旧世代の間にいる)は、62~71年生まれで、80年代に大学に通った386世代だ。
87年の民主化デモを記憶している抗争世代だが、景気の好況期に難なく職に就き、しばらく生活水準の向上を体感した。97年の通貨危機当時、高い地位にいなかったので構造調整も避けられた。しかし、数年前から、子どもの教育費の高騰と高い大学授業料に苦しみ、老後の備えができない人が多かった。中年以降が不安だと感じる人が変化に票を入れたようだ。
⇒40代をつかむには教育費の軽減の解決が急務だ。

◆30代は、72~81年に生まれで、90年代が大学入学年度だ。
彼らは、学生時代からコンピュータを使用した世代なので、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)適応力が高い。97年の通貨危機を体験し、就職の時から苦労し、まだマイホームのない人が多い世代で、チョンセ(高額の保証金を預ければ、その運用益で家賃負担が不要となる賃貸方式)価格の上昇に苦しんでいる。子どもが幼く、無償給食、無償保育の公約にも敏感だ。選挙日の終盤に投票所に走っていくネクタイ、ハイヒール部隊が主にこの世代と分析される。
⇒30代をつかむにはチョンセ価格の引き下げと無償給食・無償保育の解決が急務だ。

◆20代は、82~91年に生まれで、2000年代が入学年度だ。
多くの人が大学に進学する高学歴時代を生きているが、雇用のない成長の中で就職難に苦しんでいる。授業料半額公約に共感し、若年失業の解消を望んでいる。
⇒20代をつかむには若年失業の解決が急務だ。

<朝鮮日報の解説>
① 記事「ソウル市長選:世代間交流の途絶」(10/29chosuncom)によれば、(「情報収集や交流の手法が完全に異なっている」)世代間の違いを次のようにネーミングしている。
・金文朝(김문조)高麗大学教授(社会学科)は「50‐60代が理性的な<談論世代>だとすれば、SNSを積極的に活用する20‐30代は感情的な<トーク(対話)世代>として、両者は文化的に大きく異なる別の種族」と語った。

② 記事「ソウル市長選:現在の40代、87年当時の30代と同じ地位」(10/29chosuncom)によれば、40代の地位が大きく変わったことを次のように説明している。
87年当時の40代は、企業で部長以上の中堅クラスに昇進し、安定的な階層となっていたのに対し、今年の40代は、87年当時の30代と同じく、課長クラス程度の不安定な階層で苦闘を強いられている・・・、現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実があるものとみられる。

2011年10月29日土曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

2004年、イ・ソンヒの20周年記念コンサートで歌われた「秋の風(갈바람)」(歌詞、1985年の2集アルバム)の映像が次のYoutubeにある。
西から吹いてくる風は、秋を促し葉を染める。そして、この歌のように心を奪って行ってしまう。秋の風は、彼の地を問わずせつない。けれど、イ・ソンヒの歌は情熱的だ。そして美しい。
この「秋の風」については、既に2回(2010/9/12011/9/4)記しているけど・・・。

(本ブログ関連:”秋の風”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

(追記)
慶尙日報のコラム「値千金な国語」(1/17)に、「秋の風(갈바람)」について次のように解説している。(홍영진記者)
・ 「ガルパラム(갈바람)」は、西から吹く風を意味する。( 「カル(갈)」は西側を意味する言葉で、「ハヌィ(하늬)」と同義) また、「ガルバラム」は、秋の風の略語として使われたりもする。

この秋は、先日の木枯らし1号で吹き飛ばされたかもしれないけど、まだ少しの暖かさと大部の寒さの間を行きつ戻りつするだろう。

2011年10月28日金曜日

孫の変身

孫が変身したという知らせが届いた。朝から強い子になったのだ。
毎朝、保育園に通うのに「行きたくない」と泣いたりしていたのが、オオカミになってから、平気になったらしい。先日、吉祥寺で求めたオオカミ帽子をかぶって変身したのだ。

今朝は寒い。防寒の厚着をしてもらい、頭にオオカミ顔の帽子をかぶり、保育園に出で立つ元気な孫が可愛い。男の子は変身が大切だ。それを見守る母親の眼差しを感じる写真が届いた。

変身できる孫がうらやましい。頑張れ!

ケ・セラ・セラ

ドリス・デイは、とても家庭的な感じがした。そう、豊かなアメリカの生活を勤(いそ)しむ優しい母親像が似合った。彼女の実際の人生は別として。
ヒット曲「ケ・セラ・セラ(Que Sera Sera)」は、恵まれた人生に世界を疑わず、素直に生きる女性の歌として聴くことができる。陽が射す空を、眩(まぶ)しげに見上げるようなあかるい歌だ。

幼いころ母親にたずねたこと「わたしどうなるの」、成長して恋人にたずねたこと「これから何があるの」、そして結婚して子どもたちにたずねられたこと「わたしどうなるの」、それら全てに答えが決まっていた。
そう、「ケ・セラ・セラ、なるようになる」のだと。

人生って、知り過ぎていてはいけない。まだ見ぬ未来に、希望を託せる程度に幸せと遊びが必要なようだ。

(Youtubeに登録のzennmannに感謝)

(本ブログ関連:"ドリス・デイ")

2011年10月27日木曜日

仮面で変身

新宿のフルート教室の帰り、駅事故があったせいで電車が遅れて、ようやく地元駅を降りたところ、コンコース(という程でもないが)に、小さな屋台が出ていた。饅頭などの菓子類の他に、子どもたちが喜ぶTVに登場するキャラクターの仮面がいくつも並んでいた。近づいて見ると、孫の好きな?ウルトラマンの仮面も何種類かあった。

「一番上の段の、ドラエモンの直ぐ左にあるウルトラマンをお願いします。」と頼むと、店の主人に「ウルトラマンセブンですね?」と念を押された。実は、初代ウルトラマン以外、はっきり識別できない。そんなわけで、「ええ、それを」といって求めたわけだが、孫は喜んでくれるだろうか。もっと別のキャラクターにした方がよかったのだろうか。

ハロウィンの仮面ではないけれど、孫もウルトラマンセブンの仮面で、しばらく夢の空間にはまって遊ぶことだろう。子どもは素晴らしい、いつでも変身できるのだから。

イ・ソンヒの写真

何度触れたことだろう。イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」は名曲である。この曲の作家との運命的な出会いは、その後、彼女に輝くデビューを贈ることになる。祥明女子高の3年生のときだった。
仁川大学の1年に在学中、音楽グループ<四幕五場>に属した彼女は、イム・ソンギュンと組んで、MBC第5回「江辺歌謡祭」(1984年)に登場し大賞を受賞して、デビューを果たす。

(本ブログ関連:"Jへ")←表示後、画面右下の「前の投稿」をクリックを!

<四幕五場>当時の彼女の写真が、次のYoutube映像にある。
デュエットを組んだイム・ソンギュンと一緒に並んだ、前段のポートレートと、後段の歌謡祭壇上のものである。前段の二人の写真は始めて見た。若者の初々しさと不安が垣間見える、まさに青春そのものである。「江辺歌謡祭」以前のものだろうか。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2011年10月26日水曜日

ハロウィンのこと

テレビなどで、アメリカの白人家庭の子どもたちが夜に、骸骨や魔女の奇怪な仮装で、ご近所を廻ってはお菓子をいただく「ハロウィン」の風習を見かけたことがある。カボチャをくりぬいて作った暗闇に光るランタンもお決まりだ。宗教行事というよりは、お祭りのような気がするが、一体どうなのだろう。

超現実的になれる子どもだからこそ、ハロウィンのお祭りのなかで、大人には見えない悪魔的世界と一瞬通じる不思議な感覚を持つことができるのかもしれない。恐怖を感じ、恐怖を楽しんでいるのだろう。それは、子どもだけが知っている、互いに共有できる感覚だ。もう忘れてしまったが。

ハロウィンの言葉を身近に知ったのは、高校時代に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説のなかのことだ。読書というものは自分の閉じた世界で楽しみ記憶に残すもので、ことさら見える形にしてまで求めるものではない。だから、ハロウィンは曖昧なまま心に残してきた。子ども時代に感じた、恐怖と平穏の境を懐かしむように。

ところで、日本のハロウィンブームはどうだろうか。子どもたちは、塾やお稽古ごとに忙しく、集団になることにも慣れていないし、ご近所にしてもコミュニケーションがとれていないこのご時世、アメの準備どころか唐突に来られても戸惑いがあることだろう。子どもを平気で暗闇に出してやる親もそうそういない。まして、いただいたアメに対す信頼性も怪しい時代なのだから。

日本ではまだ、若い女性がイノベーターとなって支持する、ファッション感覚のイベントに近い気がする。それを、ファッション誌や特定の都心の商業地がブームを形成しようとしているのだろう。
ところで、ご近所で子どもたちのハロウィンごっこの光景を一度だって見たことがないが、回を重ねて、年を経れば、バレンタイン行事のようになるかもしれない。(弁明として、フォーマルなものの起源も、先端ファッションであり、それが変遷して定着したものであることを考えれば、ハロウィンもバレンタインのようになるかもしれない。)
ただ、子供の方が正直だとだけ言っておきたい。

ふと気になったことがある。アメリカにも昔の日本のような駄菓子屋があれば、こんな大騒ぎをしなくても済んだのに・・・、そんな訳ないか。


(付記)
日本経済新聞の記事「東京に冬の訪れ『木枯らし1号』」(10/26)によれば、寒い今日、「木枯らし1号」が訪れたことを次のように知らせている。
・気象庁は26日、冬の訪れを告げる「木枯らし1号」を東京都心で観測したと発表した。昨年と同じ日で、この10年間では最も早かった
・同庁によると、26日は西高東低の冬型の気圧配置となり、東京都心で午後5時前、最大瞬間風速15.0メートルの北西の風を観測。寒冷前線が南下した影響で最高気温は20.3度と、25日の26.9度から大幅に下がった。
・気象庁は、東京都内について、10月半ばから11月末までに初めて吹いた最大風速8メートル以上西北西~北の風木枯らし1号としている。


★ 孫ふたりが、父親の上になったり横になったり、纏(まと)わりついている写真が届いた

2011年10月25日火曜日

結局ROSATはどこに?

ドイツのX線観測衛星(ROSAT)は、結局どこへ行ったのだろう。先日、chosoncomの記事タイトルのように「ドイツ衛星、中国、渤海湾付近に墜落のよう」(10/23 11:09)といった予想があったが、ぎりぎりまで分からない状況だった。

結局、日経新聞の記事「独衛星、日本落下なし インド洋上で大気圏突入か」(10/23 18:30)によれば、
・ドイツ航空宇宙センターは23日、エックス線天文衛星「ROSAT」が日本時間同日午前10時45分から午前11時15分の間に大気圏に突入したと発表した。米戦略司令部の情報によると、突入地点はインド洋上空とみられる。
・落下地点の特定は難航が予想される。ドイツ航空宇宙センターは軌道の計算による割り出しを進めるとともに、目撃情報などを集めている。

で、落下地点は、今現在も不明のようだ。

(本ブログ関連:"ROSAT")

2011年10月24日月曜日

霜降 2011

とりとめなく綴る。

今日は、二十四節気の「霜降(そうこう)」、寒さが進み霜が降(お)り始める頃を指すが、霜はまだ見ていない。
九州から東京の小学校に転校して、通学路わきにあった関東ローム層の畑の黒土が霜でもりあがっているのを見たとき、輝安鉱のように美しく輝く霜柱に驚いた。霜をグサグサと踏み潰して歩き、それが粉々になるのが楽しくてしょうがなかった。

二十四節気の「霜降」は、牛肉の「霜降り」ではない・・・当たり前だが。
ところで、テレビなどで、牛肉を食して「このお肉、柔らかいですね」などというものだから、子どもまでが「柔らかい」と言うようになった。私の子ども時代には、料理に牛肉が入っていたら、「肉がある!」と叫んだものだ。断じて、肉料理に「柔らかい」という言葉を軽々使うべきでない!・・・うん。(小言じみてきたなあ)

寒むくなるので、近所のスーパーで、インスタントコーヒーを探した。韓国では、インスタントコーヒーはスティックコーヒーが定番というか主流だそうだが、砂糖を敬遠しているので、ためらっていた。ところが、いったんA社のブレンディーを飲んでみると、手間いらずで、「これで、いいじゃないか」ということで、今日も買いたした。

インスタント・スティックコーヒーと一緒に、円形蛍光灯ランプを探した。P社のパッケージに、昔馴染みの「サークライン」という表記がない。インターネットで調べてみれば、「サークライン」はT社の商標とういうことを初めて知った。
「電球色」のものを選んだ。つけてみると、まるで懐かしい裸電球の光がする。部屋が一瞬、暖かい昭和に戻った気がした。食卓の明かりだった。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 並唱

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/19)に、弾き語りの音楽である「並唱〔竝唱〕(병창)」が紹介された。

はじめに、演奏スタイルについて次の通り説明があった。
・並唱〔竝唱〕(병창): パンソリの演奏の前に発声練習を兼ねて歌う短い歌(단가)、また各地方の民謡を歌うときなどに、このスタイルがとられる。また、弦楽器の伽耶琴가야금)とコムンゴ거문고)を使って歌と演奏をする場合、それぞれ、カヤグムビョンチャン(伽椰琴並唱)、コムンゴビョンチャン(コムンゴ並唱)と呼ぶ。
・併奏(병주): 二つの楽器による演奏スタイルで、例えば、笙に似た笙簧생황)」と、短い縦笛の短簫단소)が代表で、楽器名を合わせて「笙併奏(생소병주)」と呼ぶ。

<カヤグムビョンチャン>
▼パク・グィヒ(박귀희)による「タンカ(カヤグムビョンチャン)」を聴く。あれっ、以前・・・そう、チュンモリチャンダンの紹介のとき聞いたお声だ(8/1)。のりがよいというか、おもわず聞き入ってしまう。とても健康的な感じがする。

・他の伝統音楽の分野に比べ、多少、低く見られがちだったが、近年、様々な演奏家が発展に努力を重ね、これらの活躍により、1968年、散調と共に重要無形文化財第23号に指定されている、とのこと。

(参考)「伽倻琴竝唱」:韓国伝統ソリ文化より

・最近では、洗練され、楽器についても伝統的な伽倻琴よりも、改良された「25弦伽倻琴」で並唱を行うことも多くなってきている、とのこと。
▼チャン・ソユンによる「蘭、私の姿(난초 내 모습)」(25弦伽倻琴並唱)」を聴く。詩人の号から取った歌だろうか。25弦伽倻琴の現代風演奏と、素朴な語り・・・なるほど、演奏家の子ども時代のものなんですね。

(参考)「ホナンソラン(허난설헌:許蘭雪軒)」:ko-Wikipediaより

<コムンゴビョンチャン>
▼シン・クェドンによる「セタリョン(コムンゴビョンチャン)」を聴く。このお声も、以前(5/4)、コムンゴの紹介のときに聞いている。音に飾りがなく透明感がある。伝承者が少ないのが現状だそうだが、継承されんことを・・・。

2011年10月23日日曜日

イ・ソンヒの「ハンネの別れ」

「1975年キム・ヨンドン(김영동)芸術監督が音楽を引き受けて国楽ミュージカルとして初めて舞台に上がった」、「ハンネの昇天」の中から「ハンネの別れ(한네의 이별)」を、1994年「ソウルの愛コンサート」で、イ・ソンヒが歌う映像がYoutubeにある。
(なお、1977年には、ハ・ギルチョン(하길종)監督によって映画化されている。)

「ハンネの昇天」については、LifeDaeug掲載の、2007年「第1回大邱国際ミュージカルフェスティバル」公演の「国楽ミュージカル"ハンネの昇天"」の記事に解説されている。土俗的な因習、仏教的な輪廻観、そして羽衣天女譚などで構成される、とても重く苦しい悲恋物語のようだ。

イ・ソンヒは、1992年に新しい境地を切り開こうと、キム・ヨンドンと一緒に、国楽と彼女の音楽との融合を試みて、第8集「小船(조각배)」を出した。彼女にさえ巡ってきた音楽的苦難の時代があり、その中で試みたひとつである。東洋的回帰への試行は、後の代表作となる「因縁인연)」に結実する。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝、感謝)


(程よい日和の今日、孫たちが多摩動物園に行ったという知らせを受けた)
★★★★★ 孫が、ライオンバスの窓の手すりをしっかり掴み、ライオンの群れを見ている写真が届いた ★★★★★

2011年10月22日土曜日

ROSATの落下ルート

10/23、07~21時のROSAT地上軌跡
文科省のfacebookに掲載の、「総理官邸内危機管理センター内の『ドイツ人工衛星落下に関する情報連絡室』より」発表の「ドイツ人工衛星に関する情報について」を、次に転記する。(10月22日16:30 )

・ドイツ航空宇宙センター(DLR)の情報によれば、ドイツのX線観測衛星(ROSAT)は世界協定時の10月22日18時から23日12時(日本時間10月23日03時から23日21時)に大気圏に再突入すると予測されています。(略)

  
日本上空において大気圏に再突入する可能性は完全には否定できませんが、ROSATは、明日23日09時30分頃に南西から北東にかけて日本列島上空を通過する見込みです


・「日本上空の時刻(日本時間)」(Jaxa作図の軌跡図)
① 10/23、09:30頃
② 10/23、15:40頃
③ 10/23、17:10頃
④ 10/23、18:50頃


さてさて、「人間に当たる確率は『2000分の1』で、同衛星が2000回落ちると仮定した場合に1人に当たる頻度に相当する。陸上にいる特定の人物に当たる確率は15兆分の1という。」(YOMIURI ONLINE)とのことだが、何度聞いてもわからない。地上に人間は、決して均等に分布しているわけではないのだから。
果たして、日本に落ちるのか、落ちないのか。まして人に当たるのか、当たらないのか。

(本ブログ関連:"どうしよう、今度はドイツの人工衛星が落下だって")

ピーター・ブリューゲル

テレビ東京の「美の巨人たち」は、小林薫の淡々として飄々とした語り口で、美術作品を様々な視点で解説する番組だ。先週(10/15)、伝ブリューゲル「イカロスの墜落の風景」を紹介した。

(大)ピーター・ブリューゲルPieter Bruegel, 1525/30年-1569年9月9日)の絵は、芸術作品というより、身近に馴染みやすい、もっと言えば、庶民の体臭さえ感じる。北方ルネッサンス絵画の中で、遊ぶ子どもたちの姿を、収穫の農作業にくたびれて昼寝する農民の姿を、最も人間らしく描いた画家ではないだろうか。以前、本ブログで触れたこともあるが、思い出方々、思ったまま再度記してみよう。

私の中学時代に、国別・時代別の大部の美術全集が学校の図書室に並んでいて、借り出しては、退屈な授業の合間に眺めていた。その全集の中にブリューゲルの作品が収められていた。
当時、「農民画家」と呼ばれて妙な持ち上げ方をされていた。美術全集の中の彼の作品を見れば、そんな評価に違和感を感じたものだ。子どもなので、ボッシュの系列に位置づけられたりする奇想さに関心もあったけれど。

高校時代になると、画家別の手頃な全ページカラー印刷の美術全集が登場して、ブリューゲルもその1巻となった。いろいろな意味で、ファン層が拡大したと思う。

社会人になって、ブリューゲル研究の第1人者である、森洋子教授のオープン講座に出席したところ、なんと会場を中年女性が埋め尽くしていた。海外旅行先を主要商業都市から、競い合うように地方古都市に移していったように、ブリューゲルにも関心が向けられたのだなと複雑な気持ちになった。(ああ、中年女性を敵に回してしまった・・・)

農夫であれ、職人であれ、商人であれ、そして彼らの子どもも含めて、庶民という名に生きて、働き、いつか死ぬひとびとの本当の強さを、ブリューゲルは感じていたのかも知れない。神や神話との距離の同心円内に、庶民も見ていたのだろう。
歴史を超えて、日々働き生活する庶民は、保守的だが強固にその立場を守る。ブリューゲルの絵に、そんな庶民の力強い生活観がいきいきと見えてくる。とはいえ、彼は安易な接近や同調もしなかったろうし、シニカルな目も持っていたことだろう。庶民だって、そのことは承知していたと思う。

今よりも静かな時代、遠くの教会から鐘の音が聞こえてくる、そんな農村風景の中に身を置いて、ブリューゲルの絵を眺めてみたい。

私の好きな、ブリューゲルの絵は、「農家の婚礼」と「農民の踊り」だ。

(本ブログ関連:"イカロス")

2011年10月21日金曜日

オリオン座流星群

外灯の明かりに照らされて、ぱらぱらとわずかだが雨滴が降ってくる。先日(8/13)の「ペルセウス座流星群」は曇り空で残念だったが、今日の「オリオン座流星群」は小雨のためにもっとだめだった!

weathernewsのソラマド特別番組「SOLiVEスター」(23:00-25:00)は、全国7元ライブ中継を試みたものの、新潟県の胎内自然天文館(いそやん担当)の上空にかすかに星座が見えただけで・・・同地は中継時間内ではないけれど、番組内で流星を2つ以上ゴールした。リプレイ映像で、その流星を確認することができた。
流星を実況中継できないかわりに、怪しい馬?が出てきたり、超ミニUFOの噂が流れたりと、理系人間のギャグが炸裂した愉快な番組だった。

イ・ソンヒ「私はいつもあなたを」との出会い 「NHKに恋ハセヨ」

月刊「朝鮮」(2011年11月号)に、NHKプロデューサー上嶋隆一とのインタビュー記事「KPOPが日本語を変えている(K­POP이 日本語를 바꾸고 있다)」(インタビュアー:廉東浩)が載っている。

・二十を超えたばかりの日本人青年(上嶋隆一)が、韓国語を学ぼうとソウルを訪ねたのは1987年、大学4年生の時であった。(当時の韓国の政情が語られる)
・(騒然とした)ソウルの空気を吸って、下宿代わりに使用していた新村(신촌)の奥まった宿屋に帰ってきた。郷愁を慰めるためにつけておいた白黒TVに、一曲の歌が流れた。意味は分からなかったが、小さい体格のメガネをかけた女性歌手の歌は、彼の耳と目を画面に釘づけにしてしまった。歌手イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」だった。「こんなにきれいで、美しい音があるとは…」 青年は、韓国語の美しさに魅了された。
・(カセットテープに収められたイ・ソンヒの歌を求めて、ソウル市内を駆け巡ったり、公開放送録画現場で女中高生の中にまぎれて熱狂したりした)
・このように韓国歌謡を愛する彼が、2011年10月30日、ソウルで「NHKに恋ハセヨinソウル(NHK에 고이하세요 in 서울[NHKに戀하세요])」というテーマの公開放送を進行する。

日・韓+英の番組タイトルができあがったようだ。

ところで、放送スケジュールについて調べてみると、どうやら主催は、NHKワールドラジオ日本コリアンサービスによるもので、在韓日本大使館のイベント情報欄に次の通り掲載されている。
・出演:梅津正樹アナウンサー(NHK)、イム・スミンアナウンサー(KBS)、古家正亨(コリアンカルチャーナビゲーター)、山田敦子アナウンサー(NHK)
・日時:10月30日(日)午後1時から(12時30分開場)
・場所:在韓日本大使館公報文化院ニューセンチュリーホール(定員126人)/ ソウル特別市鍾路区雲泥洞114-8


(深大寺の近くにある植物園に、孫娘がバラやダリアを見に行ったという知らせを受けた)
★★★★★ 孫娘が、公園のススキの原を勇ましく、両手両足でハイハイする写真が届いた ★★★★★     

メアリー・ブレア 生誕 100周年

今日のGoogle画面のロゴは、可愛らしい色彩で描かれている。

メアリー・ブレア(1911年10月21日~1978年7月26日)の生誕100周年を記念してのことだ。2年前の9月18日に、東京都現代美術館で開催された「メアリー・ブレア展」に行ったことを思い出した。

彼女が担当した、ディズニーアニメ作品の色彩は、まさにアメリカの豊かさを象徴していた。それは、清潔で、色鮮やかで、まぶしかった。金髪で青い目をした、肌の白い主人公たちの世界だ。ディズニーが、世界市場への適合を意識していない、アメリカの国力が十分にみなぎっていた時代の色彩だ。ぼくらは、それを無条件で受け止めていたし、欲していた。

(本ブログ関連:"メアリー・ブレア")

2011年10月20日木曜日

韓国文学翻訳院「東京フォーラム」

新宿のフルート教室の後、地下鉄赤坂三丁目駅そばにある「韓国文化院」に、韓国文学普及のため設けられた「韓国文学翻訳院」主催の「東京フォーラム」(10/19-20)に行く。

今日は、申京淑신경숙)と津島佑子の対談「文学に見る家族」がある。文学論に深くないので、今回の一番の目的は、申京淑がどんな感じの人かを見るためだ。
彼女は、親しみやすく、穏やかに笑いをまじえながら話す。一言でいえば、気さくな感じがする。とはいえ、対談のなかでこたえる彼女の言葉は明晰で、現代人を、家族を、作品中の登場人物を語った。だから、時代のなかの喪失感であり、家族探しであり、家族の再構築が語り合われた。話題の中心に、彼女の最新の「母をお願い(엄마를 부탁해)」(日本語翻訳版:集英社)が置かれた。
そして、津島佑子の言葉には、申京淑に対する「お姉さん」の眼差しが感じられた。

(本ブログ関連:" J物語"、"浮石寺へ"、"離れ部屋"、"いま、私たちの隣りに誰がいるのか")

ところで、イ・ソンヒと申京淑(シン・ギョンスク)は同じ世代である。
申京淑は1963年に、イ・ソンヒは1964年に生まれている。
・イ・ソンヒは1984年に江辺歌謡祭で「Jへ」を歌い、申京淑は1985年に短編「冬の寓話(겨울우화)」でデビューした。
・2002年に、申京淑は、「J物語(J이야기)」を発表した。
・今年、申京淑の「母をお願い」がアメリカで出版され、イ・ソンヒはカーネギーホールでコンサートをおこなった。
そして、イ・ソンヒと申京淑は、ともに気さくな話し方をする。

(追記)
素人ながら気になるのは、集英社が、すでに「母-オモニ-」(姜尚中)を出版していたので、同社としては、申京淑の作品タイトルを「オンマをお願い」ではなく、「母をお願い」にしたのだろうか。それから、装丁(写真、レイアウト、色彩)について、初めて文庫本を見たとき思わず息が止まってしまった。

(付記)
フォーラムが始まる前に、赤坂三丁目駅近くにある「雲南米線」という中華料理店で、昼食に「マーラー米線」をとる。四川料理のマーボ豆腐に似た味付けで、真っ赤なヒリヒリしたスープに、半透明の柔らかい米線(米で作ったヌードル)が入っている。食べ初めて一時食がひるむが、やがて独特な香料にもなじんでくる。汗を出しながら、無事に!食べきる。癖になりそうだ。
テレビなどに見る、雲南の少数民族の人々の顔に、日本人に似た懐かしさを覚えることがある。なお、雲南省は四川省の南に隣接している。

2011年10月19日水曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

SBS歌謡ショー「イ・ソンヒと友人達」で、イ・ソンヒが番組の最後に歌う「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(歌詞:1988年)の映像がYoutubeに登録されている。以前、同番組で、「私の街(나의 거리)」(歌詞:1989年)を歌うものも本ブログにエンベッドしたが、この番組での彼女の姿はとても良い。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「私の街」")

2011年10月18日火曜日

孫たちと公園散歩

先日、孫たちと一緒に吉祥寺に行ったのが火曜日(9/6)、今日の火曜日に、また孫たちと一緒に吉祥寺に出かける。伊勢丹跡の複合商業施設「コピス吉祥寺」で、孫たちの冬服選びのお供をする。孫(お兄ちゃん)はなぜか、オオカミ帽子が気に入ってずっと被っていた。孫娘(妹)は、さすがに女の子、可愛い服はどれも皆よく似合う。つまり、孫娘はとても可愛いのだ。

井の頭公園の野外舞台前の広場で、孫と一緒に階段を上ったり下りたりして遊んだときはまだよかったが、公園池の七井橋を渡り、井の頭自然文化園(分園)で走り廻って遊んだ頃には、だんだんと疲れが出てきた。そして、本園に着いたとき、とうとうギブアップした。追いかけっこで捕まえたときに、抱っこしたりしたのがいけなかったのか、無理がきかなくなった。

孫と遊ぶのは疲れる。だから、孫に言ってみた。「お前は、どうして、疲れないんだい?」ってね。孫は何も答えてくれない。
でもねえ、そんな元気な孫たちも、別れ際には、孫は父親に、孫娘は母親に抱かれて寝入っていた。ああ、また可愛くなる。

(本ブログ関連:"孫と買い物")

(追記:帰宅後すぐに目覚めた孫は、お腹がすいたと親をせかして急いで夕飯を用意させた)
★★★★★ 孫が、目覚めてすぐの夕飯を前に、得意そうに食事椅子に座っている写真が届いた ★★★★★

2011年10月17日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 巫俗音楽

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/12)に、「韓国のシャーマニズム、または民間信仰などといわれている巫俗(ふぞく:무속)で、お祓いをする際に演奏される(韓国各地に伝えられている)音楽、巫俗音楽」が紹介された。

韓国らしさを知るために、「巫俗」はある意味、文化人類学的な意味合いも含めて必須な知識かもしれない。韓国文化院で、実際に巫俗(済州島のケース)の儀式のひとこまを見る機会があった。今回の放送も加えて、膠着語が通底する古アジアの世界が少しでも理解できればと願っている。

・「巫俗」について、まさにシャーマニズムの要件でもある次の説明があった。
-現在では、多少否定的に使われることもあるが、古代から伝えられてきた、韓国固有の信仰
-天と地の間に存在するあらゆる物に神が宿っていると信じる
-二十四節気ごとに村の守護神や家の神を祀った霊廟で法事を行ったりする
-また体の調子が悪い時や、家によくないことが続く場合などは、巫俗をつかさどるムーダン(巫堂、무당、すなわち"シャーマン")を訪ねて、クッ(굿)といわれるお祓い(祭儀)を受けたりする

▼キム・デレによる<珍島>で亡くなった人の魂を讃えるシッキム・グッの中から「ホンマジ・シッキム・グッ(혼맞이 씻김굿 )」を聴く。亡者の想いを重ね解くように極楽往生を願い歌うように聞こえる。(1980年に重要無形文化財第72号に指定されているとのこと)

▼イ・サンスンによる、<ソウル>に伝わる巫俗音楽の、ソウル・クッの中から「マルミコリ(말미거리)」を聴く。珍島のものに比べると、明るく軽快で鈴の音が効果的に滲み入る。ところで、"バリ王女"の伝説を聞き、ふと浮かんだのはリア王のコーディリア・・・でも悲劇に終わることもなくて・・・。
(ところで、「マルミコリ」について、インターネットによい資料が見当たらない・・・)

・「江原道のコソンから釜山のトンネ地方に至る、太白(テベク)山脈(大幹)の東側にあたる地方に残る」、祭儀と別に共同体の祭事として「平安のために行われる」クッが紹介された。

▼キム・ソクチュルによる東海岸別神グッ(동해안별신굿)の中から「セジョン・クッ(세존굿)」を聴く。激しく転回するリズム、軽快に、そしてちょっと野生的に進む。
(「セジョン・クッ」についても、インターネットによい資料が見当たらない・・・)


巫俗から、巫俗音楽だけを音楽として切り取って聴くものではなく、身近に庶民の生活を想うべきものだろう・・・けれど、地域や伝承によって多様であることを知った。初源的で一番魅力を感じる。


★★★★★ 孫娘が、赤い着物に赤い髪飾りして、優しい笑みを浮かべた写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、それでも赤ちゃんの口元して、ゆっくりお休みしている写真も届いた ★★★★★
(明日は、孫たちに会う予定。)

2011年10月16日日曜日

ジリオラ・チンクエッティ 「雨」

この時期に降る長雨を、秋霖といえば詩情があってよいけれど、台風に重ならないことを祈るだけ。

ところで、先日、机上鉱物採集させていただいた石仲間は、ジリオラ・チンクエッティGigliola Cinquetti)のファンとのこと。彼女の代表曲に「雨(La pioggia)」(1969年)がある。昨日からの雨の話題をひきずっているわけだが、曲の軽快さに合って、彼女の明るい歌声のおかげで、雨の鬱陶しさをこれっぽっちも感じない。秋が雨期だそうだが、イタリアの雨ってこんなのかな・・・。

そうそう、ジリオラ・チンクエッティが愛らしく可憐な16歳の時に、「夢みる想い(non ho l'età)」(1964年)を歌ってサンレモ音楽祭で優勝した、まさにこの年に、イ・ソンヒが誕生している。

(Youtubeに登録のKeisEchoewjvideoに感謝)


(孫たちは幸い天気に恵まれて、羽村の動物園に行った)
★★★★★ 孫が、額の髪を汗でぬらして、白バイや消防の遊具で遊んでいる写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、日陰にでんと座り、お兄ちゃんの遊ぶ姿をながめている写真が届いた ★★★★★

2011年10月15日土曜日

雨の歌

埼玉県の県道210号線から秩父鉱山に分岐する地点で、中津川の川原に降りて鉱物採集をする予定だったが、今日明日の雨模様から延期しようと、いつもお世話になっているxаякава氏から連絡があった。残念な雨だが、今月末にも鉱物の会で、秩父鉱山の石灰沢で採集会もあることなので・・・。

ところで昨日の韓国語教室で、雨について話題になったとき、韓国の人々から見れば、雨はザッと降ってサッと上がるもので、しとしと降り続く日本の雨とだいぶ趣が違うようだ。だから、雨に対してロマンチックな想い入れがあるという。
雨にちなんだ80年代の歌について、先生方からペタラギ(배따라기)の「雨と湯飲み茶碗の間(비와 찻잔 사이)」(歌詞)が紹介されたので、わたしはイ・ウンハ(이은하:イ・ウナ)の「春雨(봄비)」(歌詞)をあげたところ、先生はそれを見事に歌ってしまわれた。参りました。

そういえば、5月に世宗文化会館で催されたイ・ソンヒの「2011イ・ソンヒ『五月の陽射し』コンサート」にゲスト出演したキム・ボムニョン(김범룡)が、「冬雨は降って(겨울비는 내리고) 」(歌詞)を歌っていたのを思い出す。

(Youtubeに登録のleesang4388momo86ist013picに感謝)

(本ブログ関連:"ペタラギ"、"イ・ウンハ"、"キム・ボムニョン")

2011年10月14日金曜日

視聴率は<偉誕2>、話題性は<SSK3>

ハンギョレ新聞の記事「視聴率は<偉誕2>、話題性は<SSK3>」(10/13)は、代表的な両オーディション番組の視聴率状況を次のように報じている。ちなみに、イ・ソンヒは、<偉誕2>すなわち「偉大なる誕生2」にメンター(審査者・指導者)として参加している。

・代表的な歌オーディション番組「偉大なる誕生2」(<偉誕2>文化放送MBS(金)夜9時55分)と、「スーパースターK3」(<SSK3>Mnet(金)夜11時)が、同日1時間の差を置いて放送され、両番組の「成績表」への関心が熱い。
・まず、視聴率の面では<偉誕2>が先行する。<偉誕2>は平均視聴率14.6%(AGBニールセンメディア)で、9.5%である<SSK3>を上回っている。← 視聴率調査日は先週10/7か?
・しかし、話題性の面で、体感温度は<SSK3>がはるかに高い。
・<SSK3>は参加者の事情に集中すれば、<偉誕2>は審査員の言動が話題を集める。<SSK3>は、シーズン1、2のように参加者の人生に光をあてて"キャラクター"を付与し、視聴者たちが没頭できるように誘導する。
・<偉誕2>は、シーズン1のように、相変らず参加者よりも審査員がさらに引き立って見える。
・しかし、「<SSK3>が"キャラクター"と"物語り"をこしらえる過程で、刺激的な編集をするため、見苦るしくて、気楽に鑑賞できる<偉誕2>を見る」という視聴者もかなり多い。

以上の結果、両番組の差異は、地上波とケーブルテレビの特性が生み出したものだろうか・・・。視聴者の属性(年齢・性別・職業など)もどうなのだろう。


★★★★★ 孫娘が、はいはい姿のまま、ニッコリと見上げている写真が届いた ★★★★★

2011年10月13日木曜日

世田谷区の放射能汚染の顛末

昨日、世田谷区で測定された高線量の放射性物質の発生源が次のように判明した。

TBSニュース
・現地を訪れた首都大学東京の福士政広教授によれば、原因は福島第一原発事故以外にあるのではないかとの見解で、「9割以上の確率で(原発からあまり出てこない)ラジウム226の核種が同定されている」。

<毎日jp(10月13日 21時27分)【黒田阿紗子、川崎桂吾、吉住遊、橋本利昭】>
・東京都世田谷区弦巻の区道から毎時3.35マイクロシーベルトの高い放射線量が検出された問題は、東京電力福島第1原発の事故とは無関係とみられることが分かった。保坂展人区長が13日に記者会見し、区道に面した住宅の床下から見つかったガラス瓶が発生源と発表した。通報を受けた文部科学省原子力安全課はガラス瓶の中に何らかの放射性物質が入っているとみて調べている。一方、東京都北区の小学校と千葉県船橋市の公園でも毎時1マイクロシーベルトを超える放射線量を測定した。

ともあれ、上記(東京都北区の小学校と千葉県船橋市の公園など)の通り、自然濃縮によるホットスポットが各地に出現している。市民先行の測定結果を、自治体が追測定する形になっている。

フルート教室

いよいよ今日から4ヶ月間だが、フルート製作会社の新宿教室で、「大人のための『体験グループレッスン』」に通うことになった。立派な体躯のN先生のフルートから流れる力強い響きに驚嘆する。ああ、及びもしない(当たり前だ)が、これから他の受講生の皆さんと一緒に楽しく学ばせてもらうことにしよう。
この期間、EXモデルのフルートを貸与してもらう。入門に位置づけられるモデルだが、楽しみだけで気軽に購入できる価格帯のものではないのだから・・・頑張ってみよう。

ところで、教室訪問前のわずかな時間に、近くのタリーズコーヒーで蓋付きのままコーヒーを飲んだところ、熱くて上唇を火傷してしまった。プロの演奏家は、こんな真似を絶対することはないでしょう・・・要領の悪さを痛感する。


(昨日、孫達は穏やかな一日、熱海と伊東に家族旅行した)
★★★★★ 孫が、遊覧船に乗って父親と一緒に、飛んでくるカモメにえさをあげる写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、父親に大事に抱きかかえられながらも、存在感たっぷりの写真が届いた ★★★★★

放射能汚染場所

放射能汚染マップを見ると、(均一な微粒子の放射性物質が風に乗って薄まりながら)面状に満遍なく汚染するように思ってしまうが、スポットに集中して強く汚染することがある。
昨日の各メディアが報じたように、世田谷区の一ヶ所で、「1時間あたり約2.7マイクロシーベルトの高い放射線量が検出」されている。高い放射線量になったメカニズムを知りたい。

<読売ONLINE(10月12日21時33分)>
・区では、東京電力福島第一原発事故で放出された放射性物質が雨水で運ばれ蓄積された可能性があるとしている。

<テレ朝News(10/12 22:06
・高い放射線量が検出されたのは、世田谷区弦巻の歩道です。住民からの情報を受け、区が4日に付近の27カ所を測定したところ、そのうちの1カ所から1時間あたり約2.7マイクロシーベルトの放射線量が検出されました。計画的避難区域に指定されている福島県の飯館村役場では12日、1時間あたり約2.1マイクロシーベルトの線量が検出されていますが、それよりも高い数値です

<msn産経ニュース(10.12 22:55)>
・区によると、高い線量が確認された地点は弦巻5丁目の区道で、民家の雨どいや樹木から流れる雨水がたまる場所という。 /今月3日に区民グループから情報提供があり、翌4日に区職員が計測した。土壌に水をかけて清浄し、6日に再計測したところ、同じ値を示した。

<Asahi.com(10月12日23時0分)>
・毎日8時間を外で、残りを木造家屋で過ごしたと仮定して計算すると、年間被曝(ひばく)量は14.2ミリシーベルトとなり、国が避難を促す目安としている20ミリシーベルトよりは低い。

<子どもを守ろう SAVE CHILD(10/12)>
・世田谷区議会議員(「みんなの党」所属)の田中優子さんの10月5日のツイートです。これを読むと世田谷区弦巻のこの場所でスポット的なもの(全体ではない)とは思いますが、1時間あたり4.699マイクロシーベルトだったようですね。この報告を受けて翌日に世田谷区が高圧の洗浄器を使って歩道部分の洗浄を行った後に測定した数値が1時間あたり2.707マイクロシーベルトだったようですね恐ろしく高い数値です。

<毎日jp(10月13日1時33分)>
・区環境保全課によると、区民が3日、区道の歩道部分を簡易測定器で測定し「放射線量が高いようだ」と報告区が圧力洗浄した後、6日に9カ所を測定したところ、0.08~2.70マイクロシーベルトを検出した。地上5センチ、50センチ、1メートルの3段階で5回測定し、その平均値を出した。

2011年10月12日水曜日

イ・ソンヒの「大物」OST

BSフジは、10月18日(火)19:00~19:55に、SBSドラマ「レディプレジデント~大物(대물)」の第1回放送が始まるそうだ。一説(中央日報の記事)に、ドラマの主人公がハンナラ党前代表の朴槿恵박근혜)に似ているという話もあるそうで・・・。
それはそれとして、イ・ソンヒがこのドラマのOSTパート5で、「去らないで(떠나지마)」(歌詞)を歌う。彼女の他の歌と違って、畳み掛けるように盛り上げ、情熱的に歌う。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

(本ブログ関連:"大物")

2011年10月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 祭礼音楽

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/5)に、「朝鮮時代から現在まで守り伝えられてきた音楽、(王室と庶民の)祭礼音楽」が紹介された。

<王室の祭礼音楽>
・ソウルの中心にある、朝鮮時代歴代の王と王妃の位牌が祀られている霊廟で、毎年5月の第一日曜日に大々的に開かれる祭礼の祭祀(제사)を宗廟祭礼(종묘 제례)、演奏される音楽を宗廟祭礼楽(종묘 제례악)という、とのこと。

▼国立国楽院、正楽団による宗廟祭礼楽の中から「保太平보태평)」を聴く。明るめな響きにおやっという感じがして、歌まで聞こえる。踊りもあるようなので、見てみたい気がする。
  (インターネットで宗廟の建造物、遺物の映像を見て、そうか儒教の景観なんだと気付く。)

・宗廟祭礼楽は、上記の保太平(歴代王たちの学問や徳を賛える)と、定大業(정대업:武功、つまり軍事に関する功績を賛える)の2つの楽章からなっている、とのこと。

▼国立国楽院、正楽団による宗廟祭礼楽の中から武功を賛える「定大業」を聴く。芯の太い重量感がする。

・(世宗大王の命による)宗廟祭礼楽は、韓国の伝統音楽の中でも最も重要な文化遺産で、1964年には、国の重要無形文化財、第1号に登録され、また、2001年には 宗廟祭礼と共にユネスコの世界無形遺産にも指定された、とのこと。

<庶民の祭礼音楽>
・庶民の祭礼として、亡くなった人を偲び、仏教にしたがい最後の日、49日目に開く祭礼を霊山斎(영산재)といい、仏教声楽曲の梵唄(범패)と楽器演奏、そして僧侶らの踊りで構成される盛大な儀式である、と紹介された。
・特に儀式の終盤、この内容を韓国語で簡単に歌う和唱(화청、和請)がある、と紹介された。

▼ソンアム僧侶による霊山斎で歌われる梵唄の中から「祝願和請(축원화청)」を聴く。庶民に身近にして耳に馴染む。

・霊山斎は、1973年に重要無形文化財の第50号に指定され、さらに2009年にはユネスコ人類にの無形遺産に登録されている、とのこと。


この霊山斎は、太古宗태고종)の仏教儀式としてとりおこなわれ、仏教音楽の梵唄については、イ・ソンヒの父親が指導者であったと知られている。太古宗本山の奉元寺봉원사)を訪ねたことがある。
ところで、曹渓宗조계종)も霊山斎に取り組むといったニュースを見たことがあるが・・・。


(本ブログ関連;"太古宗"、"梵唄")

2011年10月10日月曜日

「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ

東亜日報(donga.com)の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(10/10)には、大衆音楽評論家のカンホンが言葉をたくみに駆使して、イ・ソンヒの全貌を次のようにまとめている。

・(発声が)爆発的であると同時に魅力あふれる叙情性を兼ね備えた、当代のボーカリスト、イ・ソンヒは、1984年の江辺歌謡祭に「Jへ」でシンデレラの夢をかなえた後、2005年に13番目の正規アルバム「四春期」(現在14集「愛よ...(사랑아)」:2009年)に至るまで、チョー・ヨンピルの対称点に​​立って、韓国の主流大衆音楽の栄光を謳歌してきた。「思い出のページをめくれば」が収録された6集(1990年)を境に絶頂期を過ぎたというが、彼女が1990年代と2000年代に発表した7枚のアルバムは、"スター"イ・ソンヒから"音楽家"イ・ソンヒに成熟して行く意味深い足取りの片鱗を惜しみなく見せる。

・チョー・ヨンピルとキム・ヒョンシク、そしてイ・ムンセがそうであったように、イ・ソンヒに1980年代は絶頂の時代であった。・・・若い女性ミュージシャンを輩出した音楽の登竜門だった江辺歌謡祭が、やぼったいパーマ頭で背の低い(しかし大賞を受賞した)ボーカリストに驚きを禁じえない視線を送った1984年のその年に、イ・ソンヒは、すぐに頂上圏のスーパースターへと急上昇する。

・作曲家ソン・ジュホが全曲を担当し、「ああ!昔よ」と「葛藤」のようなヒット曲を放った彼女のソロ・デビューアルバムは、・・・若さの躍動とさっぱりしたテンポがいきいきする、当時の10代の感情を端的に代弁するアルバムに浮上した。

・「お姉さん部隊」と呼ばれた10代の受容層が、韓国の大衆音楽市場のヘゲモニーを掌握していった1980年代半ばに、少女ファンたちからの持続的な熱狂を受けることができたほぼ唯一無二の存在だったイ・ソンヒの武器は、平凡で身近な隣のお姉さんのようなボーイッシュなイメージの中に潜んでいるカリスマ濃厚なボーカルだった。1986年が暮れていった冬に発表した3集と、2年後の四番目のアルバムは、解放感とほのかな懐かしさを同時に描写することができるイ・ソンヒのボーカルの圧倒的な余韻をそのまま見せてくれる、彼女の初期の決定版だ。彼女は伝統的に韓国の女性ヴォーカリストたちが駆使してきた豊かな感情移入の歌唱法をもとに、バラードへ躍動する新しい時代の息吹を吹き込んだし、「ヨン」と「美しい江山」のリメークで示したように、ビートのあるロックンロールのシャウティング唱法まで効果的に駆使する。

・作詞作曲の名コンビであるヤン・インジャ - キム・ヒガプによって誕生した、「分かりたいです」という無駄のない簡潔な楽譜の行間で、幼い淑女が少女漫画のように抱いていた切ない感情をこのように切実に訴えるボーカルは、その前後(の時代)に見つけるのは難しいだろう。このパターンは、洗練された音楽のドラマツルギー(Dramaturgie、劇的構成法)を持つ「愛が散るこの場所」と「私はいつもあなたを」などの名曲を作曲したソン・シヒョンをともなって、絶頂の花を咲かせる。

・イ・ソンヒのボーカルは、暖かいながらも、強靭な女性のエネルギーを抱いており、西欧的な発声の中でも、東洋的な静寂美が流れる。彼女のディスコグラフィーで最も挑戦的だった8集でキム・ヨンドンの「小船」や「ハンネの別れ」をリメイクしたファン・チョンウォンの詩にキム・ヨンドンが曲を付けた「あなたに会いたい時は」や、キム・ジハの詩の「あるおばあちゃんの極楽」、そしてどのような愛の歌よりも美しく、親しみやすい「いつも愛してる」を歌った時のイ・ソンヒは、ブラウン管とコンサートのスーパースターの枠組みから抜け出して、より深く広い音楽の世界に飛翔する。

・イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。

・イソンヒ、彼女は歌手だ。いつかインタビューで言ったように、彼女は専門的な音楽人になる遥か前から、話よりも歌を通じて歌を歌って自分を表現し伝達することがより楽だと思っていたような人だ。彼女は言った。「同じ歌を歌っても、私には何か悲しい力のようなものがあった。」 かすかだが強力な悲しみの力。それがイ・ソンヒ音楽の要約だ。

イ・ソンヒの写真解説:
デビュー時からカリスマと柔らかさを同時に抱えたイ・ソンヒは、1980年代の"お姉さん部隊'を導いた、ほぼ唯一の歌手であった。彼女の声は、暖かいながらも、強靭なエネルギーが感じられるという評価を聞く。 東亜日報DB


(追記)
山中湖の湖畔南東側で地震が発生した。気象庁発表の【震源・震度に関する情報】(平成23年10月10日3時4分)によれば次の通り。(なんと、富士山の麓だ!)
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きょう10日03時00分ころ地震がありました。
震源地は、山梨県東部・富士五湖(北緯35.4度、統計138.9度)で、震源の深さは約10km、
地震の規模(マグニチュード)は3.3と推定されます。
[震度3以上が観測された地域] 震度3 山梨県東部・富士五湖
[震度3以上が観測された市町村] 震度3 山中湖村
この地震による津波の心配はありません。
情報第1号
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2011年10月9日日曜日

寒露

今日(旧暦9/13)は、二十四節気の17番目にあたる「寒露」だ。寒露といえば、甘~い「カンロ飴」を思い出すが、ネーミングに関係があるのだろうか・・・(多分、「甘露」だろうな)
Wikipediaによれば、寒露は、旧暦8月後半~9月前の節気で、「露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。」だそうだ。冬の到来を徐々に感じるころをいうのだろうけど、ここ数日の暖かさに、それも忘れてしまう。そういえば、好天に恵まれて、地元小学校では町内会の運動会が開かれていた。

国立駅南側の大学通りにある、たばこ専門店に行く。先日、石仲間と石談義したとき、彼がパイプで甘い香りのベルベット・レッドを吸っていた。学生時代に真似事したことを思い出し、遊び半分で入門用のパイプを購入した。たばこは、昔ながらのアンホーラ・フル・アロマテックにした。結構時間をかけて吸ってみた。久し振りの喫煙に体が・・・。
新しいことをするというより、若い頃やったことをもう一度なぞってみるに過ぎない。全く未知なことに手を出すつもりもないし。遊び半分ぐらいがちょうどよいのかもしれない。


(孫たちが、地元の田無神社のお祭りに出かけたとのメールが届いた)
★★★★★ 孫が、神社の祭りの屋台で買ってもらった仮面をつけた写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、綺麗で可愛らしい真赤な飾りを頭につけている写真が届いた ★★★★★

2011年10月8日土曜日

孫と運動会

孫たちに会いたい会いたい症候群が再発して、写真を催促したところ、ちょうど孫(お兄ちゃん)の保育園の運動会が終わって帰り道だったようで、家族の写真が送られてきた。3枚の写真に映っている孫は、母親に抱かれたり、父親に抱かれたり背に乗ったりしている。つまり、歩いていないのだ。運動会で疲れたのだろうか、ちょっとうつむき加減だし。
ところで、孫娘(妹)の目には、お兄ちゃんの活躍がどのように見えたのだろうか。まだ、7ヶ月と2日だもんな、見えたのやら、見えなかったのやら・・・。わたしにしてみれば早く、孫たち二人が、一緒に草原を駆けているところを見たいものだ。

2011年10月7日金曜日

東京の放射性セシウム汚染マップ

① 産経新聞(zakzak)の記事「東京・多摩地区で高濃度セシウム!“チェルノブイリ基準”上回る」 (10/7)は、福島原発事故による東京ほかの高濃度セシウム汚染について、次のように報じている。(全文掲載させていただく)
・福島第1原発事故を受け、文部科学省が県単位で公表を続ける土壌に蓄積された放射性セシウムの汚染マップ。国内で人口トップ2の東京都、神奈川県分が6日、初めて発表された。都内は葛飾区柴又などで高い数値が出たほか、多摩地区ではチェルノブイリ原発事故で「汚染地域」とされる基準を上回るなど、深刻な事態が浮き彫りとなった。
・調査によると、セシウム134137の合計蓄積量は、東京都の大半は土壌1平方メートルあたり1万ベクレル以下だった。しかし、
  奥多摩町など多摩地区で10万~30万ベクレル
  23区内では葛飾区柴又、東金町、水元公園や江戸川区北小岩の一部で3万~6万ベクレルと、周囲より高い地域があった。
  神奈川県でもほとんどの地域は1万ベクレル以下ながら、山北町など県西部の一部で6万~10万ベクレルが検出された。
汚染マップ上には2本の帯がみてとれる福島から栃木、群馬に流れたものと、茨城から千葉北西部を経て都内に至る2本だ。文科省は、風の影響で原発から北西方向に広がった放射性物質が、福島市西部の山間部で南西に方向を変え、群馬県西部まで汚染が広がったと分析。原発の南方では茨城県北部で風がいったん海側に向きを変えた後、再び陸地側に方向を変え、葛飾区まで到達したとみている。
・セシウムは体内に入ると筋肉などにたまり、がんなどの原因になる。
・半減期は、セシウム134が2年、137が30年。チェルノブイリ原発事故では影響が長期間にわたる137について、3万7000ベクレル以上が「汚染地域」とされた。
・今回の調査で137は葛飾区周辺では1万~3万ベクレルだったものの、奥多摩町北部の山間部では6万~10万ベクレルと、(チェルノブイリの)「汚染地域」基準を上回っている。ただ、強制避難の基準となる55万ベクレルは大幅に下回った。
・結果を受け、都は奥多摩町などの農水産物に関する緊急調査をする。奥多摩の森林は大都市の水源となる“緑のダム”。都は「水道水への影響はない」と説明するが、心配は尽きない。

② ホームページ「子どもを守ろう savechild」は、汚染マップを蓄積掲示している。
(資料:文部科学省による東京都及び神奈川県の航空機モニタリングの測定結果について


(資料:追記)
上記ニュースは、土壌1平方メートルあたりのベクレル値である。一方、飲食物の摂取制限について、Kgあたりの放射性セシウムに特化してベクレル値を、原子力安全委員会「原子力施設等の防災対策について(平成22 年8月改訂版)より転記する。

(3) 飲食物の摂取制限に関する指標
飲食物摂取制限に関する放射性元素として、放射性プルームに起因するヨウ素、ウラン及びプルトニウムを選定するとともに、旧ソ連チェルノブイル事故時の経験を踏まえてセシウムを選定した。そして、これらの核種による被ばくを低減するとの観点から実測による放射性物質の濃度として表3のとおり飲食物摂取制限に関する指標を提案する。
なお、この指標は災害対策本部等が飲食物の摂取制限措置を講ずることが適切であるか否かの検討を開始するめやすを示すものである。
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表3 飲食物摂取制限に関する指標
<対象> 放射性セシウム
飲料水、牛乳・乳製品 200ベクレル/kg 以上
野菜類、穀類、肉・卵・魚・その他: 500ベクレル/kg 以上
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2011年10月6日木曜日

図書館の立ち読み

地元図書館で立ち読みをした。著者は、一巻全て読むことを要求しているのだろうが、通りすがりの者は、ついつい拾い読みしてしまう。

一冊目は、「日本フルート物語」(近藤滋昭、音楽の友社)である。
日本のフルート関係者について書かれたもので、その中に楽器製作者の村松孝一について、次の話題が触れられている。
・村松孝一(1989年:明治31年~1960年)は、1924年(大正13年)に6ヶ月(1000時間)をかけて日本で最初のフルートを製作した。当時、輸入のフルートが230円であったが、55円で販売している。
  ※販売価格を現在に換算(インターネット情報により、1,500~2,000倍)すると、約80,000~110,000円か。
・フルート製作のきっかけは、1917年に陸軍戸山学校に入学し、軍楽隊にいて楽器修理に興味を持ったことによるようだ。6年後除隊して楽器製作に関わることになる。
  ※除隊したのが1923年なら、その翌年の1924年に最初のフルートを製作販売したことになる。

二冊目は、「昭和ジャズ喫茶伝説」(平岡正明、平凡社)である。
都内にあった昭和のジャズ喫茶の思い出語りで、話は喫茶店だけに終わらない。むしろ、外延話に面白さがあるようだが。先日、石仲間との会話で、吉祥寺のジャズ喫茶が話題になったので拾い読みした。
・吉祥寺のジャズ喫茶といえば、「ファンキー」(野口伊織)、「メグ」(寺島靖国)、「A&F」(大西米寛)があった。
  ※学生時代の「ファンキー」しか知らない。店の地下室に降りると、真っ黒壁に背をもたれて下を向いたままタバコをふかしている客(学生だろう)がずらりいた。当時のジャズ喫茶は、そんな独特の雰囲気があった。
・その他に、「吉祥寺三人組」といわれた(そんなこと初めて知ったが)、当時の(古い表現でいえば)文壇・論壇の、いわゆる知識人についても・・・。

イ・ソンヒのヒットソング・メドレー

頬がふっくらしてまるで童顔そのままの若かりしイ・ソンヒが、自分のものも含めて歌うヒットソング・メドレー映像がYoutubeに登録されている。さて、どこかぎこちない微笑ましい映像はいつ頃のものだろうか。

・「つばめのように(제비처럼)」(ユン・スンヒ:윤승희)
  龍仁自然農園(용인자연농원:現エバーランド)でのダンス映像まである。
・(民謡)「花打令(꽃타령)」
・(新民謡)「アリラン ランラン(아리랑 랑랑)」
・「春雨(봄비)」(パク・インス:박인수)(歌詞
・「つばめ(제비)」(チョ・ヨンナム:조영남)(歌詞
・「ああ!昔よ(아! 엿날이여)」(イ・ソンヒ)
・「Jへ(J에게)」(イ・ソンヒ)
・「ケンチャナ(괜찮아)」(イ・ソンヒ)

(Youtubeに登録の526apollochadbabocalfclubに感謝)

2011年10月5日水曜日

重陽の節句

重陽の節句の今日(旧暦の9月9日)、朝から雨は止まず、寒々とした一日だった。
昼過ぎ、地元の運動センターの健康体操コースに通った、その後、重陽の節句に韓国で食された伝統の「菊花煎(국화전)」を探しに新大久保に行く予定だったが、この冷雨のため断念した。

ところで、昨日、黄色の菊の花とモチ米で作る「菊花煎」にぴったり?な菊が、小金井公園に咲いているのを見つけた。ヤナギバヒマワリという名の菊の花だ。
ヤナギのように細い葉と、ひまわりに似た多数の花弁というが、菊の花に違いはない。明るい陽ざしのもと、黄色の花がまぶしく輝いている。

雨が降らなければ、そして冷えなければ、「菊花煎」がどんな味をするのか新大久保で試してみたかったけれど・・・。ちなみに、以前読んだ新聞記事によれば、韓国の幼稚園の子どもたちが手作りの「菊花煎」について、苦かったという感想があったことを思い出す。これも大人のための、風流の味なのかもしれない。
(本ブログ関連:"菊花煎")

2011年10月4日火曜日

冬哀傷(3)

日毎、秋一番の冷え込みが伝えられる。このまま冬に滑り込んでしまうのではないかとさえ思う。
毎日jpによれば、「冬型の気圧配置になった影響で、3日朝の(北海道)道内は各地で冷え込みが強まり、北海道旭川市では1888(明治21)年の観測開始以来2番目に早い初雪が観測された。」(10/4)という。今年は全国的に冬の到来が、例年に比べて早いのだろうか。

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(歌詞)は、静まりかえった冬の世界、青い月の光と青く凍った心を美しい旋律にのせて歌っている。それは、月明かりに照らされて静かに立つ彫像を見るようでもある。美しい曲だ。
「冬哀傷」は今も親しまれる名曲で、Youtubeにいくつもの登録がある。次の映像は彼女のいつ頃のものだろうか。



(Youtubeに登録のyokosuka30に感謝)

(本ブログ関連:"冬哀傷")


★★★★★ 孫が、変身ベルトを腰に巻き、右手を高く突き上げて得意そうな顔をしている写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、ビニールおもちゃの飛行機の翼を口にくわえ、メルちゃん人形と遊ぶ写真が届いた ★★★★★

2011年10月3日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/28)に、韓国の代表的な庶民音楽(国楽の代表選手!)の「パンソリ(판소리)について紹介があった。(まさに真打の出番といったところですね)

ところで、パンソリの名を聞いたことがあっても、具体的にイメージしたのは、映画「風の丘を越えて/西便制」(1993年)を見てからだろうか。また、NHKテレビで放送された歌謡ドキュメントで、歌手チョー・ヨンピルが、一転不遇の時代に、山にこもってパンソリを学び(血を吐くようにして)喉を鍛えたということを知った。

<パンソリの特徴>
パンソリの特徴についての解説から番組は始まった。
・「説話的なある物語を、ソリックン(소리꾼)といわれる一人の歌い手が、歌、語り、そして身振り手振りを使って表現する、演劇的な音楽」で、「コス(고수)と呼ばれるたたき手が、(プクという太鼓を使って)チャンダンを叩き歌にリズムを与えます。」とのこと。

▼イム・バンウルによる「春香歌」の中から「スクテモリ(쑥대머리)」を聴く。横恋慕の代官に抗して投獄された春香の切々たる思い。「垢にまみれし襤褸(ぼろ)まとい、蓬(よもぎ)と見紛う乱れ髪(쑥대머리)、顔は鬼神のごとくして、わびしき獄(ひとや)に独り坐し、思うは君のことのみぞ。会いたし、見たし、いとしきわが君。」(申在孝、東洋文庫)
他の方のパンソリをYoutubeで聴いてみれば、また印象が違って・・・。

<パンソリの構成>
パンソリの構成について、次の解説があった。
・歌い手ソリックンの歌を盛り上げるための、(たたき手コスによる)かけ声をチュイムセ(추임새)という。
・ソリックンからよい歌を引き出すには、コスだけではなく、観客も一緒に声を出して、場を盛り上げていかなくてはならない。
・パンソリでは、一に聴衆、二にコス、三に名唱といわれるほど。
・パンソリは、一般庶民の間で広く親しまれた芸能であるため、その歌には庶民の願いが込められているものが多い。

▼コン・デイルによる「フンボカ(흥보가興甫歌)」の中から「トンタリョン(돈타령)」を聴く。起伏に富んだ独り芝居といった軽快な感じだ。声が次長課長の河本準一に似て・・・。

<パンソリの歴史>
パンソリの歴史について、次の解説があった。
・およそ300年から400年ほど前に誕生したと言われている。
・当初は男性のみがソリックンを担当してたが、現在ではむしろ・・・多くの女性ソリックンが活躍している。
・以前あったとされる12の曲目のうち、現在まで残っているのは (흥보가)、沈清歌(심청가)、春香歌(춘향가)、赤壁歌(적벽가)、水宮歌(수궁가)の5つだけとなってしまった。

▼アン・スクソン(歌)、オルプガンプスィニック(サックスフォン)、キム・チョンマン(チャング)による「フンボがチョアラゴ」を聴く。現代風になると・・・身の置き処がなくて、いささか、もじもじしてしまう。

番組の最後に、「パンソリは、韓国の重要無形文化財第5号に指定されていて、2003年にはユネスコの世界無形文化遺産にも登録されました。」と語られた。

(Youtubeに登録のosinineに感謝)

(参考)
・パンソリの物語の他に、語源(パン:場、ソリ:自然の音+声)について、「パンソリ」(申在孝、東洋文庫)の解説で知った。
・パンソリの歴史資料について、「韓国の伝統音楽」(張師勛、成甲書房)で知った。
・その他インターネットの情報をリンクした。

2011年10月2日日曜日

キンモクセイ

街を歩けば、家々の塀越しにキンモクセイ(金木犀)の香りが漂う。春の訪れに伴う沈丁花の香りもそうだが、正直それらの甘い独特な香りが苦手だった。それが、今では香りを楽しんでいる。花と香りが結びついてきたのだ。
季節の節目節目に、存在を示し生き続けるかれらに、目を向けるようになったのは、こちらに余裕ができたからといようり、生きるもの、生をつぐものに謙虚になったためだろう。それは、孫が誕生してからといってよい。

うす曇りの小金井公園に行ってきた。金木犀が林立する公園東側のユーカリ広場に、オレンジ色のキンモクセイの小さな花が咲き、あたりに芳香を放っていた。そこは、小さな子どもたちの広場でもあり、キャーキャーという元気な声が、キンモクセイの香りと色に重なった。

(本ブログ:"金木犀"、"沈丁花")


(先週金曜日から、お嫁さんの親類のお祝いに遠出した孫たちが帰宅した)
★★★★★ 孫が、従兄弟たちと夜の神戸タワーの前で、おばあちゃんに抱えられている写真が届いた ★★★★★

2011年10月1日土曜日

イ・ソンヒ「水仙」

イ・ソンヒの5集アルバム(1989年)所収の「水仙(수선화)」(歌詞)は、モノローグだけで構成されている、彼女には珍しい曲で、強気の少女の心情といったところだろうか。けれど根底に、自己愛にすがって、虚勢を張っているようで、どこか自信なさも見えてくる。
人生は嫌っというほど長いんだから、片意地を張らずに・・・そう、美しい水仙の花を散らさないでおこう。「それが、何!」って言わずに。

ところで、怖いもの見たさのような、長いモノローグで始まる、中島みゆきの歌「元気ですか」のドロドロぶり(この辺になると、最早おじさんには理解を超えている)と比べれば・・・。

(Youtubeに登録のKnightmareSM、daytriper07に感謝)

(本ブログ関連:"スイセン"、"水仙"、"中島みゆき")

(追記1)
気になることがある。中央日報の記事「心弱いイ・ソンヒ "偉大なる誕生" 公正の是非」(10/1)によれば、オーディション番組「偉大なる誕生」でのイ・ソンヒに、他審査員の意見に揺れるところがあるようで、映像では情にほだされる彼女の姿が浮き彫りにされたという。優しさが裏目に出たのだろうか。(大手マスコミに初めて見たネガティブ記事)

(追記2)
イ・ソンヒの審査評について、上記(追記1)とは違う視点で擁護するものもある。ブログMyStoryは、「"偉誕(偉大なる誕生)2"イ・ソンヒの驚くべき審査評、キム・テウォンに匹敵したメンター(指導者)である理由」(10/1)で、「偉大なる誕生」シーズン1を成功に牽引したメンターのキム・テウォンに比するとして、「物静かながら緊張感を誘発する」ありのままのイ・ソンヒこそ、シーズン2の最高のメンターと賞賛している。