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2012年12月31日月曜日

2012年にさようなら

今年も今日でおしまい。明日には、数え年なら直ぐに歳が足されるわけで、だから気付く・・・。
部屋の片付けが面倒で・・・片付けのハウツー本を買ってしまう。人付き合いが億劫になり・・・年賀状の作成枚数を減らしてしまう。そして、技術の流れに乗らないでいる・・・スマホもタブレットも、Twitterもfacebookも使えない、いや使わない。
そんなわけで、時間に対して「恩知らず」なことをつづけている。

ああ2012年、簡単に時間を取りこぼしてしまった、この「恩知らず」さを反省して、われらが歌姫、中島みゆきの歌を聴こう。それにしても「まだずっと好きだけど、ごめん」って、いさぎよいな。彼女は自分の影を歌わない。相手をじっと見つめる。視線がとても強いのだ。

(本ブログ関連:"ディーヴァ"、"時代"、"イ・ソンヒ「水仙」")



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2012年12月30日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴東鎭

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/26)に、人物シリーズ60回目として、パンソリの歌い手(名唱)、朴東鎭(パク・ドンジン、박동진:1916年7月12日~2003年7月8日)を紹介した。

パンソリ판소리)について、次の説明から始まった。
・10年ほど前には、小学生から大人まで、全国民がパンソリのワンフレーズくらいは覚えて歌えるというほど、パンソリに親しんでいた時期があった。

▼朴東鎭による「フンボカ흥보가興甫歌)」の中から「草花の柄の入ったタンス()をもらってくる題目(화초장 대목)」を聴く。意地悪な兄ノルブは、舌切り雀の婆さんのよう・・・。叫ぶように歌う、このトーンで歌いつづくのか。

次のように朴東鎭のプロフィールが紹介された。
・1916年 忠清南道公州に生まれる。
・16歳の時にパンソリを始め、全国を回りながら、何人もの師匠について歌を勉強した。
・1960年代にはパンソリをはじめ伝統文化全般が衰退期にあった。伝統音楽にとって近代化は厳しい時代で、人々の関心を再びパンソリに集めるため彼は大きな役割を果たした。

▼朴東鎭による「赤壁歌(적벽가)」の中から「赤壁江に火を放つ題目(적벽강에 불 지르는 대목)」を聴く。搾り出すよう声を震わせ歌う。

パンソリ一曲は、普通3,4時間、長いもので7時間に及ぶ。現代伝わる5つのパンソリ全ての一曲完唱を目指し、遂にこれを成し遂げた。現在では、パンソリを一曲歌いきることが、パンソリ界で名唱と呼ばれるための通過儀礼のようになっている。また、忘れ去られていた昔の歌を発掘したり、新しい歌への挑戦へも積極的だった。

▼朴東鎭による「裵裨將(ペビジャン)伝(배비장전)」の中から、「方子(パンジャ)と爱郎(エラン)が裵裨將を驚かす題目(방자와 애랑이 짜고 배비장 놀래키는 대목)」を聴く。済州島に赴任した文官裵裨將の軽率さを風刺する・・・だそうだ。

・2003年 87歳で没する。金冠文化勲章が追叙される。

(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」

韓国ギャラップによる「2012年 今年を輝かせた10代歌手と歌謡」調査結果(11/30PDF)が報告された。ここでは、上位5位までの歌手を次の通り記す。

・韓国ギャラップは、2005年から毎年末、その年を輝かせた各分野の「今年の人物」を調査して発表しました。今回*の結果は、去る4月、9月、11月の調査結果を合算したもので、名実共2012年を代表する歌手と歌謡を確認することができます。
(*)分野としては歌手以外に、コメディアン/お笑い芸人、映画俳優、タレント、スポーツ選手など。

【調査の概要】
- 調査対象: 全国(済州島を除く)、満13〜59歳の男女、4,157人
- 調査方法: 個別面接調査(調査員が直接対面インタビュー)
- 調査期間: 2012年5月2~16日、9月12~26日、11月15~30日
- 標本抽出: 2段層化クラスター抽出法
- 標本誤差: ±1.5%ポイント(95%信頼水準)
- 依頼機関: 韓国ギャラップ独自の調査

今年を輝かせた歌手-最近6年の推移(3人まで自由回答、%:支持率)
順位 2007 2008 2009 2010 2011 2012
1 Wondergirls
 28.2%
Wondergirls
 22.2%
少女時代
 29.8%
少女時代
 31.5%
少女時代
 26.1%
PSY
 24.4%
2 BigBang
 16.8%
BigBang
 21.2%
BigBang
 21.1%
2PM
 12.5%
BigBang
 8.2%
少女時代
 19.8%
3 チャン・ユンジョン
 11.0%
チャン・ユンジョン
 9.9%
2PM
 12.5%
チャン・ユンジョン
 11.6%
チャン・ユンジョン
 6.9%
BigBang
 9.5%
4 少女時代
 9.9%
少女時代
 7.8%
Wondergirls
 10.4%
テ・ジナ
 8.4%
キム・ボムス
 6.3%
IU
 6.9%
5 SGワナビ
 9.8%
イ・ヒョリ
 6.5%
チャン・ユンジョン
 9.6%
KARA
 7.7%
IU
 6.0%
チャン・ユンジョン
 6.6%

(本ブログ関連:"2009年歌手好感度"、"2010年、今年の10代歌手と歌謡曲"、"昨年(2011)のトップ5の歌手(グループ)"、"2009-韓国人が好きな歌手")


上記5位までの順位(支持率も!)の推移に着目すると、アイドルグループとソロ歌手の勢力が徐々に変化しているように見えるが・・・。

(本ブログ関連:"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向")

2012年12月29日土曜日

(資料)397世代:LG経済研究院

今年、韓国の「2012出版界のキーワード50」(「企画会議」、発行:韓国出版マーケティング研究所)の一つに「397世代」が選ばれたそうだ。いわゆる「397世代」とは、現在30歳代で、'90年代に大学入学して20代を過ごした70年代生まれ。810万人ほどでの同世代が、30代後半から40代前半の年齢に進入しつつあるといわれることから、マスコミの世代分析で余り触れられないが、40代の今後の特性を垣間見ることができるかもしれない。

397世代を定義したと言われる、LG経済研究院のレポート「文化と消費を主導する大韓民国30代の価値観とライフスタイル」 (2012年6月12日pdf)には、次のようなサマリーが記載されている。

・最近、社会重鎮勢力に浮上している「386世代」の後に続いて、「397世代」が私たちの社会の変化を主導する世代として注目されていている。397世代という(のは)、現在30代でありながら、90年代の学籍番号を持ち、70年代に出生した世代を指し示す。消費市場で、30代は最も大きい顧客で市場を主導していて、映画、大衆音楽界などでも90年代入学年度の思い出と郷愁が新しい文化的コードに浮び上がっている。映画「建築学概論(건축학개론)」の興行もこのような文化的流れを反映している。

・本稿では、2010~2011年の統計庁で実施した社会調査を基づいて、消費と文化の主役になっている30代が持っている価値観について、また2011年に実施されたLG経済研究院のライフスタイル調査を通じて30代のライフスタイルを照らし出してみる。

・2010~2011年の統計庁社会調査分析を通じて導き出してみた、今日我が国30代の価値観を現わすキーワードは次の通り。
① 開放的な家族観(Flexible)
② 仕事と人生の均衡重視(Balance)
③ 社会共同の責任と人権に対する関心(Social)
④ 悲観的現実主義(Gloomy)
⑤ 社会全般に対する不安感(Anxiety) など

・2011年LG経済研究院ライフスタイル調査結果分析を通じて抽出した30代ライフスタイルのキーワードは次の通り。
① 格式よりは安らかさ(Comfy)
② 食道楽(Gourmet)
③ 家族との余暇(Family Leisure)
④ 所有よりは実用的居住(Dwelling)
⑤ 二重的消費パターン(Duality) など

・まず、ファッションでは格式よりは安らかで幼く見える服を好んで、食べることにお金と時間を使うに当たり、どの年齢層より寛大だった。また、家族との余暇を大切にして、家については所有の概念よりは実用的な居住の概念を持っていると見られる。消費では、二重性を現わした。計画消費指向が高い世代であり、衝動購買指向も高かった。デザインよりは機能を優先的に考慮するが、有名デザイナーの作品が反映された製品ならば購入すると答えた比率も20代の次に高かった。

・30代は、以前の世代とは違った価値観とライフスタイルの特徴を見せた。そして20代の価値観とライフスタイルに最も共感する世代だ。社会発展の中心軸であり消費市場の核心集団に浮上した30代の価値観とライフ スタイルに現れた特徴的な指向が、私たちの社会と企業にどんな影響で現れるのか関心を傾けなければならないだろう。

(本ブログ関連:"(資料)世代別投票分析:朝鮮日報"、"(資料)世代別投票分析:中央日報"、"(資料)397世代"、"(資料)486世代"、"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

2012年12月28日金曜日

(資料)韓国の50代

朝鮮日報(日本語版)の記事「大統領選:韓国の50代とは」(12/27参考図)は、50~60代で一括されがちの50代だけを取り出して、その世代の特性を次のように報じている。(甘恵琳(カム・ヘリム)記者)
ところで40代についての分析が、各紙相変わらず登場してこないのはなぜだろう。

韓国の50代(1952~1962年生まれ)は778万人だ。全人口(5093万人)の15.2%を占めている。50代の人口は2002年の455万人から、ここ10年で実に70%も増えた。全有権者に占める割合も02年の12.9%から12年には19.2%と毎年増加した。【朝鮮戦争】終戦直後のベビーブーム世代(1954~1963年生まれ)とほぼ重なっている(統計庁・行政安全部)。

平均5.2人(2010年、ソウル大の調査)の兄弟と共に育った50代は、経済開発が本格化した時代に青少年期を送った。小・中・高校時代はすし詰め状態の教室で苦労し、春窮期こそなかったものの、コメが足りず、混・粉食奨励運動を経験した

この世代は1971~1981年にかけて大学に入学し、暗黒の維新時代(故・朴正煕〈パク・チョンヒ〉元大統領による独裁政権時代)に大学生活を送った「維新世代」だ1970年代後半から1980年代にかけて社会進出を果たし、1988年のソウル五輪を見守り平均1.9人の子どもを出産した。統計庁によると、同世代は半数以上(64.2%)が経済的困難から望む段階の学校教育を受けることができなかったが、せめて子どもには正規教育以外にも学習の場を与えようと「学校外教育」を韓国中に広めた世代でもある。これら世代の90%以上が、大学の授業料と結婚のための資金を子どもに援助すべきだと回答している。通貨危機以降、青年失業が増え、50代家庭の子どもたちは大学に通う期間が4年を超えたり、卒業しても就職できないといったケースが増えている。50代は、子どもが失業している間、経済的支援をしなければならない負担までを抱くようになった。

産業化世代の末っ子であると同時に「初の職場が一生の職場」といった公式がもろくも崩れ去るのを目の当たりにした。これら世代が、企業で課長や次長などの中間管理職に昇進した1990年代後半には、通貨危機が勃発した。解雇やリストラといった単語に初めて接するようになったほか、部長や役員クラスだった先輩世代が1人また1人と名誉退職に追い込まれるのを見守った職場に残る代わりにアルバイトに変えられる痛みを経験した。定年に満たずに50代半ばで退職するのが一般的となり、「サオジョン사오정」(「45歳定年」を縮めた言葉)、「オリュクド【오륙도】」(「56歳まで職場に通うのは泥棒」を縮めた言葉)などの新造語が生じるきっかけを提供した

・現在の50代は、月平均283万ウォン(約22万3000円)を出費しているが、大学の授業料を除いた子どもの養育費で60万ウォン(約4万7000円)、両親への支援に28万ウォン(約2万2000円)を使っている。これらの世代は年平均で4779万ウォン(約377万円)を稼ぎ、自宅を合わせて2億9633万ウォン(約2340万円)の資産を持っている(ソウル大の調査)。50代の3人に2人(68.5%)が親が今も生存しており、親への経済的支援も行っている親と子どもに対する支援に責任を負っているため、老後の準備や自分の啓発にはほとんど投資できない。50代の5人に1人(20%)は家計が苦しく、老後の準備ができないと回答した。1年間に公演や展示会、スポーツ観戦などを1度でも行った経験のある50代は、半数(47.8%)にも満たなかった(統計庁)。

(本ブログ関連:"(資料)世代別投票分析:朝鮮日報"、"(資料)世代別投票分析:中央日報"、"(資料)397世代"、"(資料)486世代"、"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

2012年12月27日木曜日

キム・ヒジンの「永遠の私の愛」

キム・ヒジンは、Youtubeで巡り合ったフォークソング歌手で、清潔さと健康さをもって、ほんのりと柔らかく包むように歌う。アルバムを新大久保やソウルのCDショップで探したが見つからない。彼女のホームページで、インターネットを通じて求めることができるようだが・・・。時代は、CDの形がますます難しくなったようだ。

キム・ヒジンの第2集アルバムに「永遠の私の愛(영원한 나의사랑)」がある。まるで、夏の陽を受けて草いきれする草原に咲く花が、幸せに満ちながらも、一瞬の風に心を揺らすよう。それが若さというものでしょう・・・若いってのは、本当にいいものです。
彼女のホームページのヘッダーで、「済州島へ行きます」と合わせて聴くことができる。

(本ブログ関連;"キム・ヒジン")



(Youtubeに登録のrhythm7777777に感謝)

2012年12月26日水曜日

北風

軒下を通り抜ける風は、ときどき雨戸を揺らす。暖まった部屋からふすまを開けて廊下に出ると、足もとからヒンヤリして、家が冷えきっていることに気付く。12月だってのに、この先思いやられる。

今年の東京地方の「木枯らし1号」は、栃木県の小来川鉱山・久良沢鉱山に仲間たちと鉱物採集に行った11月18日(日)だった。久良沢鉱山のズリ跡で石を叩いていると、そばを何かが舞う気配がした。「あっ、雪だ」という声が聞こえた。自分なりの初雪だった。どうりで、ここ地元の「木枯らし1号」の実感がなかったはずだ。

※ これを記している丁度今、家の前を「火の用心」の拍子木を打ちながら通り過ぎる音がした。あらためて冬の夜を思い知らせる。

ところで、子供向けの歌「たきび」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂、1941年)は、北風が「ぴゅうぴゅう」吹いていると思っていたが、「ぴいぷう」だった。ちなみに「北風小僧の寒太郎」(作詞:井出隆夫、作編曲:福田和禾子、1974年)では、「ヒューン ヒューン/ヒュルルーン ルンルンルン」と吹く。

さて、今夜吹く北風の風音はないけれど、寒さはますます深まっている。

2012年12月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 国楽家族グループ「イラン」

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/19)に、人物シリーズ59回目として、国楽家親子であるムン・ジェスク(母)と二人の娘イ・スルギ、イ・ハニによる、国楽家族グループ「イラン」を紹介した。

・韓国のキリスト教伝来が1950年とはどういうことかと、韓国-Wikipediaを見ると、「1950~1953年韓国戦争(朝鮮戦争)以前に韓国クリスチャンの3分の2が北に住んでいたが、ほとんどが南に避難して来た。」との説明があるが、それ以前について触れていない。現代の韓国に焦点をあて、朝鮮戦争を基点にしているのだろうか。
・1500年前の新羅時代出土品に伝来を想像するのは、近代も古代も混沌とするようできつい。
・最後に1800年代末、朝鮮時代後期に伝わったとされたが、信頼性は別にしてWikipediaの「韓国のキリスト教」に記されたように、その歴史はもっと深いのではないだろうか。

・(母)ムン・ジェスク: カヤグムサンジョならびにビョンチャンの芸能保有者、民間風流音楽などの普及につとめ、梨花女子大学の教授として後輩たちの指導に当たっている。
・(娘)イ・スルギ(1981年生まれ): 国立国楽高等学校とソウル大学を卒業し、KBS国楽管弦楽団の団員として活動。
・(娘)イ・ハニ(1983年生まれ): 国立国楽高等学校とソウル大学でカヤグムを専攻。

国楽を土台としたキリスト教音楽というのは及びもつかない。とはいえ今様な音楽を楽しく聴かせていただいた。

ノロウィルス

いつも診てもらっている親しい医院に今月初行ったところ、普段この時間帯なら長話しができるよという土曜日の午後、幼児連れの親子が次々来院した。子どもたちは、熱が出てぐったりしたり、待合室で嘔吐したりとかで、いつもと違った雰囲気なわけで長話しどころではなかった。

ノロウィルスが2006年に次ぐ勢いで蔓延しているという。朝日新聞の記事「ノロウイルス、強い感染力で拡大 「変異」タイプが6割」(12/24、武田耕太、森本未紀)は、次のように報じている。(抜粋)

・ノロウイルスは今季、この10年間で最も流行した2006年に次ぐ勢いで拡大している。国立感染症研究所によると、患者数は10月中旬以降、8週連続で増え続けており、専門家は「今後も増えかねない」と警戒を呼びかける。
・感染は例年12月にピークを迎え、ノロなどによる感染性胃腸炎が原因で、毎年1500~2千人が亡くなっている。 ・・・患者の8割は10歳未満だが、免疫力の弱い高齢者は重症化しがちだ。
抗ウイルス薬やワクチンはなく予防の大原則は、手洗いの徹底で手についたウイルスを広げないことだ。主に嘔吐(おうと)物で広まるため・・・塩素系の消毒剤で素早く掃除する必要がある。アルコール消毒剤などは効果が薄いようだ。健康な人でも、二枚貝などは十分加熱して食べることが大切。


ということで、テレビなどでも繰り返し言われている通り、できるだけ人混みを避け、帰宅したら丁寧に手を洗い、生ものは十分加熱して食べるよう気をつけることにしよう。

考えて見れば、来週の今日は来年元旦なわけで・・・。

2012年12月24日月曜日

イ・ソンヒの「暗闇は晴れて」

イ・ソンヒの「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」は、アルバム3集(1986年)所収の初期のものであるが、といってそうだからというわけではないが、思いっきり歌謡風バラードである。悲しみに震える冷たい雨が両頬をぬらしても、いずれ闇は晴れて陽が昇るだろう・・・。
この曲のめずらしいステージ映像がYoutubeに登録されたので聴いてみよう。

そういえば、ここ数日の夜風は身にしみる。厚着しても、見透かすように頬を狙って吹きつけてくる。頬を削ぎ落とさんばかりだ。こんなに寒気の鋭さを感じたのは初めてのこと。子どものころには、とんと経験したこともない。



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2012年12月23日日曜日

(資料)世代別投票分析:中央日報

中央日報(日本語版)の記事「<韓国大統領選>専門家が見る世代投票の原因」(12/22日)は、今回の投票について、世代別の傾向分析を次のように報じている。
朝鮮日報の記事同様、ここでも40歳代の傾向について、明確に語られていないのが気になる。

・ 専門家は、今回の韓国大統領選挙では「世代投票」現象が目立ったと話している。世代別に感じる期待感または剥奪感が投票に決定的な影響を与えたということだ。

・ イム・ソンハク・ソウル市立大教授(国際関係学)は「20・30歳代は基本的に大学授業料、就職、マイホーム問題などで社会への不満が強い。これが多数の若者が文在寅(ジェイン)民主統合党候補を選択しようとした理由」とし「北方限界線(NLL)論争と国家情報院女子職員事件、虚偽の流布などに失望して投票しなかったり、朴槿恵候補側から離脱した若者層がかなりあった」と分析した。また「50歳代は産業化と民主化ともに中間的な寄与をしたが、いかなる評価も受けられず疎外感を感じている“狭間の世代”。この世代が野党から旧態依然の世代として無視されるような印象を受け、50歳代の中道層も朴候補にかなり動いた」と述べた。

・ ノ・ドンイル慶煕大教授(法学)は「20・30歳代は改革的な性向が強く、現政権に対する不満も多い」とし「50歳代は文在寅候補側が『若者が投票場に出てきてこそ当選する』という形で20・30歳代中心のフレームを形成し、疎外感を感じたはず」と指摘した。

・ パク・ミョンホ東国大教授(政治学)は「現在の50歳代は、かつて40歳代の時、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に投票した世代しかしその後の10年間、小中高生の子どもの学費、不動産費用、物価など多くの問題を経験し、盧武鉉政権に対するトラウマがどの世代よりも強い」と分析した。また「文候補は『投票率が上がり、候補一本化をすれば勝つ』という形のイベントだけを盲信し、中道層と20・30歳代にも失望感を与えたとみられる」と述べた。

・ シン・ユル明知大教授(政治外交学)は「50歳代の非常に高い投票率(89.9%)は単に安保・経済政策などの問題で達成された数値ではない」とし「職場を引退したり、または引退圧力を受けているところに、家庭でも待遇を受けられないなど疎外感を感じている50歳代以上の世代が、民主党のSNS選挙運動、若者中心の選挙運動にまたも疎外感を感じ、刺激されたとみられる」と述べた。続いて「若い層は反対に、こうした心情的な傷が50歳代以上に比べると少なく、これによって投票率が相対的に低かった」と話した。

・ “李正姫(イ・ジョンヒ)変数”と安保危機感が50歳代以上を結集させる原因になったという分析も出てきた。ユン・ジョンビン明知大教授(政治外交学)は「中壮年層は安保争点に対する懸念と理念的抵抗感がかなり強い世代」とし「統合進歩党への従北批判、李正姫候補がテレビ討論で見せた攻撃的な態度、NLL論争などが安保フレームと直結し、50歳代以上を団結させた」と分析した。


(本ブログ関連:"(資料)397世代"、"(資料)486世代"、"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

(資料)世代別投票分析:朝鮮日報

朝鮮日報(日本語版)は、韓国大統領選挙の世代別投票動向について、次(①、②)のように、地上波3社の出口調査をもとに投票動向の分析を報じている。
50-60歳代と20-30歳代に世代を大きく分けているが、その中間に属する40歳代の分析がみられないのはなぜだろう・・・分析する大学教授、報じる記者たちは同じ世代なのだろうか。


「大統領選:選挙結果を左右した50、60代の不安感」12/21
崔賢黙(チェ・ヒョンムク)記者、李竜洙(イ・ヨンス)記者

#1
・今回の韓国大統領選で朴槿恵(パク・クンヘ)氏が当選した最大要因として、専門家は50、60代が進歩・左派陣営に感じた不安感を挙げた。自分たちの世代がつくり上げた時代が全否定されるような状況に怒りを感じた人が多かったようだ地上波3社の出口調査*によれば、50代の投票率は89.9%、60代以上は78.8%で、20-40代に比べはるかに高かった50代の投票者の62.5%が朴氏に投票し、今回の選挙の勝敗を左右した。50代以上の有権者は今回の選挙でちょうど40%を占めていた

(*)地上波3社の出口調査グラフ。

■50、60代の高い投票率
・専門家は今回の選挙で「50、60代の不安」が勝敗を分けたと分析した。地上波3社の出口調査によると、50代の時間帯別投票率は午前6時から午後4時までの10時間、20-40代を一貫して上回った

・慶熙大の林成浩(イム・ソンホ)教授は「50、60代も現実に不満はあるが、それよりも不安感が大きい世代だ。経済と北朝鮮問題などでどちらかと言えば不安を感じない方に投票したと言える」と述べた。

・50、60代は文在寅(ムン・ジェイン)候補陣営の親盧武鉉(ノ・ムヒョン)勢力に不安を感じたとの意見もある。檀国大のカ・サンジュン教授は「親盧勢力が政権を握っていた2003年のヨルリン・ウリ党の結党過程で国政が混乱したことを記憶している50、60代は『準備できた大統領』を掲げる朴氏に投票した」と指摘した。

・盧元大統領が西海(黄海)で北朝鮮との海上での軍事境界線である北方限界線(NLL)を放棄するとの発言を行ったとの疑惑が浮上し、50、60代の安全保障に対する不安感を刺激したとの指摘もあった。韓神大の尹平重(ユン・ピョンジュン)教授は「北朝鮮問題、特にNLL放棄発言論争が事実か否かに関係なく重要な議題になった。50、60代は北朝鮮による挑発の歴史に鮮明な記憶を持つ世代であり、安全保障に対する感じ方が20、30代とは異なる」と分析した。

#2
■李正姫氏への怒り
・統合進歩党から出馬した李正姫(イ・ジョンヒ)氏が候補者による第1回テレビ討論で「大活躍」したことが、保守層の50、60代を結集させたとの分析も多い。明知大の尹鍾彬(ユン・ジョンビン)教授は「1回目のテレビ討論で李氏が朴氏を責め立てる様子を見た高齢者の中には、『あれを見てから眠れなかった』と話す人が多かった」と語った。

・「朴正熙(パク・チョンヒ)対盧武鉉」という構図も50、60代の有権者を刺激した。ソウル大の韓圭燮(ハン・ギュソプ)教授は「50、60代は文在寅氏や李正姫氏が朴正熙元大統領を攻撃したことで、当時の朴元大統領には反対でも、産業化を成し遂げた自分たちの世代を全て旧態勢力と決め付けられたことに反感が大きかった」と分析した。慶熙大の権泳俊(クォン・ヨンジュン)教授は「50、60代は朴正熙元大統領に対する郷愁が残る最後の世代だ」と指摘した。

■国家情報院攻撃、民主党に逆風
・選挙戦終盤で民主党は国家情報院の女性職員による違法選挙運動疑惑を指摘した。これが結果的に50、60代の不安感を増幅させた。前出の尹平重教授は「民主党が確実な根拠もなく女性職員を監禁し、国家情報院や警察など国家機関を攻撃したことは、(民主党に対する)強い逆風を呼んだ」との見方を示した。

高齢化が急速に進む中、今後の選挙では50、60代の有権者の心をつかめない政党は負けるとの指摘が多く聞かれる。慶熙大の尹聖理(ユン・ソンイ)教授は「先月の米大統領選では、共和党は増加する有色人種を掌握できない限り勝てないとの分析が支配的になった。韓国の進歩政党も若い層にだけ頼っていては政権獲得が難しいのではないか」と話した。

・高麗大の李来栄(イ・ネヨン)教授は「民主党も年間医療費上限制など50、60代を狙った公約に神経を使ったが、50、60代は長い人生を歩んできただけに簡単には信じない」と指摘した


「大統領選:20-30代が文在寅氏を支持したワケ」12/21
チョン・ヒョンソク記者

「不安、不満、不信の『3不』が大きな背景」
「理念的な傾向は強くない」

#1
・大統領選当日の今月19日にテレビ局3社が行った出口調査の結果、20代の有権者の65.8%30代の66.5%が野党・民主統合党(民主党)の文在寅(ムン・ジェイン)候補に投票したことが分かった。50代の62.5%60歳以上の有権者の72.3%が、当選した与党セヌリ党の朴槿恵(パク・クンヘ)候補を支持したのとは正反対の結果だ。20-30代の人たちが文候補を支持した理由について、専門家たちは「現実に対し大きな不満を持ち、変化を望んだためだ」との見方を示す一方、政治理念的な進歩派、左派と見るのは困難だ、と主張した。

「3不世代」の爆発
・20-30代は一般的に「3不世代」と呼ばれる。「3不」とは「不安」「不満」「不信」を指す。現在の20-30代は、青少年期にアジア通貨危機を直接・間接的に経験した。激しい受験戦争を経験した後も、スペック(学校の単位や語学の成績などを指す)をめぐる競争に苦しみ、大学卒業後には就職難に直面した。就職できても、多くは非正規雇用者(パートタイマー、契約社員など)だったり、給料が安かったりし「(月給)88万ウォン(約6万9000円)世代」と呼ばれている。そして結婚しても、出産や育児、住宅の確保などで苦労を強いられる。このような社会的・経済的な背景の下、社会に対する大きな不満や不信感を抱き、将来について不安に感じているというわけだ。今回の大統領選を前に、20-30代の間で盛り上がった「安哲秀(アン・チョルス)現象」も、既成政治家が自分たちの直面する問題を解決できないということに対する不満の表れだとの見方が多い。檀国大のカ・サンジュン教授は「386世代(1990年代に30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)は政治的に大きく揺れ動いたが、大学を卒業しさえすれば良い会社に就職できるほど、経済的に安定していたしかし現在の20-30代は、政治不信や経済的なはく奪感が大きい」と指摘した。

#2
■「理念的な傾向が強い世代ではない」
・慶煕大の尹聖理(ユン・ソンイ)教授は「20-30代が文候補を支援したという理由で、彼らを「進歩派」に分類するのは、学生運動世代の錯視現象だ。今回の大統領選で、20-30代は進歩、保守といった価値観よりも、現実的な理由から投票行動に及んだと見るのが妥当だ」との見方を示した。

・高麗大の李来栄(イ・ネヨン)教授は「今回の大統領選では、大学の学費の半額化や兵役期間の短縮、非正規雇用者の問題など、20-30代の有権者に直接・間接的な影響を与える公約が多く打ち出された。20-30代にとって、文候補に投票したのは合理的な選択だったといえる」と指摘した。

5年前の大統領選では、20-30代の有権者は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の経済政策や雇用政策の失敗に対する批判から、ハンナラ党(現・セヌリ党)の李明博(イ・ミョンバク)候補を選んだ。大統領選当日に韓国ギャラップが行った出口調査の結果、李候補に対する20代の支持率は40.3%、30代では39.7%に達し、大統合民主新党(現・民主統合党)の鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補(20代18.8%、30代27.7%)を上回った。

・カ・サンジュン教授は「当時、李明博候補は747公約(年7%の経済成長により、一人当たりの国民所得を10年以内に4万ドル〈約340万円〉に引き上げ、世界第7位の経済大国を目指す)などを打ち出し、若い世代に「経済的に今よりも良くなる」という希望を抱かせたが、結果は思わしくなかった」と指摘した。一方、ソウル大の韓圭燮(ハン・ギュソプ)教授は「20-30代の有権者が朴槿恵候補を支持しなかった理由は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘ということよりも、テレビ討論などで上手な答弁ができず、危機を解決する能力が不十分だと思われたためだ」との見方を示した。

■「李正姫候補は20-30代にとっても逆効果」
・尹聖理教授は「統合進歩党の李正姫(イ・ジョンヒ)候補が出馬したため、文候補の票がいくらか割れた側面もある。文候補が当選すれば、北朝鮮と無条件に全面的な対話を再開し、一方的な対北支援を行うという認識が、20-30代の間でも定着していた。これが李正姫候補のイメージと重なったため、いくらか票が割れる要因となった」との見方を示した。

・民主党の関係者は「現在の20代はもとより、今後有権者となる世代も、1980-90年代のように、むやみに野党を支持する世代ではないということを認識し、選挙戦略を練る必要がある」と指摘した。

(本ブログ関連:"(資料)397世代"、"(資料)486世代"、"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

2012年12月22日土曜日

やわらかバナナオ・レ

セブン11のドリンク冷蔵庫のガラス戸越に、こちらをちらりと見るものがある、プライベトー・ブランドのペットボトル入り「やわらかバナナオ・レ」(500ml、果汁1%)だ。それはバナナ味巡礼中の幸運な出会いだった。

バナナの香りと甘味がして、あっさりした飲み心地だが、甘さはしばらく残る。なにしろ、だいぶ容量があるので、この冬の寒い時期よりは、もう少し暖かい季節に飲むべきかな思ったりする。
・・・ああ、まだ甘~い余韻が残っている。

でも、ドリンク冷蔵庫に隠れるようにして私を呼んだことは忘れないよ。

バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:"バナナ味")")

2012年12月21日金曜日

冬至2012

このブログを始めて4年目の冬至、過去3年は共に12/22であったが、今年は12/21が当たる。

冬至に、夜時間が最も長く、従って昼時間が最も短い、その逆もしかり。そのため、日の出が最も遅く、日の入りが最も早くなると勘違いしがちだが、国立天文台の「よくある質問」は分かりやすく解説してくれている。「日の出が最も遅い日は冬至の半月ほど後、日の入が最も早い日は冬至の半月ほど前になります。」とのこと。これから黎明はまだ薄暗く、残照は次第に増すことが分かる。
2010年6月21日"夏至"の項に記載

ところで、子ども時代に他所で小豆ぜんざいにカボチャを入れたものを冬至の縁起ものとして食べたことがある。この風習はいつ頃からなのだろうか。Wikipediaやインターネット情報によるが、カボチャの伝来は南蛮貿易のようで、冬至に食するようになったのは、江戸期あるいは明治期という。カボチャについては、古来からの風習ではないのだろう。

古い慣わしや入れ物(建築物)に付随した行事に、古式の伝統と勘違いすることがある。クリスマス行事を間違えることはないが、初詣になると怪しくなる。

(本ブログ関連:"冬至")

2012年12月20日木曜日

陶淵明-5

市民講座「陶淵明の描いた世界」は、今日が最終回(第5回目)である。陶淵明の親類・家族への思いや、晩年に際しての心情をうたった詩文について、田部井文雄先生から解説をいただいた。そのうえ、講義後に半時間ほど出席者との質疑応答の時間が設けられた。

陶淵明が五人の子どもの不出来に嘆く「子を責む」(責子)の詩は、むかし教科書で読んだことがあるけれど、子を持って初めて実感できるものだろう。講師が出席者に問えば、苦笑いするばかり。
詩中「阿舒(あじょ)は己(すで)に二八(にはち)なるに」(阿舒己二八)にある、「阿」の意は「~君、~ちゃん、~のやつ」といった呼びかけのようなもので、十六歳の舒君は、舒ちゃんは、舒のやつは・・・といったところだ。そして最後に、<それはそうとして酒を飲んで憂さ晴らしでもしよう>といったニュアンス、謙遜を口実に酒を飲む。

どうやら酒好きの陶淵明は、飲酒を詩のおちにしている。自分の弔いの詩(「挽歌の詩三首」其の一)を書いておきながら、それだけでも変なのに、死して後に悔やむのは「酒を飲むこと足るを得ざりしを」(飲酒不得足)と最後に付け加えるのだから。それって、酒が得意でない人間にとっては、なかなか難しい。

最後の質疑応答の時間で、「漢詩の理解を深めるにはどうすればよいか」という質問に対して、「師について学ぶしかないだろう」との回答があった。実は前々回の講義後に、イ・ソンヒの「分かりたいです」の漢詩<読み下し文>について相談したが、同様の回答を受けた。わたしも、いい師を探すしかないようだ。

(本ブログ関連:"陶淵明")

イ・ソンヒの「My Life」

イ・ソンヒは、子どもに向けたミュージカルをいくつか手がけている。例えば、1990年にはミュージカル「オズの魔法使い」でドロシー役を、その翌年には「ピーターパン」でピーターパン役を演じている。さらに、1998年にはミュージカル(子供マダン劇)「御史 パク・ムンス」でパク・ムンス役を担っている。

(本ブログ関連:"ミュージカル")

ところで、イ・ソンヒのアルバム12集(2001年)のタイトル曲である「My Life」は、旋律といい歌詞といい、まるでミュージカルのよう。夢見てきたことはすべて果たされるのだと信じなければならないと、とても前向きなのだ。ステージいっぱいに歌い響く感じすらする。
何だか、ディズニーアニメ「ライオンキング」(1994年)のミュージカル版「ライオンキング」 (1997年)を髣髴させる。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2012年12月19日水曜日

(資料)第2次韓流および韓国イメージに対する実態調査

朝鮮日報の記事「"韓流、4年以内に終わる"…外国人66%」(12/17)は、韓国の文化体育観光部(省)などによる、世界での韓流ブームについて調査した結果を次のように報じている。(抜粋)

-調査名称:「第2次韓流および韓国イメージに対する実態調査
-調査機関: 文化体育観光部と韓国文化産業交流財団
-調査時期: 2012年10~11月
-調査対象: 中国・日本・台湾・タイ・米国・ブラジル・フランス・英国・ロシアなど9ヶ国
-調査規模: 3,600人

・世界の人々が「韓国」といえば一番最初に思い出すイメージは、韓国料理・ドラマ・Kポップ・電子製品の順だった。アジアではドラマ・Kポップを、アメリカでは韓国料理・電子製品を、ヨーロッパでは朝鮮戦争・電子製品を挙げた。

・韓流の代表コンテンツでは、「Kポップ」を選択した。ドラマと韓国料理が後に従った。地域別では、アジアでドラマが強い勢いがあった。相対的に映画と伝統文化分野などは、非アジア地域で関心が高かった。韓流の人気要因は、コンテンツの「新しくてユニーク」(56.1%)と、「魅力的な容貌(ルックス)」(52.1%)を挙げた。地域別では、アジアが「魅力的な容貌(ルックス)」を、アメリカとヨーロッパが「新しくてユニーク」を選択した。

・文化部は、「アジアは、容貌が類似の韓流スターが自分たちが羨望する容貌を有していると考える傾向が反映されたもの」としながら、「文化と容貌が相対的に他のアメリカとヨーロッパは、コンテンツ品質評価に比重を置くことになった結果と見える」と分析した。

・反面、韓流の持続成長のために必要な「専門性」と「優秀な品質」の部門に対する回答は依然として下位圏だった。1次調査(2012年2月~:半期ごと調査)よりかえって(次のように)減少した。「専門性」は39.6%→35.3%、「優秀な品質」は47.0% → 42.2%であった。

・ドラマと映画、Kポップなど韓流の代表コンテンツに接した後の波及効果に対しては、「韓国製品購買」、「韓国料理体験」、「韓国訪問」が1~3位を占めた。4位からドラマは「衣類購買」、映画は「伝統文化学習」、Kポップは「韓国語学習」に対する誘引が高かった。

韓流の持続可能性は、外国人約66%が<4年以内に終わる>と思った。これは、1次調査より6%ポイント上昇した数値だ。特に韓流コンテンツ最大消費国である日本では、「韓流は<すでに終わった>」という応答が、1次調査より26%ポイント上昇して41%となり、韓流の持続可能性に対する赤信号を見せた。

・韓流の持続可能性を低く見る理由では、「画一化されたコンテンツ」と、「行き過ぎた商業性」が1、2位に上がった。ヨーロッパ地域では、「韓国文化に対する共感が困難」が問題点と明らかにされた。

2012年12月18日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鄭大錫

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/12)に、人物シリーズ58回目として、弦楽器コムンゴ弦琴거문고)奏者であり作曲家の鄭大錫(チョン・デソク、정대석)(1950年~)を紹介した。

(本ブログ関連:"コムンゴ")

まず、弦楽器コムンゴの復習から始まった。
ソンビ선비、高尚博識な人士)たちが好んだといわれる弦楽器である。
・楽器の胴は、桐と栗の木を張り合わせた、長さ約1m50cmほどの琴に似た構造で、カヤグム(伽耶琴가야금)に似る。ただし、正楽カヤグムは12本の弦を指で直接奏するのに対し、コムンゴは6本の弦を指とスルテ(술대、細く短い竹ばち)を使って奏する。そのためカヤグムより荒々しい音を出すことができる。
・胴上に取り付けた、16個の木の板のクェ(괘)というフレット(fret)の上に、絹糸をより合わせて作った6弦を張る。演奏時、弦を≪右手≫に持ったスルテで叩いたり、すくったりして音を出すのが特徴。また≪左手≫で弦をクェの上で押したり揺さぶったりしていろいろな表現をする。

鄭大錫の作曲、コムンゴ独奏による「無影塔(ムヨンタプ、무영탑)」第4楽章を聴く。夫を思い、妻を思った夫婦の悲劇と岩に託したその石仏師の純愛の伝説か・・・影をなくした塔。ともあれ、とても親和的で、風が通り抜けるようないい感じがする。

・ソンビたちの楽器として、世俗的な曲を奏することが避けられたため、新しく作曲しても、ソンビ風のゆっくりとした落ち着いた音楽にするようにと心がけられてきた。
ここに変革をもたらしたのが鄭大錫で、上記「無影塔」の演奏では、新しい技法を取り入れて、速いテンポで、カヤグムのように指で弦を弾(はじ)いたり、クェをスルテで叩いたり演奏している・・・とのこと。
・・・解説の岸さんの思い入れが伝わってきます。

次のように鄭大錫プロフィールが紹介された
・1950年12月24日 ソウルに生まれる。
・国家による学費支援のある国楽高等学校でコムンゴを専攻。家庭の事情で大学進学を断念するも独学で作曲を勉強し、その後、壇国大学に進む。卒業後、KBS国楽管弦楽団に在籍し演奏活動をし、現在、ソウル大学校音楽大学国楽科 国楽器楽(琴)担当教授。

鄭大錫のコムンゴ独奏による「タルムリ、달무리)」第3楽章を聴く。周りをにじむようにして輪をつくる月の暈(かさ)の明かりが、滴になって地を照らす様か・・・これも新しい技法を駆使しているのだろう。
・・・楽器を身のそばに置けない音楽学生だったなんて・・・そんな時代を経たという克己の方のようだ。

鄭大錫のコムンゴ独奏による「水里斎(スリチェ、수리재)」第3楽章を聴く。漢江の畔、藁葺き家の趣を表現したもの・・・とのこと。流れに揺れて川面がきらめく様か。抑制が効いて涼し気さえ感じる。

(付記)
フュージョン、クロスオーバー、コラボレーション、ワールド何々・・・ではない、伝統を継承された本当の意味の新しい国楽なんでしょうね。とてもいい気分になれたのはどうしてでしょう。

イ・ソンヒのカバー「ラスト・クリスマス」

そういえば、去年のクリスマスプレゼントは・・・。それよりずっと遠い記憶のものは、枕元にあった木製の機関車だった。プレゼントを包むサンタクロースの気持ちを察することができたのは、随分と時間が過ぎてからだったが。

イ・ソンヒのアルバム「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に収録された、英国の音楽グループ「ワム!(Wham!)」が1984年*リリースした「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」のカバーは、イ・ソンヒの声質に合って、天真爛漫さがあふれるようで楽しくなるといった方がいいかもしれない。子どもたちの歌声と共にを聴こう。

(*)1984年は、イ・ソンヒがデビューした年でもある。


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2012年12月17日月曜日

ブルー・クリスマス

僕らにとってクリスマスは、赤い服のサンタクロースがお決まりで、歌はビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」が定番だった。クリスマスでないときは、エルヴィス・プレスリーの歌に酔いしれた。

プレスリーには、熱いハワイの夜に、青い月に照らされて海風に涼みながら歌う「ブルーハワイ」がある。きっと、昼間の余韻が後押しするのだろう、とても前向きなのだ。だから同名の映画でも、困難をいともあっさり乗り切ってしまう。「夢のハワイ」というわけか。

(本ブログ関連:"ブルーハワイ")

それに比べると、冬の寒さは厳しくすさむ。発散する夏に比べると、うちに内にこもるのだ。

そうだから、景色を一新する雪が白いとは限らないらしい。青い雪も降るようだ。でも、クリスマスはやってくる。プレスリーの「ブルー・クリスマス(Blue Christmas)」には、緑色のクリスマスツリーに赤い飾りする一人ボッチの若者が、ブルーな気持ちに・・・なるのでしょう。いつの日か白い雪も降るだろうよ。

(Youtubeに登録のLaLerouxに感謝)

2012年12月16日日曜日

ハウツー本(続)

昨日、記憶力を上げるハウツーものはないかと思案したが、残念ながらその種の最高のものを聞いた記憶!がない。

ならば、記憶力の衰えともいうべき健忘症を防ぐ方法はないだろうか。本日、中央日報に寄稿の「健忘症には五味子がいい? "東医宝鑑の真実"」(12/16)があって、その出だしにタイトルの通り次のように記している。

・「健忘症がある人は、記憶力増進に効果的な五味子*を食べれば良い」、「肝が弱い人はを食べれば役に立つ」、「睡眠が多い(過眠、寝坊介な)人はナツメの種を生で食べれば良くなる」等々。
・上に列挙された内容は、全部<東医宝鑑>に登場する内容だ。このように私たちの先祖はかなり以前から、食べ物を薬のように使ってきた。薬食同源だとして根本的に薬と食べ物を同じ範疇においてみた。

(*)「オミジャ(五味子)茶」は、Wikipediaによれば「チョウセンゴミシ(朝鮮五味子)の実を煎じたもの。お茶は赤い色でほのかな甘みとさわやかな酸味がある。甘味、酸味、苦味、辛味、塩味の5つの味を感じるというので五味子の名がついた。」とのこと。

物忘れを防ぐために、(読めるわけもないが)東医宝鑑を読むよりも簡便な、オミジャ(五味子)茶を飲むことにしよう。

2012年12月15日土曜日

ハウツー本

身近で悩ましい問題に、率直に応えてくれるのがハウツー本である。私の手元にあるのは、どうしたら部屋が片付き整理できるかというものだ。2冊も買ったよ・・・で、回答は明快だ。
・いらないものは棄てなさい。
・散らばったものはもとに戻しなさい。
・無駄にものを増やさない。

部屋の片付け・整理について、読んで理解して頭に入れても、どれもこれもいまだに実行に移せないでいる。ならば、行動に移すハウツー本を探すしかないのだろうか、あれば探してみたいと思っている。

ところで、記憶力を上げるハウツー本はどうかといえば、本屋の棚に並んでいるが、どれもこれも「記憶術」の類ばかり。普通に記憶力をあげるうまい方法なんてない。要は、一生懸命覚える努力を繰り返し繰り返しするしかない・・・今更、わかっちゃいるけど。

というのも、よその韓国語教室を見学したら、自分の非力さを痛切に感じた次第・・・これも、わかっちゃいるけど。

2012年12月14日金曜日

イ・ソンヒのカバー「ハル(いちにち)」

イ・ソンヒのアルバム「因縁」(2007年)には、思い出に揺れながらも過ぎていく一日一日をしっとりと歌い上げる「ハル(하루)」がある。彼女のステージに耳をそばだてて聴いてみよう。
この歌は、キム・ボムス(김범수)の2枚目のアルバムに収録されているもので、それを「彼女だけの唱法で再解釈されて、より一層暖かく美しく迫る」(maniadb:「因縁」解説より)ものである。何と余韻ある歌い方だろう。

(本ブログ関連:”カバー”)

- 映像は削除されました -
 (Youtubeに登録のiminreportに感謝)

2012年12月13日木曜日

イ・ソンヒの童謡「島の赤んぼう」

イ・ソンヒのアルバム「愛唱童謡(애창동요)」(1993年)には、ひとびとの琴線に触れるだろう美しい童謡「島の赤ん坊(섬집아기)」(作詞ハン・インヒョン、作曲イ・フンリョル、歌詞と楽譜)が収められている。

以前、本ブログに記したが、イ・ソンヒが歌うYoutube版が見つかったので、同じものをもう一度記す。
・母さんが島陰にカキ採りに行けば、赤ちゃんはひとりでお留守番だけど、海が歌ってくれる子守唄に、とろろり寝付きます。
・静かで、のどかな島の景色が浮かんでくる。海という母性的なものに育まれて、波音をゆりかごにした、島育ちのひとびとの懐かしい心象風景なのだろう。・・・この曲を聴くと、赤ちゃんの気持ちが、やっぱりひしひしと伝わってくるよ。

(本ブログ関連:"島の赤ん坊")


(Youtubeに登録の성배 길に感謝)

2012年12月12日水曜日

大衆は"100%本物の音楽"を望む

ヘラルド経済の記事「大衆は"100%本物の音楽"を望む」(12/10、ソ・ビョンギ選任記者)は、今年の大衆音楽の動向を次のように論評している。抜粋。

・「パフォーマンス、歌、容貌(ルックス)が合わさったコンテンツ」による「韓国アイドルの音楽を(国内だけでなく海外でも)たくさん聞いてみると、疲れのようなものが生じた。」

・「まず国内でアイドルグループの活動が大いに弱まった。それで、グループ全体よりもユニット活動を強化する。」・・・「ソロ歌手が善戦しているのも、音楽消費トレンドの変化を暗示する一つの現象だ。」
・「(大衆の)音楽オーディションを見る視線と歌手を見る視線も変わっていっている。ますますミュージシャン、アーティストのユニーク(unique)ながらも自然な魅力を好む。」

・・・で、今後どうあるべきかと「アイドルとアーティストの共生構造」が述べられる。

・「アイドル歌手のパワーは過小評価されることができない。アイドル歌手は韓国大衆音楽のコアコンピタンスの一つだ。」と、経済紙ならではの視点で語られる。

・「アーティストとして成長する可能性が高い歌手」のために、「歌手がしたいことをできる環境を提供しなければならない。」・・・「大衆はますます唯一無二にして率直で、100%本物の音楽を望む。そのためには、歌手が自由に生活するように解放しなければならない。」と、これこそ本旨が示される。

(付記)
アイドルグループの中心線を走ってきた少女時代がデビューして、今年で5年目である。芸能事務所YGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表が、韓国日刊スポーツの取材に対して、歌謡界の「5年周期論」である「歌謡界ではパターンが繰り返される。5年周期で市場の流れが変わる」と述べたように、いよいよ周期の変換点に突入したようだ。

(本ブログ関連:"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"オーディション"、昨年(2011)のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")

2012年12月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 姜垠一

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/5)に、人物シリーズ57回目として、ヘグム奚*琴けいきん、해금)のフュージョン奏者である姜垠一(カン・ウニル、강은일)(1967年~)を紹介した。

(*)Wikipediaによれば、「中国東北部のシラムレン川の谷に住んでいたモンゴルまたは契丹に近い民族である奚(けい)によって作り出されたとされる。」(Ko-Wikipediaも同様)

(本ブログ関連:"ヘグム")

まず、ヘグムの復習から始まった。
・ヘグムは、バイオリンやチェロといった、弓(または棒など)で弦を擦って音を出す擦弦楽器の一つで、もともと中国北方の遊牧民の楽器といわれる。楽器「二胡」とよく似た形状で、馬にまたがって演奏できるよう小さく、奏法も比較的単純である。左手で弦の持つ位置や引っ張る力を調整して、音程を自由に変え、様々な音楽を演奏する。その利点から最近は、フュージョン国楽にもよく使われる

▼姜垠一のヘグムによる「未来の記憶」の中から「サーカス(서커스)」を聴く。これもフュージョンか。キーワードに「ワールドミュージック」があるそうだが・・・。

次のように姜垠一プロフィールが紹介された。・・・ちなみにイ・ソンヒ(1964年生まれ)と同世代である。
・1967年 ソウルに生まれる。
・国立国楽高等学校で本格的にヘグムを学ぶ。4年全額奨学生として漢陽大学に入学してヘグムを専攻。同卒業後。KBS国楽管弦楽団に参加するも、京畿道立国楽団の新設に合せ移籍して主席団員として活躍。間もなくしてソロ演奏家の道に進む。

(参考)ブログ「ヘグム勉強部屋(해금 공부방)」

▼姜垠一のヘグムによる「リベルタンゴ&白鶴(Libertango&백학)」を聴く。テレビCMで聞いたYo-YoMaの演奏を思い出す。

・最近、高校時代の同級生(コムンゴ奏者:ホ・ユンジョン、打楽器と鉄弦琴(チョルヒョングム、철현금)奏者:ユ・ギョンファ)と共に、現代音楽トリオ「サンサン」を結成し演奏活動を続けている。

▼姜垠一のヘグムによる「ヘイヤ(헤이야)」を聴く。これはこれでジャンルだと思うよ。

2012年12月10日月曜日

イソンヒについてフリートーク(別)

イ・ソンヒのファンの特徴は息の長さだろう。彼女が登場した1984年以来、当時熱烈なファンだった少女が母親となり、その子どもたちと共に引き継がれているからだ。ファンと合わせ鏡に存在する彼女は、時代に応じて変貌し、新しい言葉で語られるに値する。

(本ブログ関連:"資料:이선희 Reviewal (仕掛かり中)")

イ・ソンヒについて、以前、NBA Mania>スポーツ関連外>フリートーク(「イソンヒについてフリートーク」)に、ファンたちが語っているのを記したが、Daum知識にも「イ・ウンミ vs イ・ソンヒ(이은미vs이선희)」(2009年4月~)の形で、ファンたちの気持が記され、わずかだが現在も追記されている。
イ・ソンヒについて、どう思っているのか・・・それだけに着目して、読ませていただくのがよいだろう。歌によって時代を共有し、耳を傾けたのならば、尊敬こそあれ両歌手の比較はあまり意味の無いことと思うからです。

(参考)Google翻訳ツールで上記「Daum知識」読む → 「イ・ウンミ vs イ・ソンヒ

(付記)
あまりの寒気に、小金井公園にある「江戸東京たてもの園」東端南側の、公園と境いになっている小池に薄氷が張っていた。池の中央にぽつぽつと置かれた小島に、以前なら亀が日向ぼっこしていたが、もう冬支度して水面下に潜ったままなのだろうか、動くものが見当たらない。
人影がまばらな公園で、体を温めようと入った園内の売店食堂で「力うどん」を食っていたら、次々と客が入ってきた。みな寒さのせいで、熱いものを同様に求めたのだろう。

2012年12月9日日曜日

(資料)397世代

朝鮮日報の記事「20代には"IMF"、30代にはバブル崩壊... "アングリー397"最大反与(党)世代に」(11/5、ナ・ジホン、パク・ユヨン記者)は、386世代にならって<397世代>を定義して記している。同世代の政治的立場の分析が主旨だが、時代風潮の部分について次に抜粋する。
ちなみに386世代は、現在の40歳代にあたる。

・【397世代とは】現在30歳代で、'90年代に大学入学した'70年代生まれ。810万人ほどで、40代(850万人)の次に人口比重が高い。ソ・テジH.O.T.で始めたアイドル文化の最初の消費世代であり、経済的には流通市場最大の消費層*として浮上している。
・386世代による"学生運動が活発だった1970~1980年代とは異なり、1990年代の学年番号を持つ学生は大韓民国歴史上最も勉強を熱心にした大学生"(ソウル大、キム・オンジュン教授)

・20代の時IMF(国際通貨基金、1997年)危機、30代に入ってからの不動産バブル崩壊を経験・・・成人になって韓国経済高度成長の恩恵を享受できなかった初めての世代。
・"親の助けなしに自分の収入だけで、ソウルのマンションを買うのがほぼ不可能になった・・・自力じゃ中産階級入りを期待できない最初の世代"(LG経済研究院、パク・チョンヒョン研究員)

(*) 流通市場最大の消費層397世代について。
同じ朝鮮日報は、「消費の主力に浮上した『397世代』」(6/24)の記事でポジティブな側面を強調している。経済状況によっては、上記のような別の面も見えることになる。

(本ブログ関連:"(資料)486世代"、"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

2012年12月8日土曜日

タモリの「三浦半島断層群を行く」チミンモラスイ!

毎週金曜の深夜、テレビ朝日の番組「タモリ倶楽部」は、タモリ好みのマニアックなテーマで構成されていて、鉄道マニアと競ったり、目立たないがユニークな町工場を訪ねたりして興味をそそらせる。タモリにはこの番組以外にも、東京の街なかのふとした光景から地形を読み解く、NHKの番組「ブラタモリ」がある。彼の表の仕事とは別かもしれないが、おじさんうけする。

「タモリ倶楽部」は、先週・今週の2回に分けて、「グレートネイチャーシリーズ 三浦半島断層群を行く!!」(前編・後編)を放送した。FC2に掲載されているので見てみたい。(登録のdiver7に感謝)

▼ 次の動画は削除された。⇒ したがって、下記紹介先を参照ください。
(前編:11/30)  http://video.fc2.com/content/20121201CrzP0Pwd
(後編:12/07)  http://video.fc2.com/content/20121208nr2br3SP

三浦半島は、付加体により生成され、複数の<北西>に切れる断層を見ることができる。

ところで、その隣の伊豆半島は、 成因は別だが複数の噴火列(噴火割れ目)が<北西>に並んでいる。むかし、東伊豆単成火山群の観察と称して、単成火山の美しい大室山や城ヶ崎海岸にある(大室山由来の曲線をもって輝く黒色ガラス質の)溶岩流跡を鑑賞したことがある。鉱物採集では、下田の寝姿山鉱山や高根山鉱山に行った・・・代表鉱物を何~にも採れなかったけれど。

それはそうとして、手前の三浦半島にも行って見たいものだ。


▼ ブログ「チミンモラスイ!」に放送概要が写真形式で紹介されている。(感謝)
前編
後編

2012年12月7日金曜日

ふたたび地震に揺れる

気象庁:地震情報(各地の震度に関する情報)
帰宅してテレビをつけ、のんびりPCを起動しようとしたとき、いつもならネット上の"Signal Now Express"で聞く地震報知音がテレビから流れた。

ズズズッと小刻みに揺れが始まり、やがて家が軋みだした・・・このままいけば、昨年の3.11と同じになるのではと不安がよぎる。慌ててストーブの火を消した。
幸い、1分少しの揺れでおさまったが、震源地域の海岸では津波警報(宮城)、および注意報(茨城~青森)が発令された。

気象庁の地震情報(17時29分)は次のように伝えている。
・震源地は、三陸沖(北緯37.8度、東経144.2度、牡鹿半島の東240km付近)で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は7.3と推定されます。

最大震度5弱とのことだが、西日本の佐賀県でも震度1が確認されている。今回も日本全体を覆う地震である。当地は震度3を測定されたようだが、その最中、不安が加わるのだからたまらない。

イ・ソンヒの「母をたずねて三万里」

距離単位の「里」について、Wikipediaによれば、日韓同名称ながら次のように違いを説明している。すなわち、「里(り)は・・・現在の中国では500m、日本では約3.9km、朝鮮では約400mに相当する。」とある。歩いた時間(日本)や歩数(韓国)、あるいは一定面積の辺の長さ(中国)が根拠になったようだ。
日本の里(約4Km=3927.272 727m)を基準にすると、中国のそれは約1/8であり、韓国のそれは約1/10(360歩、393m)である。

イ・ソンヒのアルバム「愛唱童謡(애창동요)」(1993年)に収められたアニメソング「母をたずねて三万里(엄마찾아 삼만리)」*の<三万里>は、30,000/10=3,000ということで、日本の「母をたずねて三千里」(1976年、放送:フジテレビ、制作:日本アニメーションほか)に当たる。
(*)「韓国のアニメーション史に関する一考察」(金先喜:キム・ソンヒ)によれば、「母をたずねて三万里」(1981年:監督:ジョン・スヨン、制作会社:ソンウプロダクション)の一行がある。

日本版(大杉久美子)と比べつつ、イ・ソンヒが童謡アルバムの中で、憂いを感じさせながらも軽快なテンポで歌う、優しく澄んだ声を聴いてみよう。母と会える喜びを、会いたいという情緒を歌っているのだろう。子どもたちにとって、どちらもたいせつなことである。



(Youtubeに登録の2002Jyan、KnightmareSMに感謝)

2012年12月6日木曜日

陶淵明-4

市民講座「陶淵明の描いた世界」の第4回目に出席する。(今回を含めて)残すところ後2回、いよいよ最終にさしかかった。今回は幻想好きにとって楽しみな<桃源郷>について、陶淵明が記した散文を解説いただいた。

「桃花源の記」は、武陵の川漁師が渓谷を水源まで遡ったところ、山中に洞窟を見つけて、くぐりに抜けた先に桃源郷と出会う話だ。そこには、見たこともない人々が穏やかに暮らしていた。秦時の乱を避けて以来、漁師の時代(太元年間)までざっと見積もって、600年以上前からこの地に住み続けられたことになるのだろう。彼らから、もてなしを受けた後、去り際に他言無用と次のように口止めされる。

・不(レ)(下)(2)外人(1)(上)也   外人(がいじん)の為に道(い)うに足らざるなり
(訳) 外部の世間の人に話すほどのことではありません。

それでも漁師は、行政長の太守に喋っちゃうんだな。でも、いくら探しても、桃源郷は結局見つからなかった。この記は、後の時代の<物語>に通じるそうだ。

ところで「桃花源の記」は、山の岩間から雲が生まれるような仙境を語っているわけでも、碧眼の美女との遭遇を喜んでいるわけでもない。鶏が鳴き、犬が吠える、のんびりした素朴な光景が浮かんでくる。もしかすると。桃源郷はもっと身近にあって気付かないだけなのかもしれない。

ところで、現在の中国の若者たちが、自然のもとへ行こうと言うとき、この記に語られた武陵の地名を使って、「武陵に行こう」と言うと解説があった。

今回の講義は、「桃花源の記」の前に、九尾の狐伝説などの原典といわれる「山海経」を題にした、「山海経を読む十三首 其の一」の解説があり、終わりには、陶淵明の洒落た自叙伝ともいうべき詩についても聞かせていただいた。

次回(最終回)のために、漢字教育の資料が配られた。宿題である。

2012年12月5日水曜日

(資料)ネット音楽料金の定額制から従量制へ

韓国はネット普及により、音楽購入の仕方がシフトして、CD販売がますます厳しくなっているようだ。しかも、ネット利用のため、売り上げに占める著作権の取り分が少ない状況といわれている。
来年から、アーティストにとって、どのように改善されるのか分からないが改正されるようだ。MoneyTodayの記事「著作権法変われば... "音楽の価格、市場原理に任せる"」(11/30、キム・ドンハ記者)は、次のように報じている。(抜粋)

・文化観光部体育観光部は、今年になって2008年2月作った音楽使用料徴収規定を4年ぶりに手直しを始めた。

・音楽が「定額」で取引されながら、ロエン(メロンMelOn)、KTミュージック、エムネット(CJ E&M)などと同じ音楽流通およびサービス事業者だけ利益を得て、音楽を作る制作者、実演者などの権利は疎外される「奇形的」生態系が形成されたという論議が拡大したためだ。

・国会国政監査の叱責も政府の改正の必要性を高めた。国会議員は、音源定額制が曲当たり60ウォンで、外国の25分の1の水準とし、ミュージシャンが創作する補償をまともに受けられずにいると主張した。

・すると政府は、今年6月に、韓国音楽著作権協会、韓国音楽実演者連合会、韓国音源製作者協会、韓国音楽コンテンツ産業協会などと徴収規定改正案を作って公開しており、今年10月に、国会を通過させた。

・過去の徴収規定は、流通業社が55%、著作権者が45%を持っていく構造だったとしたら、流通業社の持分は40%、(一方)著作権者などの持分は60%に増えた。

・改正案は、利用量に応じて料金を付す「従量制」商品の原則も一部導入した。新しい徴収規定が適用される初年度である、2013年には曲当たり価格は105ウォンになり、年度ごとにに引き上げられて2016年には曲当たり150ウォンになる。


(本部ログ関連:"韓国のオンライン・オフライン音楽市場規模"、"在韓の英国人が見た韓国音楽"、(資料)音楽アルバムのシステム

この結果、いずれいろいろなところに影響するだろう・・・。

2012年12月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金大禮

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/28)に、人物シリーズ56回目として、亡くなった人の魂を讃える珍島シッキムグッ(씻김굿)をとりおこなう巫堂(ムーダン、무당:"シャーマン")である、芸能保有者の金大禮(キム・デレ、김대례、1935年~2011年)を紹介した。

(本ブログ関連:"シッキムグッ")

まず、珍島シッキムグッの説明(復習)から始まった。
・珍島シッキムグッの「シッキム」は「洗い流す」の意を持ち、亡くなった人の怨恨をきれいに拭い去り、明るく安らかな気持ちで冥土に旅立てるように祈りながら行う「クッ」(グッ、굿:お祓い、祭儀)である。
・近年、各地方の様々な民間信仰やクッは<迷信>と虐げられ、その伝承が危ぶまれる時期があったが、珍島地方では今も、巫俗*音楽の伝統がしっかり守られ、家族に不幸があるとシッキムグッを行うことが多い。このようなグッを行う巫堂は、生涯、人々のために祈りを捧げる。神を喜ばせ、成仏できない魂を慰める歌や踊りを、長期に渡る厳しい修練の中で学ぶ。
(*)巫俗:巫女(みこ、ふじょ)の巫(ふ)と、俗世の俗の字を当てたシャーマニズム、または民間信仰を指す。

▼金大禮ほかによる「珍島シッキムグッ」の中から「招魂シッキムグッ(혼맞이 씻김굿)」を聴く。以前、番組で「巫俗音楽」紹介があったときのものか。招魂の願いが、次々沸き起こるように聞こえてくる。

・巫堂は、大きく次の二つに分類できる。
① 神が体に降臨し、特別なお祓いを受け巫堂となる降神巫(カンシンム、강신무)で、韓半島中部より北の地方に多い。
② 代々、家業として巫俗を司っている、世襲巫(セスプム、세습무)で、南部地方に多い。
珍島地方では世襲巫が多く、各村ごとに、その地域を担当する巫堂がいて、日常的に村の人々のためにグッを行い、その代わりに、麦や穀物などを謝礼として受け取るという関係にあった。

次のように金大禮のプロフィールが紹介された。
・1935年 羅南道珍島に生まれる。母親は、実家が巫俗(무속)を司った家系で、テグム・サンジョの創始者として名高いパク・ジョンギ名人の三女である。この地域で有名な巫堂だった影響もあり、歌や踊りを真似しながら遊んだという。
・11歳 普通学校2年のとき中退。巫堂の道に進み、母方のおばからグッの伝授を受ける。
・17歳 結婚。嫁ぎ先も巫俗家系のため、一生涯をかけてグッに従事することになる。

▼金大禮ほかによる「珍島輿歌(チンドサンヨソリ、진도상여소리)」を聴く。なぜか映画のように、白い喪服の人々が続く画面が想像される。

・1980年 珍島シッキムグッで重要無形文化財、第72号として認定される。
・2011年3月 没する。

▼金大禮による舞踊音楽「サルプリ(살풀이)を歌ったクウム口音、구음)を、厄払いの宗教学的理解はないが、Youtube映像と合わせて聴く。巫俗音楽は、演じられる場面こそ相応しいに違いない。
(Youtubeに登録のehyundamに感謝)

2012年12月3日月曜日

My Friend Lee Sun Hee

イ・ソンヒ(이선희)の名前は、漢字表記で"李仙姫"、アルファベット表記で"Lee Sunhee"(公式ホームページ)である。なおハングルおよび漢字の通りに、一文字ずつ対応させてアルファベット表記"Lee Sun Hee"に分かち書きしたものもある・・・こちらの方が多いような気がするが。

ところで、e-Bayの日本語版sekaimonで、"Lee Sun Hee"と検索したら、「My Friend Lee Sun Hee / Joy Of Life」というCDがあった。あれ、これ何だろう、見たことないなあ・・・ということで調べてみた。

INTERPARKに探したら、タイトル、ジャケット写真とも「내친구 이순희 - Joy Of Life 〔EP〕」とある。"Lee Sun Hee"は、実はイ・ソンヒ(イ・ソニ、이선희)ならぬ、イ・スンヒ(イ・スニ、이순희)のことだった。というわけで、イ・ソンヒとは関係ない・・・。

三人組のソング・ライターチーム「My Friend Lee Sun Hee (내친구 이순희 )」による、作品「Joy Of Life」(2010年)は全5曲で構成されている。彼らは作詞・作曲を担当という特性上、演奏はそれぞれ違うようだ。

ちなみに、この作品、Amazonでも購入できるそうだ。聴いてみたい気がする・・・。

あらら! Youtubeを探したらありましたよ。INTERPARK掲載の解説によれば、「一番目の曲である、"ずっと(한참을)"は素敵なベース・ループと格好よいブラスの間奏が引き立つ曲だ。ダンス音楽を作ろうとしていた意図が十分に反映されて、聞いてみるとかなり愉快になる。」 とのこと。どう?



(Youtubeに登録のkonjeongに感謝)

2012年12月2日日曜日

(資料)音楽アルバムのシステム

朝鮮日報のオピニオン記事「歯ブラシに付録で売る音楽アルバム」(11/9、チェ·スンヒョン大衆文化部放送·音楽チーム長)は、あるコンサート会場で自虐的に歯ブラシの付録としてアルバムが売られたことをもとに、アルバム販売の動向について寄稿したものだ。その中から関心のある部分だけを次に抜粋する。

・("歯ブラシの付録としてアルバム販売"は)たとえ誇張されたイベントだったが、この場面は、韓国大衆音楽市場で存在価値を失っているアルバムの哀れな現実をそっくりそのまま見せてくれたという点で、多くの人に訴える<苦笑>を抱かせた。

・音楽アルバムは、ミュージシャンの人生と世界に対する哲学を集約して見せるという点で最も芸術的な媒体だ。商業的考慮が先んじる歌と音楽のこだわりを込めた歌が共存するため、ミュージシャンの成長と音楽市場の多様化に重要な役割を果たしている。米国・日本・欧州ではまだアルバム市場が巨大に存在する理由だ。しかし、我が国(韓国)の音楽市場は、アルバムを捨ててしまって、すでに久しい。ファンシー商品として企画されたアイドル・グループのアルバムの数種を除けば、1万枚だけ売って「大当たり」という言葉が出てくるのが実情だ。

・その底には各種インターネット音楽サイトの無理な「定額制」がある。月3,000ウォンだけ出せば無制限にストリーミング(リアルタイム・リスニング)サービスを受けることができる環境で、大衆が適正価格を出してアルバムを買って聞いてミュージシャンに対して真剣な関心を持つようになることは難しい。反面、音楽先進国では、インターネットで音楽を聞いても、消費者が適正価格を支払わなければなら環境が整っている。例えばアップルのアイチューンズ・ストアでは、歌は一曲当たり1ドル前後、アルバムは一枚当たり15ドル前後を支払ってダウンロードすることができる。結局問題はシステムである。

(付記)
イ・ソンヒのアルバムを期待したが、来年にお預けのようだ。彼女のアルバム15集が登場して、あらためて国民歌手として多くのひとびとに購入され聴かれることを祈ります。

(本部ログ関連:"韓国のオンライン・オフライン音楽市場規模"、"在韓の英国人が見た韓国音楽")


(別付記)
先日観覧した「考動展」最終日の今日、気に入って頼んだ蕎麦猪口(そばちょこ)を求めて吉祥寺に行く。猪口の表が淡い灰色の直線でデザインされていて、2つ重ね合わせるのが妙味で洒落ている。早速、蕎麦を食うときに使いたいと思う。
同展会場のギャラリーmonoの近く、ビルの地下にある蕎麦屋「砂場」で、「とろろ蕎麦」を食う。冬のような寒さに厚着して出かけたが、やっぱり熱いものはありがたい。芯から温まり、次第に額に汗がにじむ。この店は、日本橋室町の「室町砂場」と縁があるそうだ。以前、荒川の「南千住砂場」に何度か蕎麦を食したことがあるが、そこから分岐した孫筋にあたるのだろう。
・・・蕎麦に絡めて、猪口と食を合わせた次第。

2012年12月1日土曜日

イ・ソンヒのアルバム枚数

イ・ソンヒの「アルバム」はどれくらいの枚数リリースされたのだろうか。DAUM掲示板の「歴代レコード最終版」(2011年7月12日)は、歌手(グループ)を選択して、そのうえで韓国音楽産業協会、音楽チャート、各歌手ファンクラブの情報を基にランクを記載している。感謝。
そのなかで、イ・ソンヒについて次のように計上されている。

・1988年度発売: 4集 - 63万枚 (代表曲「私はいつもあなたを」、「美しい江山」、「愛が散るこの場所」など)
・1990年度発売: 5集 - 68万枚 (代表曲「五月の陽差し」、「冬哀傷」、「私の街」など)

以上は、彼女が躍進を続けていた時代のアルバムだ。


(追記)
イ・ソンヒの公式ホームページによれば、今月23日(日)はイ・ソンヒの新暦誕生日だ。一般に、彼女の誕生日は、旧暦11月11日と記される。

同公式ホームページの「私だけの貴重な資料」コーナーに、どうやって入手したのでしょうかな、イ・ソンヒの幼少~女学生時代の写真が登録されている。本物なら、元気溌剌でころころした普通の女の子である。こちらは、写真「アルバム」といったところだ。

イ・ソンヒと政治(続)

イ・ソンヒが、1991年6月20日にソウル市会議員選挙に27才で麻浦地区から出馬(民自党)して入選したこと、後に民自党を離党したこと、そして金大中の民主党に入党したことについて触れた。民主党入党時期がわかったので記す。

MBCのニュース記事「民主、金大中候補、ソウル·仁川最後の遊説」(1992年12月17日、ソン・ドンギュ記者)は、大統領候補金大中の遊説中の1992年12月17日、次のように報告している。

記者: 今日(12/17)で遊説日程をすべて終えた金大中候補は、午後にソウル明洞と鐘路一帯で、今日、民主党に入党した歌手イ・ソンヒさんなどと一緒に市民にバラの花を配って投票参加キャンペーンをしました。

なお、彼女の公式ホームページに当時の写真が掲載され、「(金大中候補が)イ・ソンヒさんの手をあげて歓呼してます。」とキャプションを付している。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの話"、"イ・ソンヒと政治"、"(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景"、"(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景 (続き)")

2012年11月30日金曜日

パンク

60年代のサイケでなく、70年代のパンクでもなく、80年代のヘヴィメタでもない。自転車のタイヤがパンクしたのだ。

今日、自転車の前輪が突然泳いだ。音もなくパンクしたのだ。ハンドルをとられた感じがして、ペダルをこぎながら前かがみに車輪を覗くと、黒いタイヤが平べったく両側にはみ出しているのが見えた。みるみる空気が抜けていく。自転車店への道のり、やがて前輪がごとごとと跳ねだした。

この店で購入しただけに、何かと面倒見てもらっているオヤジが、タイヤとチューブを交換しながら、後5年はもちますよという。確かに、それはそれで良いが、野川公園散歩の坂道の上り下りが最近急にきつくなってきたので、電動アシスト付きもいいのでは・・・と思ったりする。

オヤジがいうには、一度電動アシスト付きに乗ると普通の自転車には戻れませんよとのこと。ただし、運動不足解消のサイクリングにつながらないかというと、そうでもないようだ。皇居まで往復した客がいるという。おじさんレベルに合った、長距離も楽しめるものかもしれない。

2012年11月29日木曜日

陶淵明-3

市民講座「陶淵明の描いた世界」の第3回目に出席する。講師の著書をテキストにして、詩を通読、解説する合間に、楽しくめずらしい、例えば台湾訪問などの話も聞かせていただいた。

今回、陶淵明の詩に触れながら、次のような解説に関心を持った。
・陶淵明は自然詩人といわれるが、中国では「自然詩」といわず「山水詩」というそうだ。
・中国で仙人が大事にしたのは、松・竹・梅ではなく、松・竹・菊だ。ちなみに、遣唐使が日本に菊を持ち帰ったとき、「キク」と発音したことで音訓の区別なく「キク」と呼ばれる。
・陶淵明の「飲酒二十首 其の五」に、「菊を采(と)る、東蘺(とうり:東の垣根)の下(もと)」とあるが、菊の花を酒に浮かべて飲むためという。(そういえば、イ・ソンヒに「一輪菊(한송이 국화)」という恋の歌があった・・・関係ないけれど。)

講師は、漢文語法の紹介に連れて、なんと中国語で「何日君再来」を歌われた。
陶淵明の「雑詩十二種 其の一」にある、「盛年不重来(盛年 重ねては来たらず)」の説明で、部分・全部否定の語法について解説された。
<語法>
・部分否定:  好(2)ニハ(1)カ       よき花は常には開かず
・全部否定:  好(レ)カ              よき花は常に開かず
<歌>
「好花不常開/好景不常在」で始まる「何日君再来」を、テレサテンの歌で聴いてみよう。
(Youtubeに登録のcat012953に感謝)

2012年11月28日水曜日

シン・ジュンヒョンのコンサート

イ・ソンヒのコンサートに欠かすことができないものに、シン・ジュンヒョン(申重鉉、신중현)作詞・作曲による「美しい江山(아름다운 강산)」(1972年)がある。イ・ソンヒが、この歌をカバーしたことで、国民歌謡まで上りつめたといえる。(なお同歌はアルバム4集(1988年)に所収)

大統領選挙の12月に、シン・ジュンヒョンのコンサートが催されると、東亜日報の記事「シン·ジュンヒョン "30代のときは力で、70代のときは道(精神)で、演奏"」(11/8)は伝えている。2部構成のステージだが、シン・ジュンヒョンは、その第2部で演奏する「美しい江山」について次のように語っている。
・2部は奥深いサイケデリック・ロックだけをレパートリーに決めた。「ディスコ風に変わったイ・ソンヒのバージョンや、1980年代の『シン・ジュンヒョンとミュージックパワー』バージョンのほか、72年の『シン・ジュンヒョンとThe Men』バージョンの幻覚的な『美しい江山』をお聞かせしましょう。そのバージョンが本物でしたよ。大衆を考えず、自分なりのギターの音を正しく聞かせてさしあげるでしょう。」

この「美しい江山」成立のいきさつは、伝説になっているようだ。

ちなみに、シン・ジュンヒョンに代表される「サイケデリック・ロック」について、Ko-Wikipediaは次のように説明している。
・サイケデリック・ロック(Psychedelic rock)は、 ロック音楽の一種である。アシッド・ロック(Acid rock)、ドラッグ・ロック(Drug rock)、または単にサイケデリックとも呼ばれている。名前からわかるように、あたかも麻薬をした状態で演奏したような夢幻的でサイケデリックな雰囲気が特徴である。
・大韓民国の代表的なサイケデリック・アルバムは、シン・ジュンヒョンが作詞、作曲してキム・ジョンミが歌った1973年の「風」、「Now」のアルバムなどがある[出典必要]。
 しかし、1975年の緊急措置9号、大麻事件などで、これらのアルバムは禁止曲処分されたり、焼却され、(以下略)

(本ブログ関連:"シン・ジュンヒョン"、"キム・ジョンミ")

2012年11月27日火曜日

イ・ソンヒの「Because of You」(再)

イ・ソンヒのアルバム12集「My Life + Best」(2001年)CDは、インターネット上で日本の販売店の案内を一度だけ見たことがあるが、入手チャンスを逃してしまい後は知らない。それほど難易度が高い。一方、韓国のブログでも同様に入手の難しさに触れているのを知ったが、インターネットに探して見れば、チャンスはまだあるようだ。直接入手する良い方法はないだろうか。

この12集所収の「Because of You」を以前このブログにエンベッドしたが、Youtubeから削除されて大変残念な思いをした。最近、再び視聴が可能になった。
忘れようとしてできない残された悲しみを癒すように、イ・ソンヒの抑制したしっとりとした歌声で聴くことにしよう。

(本部ログ関連:"イ・ソンヒの「Because Of You」")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2012年11月26日月曜日

第63回 NHK紅白歌合戦出場歌手

ORICON STYLEの今日の記事(11/26)に、年末の「第63回 NHK紅白歌合戦出場歌手」一覧が掲載さているが、どれくらい歌手を知っているかチェックしたところ、わたしの認知度は次の通りでしかない。
ちなみに、【◎:歌を聞いたことがある、△:名前は聞いたことがある、×:全く知らない】で区別したところ、
・【紅組】 ◎:15、△:3、×:7
・【白組】 ◎:15、△:2、×:8
となった。両組似かよった認知割合になったが、平均的なおじさんなら、まあこんなものだろう。


【紅組】

【白組】
aiko、
嵐、
絢香、
五木ひろし、
いきものがかり、
× HY、
石川さゆり、
EXILE、
AKB48、
× NYC、
× SKE48、
関ジャニ∞、
きゃりーぱみゅぱみゅ、
北島三郎、
香西かおり、
郷ひろみ、
倖田來未、
× ゴールデンボンバー、
伍代夏子、
コブクロ、
坂本冬美、
× 斉藤和義、
天童よしみ、
× 三代目 J Soul Brothers、
中島美嘉、
SMAP、
× 西野カナ、
舘ひろし、
Perfume、
TOKIO、
浜崎あゆみ、
徳永英明、
藤あや子、
× AAA、
× プリンセス プリンセス、
× ナオト・インティライミ、
× 水樹奈々、
氷川きよし、
水森かおり、
× FUNKY MONKEY ABYS、
× ももいろクローバーZ、
福山雅治、
× YUI、
細川たかし、
× YUKI、
ポルノグラフィティ、
由紀さおり、
美輪明宏、
和田アキ子
森進一

KBS WORLD「国楽の世界へ」 劉智淑

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/21)に、人物シリーズ55回目として、西道(서도)民謡の名人(名唱)劉智淑(ユ・ジスク、유지숙、1963年5月23日【旧暦】~)を紹介した。
劉智淑は、先週紹介の崔慶萬(チェ・ギョンマン)の奥さんで、番組初めての夫婦での紹介になるという。

はじめに西道民謡(黄海道と平安道)について、南北の政情もからめて次のように語られた。
・半島北の無形文化財は、朝鮮戦争時に南に亡命した数少ない歌い手たちの努力により、今もその伝統が継承されているが、彼らが世を去るにつれ、その伝統の奥深さを把握して歌える人がほとんどいなくなっている。
・劉智淑は、忘れられつつある半島北の無形文化財を発掘し、復元に尽力している。

▼劉智淑の歌による「全甲心打令(ジョンガプソムタリョン、전갑섬타령*)」、「青紗灯籠(チョンサチョロン、청사초롱)」を聴く。歌の聞き出しから劉智淑の発声が今様北っぽいが、それよりも、あいのてが中国南方少数民族風でビックリ。南方に通じる沿海の気質があるのだろう・・・か。
(*)ブログ「コッヌリ国楽芸術団」に感謝。

・西道民謡は、黄海道と平安道一帯で歌われてきた民謡を指す。韓国で、名唱キム・ジョンヨン、オ・ポンニョたちにより多数伝承されているが、民謡の故郷では、今はほとんど忘れ去られたという。

次のように劉智淑のプロフィールが紹介された。
・1963年 江華道(仁川広域市)江華道郡両寺面に生まれる。(父は江華、母は黄海道生まれ)
・故郷は、海を越えれば黄海道で、昔は漁などを通じて交流があり、人々は西道民謡をよく歌った。父親とその兄弟が歌だけでなく踊りも上手かったこともあり、彼女は幼い頃から西道民謡を口ずさんだという。
・20代初め頃、運命の師オ・ポンニョ名唱との出会いをきっかけに、20代後半以来、歌に専念する。

▼劉智淑の歌による「延坪島難逢歌(ヨンミョンドナンボンガ、연평도 난봉가)」を聴く。題名と違いおおらかな海洋歌に聞こえてしまうけれど。

・平安道地方の、死者のハンを晴らすために行ったきたタリッグッや、農業をする際に人々が集まり、各自の話を歌にして歌うヒャンドゥゲノリなどを音楽劇として発表している。

▼劉智淑の歌による「船歌打令(スルビタリョン、술비타령**)」を聴く。晴天朗々とした海原、波頭を越える海の男たちのいさましくもからりとした力強さを感じる。歌、演奏は夫婦によるものだろうか。
(**)ブログ「キョンギ・ソリ」に感謝。

2012年11月25日日曜日

紅葉の高尾山

高尾山薬王院の紅葉
むかしの仕事仲間と紅葉の高尾山に行く。
京王線のガラリと空いた各駅停車で向かったため、人の混みように気付いたのは北野駅で乗り換えたときだった。車内の混雑は、そのまま終点の京王高尾山口駅を人々であふれさせた。それはすさまじいもので、登山口どころか、ずっと山頂まで続いたのだ。

想像できるだろうか、標高わずか599mの山とはいえ、まるで祭りの参道をゆるり歩くように山路をたどったのだから。山を登ることよりも、黙々と歩くひとの混み合いに疲れた。途中の高尾山薬王院は、隘路となり路がくねっているため、歩みが止まったりした。ただし、この場所は紅葉を楽しむに一番よい景観もあった。

さて、山頂広場での昼食は・・・期待どころでない。通り路以外、座り込んだ登山者の昼食場所になっていたのだ。登山口で買ったおにぎりを食うところがない・・・何とか売店の影で口にしたが。いわば立錐の余地もないといった観であった。早々に引き上げて下山する頃には、ようやく登山者も減り始めたためか、下山路にゆとりができ、気ぜわしさも減って下ることができた。

ミシュランの3つ星やテレビ局のこの時期の紹介はありがたいけれど、その分ひとびとに苦難を課したようだ。来年、紅葉を愛でに出かけるのは遠慮するだろう。でも、平日なら何とかなるかな・・・。

2012年11月24日土曜日

「考動」展

雨天の昨日と打って変わって快晴の今日、久し振りに吉祥寺に出かける。東急デパート北側の通りを2ブロックほど西に進むと、ギャラリー「mono」があって、小さな階段を上がると現在、<荻野克彦の「考動」展>が催されている。

親類から外出のヒントをもらって、出かけた次第である。芸術的関心が高いわけではないので、お邪魔したに過ぎないが、親類と懇意の荻野氏は気さくな方で・・・例えば、現在拠点にされている城下町の角館(かくのだて)の歴史から佐竹藩に話題が広がり、同藩の旧領地茨城(常陸)にあった金山などの雑談に応じてくれた。

そうそう、「考動」展は、荻野氏のデザインによる、南津軽の家具と木工と漆、および愛知県瀬戸の陶磁器を展示している。ギャラリーの2部屋に、木製「椅子」や「皿」や「猫」から、陶器の蕎麦の「猪口」まで洒落た作品が並んでいる。
1階入り口にあった同展案内のポスト・カードにある図柄を思い出して、わたしもアート気分に浸りたく、蕎麦の「猪口」の陶器を求めた。

帰り道、輸入食品店で、ドイツ製の菓子シュトーレンを購入。もうじきクリスマスだもんね。


(付記)
夕方、突然、3.11を思い出させるように家が揺れだした。気象庁の地震情報によれば次の通り。
・平成24年11月24日18時03分 気象庁発表
「24日17時59分頃地震がありました。震源地は千葉県北西部 ( 北緯35.6度、東経140.1度)で震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます。」

なお当地は、<震度2>相当扱いだが、体感は<3+>の感じすらした。
PCの地震速報アプリは、マグニチュード<5.0以上>設定なので、地震速報を表示できなかったので、<4.0以上>に変更した。

2012年11月23日金曜日

イ・ソンヒの童謡「雨傘」

今日は足尾銅山へ鉱物採集に行く予定だったが、天気予報もあってぎりぎり結論を待ち、昨晩延期と決めた。それでよかったわけで、午前中の雨模様には驚いた。無理して行かなくて正解だった。

先週のTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」で、森田正光氏が予報した通り、ザアザア降りになったわけで、いつもながら同氏の適中に感心する。例えば、今夏のロンドンオリンピック(7月27日~8月12日)での日本のメダル数を、例年に比べて暑い夏のため大いに期待できるとズバリ予想したのだから・・・これは天気予報と関係ないので予言?かな。

というわけで雨降る今日は、イ・ソンヒの歌う童謡「雨傘(우산)」を聴いてみよう。おでこを向かい合わせて歩く3つの傘が見えるようだ。学校に間に合ったかな。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの童謡"、"イ・ソンヒの童謡集"、"愛唱童謡集"、"童謡「島の赤んぼう」"、"イ・ソンヒの童謡「星を見ながら月を見ながら」"、"「春」")



(Youtubeに登録の성배 길に感謝)

2012年11月22日木曜日

小雪2012

今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。あちこちに、そろそろ雪が降り始め、冬がもう間近なのを知る。なにしろ、次の節気は「大雪(たいせつ)」なのだから。

ところで「小雪(しょうせつ)」は、その名を「小雪(こゆき)」に読みかえると、どこか愛らしく、多分雪の持つ純白さと、あっ雪だ!と手に受けとめたときの、あっけなく消えてしまう華奢な様が重なって、人々に愛らしいイメージを与える。

今年の冬はだいぶ寒そうだ。

実は、「小雪」の名に最初に思い浮かんだのは、女優の小雪さんでしょうね。彼女が、柔らかな赤ん坊をあやす、moony(紙おむつ)のテレビコマーシャルは・・・ほんわり暖かくていいねえ。それに、赤ん坊は千両役者である。

(追記)野川公園を巡る

野川公園の黄葉

昼下がりの野川公園をのんびりと遊ぶ。

公園北側を流れる野川に沿って下流に歩むと、公園を南北に分ける東八道路をまたぐ陸橋に通じる緩やかな坂道があって、公園南側へ楽に行くことができる。野川は見通しがよいが、元々ゴルフ場だったこともあり、地表が微妙に起伏して、木立も所々に点在する。東八道路の南側の公園は、敷地も広く、木立が多いため、秋の紅葉を楽しむことができる。

公園南側にある散歩道のイチョウがすっかり黄葉していた。実はこの奥に広場があって、幼児を連れた数組の家族が緑の芝の上で戯れていた。

写真の公園は静かに見えるが、木立を揺する風音や、鳥たちのさえずりで結構うるさく、実はしんみりした風情ではない。秋はどうやら色彩を楽しむ季節のようだ。

2012年11月21日水曜日

韓国アイドルグループ歌手の今後の動向

イ・ソンヒがメンター(審査・指導者)として参加した、MBCのオーディション番組「偉大なる誕生」は第3ステージを迎え、歌唱力のある歌手の発掘に余念がない。エンターテインメントの世界は、次代をになう実力歌手の登場への期待がますます大きくなっているようだ。

中央日報は、エンタメ>芸能一般の欄に、グループ歌手の動向を分析して次のような観測記事を掲載した。

韓国アイドルグループ危機論?…「国内市場が飽和状態なら海外に」2012年11月16日14時43分
・K-POPのけん引役を果たしてきたアイドルグループが危機に直面している。今年1年はいつになく多くの新人アイドルグループがデビューしたが、ほとんどはこれといった成果を出せていない。現在のファン層を構築したアイドルグループも、今年はなかなかよい成果を残すことができなかった。「アイドルの流行は終焉した」という観測さえ出ている始末だ。
アイドル市場の飽和状態が挙げられる。アイドルファンは限定されているのに新生アイドルグループが切れ目なく出てきて市場に過負荷がかかった。
・ある大衆音楽評論家は「全般的にアイドルグループが自己複製の末に行き詰まり、アイドル音楽によってこれ以上の新鮮さを与えられなくなったのかもしれない」と説明した。
・アイドルグループが持つ"見せる"音楽そのものの競争力が落ちたという分析もある。1990年代の中盤から後半にかけて、"聞かせる"音楽に代わって"見せる"音楽が凄まじい勢いで成長した。さらに力強く、刺激的に成長した流れに歩調を合わせるなら、しっかりしたシステムを作り競争力のある原石を見つけ出して新しい舞台を見せるべきだったが、そうはできなかったというのだ。

アイドルグループの低迷はここにも…視聴率が物語るその現状2012年11月16日17時27分
・過去数年間、アイドルグループの人気によってスタートした番組すべてが視聴率低調に悩まされている。

音源チャートからアイドルグループ失踪…バブル崩壊か2012年11月15日17時07分
・韓国大手芸能事務所YGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表は、最近、韓国日刊スポーツの取材で歌謡界の「5年周期論」を取り出した。ヤン代表は「歌謡界ではパターンが繰り返される。5年周期で市場の流れが変わる」とし「アイドル市場の流行はすでに終わった。だから私たちから出す新人のカラーはこれまでのアイドルグループとは違ったものにする」と市場を予測した。
・もう一つ興味深いのは、(略)アイドルグループのファン層の絶対数を占める10代より20~40代のファンの支持が、音源チャートにおいてははるかに重要な役目を果たしていることを示している。

こういう時期だからこそ、先導力、指導力を持ったイ・ソンヒのような実力歌手の重要性が増すだろう。すなわち、マスプロダクトされた商品性の高い存在であるよりも、時代を共存できるアーティストをファンは本質的に望んでいるかもしれない。
なお、断っておきますが、K-POPアイドルグループに対して云々あるわけではないですよ・・・イ・ソンヒのような実力派歌手がもっといいだけですが。

(本ブログ関連:"オーディション"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")

2012年11月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 崔慶萬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/14)に、人物シリーズ54回目として、日本の篳篥(ヒチリキ)に似た2枚リードの木管楽器のピリ(觱篥:피리)の名人、崔慶萬(チェ・ギョンマン、최경만)(1947年~)を紹介した。

始めに、「ピリ」について次のように語られた。
・先史時代の遺跡から、一定間隔に13個の穴が開けられた鳥骨の一片の化石が発見され(1961年)、笛の一種と推測されている。現在伝えられる「ピリ」とは、大きさ、形、音を出す原理など違うが、韓国では口で吹いて音を出す楽器を総称してピリという。
・ピリは長い歴史を持ち、宮中の厳かな儀式音楽から、一般芸人たちの大道芸の伴奏音楽まで、常に<主旋律>を担当してきた。

▼崔慶萬のピリ他による「歌声(ノレッカラッㇰ、노랫가락)」、「青春歌(チョンチュンガ、청춘가)」を聴く。思いのほかシンプルでのどかな響きがする。

次のように崔慶萬のプロフィールが紹介された。
・1947年 ソウルの君子洞に生まれる。
・1963年 国楽芸術高等学校入学。京畿地域の巫俗音楽家出身のチ・ヨンヒに師事する。ピリと、チャルメラのような響きの管楽器テピョンソ(太平簫、태평소)を学んだ後、ソウル市立国楽管弦楽団員として活動を始める。
・1977年 米国に移住。音楽と別に生計を立てつつ音楽活動を継続して、ファーストアルバム「崔慶萬、ピリ演奏曲集」をリリースする。
・1997年 帰国後、国立国楽院の民俗楽団員として活動を始める。
・現役ピリ奏者中、最も演奏に長けているとの評価がある。演奏は、師匠の整えた軽やかなメロディーに、自らの線の太いメロディーを取り入れ、興のあるうちにもずっしりと重みのある音が特徴である。

▼崔慶萬のテピョンソによる、行進曲に使う「ヌンゲ(능게)」を聴く。テピョンソの辺りに撒き散らすような金管の音に思わず寄ってしまう・・・カラッとしてにぎやかで楽しい。

(プロフィールの続き)
・師匠のチ・ヨンヒの指導は、ピリを直接奏するよりメロディーを歌って教える、クウム口音、구음)という方法を多く使った。最近、崔慶萬は、京畿道や西道地方のメロディーを歌ったアルバムを発表、珍しさから注目が集まった。

▼崔慶萬の歌による、「愁心歌(スシムガ、수심가)、「ヨックム愁心歌(엮음수심가)」を聴く。人生の空しさを嘆く・・・淡々とリズムを打つように歌う。
参考)ユルイネ音楽教室の楽譜と解説に感謝。

2012年11月19日月曜日

来年の干支

本屋では年賀状デザインソフトのCD付きムックが平積みされ、郵便局では色刷りの年賀状が売られている。これらは、干支のデザインを用意してくれているので楽ちんである。

でも、自分なりにオリジナリティを持ったものが欲しいなど考えると、干支によって難易度の差が出てくるので大変だ。

「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の干支の内、今年は辰(龍・竜)であり、来年は巳(蛇)である。

今年の年賀状は、ピーター・ポール&マリー(PPM)の歌「パフPuff, the magic dragon)」(1961年)から、歌詞に登場する竜の「パフ」をヒントにしたが、来年の年賀状はどうしよう。蛇の洒落たデザインが思いつかないのだ。

「巳」の文字をヘビに変えても、口先に舌を付けたりすると一瞬で冷めてしまう。哺乳類である人間が先天的に記憶する、恐竜や爬虫類の太古の恐怖から逃れることができないのだろう。蛇はどう考えてもヘビでしかなく、残念ながら可笑しくも可愛くもない。
そこで、日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」(1958年)のヒロインを考えたりしたが・・・。いいものはないだろうか。


(付記)
読売オンラインの記事「星出さん、カザフに帰還…船外活動日本人で最長」(2012年11月19日12時33分)によれば、まるで宇宙の申し子のようなお名前の星出彰彦(ほしで あきひこ)宇宙飛行士が、ISSから無事帰還したことを次のように報じている。
・【アルカリク近郊(カザフスタン)=大山博之】星出彰彦さん(43)ら日米露の宇宙飛行士3人が19日(日本時間10時56分)、約4か月にわたる国際宇宙ステーション(ISS)での滞在を終え、ロシアのソユーズ宇宙船で、カザフスタン中部にあるアルカリク近郊の雪原に無事帰還した。
・滞在中に行った星出さんの船外活動は計21時間を超え、日本人宇宙飛行士で最長となった。

宇宙飛行士の活動の驚きが当たり前になり、ニュース記事の取り扱いもだんだん地味になってきている。でも、子どもたちにとっては、相変わらずヒーローであり、次の宇宙飛行士の先導者なのだから。

(付記)
昨日の鉱物採集の疲労で、今日足腰は筋肉痛に極み、とりわけふくらはぎのこりようは尋常じゃない。

2012年11月18日日曜日

小来川鉱山・久良沢鉱山、初雪も

鉱物の会で栃木県日光市にある小来川(おころがわ)、久良沢(きゅうらさわ)の両鉱山に鉱物採集に行く。前者は銅鉱山でラング石などの二次鉱物を、後者はマンガン鉱山でマンガンパイロスマライトをターゲットにする。
早朝、JR目白駅前に集合して大型バスで出発。雨天決行の話もあったが、現地は快晴に恵まれ、かつ紅葉を愛でるチャンスまであったのは幸いだった。そして、なんと初雪まで経験したのだ。

(小来川鉱山)
最初の訪問地の小来川鉱山は、2006年、2007年にも訪れたことがある。そのときは、ズリを這い上がり、山の尾根まで登った。とはいえ、成果は孔雀石程度で悔しい思いをしている。今回、それを挽回したく参加した。
小学校低学年の子どもを含む会員は、20分ほど沢を伝って、低位置にあるズリ(錆びたトロッコが2台横転のまま放置された場所)まで順調に歩をこなしたが、わたしは、岩場に足をもつれさせながらどん尻を拝した。しかも、帰り道も足腰をふらつかせて最後尾だったのだ。幹事の方にフォローいただき感謝。
果たしてこんなことで・・・と落ち込んだことはいうまでもない。体力の衰えを嫌というほど感じた。今後も続けられるだろうか不安だ。

ラング石に会うことはできなかったが、成果は次の通り。
・黄鉄鉱(等軸晶系)、水晶、方解石(三方晶系)、孔雀石・・・種類を膨らましても、こんな感じ。

(久良沢鉱山)
小来川鉱山の上り下りですっかり自信をなくしたのに、大型のバスのため現地横付けが難しく、登りの道路を小一時間歩くことになった・・・またしても最後尾に。ついに腰にはりを感じ始めた。鉱物仲間のY氏に同道していただき感謝。

何度も道端で休憩をとりながら現地に到着すると、川を挟んで道路反対側にあるズリ斜面に会員が張り付くようにして採集を開始していた。
採集に夢中になっているとき、なにか白いものがそばを舞い落ちた。まるで、焚き火の白い小さな灰かと思えるほどのふんわりしたものだ。今年経験する初雪だったのだ。その分、風も吹き込んできた。防寒ヤッケを更に着込んだのはいうまでもない。

幸い目的の鉱物も手にした、結果は次の通り。
・バラ輝石、柘榴石、磁硫鉄鉱、マンガンパイロスマライト
(採集終了後に幹事さんからいただいたマンガンパイロスマライトの方が良品であったが・・・)

繰り返しになるが、今回体力を大いに消耗した。帰宅して湯につかり十分暖めてみたが、足首、膝、腰の疲労は癒えない・・・本当に疲れてしまった。

2012年11月17日土曜日

イ・ソンヒの「クデヨ」 (再)

一日、雨が降りやまず身動きできない。といって、実りあることをするでもなく過ごしている。雨風の音も次第に強くなってきた。

傷心のまま雨降る街をさ迷い、少女は待ちつづけ、問いつづける。イ・ソンヒの歌う、5集所収の「クデヨ(貴方よ、그대여)」(キム・ポムニョン作詞/作曲、1989年)は、熱い情熱を冷めずいて、それながら静謐さえ感じさせる。再び同じ映像・音源であるが視聴してみよう。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「クデヨ」")



(Youtubeに登録のkoreanballdsに感謝)

2012年11月16日金曜日

(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌 (続)

先日登録した「(資料)『母をお願い』の中で母がうたう歌」の続編として次の歌を記す。
申京淑著「母をお願い」(安宇植訳、集英社文庫)の三章で、妻について何一つ思い遣りをかけなかった夫(「あんた」)が、やがて妻が「愛とは何かと訊かれたら」で始まるうたを歌っていたことを思い出す。
ソン・テグァン(宋大琯、송대관)の歌に「愛とは何かと訊かれたら(사랑이 무어냐)」(作詞:ソン・テグァン作曲:チェ・チョンファン)があるようだが、このことだろうか。ただしYoutubeで聞くことができないのが残念。

(本ブログ関連:"(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌")


さて今晩、韓国文化院で、韓国文学翻訳院「東京フォーラム」が催され、「母をお願い」の著者申京淑(シン・ギョンスク、신경숙)と日本側の作家島田雅彦の両氏による対談があった。フォーラムの最後に、この作品の成立について著者が次のように語っていたので記す。
・2年越しに、新しい作品を書きながら手をつけた、300ページ程度の作品だった。
・ただし、機が熟してないと感じていたとき、出だしの「お母さん(オンマ)の行方がわからなくなって一週間目だ」が浮かんだ。こうすることで、いろいろな可能性を棄て、同時に展開と整理ができた。

この作品の「作者あとがき」に、「連載を終えてからも苦心の末に、オンマを生き返らせるためにエピローグ『バラのロザリオ』編を書き上げた」と記している。「連載」とはエピローグ以前の一章から四章を指しているのだろう。

作品は、北京オリンピック前年(2007年)の夏の土曜日に、地下鉄ソウル駅で夫とはぐれた母親に密接な肉親をそれぞれの章において語る。作者は、一章では作家の長女を「あなた」といい、二章では長兄を「彼」といい、三章では夫を「あんた」 といい、四章では母親自身を「あたし」、次女を「あんた」という。しかも同じ四章で貧しい頃に母親が出会った「あんた」までもが登場する。

しかも、四章で母親が学生時代の次女と行動を共にしたり、土俗的世界が混在したりするあたりから、エピローグでバチカンにあるピエタ像に母親を重ねるまでの表現は難解だ・・・文学はやっぱり難しい。

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年11月15日木曜日

陶淵明-2

陶淵明の詩についての市民講座の2回目を聴く。「帰去来の辞」につづいて、今回は「田園の居に帰る五首」中の、其の一、三、四と、「斜川(しゃせん)に遊ぶ 并(なら)びに序」について解説された。

「田園の居に帰る五首」中の、其の一の詩中にある次の対句に興味があった。
狗吠深巷中   【狗(いぬ)は吠ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)】   犬が奥まった路地で吠えていたり
鶏鳴桑樹顛   【鶏(にわとり)は鳴く 桑樹(そうじゅ)の顛(いただき)】   桑の木のてっぺんで鶏が鳴いている

この対句について、老子の描く理想郷に通じるとのこと。そういえば、使用のテキスト後半にある有名な「桃花源の記」に「鶏犬相聞」もあって、犬や鳥ののんびりした鳴き声は、桃源郷のひとつのシンボルのようだ。

現世は、自宅で鶏を飼う人はいないし、流行の小型犬は鳴き声をあげないものが多いようで、桃源郷とは反対の世界だ。

また、漢字の特性について次のような説明があった。
表意文字である漢字は、名詞にも動詞にも形容詞にもなり得る。例えば、「種(たね)を種(う)える」というふうに同じ漢字を名詞と動詞に使うことができる。なるほど・・・言葉(文字)をきちんと見つめていない者としては、客観的に気付かされました。

ところで、気になる点がある。陶淵明の詩中で使われる「自然」という言葉だ。この「自然」を、時代に分けて解釈したらどうなのだろうか。例えば、陶淵明の1600年前の東晋時代、あるいは蘭学以前の江戸時代、そして現在において、「自然」という言葉の理解や認識の差によって、詩の解釈も違ってくるような気がするけれど・・・どうだろうか。

2012年11月14日水曜日

(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌

申京淑(シン・ギョンスク、신경숙)の小説「母をお願い」(安宇植訳、集英社文庫)の中で、長兄をソウルに送り出した後、切ない思いをする母親(オンマ)について触れるところがある。庭先に並べた容器の甕(かめ)をこすりながら、遠くの息子に心通わせようと母親が口ずさむ。

(第一の)主人公である娘は、母親の心境と涙に気付いていたろうに、その後ろ姿に「オンマ!」と呼びかける・・・。

そのとき、母親の口からトロットの一節を聞いている。ナムジン(南珍、남진)の「カスマプゲ(痛心、가슴아프게)」(1967年)の出だしの「わたしとあなたの間にあの海がなかったら/辛い別離だけはなかったろうに・・・・・・」や、ナフナ(羅勲児、나훈아)の「愛は涙の種(사랑은 눈물의 씨앗)」(1968年)の「・・・・・・いつかあなたは/わたしを棄てたりなさらないでしょう」だ。

(Youtubeに登録のmomo86ist、sclctradingに感謝)

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年11月13日火曜日

深まる秋

小金井公園をぐるりと廻りながら、今晩韓国語教室のまとめテストに向けて、ICレコーダー*に収めた会話を聴く。
(*)CD収録の会話をMP3に変換して携帯デジタルプレイヤーに収めればよいのだが、面倒なのでパソコンで再生した音を、ICレコーダー直付け録音した。やってることはアナログである。

公園の木々は、赤・黄色に染まって秋を演じている。手入れの届かない公園奥の木立の下には、枯葉が積もっていた。
太陽が雲に隠れると急に辺りがヒンヤリとしてくる。客もまばらな公園売店前にあるテーブルで、熱々のおでんを食う・・・温まるねえ。まあ、こんなわけだから語学の勉強もはかどらない。

当地は野川崖線がぬっているため当然坂道が随所にあって、教室の往復に利用する。西武多摩川線をはさんだ「二枚橋の坂」は、旧坂の方が傾斜が急であり、帰りに少々しんどい。おまけに、今晩は秋の風も吹き抜けて寒いのだ。そんな坂道を上がっていたら、腰ほどの木立の中から子猫の泣き声がする。この冷え冷えした夜、何かを求めて呼んでいるような気がした。けれど、芭蕉の「野ざらし紀行」にある、あのいたたまれぬ句を想起しながら坂道を上りきってしまった。

ところで、テスト結果は・・・轟沈でした。

2012年11月12日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 情歌楽会

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/7)に、人物シリーズ53回目として、国楽室内楽団「情歌楽会(チョンガアク会、정가악회」(2000年~)を紹介した。

始めに、「情歌楽会」の活動の趣旨について次のように語られた。
・芸術の分野では、自分だけの色、つまり個性を出すことができて初めて認められる。国楽界では、フュージョン音楽を追求する若者が増え、大衆の関心もこういった新しい音楽に向いている。
・情歌楽会は現在より、過去・未来に目を向けた活動を行っていて、伝統音楽をより深く、創作音楽はより広く、そして国楽をあまり耳にしない人々をも巻き込んで音楽を作っている。

▼情歌楽会による、慶州良洞村(?)で見つかったという「女唱歌曲(여창가곡)」から 「編数大葉(편수대엽)」を聴く。このゆるりとした感じ・・・とても舞踏的な気がするけれど。

伝統音楽は、韓屋の室内構造、規模に合ってこそ響きを際立たせる。情歌楽会は、韓屋でレコーディングした二つのアルバムを含めて、3枚のCDをリリースした。

次のように情歌楽会のプロフィールが紹介された。
・2000年 情歌楽会創立。伝統音楽の中でも正楽(昔のソンビの風流音楽)に注目して活動を始め、メロディーを再構成し、新しい楽曲を作り出した。
・現在、情歌楽会は音楽団体というより、音楽家たちがその構成員となる企業の形をとっている。

▼情歌楽会による、「情念(정념)」の中から「人間(인간)」(ユン・ヘジン作曲)を聴く。現代曲風リズムと始原的な音色が重なり合う。

・情歌楽会の音楽は、一般的なフュージョン音楽と違い、また昔の音楽家とは少し違う方法で、自分たちの世界を構築している。新しい道へ導く、国楽界の新たな光のような役割を果たしているのではないだろうか。

▼情歌楽会による、「ジュル(弦)風流(줄풍류)」の中から、「細霊山(세령산)」を聴く。上品な汎東洋的な香りがする。

(追記)
情歌楽会は、確かに今様なスタイルをとっていない。伝統的な音色を大切にしているようだ。こんな継承があるのだとはじめて知った・・・ちょっと気になる。

2012年11月11日日曜日

漢字

夕方降り始めた雨は、深夜を境に明朝には静まるようだ。

今晩放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第2集『漢字誕生 王朝交代の秘密』」はおもしろい。漢字の起源(甲骨文字による占い)と特徴を紹介した。三千年前の殷時代に登場した漢字の歴史の裏表(恐怖政治)は少々気が滅入るが、その後歴史に受け継がれる表意文字の漢字は、時代を超えて意味を持ちつづけ、空間の広がりで意味を拡大した。

表意文字の漢字の重みと柔軟性にあらためて気づかされる。他方、表音文字カタカナの蔓延に言葉の理解の仕方も変わっていくのではと気掛かりだ。

・・・夜分、雨音が急に止んだと思っていると、またしとしと雨音がしてくる。やっぱり一晩中降るようだ。

2012年11月10日土曜日

イ・ソンヒの「恋文」

美しい序奏で始まる、イ・ソンヒのアルバム7集(1991年)に所収の「恋文(연서)」は、彼女が持つ少女のような一面をあらわしている珠玉の一品だ。

ぽっかりと空いた少女の心を埋めるのは、置かれた写真からの視線ではない、思い出の言葉でないのだと、切ない心の恋文を送る。・・・かわいらしいね。それにしても美しい曲だ。
Youtubeのイ・ソンヒの写真に、彼女の少女時代の面影が見えませんか。素晴らしい選定だ。

(本ブログ関連:"7集")



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2012年11月9日金曜日

小金井公園秋逍遥


公園東側散歩道
昼下がり、小金井公園東側にある、テニスコート脇の散歩道は木々の一部が紅葉して秋の気配を感じる。 とはいえ、落ち葉が風に吹かれたり、枯葉が重なるほどではない。深まる秋を楽しみたい。

公園中央「いこいの広場」のユリノキは、洒落た木立で全体に黄葉が進んでいる。秋のロマンチックな気分に浸りたいならここがよいかもしれない。

「こどもの広場」に小学校の低学年らしい集団がいて、帰り支度をする様子をしばらく見た。22名の生徒を、4、5人の先生方が引率している。さて、一列に前並びして、順に番号を言わせるのが面白い。ひとりひとり番号を口にしながら回れ右するのだが、女の子は何事も静かでゆっくり声を出し回転するが、男の子ときたら、例えば、「ななっ(七)!番~ん」てな具合で、元気よく大声を出しながら飛び上がって回転する。23番目まで言わせるのは大変だ、先生方お疲れさまです。そんなことも知らず、低学年の小学生一団は、元気よく手を振りながら一列になって帰っていった。楽しい眺めだった。

(本ブログ関連:"ちいさな男の子は阿呆である")