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2012年8月31日金曜日

クレイジーラブ

最近、トタン屋根を見ない。陽に焼けた屋根の上で泣く猫を見ることもない。暑さにみんな逃げ出した。わたしも、駅のそばのマクドナルドで涼をとることにする。ここは冷風がきついので、ホットコーヒーのMサイズを頼む。店内に親子連れが、それも父と子が結構いた。幼い子の「おいしいねえ」という声が聞こえてくると、何だか心が和む。そんな、のんびりした避暑とは別に・・・。

昨日の「クレイジーホース」のクレイジーつながりで、今日は恋狂い(恋に夢中)の歌、ポール・アンカPaul Anka)の「クレイジーラヴ(Crazy Love)」(1958年)を聴こう。ああ歳をとると、このクソ暑いときに、クレイジーラブといっても暑苦しい・・・と思うようになってしまった。他方、若者は元気で良い。

ポール・アンカは視覚的というより、どちらかといえばラジオで聞いた聴覚的な存在だった。だから、この歌はYoutubeで、静止画の方が似合っている。
ところで昔、写真で見た彼の容姿から、てっきりイタリア系だと思っていた・・・。

(Youtubeに登録のJunievelascoに感謝)

2012年8月30日木曜日

クレイジーホース

今日も一日暑く、外出すれば吹き出る汗でシャツが濡れてしまい、乾かす場所を探すのに大変だった。
 
最近、外出のヒントをいろいろと与えてくれる親類の紹介で、今夕Bunkamuraのル・シネマに映画「クレイジーホース・パリ」(監督フレデリック・ワイズマン:Frederick Wiseman)を見に出かけた。
 
谷底にある渋谷の街は、暑いうえに若者たちの人混みと熱気で息苦しい・・・本当に。
 
上映時間まで間があるので、Bunkamuraのザ・ミュージアムで開催のロシア革命前の画家「(イリヤ・)レーピンИлья́ Ефи́мович Ре́пин)」展を観覧する。惜しいことに、彼の代表作*のほとんどは出展されていない。せめて今回提携のトレチャコフ美術館所蔵の(まるで広角レンズで映じたような大衆のどよめきが聞こえる)ダイナミックな「クルスク県の復活大祭の十字行」が展示されていたら。
(*)「ヴォルガの舟曳き」、「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」(共にロシア美術館所蔵)
 とはいえ、現物のデッサンを間近に見て、どうしてこんな筆致に描けるのだろうと感嘆するばかり。
 
そんな、ボルガの船曳きに代表される、ロシア革命前の苦難の時代からいきなり、現在のパリの別世界「クレイジーホース」に飛び込んだわけだ。題名のクレイジーホースは、紳士淑女や観光客の目を楽しませるパリのナイトスポットである。
 
正直いって、イ・ソンヒとは全くの別世界で・・・戸惑いっぱなし。
 
映画の中のダンサーの会話、制作者たちの議論をとらえたドキュメンタリー手法は、観客にいろいろと考えさせるのだろうが・・・残像にあるのは、おじさんとしてはダンサーのヒップ(お尻)とウェスト(腰)だけだ、やっぱり。
 
クレイジーホースの総支配人は、シルクド・ソレイユで12年間働いたそうで、そのあたりから、同舞台の監督をつとめたフィリップ・ドゥクフレ(Philippe Decouflé)**との縁があったのだろうか。
(**)ドゥクフレは、何と31歳の若さで、1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出を担当している。当時の映像をYoutubeで見ると、演出にシルクド・ソレイユのイメージが重なる。
(Youtubeに登録のplaythefutureに感謝)
なお、彼に関する情報および来日の契機と関わりについて、親類からいろいろ話を聞いている。
 
映画の前半に、ドゥクフレはおおいに持論を語っていたが、後半になるとそれがどんどん少なくなっていった。(単に編集の都合ということだけとは思えない)
ダンスの「演出」という監督者のドゥクフレと、若手の「芸術監督」のアリ・マフダビとの関係が気になる。それは、彼らの役割・仕事の分担というだけでなく、人生の立場と考え方について・・・。
 
ドゥクフレが、アルベール・オリンピックの開・閉会式の演出を周りから任されたときのように、若手の芸術監督に対するものがあったのではと推測したが考えすぎだろうか。現在、50歳のドゥクフレと38歳の芸術監督アリ・マフダビの間柄だ。
 
アートの現場と同時にいろいろな人生も垣間見えたようなドキュメンタリーだ。


(付記)
クレイジー・ホースの名から、米国のネイティブ・インディアンのオグララ・スー族の戦士で英雄である「クレイージー・ホース」(Crazy Horse、1843年~1877年)を思い出す。彼がシッティング・ブル(Sitting Bull)とともに、インディアン掃討を図る米国第7騎兵隊のカスター将軍(George Armstrong Custer)以下を、1876年6月25日にリトル・ビッグホーン(Little Bighorn)で全滅させたことは、子どもの頃に西部劇映画の洗礼をうけた者なら知らない者はいない。

(補足)
茶の間のテレビ番組でも西部劇中の騎兵隊は容赦なかった。それが道義上許されなくなると次に登場したのが、第二次大戦の戦争もの(例えば「コンバット」(Combat!、1962年~1967年))だった。そこでは、米兵の銃弾に ドイツ兵が、まるで西部劇を繰り返すように次々もんどりうって倒れた。
ちなみに、イ・ソンヒの生まれた1964年に上映された映画「シャイアン」(Cheyenne Autumn)は、時代の風潮をうけて、以前の西部劇とは違った視点で作られるようになった頃のものだ。

(本ブログ関連:"映画の記憶")

2012年8月29日水曜日

イ・ソンヒの「一輪菊」

イ・ソンヒのアルバム9集(1994年)の第一曲目に所収の、アルバムタイトル曲でもある「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン)がYoutubeに登録されているので聞こう。

既に記したものと重複するが次に記す。
黄色い花びらの一輪の野菊を眺めるとあなたを想うよと、東洋的な余韻をもって始まるものの、すぐにロックスタイルに力強く展開する可愛らしくも元気な歌だ。そう、照明の色も・・・。
ある意味、彼女の変曲点でもあった、伝統音楽(国楽)と接点をもったアルバム8集の次にチャレンジしたのが、このアルバム(9集)だったわけだ。
ところで、彼女は高校時代にハードロックに凝っていたという・・・なるほど。

(本ブログ関連:"一輪菊")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2012年8月28日火曜日

みつばちの記憶

思い出というのは実際不確かなもので、母親の背におぶられた写真から、記憶の底にあるとは思えない背景の町並みを定着して確信に変える。幼ければ幼いほど、原風景や心象は刷り込みに似て形作られるのかもしれない。

それでも、そんな親が伝える写真や言葉もないのに、自分だけの心にある光景がある。
ずっと幼い3、4歳の頃だろうか、母の干す白いシーツがまぶしい、そんな小さな庭先に咲いたヒナギクの花弁に蜜を求めて飛んでくるみつばちを素手で捕まえていたのだ。それも、手のひらに包むほどにたくさん。不思議なことに、みつばちはどれも刺さなかった。まるで眠るようにじっとかたまっていたのだ。
そんな思い出は、思い込みで作られたのではと解してしまいそうだが、間違いのない懐かしい記憶だ。

公園の花壇にみつばちを見るたび、手のひらにじっと一緒にいたみつばちの記憶がよみがえる。

2012年8月27日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ノムルマチ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/22)に、人物シリーズ42回目として国楽創作演奏グループ「ノルムマチ(노름마치)」を紹介した。

ノルムマチとは?の紹介から始まった。
・公演やコンサートのステージの最後を、最も人気ある人がつとめるトリ文化は、古今東西問わず、韓国もそうである。朝鮮時代に、男寺党牌(ナムサダンペ、남사당패)という放浪芸人一座があり、その中でも最も芸に優れて最後に登場する人物を「ノルムマチ(노름마치)」と呼んだ。ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、「共に遊ぶ時間を終える人物」を指す。
・1978年に誕生した「サムルノリ사물놀이)」のメンバー、イ・グァンス(이광수)が呼びかけ人となり、1993年に「イ・グァンスとノルムマチ」が誕生。
・ノルムマチが一般に知られたは、2005年の(燕山君と男大道芸人(クァンデ、광대、広大)を組合わせた)映画「王の男」におけるクァンデの演技指導や出演がきっかけという。・・・当方未見。
・代表やメンバーは変遷して・・・現在、パンソリ専門のキム・ジュホン(김주홍)が代表兼芸術監督を務め、これにイ・ホウォン(이호원)、オ・ヒョンジュ(오현주)、キム・ジョンミョン(김종명)の3人のメンバーが加わり活動を行っている。

▼ノルムマチによる「ピナリ(비나리-축원)」を聴く。ここでは日本の民謡に韓国のリズム(サムルノリ)を合体したような・・・。

▼ノルムマチによる「打(타징)」を聴く。銅鑼の音とテビョンソで始る、どこか宗教的な音色にアレンジが加わり始めたところで・・・この先どう展開するのだろうか聞きたい。

ノルムマチの基本的な特徴を次のように解説されている。
・彼らの音楽がより特別なものに感じるのは、安易に他国の楽器をとり入れたり、公演形式を崩したりすることなく、韓国の伝統楽器やメロディー、長短(장단)を基本とした音楽で人々の心を惹きつけているからではないでしょうか。

▼ノルムマチによる「ノルムマチシナウイ(시나위)」を聴く。これも総合化という複層的な響きがするものの・・・躍動感に溢れている。
(本ブログ関連:"韓国の風景")

2012年8月26日日曜日

西沢鉱山2012

2月に風邪をひいてすっかり体調を崩して以来、初の鉱物採集に出かけた。
栃木の鉱物仲間と一緒に、栃木県塩谷郡栗山村にある西沢鉱山(金山跡)を訪れる。前回来たときは、堆積物で埋まったダムを越えて、岩の転がるゆるい沢を登っての採集だったが、今回はかつて大規模鉱山(金山・銀山)跡地の湯川橋近辺での採集である。

採集目標である代表鉱物(マチルダ鉱/自然金、濃紅銀鉱、淡紅銀鉱)には、またしてもお目にかかることができなかったが、一応成果物は次の通り。

・玉髄、水晶、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、・・・ああ、それだけとはいえ、無事復帰できたことは喜ばしい。

ところで、今日の採集を始めた場所で、なぜかアサギマダラがわたしの周りを飛翔して、肩や背にとまり、終いには手の甲でしばらく羽を休めていた。次の採集場所に移ろうとすると、蝶は姿を消した。とても不思議な経験をした。

(本ブログ関連:"西沢鉱山"、"机上鉱山道具採集")

2012年8月25日土曜日

デザインサロントーク

以前、旧知が広告代理店にいて、地方公共団体などと一緒に、地域おこしや町おこしのイベントを総合的に企画していた。時代の趨勢に大きく影響されるそうで、果たして現在はどのような状況だろうか。

ところで、個々のお客(クライアント)とデザイナーの関係は、時代に関わりなく存在するわけで、そんな現場の話を、銀座松屋で開かれている「みつばち先生 鈴木輝隆展 咲いている花は絶対見逃さない」*のデザインサロントークで聞かせていただいた。
(*)実はこれも以前、東京大学総合研究博物館の特別展示「生きる形」を教えてくれて、図解事典「骨単(ホネタン)」の出版に関わっていると遠縁から紹介された。

アートに無縁の素人ゆえ、今日のトークで聞いた話を何かに転化できるわけでもなく、その場その時うなずくだけであるが・・・とはいえ実際に作製に当たった温泉のポスターやワインラベルのデザインの経緯から、クライアントに対するデザイナーの真摯な態度を知ることになる。
最後に「問題解決」という言葉があったが、司会者がデザイナーを(いわゆる)コンサルとは違いますよといっていたのが可笑しい。

ああ、それにしても今日は暑かった。帰り道、乗換駅の荻窪で立食いの冷やしたぬき蕎麦を食う。美味かった。

2012年8月24日金曜日

イ・ソンヒの「あなたが私を愛されるなら」 フルート前奏

イ・ソンヒが、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(歌詞)の始まりにフルートを奏でる、1994年秋(9月)のコンサート映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。(なお同曲は、1991年のアルバム7集に所収)

彼女のフルート演奏を初めて見た。ステージに工夫を加えようとチャレンジしている。そういえば、2009年、ソウルのCOEXオーディトリウムのコンサートでも、ギターやキーボードを演奏して歌っていた姿を思い出す。

(本ブログ関連:"あなたが私を愛されるなら")



(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2012年8月23日木曜日

千年鶴

映画「風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)」(1993年)の続編にあたる、映画「千年鶴(原題:천년학)」(2006年)を、 韓国文化院ハンマダンホールで見る。両編ともにイム・クォンテク監督の作品である。

それぞれ生い立ちの違う二人が、姉弟としてパンソリ師匠に育てられる映画「風の丘を越えて 西便制」は、パンソリのひそかな伝承を神話のごとく描いたからこそ、人々の共鳴を得たのだろう。姉と弟のその後を、プロットに追いつくように語られる「千年鶴」には、期待されるような幻想はなく、生身の人生だけが横たわる。
盲いた姉を探し求める弟に、果たして理があるのだろうか・・・人生を経るということは、つまり離別したときのままではない自身の理を問われることでもあるようだ。

KBS WORLDの「国楽の世界へ」は何度となくパンソリを聞かせて、その歴史を教えてくれる。そんなパンソリが物語の、それも庶民感情ままの場面で歌われると、今までと違って聞こえてくる。

(本ブログ関連:"西便制")

2012年8月22日水曜日

イ・ソンヒの「愛しただけなのに」

イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」(1996年)所収の第1曲「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」(作詞・作曲イ・ソンヒ)が、Youtubeに登録されているので聴いてみよう。彼女の独特な高音の特性を抑え、全体にしっとりした歌い方にして・・・やがて引き込まれるだろう。
彼女が本格的にシンガーソングライターに変身したといわれるこのアルバムは、ほぼ全て彼女が作詞・作曲したものである。

(本ブログ関連:"愛しただけなのに")



(Youtuに登録のhirekatu3に感謝)

2012年8月21日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 安翡翠

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/15)に、人物シリーズ41回目として京畿民謡の芸能保有者、安翡翠(アン・ビチィ、안비취、1926年~1997年)を紹介した。

古来ひとびとは歌と踊りを好んできた。今も宴会の席に欠かせない曲の紹介から始まった。

▼安翡翠の歌による「倡夫打令(チャンブタリョン、창부타령)」を聴く。掛け合いでなく独唱で聞かせ、地味ながら次第に踊りを誘う雰囲気がする。

この「倡夫打令」について次のように解説された。
・ソウル、京畿道地域で、占い師の巫堂(ムーダン、무당)がお祓い(クッ、굿)のときの歌が元になり、歌や踊りの神である倡夫(チャンブ、창부)を慰める際に歌われたという。日頃生活は厳しくとも、神と共に歌い踊り楽しもうという、庶民の切実な心情が伝わる一曲・・・とのこと。

次のように安翡翠のプロフィールが紹介された。
・1926年 ソウルで雑貨店を営む裕福な家に生まれる。
・13歳のとき、家出を決行し、正楽教習所に入る。
・1975年 李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)と共に、重要無形文化財第57号、京畿民謡の芸能保有者に指定され、主にこの3人で音楽活動を行って、<安翡翠、黙桂月、李銀珠>の名で呼ばれる。
・1997年1月 没す。弟子のイ・チュンヒ(이춘희)が師匠の歌を引継ぎ発展している。

さらに安翡翠の名について次のような紹介がされた。
・安翡翠の本名は安福植(アン・ポクシク、안복식)である。福植は、韓国で男子の名だが、安翡翠のすぐ上の姉が幼いころ亡くなったため、次の娘は健康で長く生きて欲しいという両親の願いから授けられたという。
・翡翠の名は、16歳で初めてテレビ出演した際、師匠がつけた芸名である。翡翠*は、鳥の名前で、鳥のように美しい声で歌って欲しいという思いが込められている。
(*補注)ちなみに宝石のヒスイも、「翡翠」の字があてられ、原義は中国で元々鳥の「カワセミ」を指す言葉とのこと。

▼安翡翠、黙桂月、李銀珠の歌による「小春香歌(ソチュニャンガ、소춘향가)」を聴く。ゆったりと歌うホモフォニーの調べ・・・恋の歌なのかなあ。

この「小春香歌」について次のように解説された。
・「京畿雑歌」といわれる歌のひとつで、重要無形文化財に指定された。京畿民謡は、よく耳にするアリランやトラジタリョンなどではなく、京畿雑歌に属する曲を指す。京畿雑歌はこれまでに12曲が伝承されて「京畿12雑歌」とも呼ばれ、また舞台に座って歌うため、座唱(좌창)と言われることもある・・・とのこと。

▼安翡翠の歌による「悔心曲(フェシムゴク、회심곡)」(回心曲)を聴く。以前、松庵和尚の紹介のときに聴いたとき民謡風な感じがしたが、今回は宗教的な響きがしてくるのも不思議。
・・・イ・ソンヒと縁のある、宗教曲"梵唄"をいつかしっかりと聴いてみたいし・・・そんな機会が欲しい。

2012年8月20日月曜日

プロペラカフェ

今日の暑い日中、先週(8/16)行ったばかりの調布飛行場に再び訪れ、空港内のレストラン「プロペラカフェ」に寄って昼食をとることにした。

最初に目にしたのは、月曜日のためか、空港北側でNCA(新中央航空)の高翼双発機ドルニエ228が3機もならんで(掃除?をして)いる光景だ。

前回、旅客ターミナルの待合室に行ったとき、コーヒーを飲める場所が見つからず、帰宅後インターネットで調べたところ、プロペラカフェを知った。旅客ターミナルを更に南側に進むとAEROTECの表示のある建物があって、その1階にプロペラカフェがある。

同カフェ窓側席から、飛行場の様子を見ることができる。早速そこに座って、ランチメニューからベーコンエッグバーガーをいただく。一言で、ボリュームあり過ぎ。とはいえ、フライドポテトをゆっくり(時間をかけて)つまみながら、窓から直ぐの所に駐機している単発機2機種の姿を見る。
・JA72XL: Liberty XL2 ・・・ とりあえず、そのママじっと待機。
・JA4022: SOCATA、TB-21・・・ 整備の仕上がり点検のようで、昼食中ずっと、エンジンを吹かしたり、水平尾翼昇降舵を上下したりと、いろいろ観賞させてもらった。

(Youtubeに登録のtokinohitotokiableに感謝)

(本ブログ関連:"調布飛行場")

2012年8月19日日曜日

サーカスの「Mr.サマータイム」

暑い今日は、懐かしく、それでいて今なおお洒落な歌である、サーカスの(本格)デビュー曲「Mr.サマータイム」(1978年)をYoutubeで聴いてみよう。

デビュー当時、かれらの洗練されたコーラスにひかれた。軽快で透明感のある歌声が心地よかった。それは、端正な合唱でもなく、ムードあふれる歌謡でもない、新しくてとても新鮮な響きがした。テレビの歌番組でも、彼らの存在は独特な輝きを持って抜きんでていたような気がする。そして、TV画面のなかに、なぜか(長女)叶正子の姿ばかり見ていたのを思い出す。



(Youtubeに登録の70idle80に感謝)

2012年8月18日土曜日

天気雨

昨日観覧した江戸東京たてもの園の「武蔵野の歴史と考古学」展は、今日、東京都埋蔵文化財センターの研究員によるスペシャルトークがあり、再び出かけた。
スペシャルトークのタイトルは、「ギャラリー展『縄文中期の様と美』を中心に」とのことで、縄文土器の形状や装飾模様から同時代の美意識が聞かれると期待したが、とても慎重で素人受けするような言葉はほとんどなかった・・・研究者として誠実であることを後で納得する。

ところで、装身具の展示品については次のように語られた。
・白い貝の中心をくりぬいて作った貝輪(腕輪)は、「見た感じ小さく思われるが、子どものときから身に着けさせたようだ」とのこと。
・耳飾りにいくつか大小のサイズがあることについて、「(シャーマン家系で子どもの頃から)ピアスのようにして、小さいものから大きなものへと順に装着したようだ」とのこと。5cm位のサイズはある、国指定重要文化財の「土製耳飾」(縄文時代晩期)*が耳に飾られたのもうなづける。この「土製耳飾」は、弁柄(べんがら、赤鉄鉱:酸化第2鉄)によって赤茶色に色付けされているそうだ。

(*)「多摩の博物館に行こう - デジタルアーカイブ」(#21)に次のような解説がある。
・この耳飾は、昭和43年(1968)に調布市下布田遺跡から出土しました。今から約2500年前の縄文時代晩期の遺跡で、京王線の布田駅から南へ1.5km、多摩川に沿った大地にあり、その中心部は国指定の史跡として保存されています。
この耳飾の製法は、粘土が生乾きの段階を見計らってタイミングよく削って形を整え、焼いた後、樹脂に混ぜた赤色顔料のベンガラを塗って仕上げられたものです

(本ブログ関連:"武蔵野の歴史と考古学")

帰り道、五日市街道沿いのマクドナルドで休憩した後、外に出て空を見ると、空の西半分太陽光に明るく、東半分がうす曇の境目になっていた。そして次第に天気雨(狐の嫁入り)になった。それまで暑さにうんざりしていたので、雨宿りすることなくそのまま雨道に出た。
からっとした空気のなかに降る雨は、いつもの雨と違っていた。濡れるに任せて進むうち、雨は次第にやみ、しばらくすると濡れた衣服と髪が乾きはじめたのだ。しばらくしてすっかり乾いたことはいうまでもない。こんなことは初めての経験かもしれない・・・なるほど、相の入り混じる微妙な場の出来ごとだ。もしかしたら、向こうの木立の奥で狐がコンと鳴いていたかもしれない。

2012年8月17日金曜日

武蔵野の歴史と考古学


というわけで、路面の照り返しがきついものの、平坦な道で行ける小金井公園に足を運んだ。公園内の江戸東京たてもの園で、同園の開園20周年記念「武蔵野の歴史と考古学」の展示を見学した。展示物は、同園の収蔵品であり、昨年も同様な展示があった。
縄文土器は、デザインされた外形(=同心円)や機能(=生活に近づける)を意識しているようには見えない。機能が優先することで無地を作る弥生土器以前の、形あるものに相似させるような、存在に対する祈りが込められているように思える。
ところで、今回も展示の「土製耳飾」(縄文時代晩期)の繊細で洗練された美しさに・・・今も通用するのではと素人ながら感嘆する。何度見ても美しい(もっと明かりが欲しい!)。

同展示のため、スペシャルトーク「ギャラリー展『縄文中期の様と美』を中心に」が明日(8/18、14:30~)ある。せっかくだから明日もう一度行くかな。(ちなみに。わたしは同園の「友の会」会員である)

それにしても、今日は特別暑かった。読売テレビの記事「東京都心で35.7℃、今年一番の暑さに」(8/17、17:34)によれば、都心の今年最高気温を次のように報じている。

・17日も広い範囲で猛烈な暑さとなり、東京都心では今年一番の暑さを記録した。一方、この暑さの影響で大気の状態が不安定となり、広い範囲で激しい雷雨となっている。
・東京都心は17日朝から気温が高く、午後2時前に最高気温35.7℃を記録、今年一番の暑さとなった。全国で最も暑かったのは群馬・館林の38.0℃。

2012年8月16日木曜日

調布飛行場

いつも上空を低く轟かせながら東から飛来した小型プロペラ機が、機首を南に旋回して着陸姿勢をとる光景が見られる。その先にあるのが調布飛行場で、今日はそこへ行ってみることにした。

陽射しが強いせいか人影がまばらな野川公園を南に進む。舗装された散歩道は木立が並び、木陰が太陽の直射から守ってくれるのが幸いだ。とはいえ、公園に唯一ある売店の自動販売機で冷たい飲料水を求め一息つく。

人見街道と面した公園の正門を左折して、しばらく歩くと龍源寺が街道の左手にある。ここに近藤勇の墓所があるとのこと。境内に入らなかったが、寺の前に近藤勇の(彼の写真と言われる顔立ちとそっくりな)リアルな坐像があり、ここに彼の墓があることを示す石碑も並んでいる。正直、新撰組についてよく知らない・・・別の機会に訪れてみよう。

さて、龍源寺のある人見街道から分かれて、南に道を進む。飛行機の爆音がしても機影が見えないもどかしい思いをしながら・・・ようやく調布飛行場(東京都調布飛行場)の端に着く。
考えてみれば都下にあるローカル飛行場(都営コミューター空港)なわけで、想像したよりも小さくて、見た目は大きい。タキシングエリアとそれに平行した離着陸用滑走路が一本ある。とはいえ、絶え間なく離発着が繰り返されていた。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

調布飛行場の花形は、NCA新中央航空)所有の高翼双発機ドルニエ228だろう。ジェットエンジンそのものとは違うが、プロペラを廻すターボプロップのエンジン音に耳をかたむけてしまう。やがて、ドルニエ機は意外なほどあっさり短距離(STOL?)で、大島、新島、神津島に向かって離陸した。やはりプロペラ機は美しい。

旅客ターミナル前に並ぶタクシーの運転手が、「今度は15名だ」と連絡し合っていた。ドルニエ機は、定員19名近く旅客を載せて運行しているのだろう。アルミサッシの手開きというシンプルな旅客ターミナルの入り口を入ると、中は旅客で混雑していた。飾りのない待合室そのものだった。

飛行場の周辺は金網の塀で囲われていて、北側に小さな展望台や丘があって、そこから飛行機の離着陸の様子を観察することができる。今日は、展望台に一人、丘の上にあるベンチに父親と小さな男の子の親子連れがいた。
今度来るときは望遠鏡が必要だ。

2012年8月15日水曜日

骨単(ホネタン)

先日、東京大学総合研究博物館主催の特別展示「生きる形」に出かけ、会場にずらりと並んださまざまな生き物の骨格標本を見て以来、気になって骨に関する書籍を探した。素人にも理解しやすそうな・・・、「骨単(ホネタン)」(監修:河合良訓、文・イラスト:原島広至、出版:NTS)を、国分寺の紀伊国屋書店で購入した。

皮膚の下で、筋に支えられ筋肉で動く人間の<骨>について、骨の図と名称に語源を加えた骨の事典だ。図版は、実際の骨格標本を手にとり、Illustratorを使って描いたためシャープで見やすい。最初は医学生に関心を持たれたが、好評でそれ以外のひとびとにも読者が広がったようだ。

著者が接した骨格標本のラベルから、若くして亡くなった女性のものであると知ったときの心情が書かれた序文は胸を打つ。だから、この本に描かれた骨のひとつひとつから、事典としての情報だけでなく、命の意味も知らされる。

さて、骨の名は、英語と日本語(全て日本語<漢字>で表すことのできる素晴らしさ)で表記されている。英語の名前をもとに、著者はそこからが凄い・・・ギリシャ語、ラテン語などの語源を駆使して、医学に関係ない読者にも関心を持てるよう様々な解説を加える。

例えば、頭蓋骨と首の骨はどう繋がっているのだろうか。首の頚椎の上に環椎という骨があって、それが頭骨を支えているという。ギリシャの巨神Atlasが天空を支えていることから環椎にあたる骨が"Atlas"と名付けられた。更にAtlasを語源にして、メルカトル図法の地図をアトラスと呼び、アトランチス大陸に話が広がり、ジョージア州の都市アトランタの名前の由来へと話がつづく・・・。

ところで、上記の展示会を教えてくれたのも、この書籍の出版にも遠縁が関わっている。

2012年8月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 張思翼

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/8)に、人物シリーズ40回目として歌い手(ソリックン)の張思翼チャン・サイク、장사익、1949年~)を紹介した。

張思翼が歌に選んだ、詩「旅人(나그네)」(朴木月(박목월)、1916年1月6日~1978年3月24日)*の朗読から始まった。

(*)高校の教科書にも載っている詩だそうだ。また、ホームページ「イ・ワングン、イ・ハクジュンの希望の文学」に詳細な解説がある。

▼張思翼の歌による「旅人(나그네)」を聴く。リズムは国楽風、旋律は洋楽風・・・微妙にミックスして違和感がなく、むしろ親和的でさえある。

張思翼に対する評価について、いろいろな見解があるという。
・(彼の)音楽の伴奏に国楽器を使用しているが、伝統的長短(チャンダン、장단)に則(のっと)って演奏されておらず、国楽としての基本に欠けるという評価もある。
・(解説者の岸さんの解説)「(彼の音楽の)その中に国楽の匂いを感じ取れるということは、昔から現在まで、人々が守り伝えてきた韓国の情緒がチャン・サイクさんの音楽の中に込められているということなのではないでしょうか。」**

(**)納得です。コラボとかフュージョンという洗練されたものと違って、聴衆と合わせ鏡の関係を基盤にしているからなのでしょうか・・・それに、Youtubeで見る彼の風貌も飄々として良いですね。

▼張思翼の歌による民謡「アリラン(아리랑)」を聴く。朗々と詩を詠じるように歌う。いわゆる「アリラン」の旋律と離れて、言葉を強調したのだろう・・・若者にどのように感じられているのだろうか知りたい。

次のように張思翼のプロフィールが紹介された。
・1949年 忠清南道洪城郡に生まれる。父親は農楽演奏団で杖鼓チャング장구)を担当していた。
・様々な仕事を経て40代の頃に、太平簫(テピョンソ:태평소)を習い始める。
・1993年 テピョンソの演奏で、全国民俗競演大会で大統領賞、全州デサスプノリ大会で大賞を受賞する。
・1995年 たまたま演奏後の歌会で歌ったことがきっかけになり、レコーディング(1集アルバム)して歌手になる。

▼張思翼の歌による「お花見(コックギョン、꽃구경)」を聴く。母と息子の心情・・・松葉を道筋に撒く母の思い知りたい。

2012年8月13日月曜日

ロンドンオリンピック閉幕

ロンドンオリンピックの閉会式を見ていない。朝起きるとつけっぱなしのTVが、平日の番組を流していた。今晩いずれかの局で、閉会式の模様をビデオ放映してくれるだろうから、それをながめることにしよう。
ブログにオリンピックについて記したのは初めてなので、何とか努力したが睡魔には勝てなかった。

さて、今回のロンドンオリンピックは無事に終了し、日本のメダル数は過去最高だったそうだ。
日本経済新聞の記事「熱戦17日…ロンドン五輪閉幕 日本のメダル最多」(2012/8/13 5:39 (2012/8/13 10:28更新))は次のように記している。(抜粋)

・【ロンドン=共同】第30回夏季オリンピック・ロンドン大会は12日、ロンドン東部の五輪スタジアムで閉会式が行われ、17日間にわたった祭典が幕を閉じた。2016年大会は南米初、ブラジルのリオデジャネイロでの開催となる。

・26競技の302種目を実施。12年ストックホルム大会の初参加から100周年となった日本は293選手を含む518人を派遣した。金メダル数は目標とした世界5位、15個に遠い7個だったが、銀14、銅17を合わせたメダル38個は、04年アテネ大会の37個を上回って史上最多。金メダル数では米国が46個で中国から覇権を奪回。地元英国は3位となる29個を獲得した。

(付記)
選手も視聴者もみんなお疲れさま。次回開催地のリオデジャネイロも試合中継は、また深夜に放送されるのかな。

(付記)
昨晩、ペルセウス座流星群を眺めようと外出したが、外灯の明るさで観測が難しい。それにしても、東の空に浮かんだ月の赤いこと・・・。

イ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」 映像

イ・ソンヒが、8/9の麗水万博「ポップフェス アンコール公演」の舞台に立った映像が、Youtubeに登録されている。いわゆるプロの撮影によるものではないが、それだけに会場の熱狂が大きな音量で収録されている・・・にしても、手振れの少ないアップ映像を楽しませていただいている。
(Youtube映像の音量調整が必要なようなので、今回autoplayにしていません)

ここでは、イ・ソンヒは代表曲の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を歌っている。

(本ブログ関連:"麗水万博")



(Youtubeに登録のseungsun loveに感謝)

2012年8月12日日曜日

男子レスリング金

ロンドンオリンピック最終日の今日、にわかファンはもう終わりだなあと余韻モードに切り替わろうとしていた夜分、男子レスリングの米満達弘(よねみつ たつひろ)選手が金メダルを獲得した。
TV画面の試合を見ながら、米満選手の落ち着きぶりと気迫から、(にわかファンの即決で)勝利を確信した。素晴らしいフィナーレに感謝。

日本経済新聞の記事「米満が金、レスリング男子24年ぶり 66キロ級」(2012/8/12 22:03)は、試合結果を次のように報じた。(抜粋)

・レスリング男子フリースタイル66キロ級の米満達弘(自衛隊)は決勝で北京五輪銅メダルのスシル・クマール(インド)を2-0で破って、金メダルを獲得した。日本勢男子では1988年ソウル大会以来、24年ぶりの同競技金メダル


(付記)
閉会式を見たいが、日本時間の明日13日午前4時に開催だそうだ。ずっと起きて、見ることができるだろうか。

(追記)
北東の空にペルセウス座流星群を眺めてみよう。

ボクシング金 11日

どれひとつ真面目に打ち込んだスポーツもなくて、オリンピックもイベントとしてそのときだけ楽しむにわかファンとわが身を十分わきまえているつもりだ。それでも、いやそれだから、にわかファンは、選手が獲得したメダルに群れたくなる・・・わたしも一緒に。

今朝のニュースで、11日にボクシングミドル級で村田諒太(むらた りょうた、東洋大職)選手が、オリンピックで日本のボクシングが48年ぶりに金メダルを獲得したと知れば、凄いと驚き、おめでとうといいたい。

北海道新聞の記事「村田48年ぶり『金』 ボクシング・11日」(08/12 06:46、08/12 09:22 更新)は、次のように試合を報じている。(抜粋)

・ボクシングは男子5階級の決勝を行い、ミドル級で昨年の世界選手権銀メダリストの村田諒太がE・ファルカン(ブラジル)に14-13で判定勝ちし、1964年東京五輪バンタム級の桜井孝雄(故人)以来、日本選手として48年ぶり2人目の金メダリストとなった。


(付記)
ロンドンオリンピックの日本メダル獲得数は過去最高で、メダルの数だけインタビュー回数も多くなるわけで、選手の言葉や表情から、喜びやくやしさを知るたび、メダルの本当の重さを知ることになる。
オリンピックには、女子サッカーのメダルのように新境地を開拓するもの、バレーボールやボクシングのように何十年ぶりのメダルという歴史を更新するもの、そして女子レスリングのように個人3大会連続金メダルといったドラマがある、偉業がある。オリンピックは人間本来持つ力を知る機会でもある。

ロンドンオリンピックは何かが違ったようだ。選手個々のインタビューを見て気付いたことだが、彼らの言葉には「勝ちたい」という意志が、「感謝」という言葉が、「楽しむ」ことよりも強く出ていた。彼らは、日本で見守るひとびとの想いを感じ、次代の若者たちの希望の先導となるよう託されていることを理解していた。

2012年8月11日土曜日

女子バレーボール銅

今回、ロンドンオリンピックの日本女子選手たちの活躍は素晴らしい。サッカー、卓球、レスリング、アーチェリー、そしてバレーボールと歴史を作り、塗りかえている。日本のメダル獲得に大きく寄与しているのは間違いない。

朝日新聞の記事「バレー女子、韓国破り銅 日本、28年ぶりのメダル」(2012年8月11日21時49分)は、女子バレーボールの試合結果を次のように報じている。

・ロンドン五輪第16日の11日、バレーボール女子の3位決定戦があり、日本は韓国を3-0のストレートで破って銅メダルを獲得した。この競技の日本勢のメダルは1984年ロサンゼルス大会で女子が銅を獲得して以来、28年ぶり。

(付記)
1984年のロサンゼルスオリンピック(7月28日~8月12日)に女子バレーボールの選手として試合に出場した経験のある年配TVコメンテーターが、今回もし銅メダルを獲得したら「私のとき以来です」といっていたのを思い出す。それほど・・・といっては失礼かもしれないが、長い間メダルに恵まれていなかったのを見事に跳ね返し、歴史を改めた。
ところで、同じ1984年の7月29日、20歳になる直前のイ・ソンヒは、MBC「第5回 江辺歌謡祭」に仁川専門大学の「4幕5場」チームとして出場して、彼女が高校時代に運命的に出会った「Jへ」を歌い大賞を受賞した。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒとオリンピック"、"1984"、"京郷新聞1984年7月31日の12面参照")

にわかファンは結果しか知らずに他者に聞いてその偉業に感服するが、一緒に祝わせて欲しい。本当におめでとう。

豊川稲荷東京別院散歩

イ・ソンヒの、SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐내 여자친구는 구미호)」(2010年、日本2011年放送)のOST「狐の嫁入り(여우비))」のヒット以来、狐⇒お稲荷さんに関連づけてブログに記してきた。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り(日照り雨、天気雨、Fox Rain、여우비)") ← 画面右下「前の投稿」も

そんなわけで日中暑い陽射しの昼前に、昔の仕事仲間と一緒に、四谷見付にある豊川稲荷東京別院に行く。

本殿にお参りした後、思いの他狭い境内を巡る。まずは文化会館という名の古い土産物屋(3軒が間口を並べる)で、稲荷ずしを頼む。まだ暖かくてけっこう大きいものを2個食って一息つく。

・江戸将軍吉宗の懐刀で享保改革の立役者、大岡越前守が本院の設立に由来していることを説く碑文の後ろに、「開基大岡越前守忠相公御廟」が 囲いの中に座している。大岡越前守の下屋敷に元々まつられた豊川稲荷社が、歴史の中で移転してこの地にある。

・正門から奥まったところに「霊狐塚」がある。豊川稲荷の本尊である豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)に仕える狐の小さな像がペアになって、所狭しと並べられている。そこだけ静かで独特な気配を感じさせる場所・・・のような気がしてくる。狐の顔は穏やかな母性を浮かべるものから、怒気や妖気を見せるものまで様々だ。

(本ブログ関連:"オリンピック開会式・・・眠たい"、"お稲荷さんと油揚げ"、"府中市郷土の森博物館"、"キツネの信仰")

男子サッカー銅逃す

寝過ごしたばかりに(関係ないけれど)、男子サッカーはオリンピックのメダルを手にすることができなかった。

きのう夜中に、TV番組の「タモリ倶楽部」まではしっかり見た。今回は線香花火作りがテーマで、この花火の芯が関東では紙"こより"であり、関西では麦藁という違いが紹介された。わたしとしては、記憶にあるのは麦藁芯の線香花だ・・・夏の夜の庭先で花火遊びした幼い頃の思い出がよみがえってくるよ。
番組の最後は、"こより"と麦藁の両方で作った線香花火の、火花の仕上がりを参加者で競っていたが、なんとも適当なしまい方がよい。

そんなわけで連日の夜更かしもあって、うとうと寝込んでしまい、早朝のニュースでサッカーの試合が0-2で終わったことを知った。
ロイターの記事「五輪=サッカー男子日本はメダル届かず、韓国に敗れる」(2012年08月11日、06:39 JST)は、試合結果を次のように報じている。

・[カーディフ 10日 ロイター] ロンドン五輪は10日、サッカー男子の3位決定戦をカーディフで行い、日本は韓国に0─2で敗れて1968年メキシコ五輪以来となる銅メダル獲得を果たせなかった。
・日本は前半38分に韓国の朴主永(パク・チュヨン)に先制ゴールを許し、後半12分には具滋哲(ク・ジャチョル)にゴールを決められ、追加点を許した。勝った韓国は五輪で初のメダル獲得となった。

(付記)
にわかファンは、試合に一喜一憂する。そして勝てば大喜びし、敗れればすぐに忘れる。

2012年8月10日金曜日

昨晩のイ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」

WIKITREEの記事「夏中に熱い愛情 <イ・ソンヒ-イ・スンギ>」(8/10)は、昨晩の麗水万博における「ポップフェス アンコール公演」の模様を写真付で次のように報じている。(イ・ソンヒについてのコメントのみ)

・お互いの道で最善を尽くす姿が/美しい師弟の間 イ・スンギ&イ・ソンヒが/もう一度万博ポップフェスティバルに出演しました。/(イ・ソンヒ写真)

・もう一度ポップ フェスティバルの舞台を/訪ねてきた小さな巨人! イ・ソンヒの登場!!/(イ・ソンヒ写真)

・いつも変わりない最強の童顔 <イ・ソンヒ>!/今日もポップフェスティバルの舞台を明るく照らします。/(イ・ソンヒ写真)

・パワフルな声で観客を圧倒する/姿は相変わらずです。/すでにポップフェスティバルの現場はイ・ソンヒさんのカリスマに熱狂しています。/(イ・ソンヒ写真)

・いつも久しい間イ・ソンヒの/歌を聞いて幸せならば良いですね。 (以下略)

(付記)
ところで今晩、深夜に日付が変わって03:30に男子日韓のサッカー試合があるけれど、起きていられるだろうか・・・いや、もう限界です。

女子レスリング金、サッカー銀

連日深夜のTV中継に追いつけなくなった。今日の日付にかわった夜中、女子レスリング吉田沙保里(よしだ さおり)選手の(5月W杯で敗れたワレリア・ジョロボワ(ロシア)との)準決勝まで頑張って観戦したが、決勝の頃ついに爆睡したのだ。やがてつけっ放しのTV音声に気付けば、女子サッカーが米国と0-1と苦戦しているところだった。そして、不覚にもまた寝入った。

朝方のTVニュースで、女子レスリングの吉田選手が金メダルを、女子サッカーのなでしこが銀メダルを獲得したことを知った。寝起きで朦朧としたなかながら、彼女たちの結果に驚き感嘆した。そして、何よりも次代の子どもたちに夢と希望と勇気を与えてくれたことに感謝。それにしても、女子選手の活躍が際立って見えるのは・・・。

スポニチの記事「女カレリンだ!吉田沙保里3連覇で12度目世界一」(8/10)は、次のように報じている。(抜粋)
昨日の伊調選手、小原選手、今日の吉田選手と日本女子レスリングは本当に健闘している。

・女子55キロ級決勝で吉田沙保里(29=ALSOK)がトーニャ・バービーク(34=カナダ)を下し、個人種目では柔道の野村忠宏、前日の63キロ級・伊調馨(28=ALSOK)に続く日本人3人目となる五輪3連覇を達成した。日本選手団旗手(今回は吉田選手)の金メダルは、00年シドニーの男子柔道の井上康生以来、3大会ぶり。これで吉田は世界選手権、五輪を合わせ12度目の頂点で、「霊長類最強の男」と呼ばれたアレクサンドル・カレリン氏(44=ロシア)に並ぶ偉業も達成した。

また、女子サッカー決勝について、スポニチの記事「なでしこ 反撃及ばず…それでも胸張る銀メダル 」(8/10)は、次のように報じている。(抜粋)
にわかファンは夢を見過ぎるが、彼女たちが達成したことは実質的にはそれ以上のことだが。

・ロンドン五輪サッカー女子決勝は9日(日本時間10日)、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われ、なでしこジャパンは1-2で敗れ、銀メダルとなった。2点を追う日本は後半18分に大儀見優季のゴールで1点を返すが、反撃は及ばなかった。女子ワールドカップ(W杯)で優勝した翌年に五輪を制覇するという史上初の偉業は逃したが、男女を通じて五輪で初の銀メダルを獲得した。米国は3大会連続4度目の金メダル。

2012年8月9日木曜日

女子レスリング金

オリンピックで金が期待される女子レスリングの試合を見ようと、夜中起きていたが気付けば朝のニュースで肝心の決勝の結果を知った。深夜しか見られない連日のTV中継に、さすがについていけなくなったかな。

63キロ級の伊調馨(いちょうかおり)選手と、48キロ級の小原日登美(おばら ひとみ)選手の準決勝を見守っていたが、決勝までに時間があって、いつのまにか寝入ってしまった。決勝の様子を実況で見たかった。

毎日jpの記事「五輪レスリング:笑みの伊調 涙の小原 日本2階級に金」(2012年08月09日、10時37分)は、試合の結果を次のように報じている。(抜粋)
寝坊助にわかファンは、彼女たちのすさまじいドラマを知ることになる。

・ロンドン五輪第13日の8日、レスリング女子は2階級とも日本勢が制した。63キロ級の伊調馨(ALSOK)は決勝で景瑞雪(中国)を2-0で退け、日本女子では初の同一種目 連覇を達成。48キロ級は31歳の小原日登美(自衛隊)が決勝でマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)に第1ピリオドを奪われながら、第2、第3ピリオドを連取し、2-1で初めての優勝を果たした。

・(伊調選手は)左足の感覚は普段と違っていた。4日の練習中に捻挫して、伊調によると「足首の3本の靱帯(じんたい)のうち、1本半が切れていた」という。その後はスパーリングはせず、ぶっつけ本番での試合。それでも、試合後に明かすまでは、痛いそぶりも見せなかった。・・・女子レスリング界の顔だった吉田沙保里(ALSOK)に先立ち、他の競技も含め日本の女子選手として史上初の五輪3連覇を成し遂げた。伊調は「3連覇を目指してやってきたわけではないけど、終わってみればうれしい」。試合終了のブザーが鳴った瞬間、大げさなガッツポーズではなく、ニヤリと笑った表情には自信があふれていた。【百留康隆】

・(小原選手は)08年に一度は引退し、(48キロ級の)妹真喜子さんの指導をしていたが、真喜子さんも引退したのに伴い、10年に現役復帰。結婚で姓が坂本から小原に変わっただけでなく、階級も51キロ級から48キロ級に変更。ロンドンの舞台を集大成にすることを決めていた。・・・小原は「どんな結果でも最後と決めていた。レスリング人生に悔いはない」と、最高の舞台で、最高の結果を残してマットを去るつもりだ。【百留康隆】

(付記: 昨日の続き)
ところで、オリンピックの日本女子選手たちの活躍はどうしたことだ。サッカー、卓球、バレー、それにレスリング・・・と素晴らしい。歴史を作り、塗りかえている。

本日!イ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」

オリンピックたけなわのここ連日、韓国では麗水万博への関心はどのようだろうか。暑い陽射しを避けて夜の海辺で、ポップフェスティバルに耳を傾けるの悪くはないだろう・・・といって、この地からは遠過ぎて・・・。

今晩、6/27に麗水万博ポップフェスに登場して以来、イ・ソンヒと愛弟子のイ・スンギが再び舞台に登場する。

・日時: 8月9日(木)、午後8時~9時半
・場所: エキスポ特設舞台
・参考: 8月公演カレンダー

(本ブログ関連:"麗水万博")


(付記)
イ・ソンヒの公式ホームページによれば、彼女の30周年記念のDVD制作体制が着々と進んでいるようだ。

2012年8月8日水曜日

男子サッカー銅を獲得へ

今日の日付に変わった深夜、気付けばオリンピック男子サッカーの試合は前半を終わっていた。それもTVチャンネルを切り替えたときに知ったのだ。1-1という状況に、後半に期待を込めて観戦したが、1-3と惜敗。そのため、銅メダルを懸けて韓国と対戦することになった。

YOMIURI ONLINEの記事「サッカー男子、決勝に進めず…メキシコに1-3」(2012年8月8日02時51分)は、試合結果を次のように報じた。
・ロンドン五輪のサッカー男子準決勝、日本-メキシコ戦が7日午後(日本時間8日未明)行われ、日本は1-3で敗れ、決勝進出はならなかった。
・3位決定戦へ回る。

(付記)
ところで、オリンピックの日本女子選手たちの活躍はどうしたことだ。サッカー、卓球、バレー、・・・と素晴らしい。歴史を作り、塗りかえている。

2012年8月7日火曜日

立秋2012

気配どころか風の音にすら秋を感じないのに、今日は夏至と秋分の中間に位置する二十四節気の立秋だそうだ。風流な名前とは裏腹に、毎晩のオリンピック観戦に睡眠不足になりながら暑い夏をやり過ごしている。

東京の月平均気温は、8月が例年ピークなのだから、この8月上旬に秋を早々感じるには無理があるかもしれない。
ちなみに東京のここ数年の気温データ(気象庁「東京 日平均気温の月平均値(℃)」)は次の通り。

             7月  8月  9月
2009年 26.3 26.6 23.0
2010年 28.0 29.6 25.1
2011年 27.3 27.5 25.1
2012年 26.4

なでしこ決勝へ

TV観戦しながら、なでしこたちが自ら作り上げてきた歴史を思ったりした。そして、ついにその最終到達点が視界に現れてきたのだ。驚き、感心し、そして敬意を感じる。にわかファンとしては、「立派だなあ」とつぶやきながら見つめていたわけだが。女子サッカーの試合を夜中に見る時代が来るなんて、正直誰が予想しただろうか。そして、彼女たちの活躍にこんなに勇気付けられるとは。

例によって東経139度の地なれば、試合は、今日の日付に変わって1時間後の深夜01:00に開始された。今日も睡魔と格闘だった。それでも、ゴールのたび手を叩き、はらはら、どきどきしながら試合の経過を見守った。

47NEWSの記事「耐え抜いたなでしこ 夢の2年連続世界制覇に王手」(2012/08/07 07:54、岡本彰記者)は、フランスとの試合結果を次のように報じた。(抜粋)
本記事は他に、女子サッカーの置かれている環境も率直に記していて、読者を浮かれさせない。

・なでしこジャパンがサッカーの聖地、ウェンブリー競技場での準決勝で、フランスの猛反撃を2-1で振り切りオリンピックでは初のメダル獲得を決めた。耐え抜いた末の勝利だった。

・宮間のFK(フリーキック
昨年の女子ワールドカップ(W杯)に続く世界制覇への王手。流れをつくったのは主将宮間の2つのFKだった。フランスの堅い守りにあい、攻めあぐねていたなでしこは【前半32分】、FKのチャンス。宮間がゴール正面にけり込むと、飛び出したGKがボールを確保し損ねた。これを体勢を崩しかけながらも大儀見が左足で押し込んだ。なでしこにとってはこの試合で最初のシュートだった。

・【後半4分】は再び、宮間の低く強い弾道のFKに合わせ、坂口がヘディングシュートを鮮やかに決めた。数少ない好機を得点に結び付ける集中力がものをいった。

2012年8月6日月曜日

キュリオシティ

CNN.co.jpの記事「火星探査機キュリオシティ(Curiosity)が無事着陸 火星から初の映像送信」(2012.08.06、15:56 JST)によれば、「米航空宇宙局(NASA)の火星探査機『キュリオシティ』は米東部時間6日午前1時30分ごろ(日本時間午後2時30分ごろ)、火星の地表に無事着陸した。」とのこと。

大きな好奇心と、ちょっとした不安が交錯する。探査機キュリオシティがとんでもないものを発見するかもしれないのだから。ともあれ、成果が楽しみだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴大成

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/1)に、人物シリーズ39回目として弦をこする擦弦楽器アジェン(牙筝、아쟁)の演奏家、「生きている伝説の人物」朴大成(パク・デソン、박대성)(1938年~)を紹介した。
いつもながら充実した解説に感謝して楽しく聞かせていただいている。

まず牙筝の復習・解説から始まった。
・日本の琴に似た、韓国の楽器の伽耶琴(カヤグム:가야금)や玄琴コムンゴ:거문고)と同じく床に置いて演奏する。これらより一回り大きいため、国楽器中、最も低い音を出す。演奏法は、弦を手やばちではじいたりせず、(松脂を塗った)レンギョウの木の棒を使って、弦を擦すり音を出すのが特徴。
合奏では独特な低音で、他の楽器の旋律を支える存在だが、独奏の場合は、心の奥深くに積もった悲しみを引き出すような切ない音を醸し出す。

▼朴大成ほか演奏による「歳月(세월)」を聴く。情感がこもり、かつ瞑想的である。本来独奏楽器なのか、それとも合奏楽器なのか、あるいは伴奏楽器なのか・・・。

次のように朴大成のプロフィールが紹介された。
・1938年6月25日 珍島の(錚々たる)音楽・芸術一家に生まれ、長い間、釜山で音楽活動を続ける。
・1960年代後半 牙筝散調*を初めて作り出したハン・イルソプ(한일섭、1929年~1973年)について学ぶ。
  → (*)アジェンを小型化した楽器のこと?
・1980年代後半~90年代 日本に渡り生活した時期もある。
長い海外生活の後、帰郷したが、韓国は彼の知っていた頃の姿とは見違えるほど変わっていた。地方ごとに国楽管弦楽団が設立されていて、さらに若い演奏家たちは国楽器を利用して、現代風な創作音楽を作り出していた現代の国楽界は、伝統音楽しか知らない年老いた演奏家が溶け込むには少し難しいところがあったかもしれないけれど、朴大成の音楽が発表されるやいなや、国楽愛好家たちの間に瞬く間にうわさが広がり、彼の名が一躍脚光を浴びることとなった。
・2005年 CD「朴大成の国楽の世界(박대성의 국악세계)」がきっかけとなり、その名が一般に知られる。

▼朴大成ほか演奏による「牙筝散調(アジェンサンジョ、아쟁산조 )、晋陽調(チニャンジョ、진양조)」を聴く。まるで歌っているようで・・・こちらは自然な感じがする。

▼朴大成ほか演奏による「牙筝散調(アジェンサンジョ、아쟁산조 )、チャジンモリ(자진모리)」を聴く。軽快*で楽しく聞けそう。
  → (*)テンポは、「チニャンジョ(진양조)」(6拍)<「チュンモリ(중모리)」<「チュンジュンモリ(중중모리)」<「チャジンモリ(자진모리)」の順に速くなる。

2012年8月5日日曜日

「家門の災難」

イ・ソンヒのヒット曲「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」が登場人物に歌われる、映画「家門」シリーズの第1作「大変な結婚(家門の栄光)」(2002年)、第2作「家門の危機」(2005年)は、Gyaoと映画で視聴したが、第3作「家門の復活」(2006年)は未見で、劇中に同曲が歌われたか確認していない。

同シリーズには、福岡・佐賀へ海外ロケした第4作「家門の災難(受難)」(2011年)が登場した。本日、ご近所のDVDレンタル店で見つけたので早速視聴した。残念ながら、イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」は本作品で使われていなかった。

物語は、食品会社を経営する母親を家長とする一家が日本への輸出事情を掌握するため出かけるのだが、持参した現金(ウォン)を円に交換するため日本の銀行を訪れたところ、銀行強盗に遭遇して全て奪われる。取り戻そうと強盗団主犯が乗ったトラックに後ろから飛び乗り、追跡しては山中をさまよい(まるで古典的なジャングルスタイルで)野宿したりする。また、母親の誕生日であることに気付き、心尽くしの祝いをしようとするのだが・・・。
結局、現金を取り戻せたとは思えず、謎の観察者も消え去る。

それにしても、せっかく優れた俳優陣を揃えていただけに、ストーリー(構成)が下へ下へ流れ込む傾向があって、子どものおもちゃ箱状態になってしまったのが・・・。

(本ブログ関連:"家門"シリーズ)

2012年8月4日土曜日

サッカー男子準決勝進出

他に気を向けていたら(つまりTVでクイズ番組など見ていたら)、ロンドンオリンピックの男子サッカーで、日本はエジプトと3-0で、44年振りに準決勝に進出した・・・とのこと。

どうして日本男女サッカーはこんなに強くなったのだろう。

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

以前、Youtubeに登録されながら削除された、イ・ソンヒによるシム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑밖엔 난 몰라)」のカバーを今一度見ることができる。正直、いずれ削除される運命にあるだろう(そうならないことを切に願う)けれど・・・それまでに何度も見ておきたいものだ。

シム・スボンに最も評価されたカバーであるでだけでなく、イ・ソンヒの輝かしい20周年記念コンサートの一幕でもある。

(本ブログ関連:"シム・スボン")

(本ブログ関連:"5大歌姫"、"イ・ソンヒの本歌取り"、"イ・ソンヒ 美しい江山"、"イ・ソンヒのカバー「熱愛」"、"イ・ソンヒのカバー「離別」、「一度くらい」"、"イ・ソンヒのカバー「みなさん」"、"イ・ソンヒのカバー「あなたは遠いところに」"、"イ・ソンヒのカバー「それだけが私の世界」")

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

なでしこ、ブラジルに2-0

いやあ、眠れない。日付も変わって1時間もすると、女子サッカー対ブラジル戦が始まったのだ。昨日、一日汗をかいて外出したというのに、疲れた体は大丈夫だろうか、そんなことより・・・。

ブラジル選手の体力とスピードに驚く。ついに試合前半27分頃、沢選手>大儀見(旧姓永里)選手 の見事な先制点が入ると、寝るわけにはいかない。深夜、思わずTVに向かって手を叩く。ちなみにTVの音を消して見たものの、やっぱりにわかファンには解説と会場の歓声がないといけない。すぐに音を響かせる。

後半は如何にと固唾をのんで見守る・・・目が離せない。72分頃、何と2点目を大野選手がゴールしたのだ。なでしこは本当に素晴らしい。ついにベストフォー進出を果たしたのだ。しかも彼女たちは、自力で世界を切り開いてきたのだから更に凄い。
最終、逃げ切るでもなく冷静に試合を運び、勝利した。次はフランスが相手だそうだ。健闘いただきたい。

(付記)
日本経済新聞の記事「耐えて4強…なでしこが見せた原点サッカー」(2012/8/4 7:00)に、北京五輪で主将だった池田(旧姓磯崎)浩美氏が、「ブラジルの『個』を上回った日本の『組織』」と解説している。

2012年8月3日金曜日

特別展示「生きる形」

今日は汗が止まないほど暑かった。そんななか、先日縁者から教えてもらった東京大学総合研究博物館で開催されている特別展示「生きる形」を見た。

同館には以前、東京帝国大学初の日本人鉱物学教授であり、「日本鉱物誌」(第1版:1904年、第2版:1916年)の著者でもある和田維四郎(わだつなしろう、1856年~1920年)の鉱物標本展示会を見学したことがある。

ところで、現在同館は常設展示だけで、特別展示の「生きる形」は、道路沿いの同館から赤門寄りにある伊藤国際学術研究センターの地下1階で開かれている。
展示場は、骨格標本の白さを強調して浮き出すように照明を落としている。と同時に、あの独特な臭いが漂ってくる。生きるものは必ず死ぬという現実を思い起こさせる。

さて、今回の展示は、張本人?のキュレイターであり解剖学者である遠藤秀紀教授を中心に、写真家と造形家の3人による"フュージョン"、あるいは"コラボレーション"による成果である。
白い骨は、透明ネットを張った額の中に固定され、無機的に並べられているようにも見える。骨盤、肩甲骨、胸骨など分けているものもあれば、あるいはいくつかの骨を組み合わせて・・・照明の結果、壁に”意図的な”影が浮かぶようにしているものも(1つだけ)ある。それは生と死の長さを示すもので・・・。

展示物個別に解説が付されていない。それに展示の意図も・・・。入り口の受付で配布される東京大学総合研究博物館ニュースの「Ouroboros」(44号)を必ず手に取ることお勧めします。(仕掛け者の意図に反するが、読まないと消化不良になりますよ!)

(付記)
汗でシャツが濡れているわたしを見て、展示場受付の方が、冷蔵庫に保管の標本を紹介してくれた・・・一瞬冷気が感じられたけれど。結局、地下鉄の本郷三丁目駅に戻る途中、喫茶店に寄って熱気を冷ますと同時にシャツが乾くまで休憩した。暑い一日だった。

(付記)
同館ホームページにある「逸脱美考」展示を、"早とちり"して見られるものと思い込んでいたが、何とそれは国立台湾大学図書館1階中庭で展示中とのこと。まさか、台湾まで行くこともできないし・・・。巨大な自然金?の塊が見られるというのに、残念。

2012年8月2日木曜日

内村選手、五輪体操個人総合で金

ロンドンオリンピックの体操競技男子個人総合で、内村航平(うちむら こうへい)選手が金メダルを手にした。子どものときから両親の指導経営する体操教室に通い、そこにあったトランポリンに慣れ親しんで、空中の回転動作を身につけたと、オリンピック前のTVで彼のずば抜けた運動能力を特集していた。それだけに、今大会の団体で苦戦したと報じられたとき、余りの重圧に押されたのかと案じたが、総合で見事に跳ね返し、国民の期待を裏切らなかった。やはり天才である。

ウォールストリートジャーナル日本版の記事「内村、五輪体操個人総合で金-スーパーマンが飛んだ!」(2012年8月2日、9:29 JST)は、彼の個人総合の金獲得の評価と同時に、団体の結果について彼の心情も報じている。(抜粋)
・内村はこの日の個人総合で92.690点で金メダルに輝いた。ドイツのマルセル・ニューエン選手は91.031点を、銀メダルを、米国のダネル・リーバ選手は90.698点で銅メダルをそれぞれ獲得した。

さて、本当ならもっと熱心に内村選手の活躍をTV観戦しなければならないのだが、オリンピックというのは正月の重箱に詰まったおせち料理のようなもので、日本人選手が活躍するのを次々見れば、どれもこれも関心あって、どれもこれも面白い・・・けれど時間に限りがあり、頑張って見れば睡眠不足になるわけで。
今回、内村選手の活躍をニュースだけで知り、ライブひとつも見ないで感想を述べるのは失礼と思いつつも記した。

(追記)
夜TVで、個人総合決勝の録画が放送された。最後の床運動の終わりに内村選手が、ホッとした様子で会場を見回したのが印象的だった。そして、ニューエン選手の洗練された床運動を、リーバ選手のダイナミックな鉄棒を見た。会場は、国を超えて選手の美技のたびに、惜しみない拍手を送った。ありがとう。

2012年8月1日水曜日

イ・ソンヒの「あなたに届くなら」

イ・ソンヒがプロデュースしたというアルバム11集「Dream of Ruby」(1998年)に所収の「あなたに届くなら(너에게 가면)」が、Youtubeに登録されている。Ko-Wikipediaによれば、この曲を作詞・作曲したのは、韓国ロックの父(大父)といわれるシン・ジュンヒョン(신중현)の息子シン・デチョル(신대철)だそうだ。
たたみかけるように歌う高音の力強さに、特別なメッセージ性があるのだろうか・・・考えてしまう。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝、重ねて感謝)