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2012年11月30日金曜日

パンク

60年代のサイケでなく、70年代のパンクでもなく、80年代のヘヴィメタでもない。自転車のタイヤがパンクしたのだ。

今日、自転車の前輪が突然泳いだ。音もなくパンクしたのだ。ハンドルをとられた感じがして、ペダルをこぎながら前かがみに車輪を覗くと、黒いタイヤが平べったく両側にはみ出しているのが見えた。みるみる空気が抜けていく。自転車店への道のり、やがて前輪がごとごとと跳ねだした。

この店で購入しただけに、何かと面倒見てもらっているオヤジが、タイヤとチューブを交換しながら、後5年はもちますよという。確かに、それはそれで良いが、野川公園散歩の坂道の上り下りが最近急にきつくなってきたので、電動アシスト付きもいいのでは・・・と思ったりする。

オヤジがいうには、一度電動アシスト付きに乗ると普通の自転車には戻れませんよとのこと。ただし、運動不足解消のサイクリングにつながらないかというと、そうでもないようだ。皇居まで往復した客がいるという。おじさんレベルに合った、長距離も楽しめるものかもしれない。

2012年11月29日木曜日

陶淵明-3

市民講座「陶淵明の描いた世界」の第3回目に出席する。講師の著書をテキストにして、詩を通読、解説する合間に、楽しくめずらしい、例えば台湾訪問などの話も聞かせていただいた。

今回、陶淵明の詩に触れながら、次のような解説に関心を持った。
・陶淵明は自然詩人といわれるが、中国では「自然詩」といわず「山水詩」というそうだ。
・中国で仙人が大事にしたのは、松・竹・梅ではなく、松・竹・菊だ。ちなみに、遣唐使が日本に菊を持ち帰ったとき、「キク」と発音したことで音訓の区別なく「キク」と呼ばれる。
・陶淵明の「飲酒二十首 其の五」に、「菊を采(と)る、東蘺(とうり:東の垣根)の下(もと)」とあるが、菊の花を酒に浮かべて飲むためという。(そういえば、イ・ソンヒに「一輪菊(한송이 국화)」という恋の歌があった・・・関係ないけれど。)

講師は、漢文語法の紹介に連れて、なんと中国語で「何日君再来」を歌われた。
陶淵明の「雑詩十二種 其の一」にある、「盛年不重来(盛年 重ねては来たらず)」の説明で、部分・全部否定の語法について解説された。
<語法>
・部分否定:  好(2)ニハ(1)カ       よき花は常には開かず
・全部否定:  好(レ)カ              よき花は常に開かず
<歌>
「好花不常開/好景不常在」で始まる「何日君再来」を、テレサテンの歌で聴いてみよう。
(Youtubeに登録のcat012953に感謝)

2012年11月28日水曜日

シン・ジュンヒョンのコンサート

イ・ソンヒのコンサートに欠かすことができないものに、シン・ジュンヒョン(申重鉉、신중현)作詞・作曲による「美しい江山(아름다운 강산)」(1972年)がある。イ・ソンヒが、この歌をカバーしたことで、国民歌謡まで上りつめたといえる。(なお同歌はアルバム4集(1988年)に所収)

大統領選挙の12月に、シン・ジュンヒョンのコンサートが催されると、東亜日報の記事「シン·ジュンヒョン "30代のときは力で、70代のときは道(精神)で、演奏"」(11/8)は伝えている。2部構成のステージだが、シン・ジュンヒョンは、その第2部で演奏する「美しい江山」について次のように語っている。
・2部は奥深いサイケデリック・ロックだけをレパートリーに決めた。「ディスコ風に変わったイ・ソンヒのバージョンや、1980年代の『シン・ジュンヒョンとミュージックパワー』バージョンのほか、72年の『シン・ジュンヒョンとThe Men』バージョンの幻覚的な『美しい江山』をお聞かせしましょう。そのバージョンが本物でしたよ。大衆を考えず、自分なりのギターの音を正しく聞かせてさしあげるでしょう。」

この「美しい江山」成立のいきさつは、伝説になっているようだ。

ちなみに、シン・ジュンヒョンに代表される「サイケデリック・ロック」について、Ko-Wikipediaは次のように説明している。
・サイケデリック・ロック(Psychedelic rock)は、 ロック音楽の一種である。アシッド・ロック(Acid rock)、ドラッグ・ロック(Drug rock)、または単にサイケデリックとも呼ばれている。名前からわかるように、あたかも麻薬をした状態で演奏したような夢幻的でサイケデリックな雰囲気が特徴である。
・大韓民国の代表的なサイケデリック・アルバムは、シン・ジュンヒョンが作詞、作曲してキム・ジョンミが歌った1973年の「風」、「Now」のアルバムなどがある[出典必要]。
 しかし、1975年の緊急措置9号、大麻事件などで、これらのアルバムは禁止曲処分されたり、焼却され、(以下略)

(本ブログ関連:"シン・ジュンヒョン"、"キム・ジョンミ")

2012年11月27日火曜日

イ・ソンヒの「Because of You」(再)

イ・ソンヒのアルバム12集「My Life + Best」(2001年)CDは、インターネット上で日本の販売店の案内を一度だけ見たことがあるが、入手チャンスを逃してしまい後は知らない。それほど難易度が高い。一方、韓国のブログでも同様に入手の難しさに触れているのを知ったが、インターネットに探して見れば、チャンスはまだあるようだ。直接入手する良い方法はないだろうか。

この12集所収の「Because of You」を以前このブログにエンベッドしたが、Youtubeから削除されて大変残念な思いをした。最近、再び視聴が可能になった。
忘れようとしてできない残された悲しみを癒すように、イ・ソンヒの抑制したしっとりとした歌声で聴くことにしよう。

(本部ログ関連:"イ・ソンヒの「Because Of You」")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2012年11月26日月曜日

第63回 NHK紅白歌合戦出場歌手

ORICON STYLEの今日の記事(11/26)に、年末の「第63回 NHK紅白歌合戦出場歌手」一覧が掲載さているが、どれくらい歌手を知っているかチェックしたところ、わたしの認知度は次の通りでしかない。
ちなみに、【◎:歌を聞いたことがある、△:名前は聞いたことがある、×:全く知らない】で区別したところ、
・【紅組】 ◎:15、△:3、×:7
・【白組】 ◎:15、△:2、×:8
となった。両組似かよった認知割合になったが、平均的なおじさんなら、まあこんなものだろう。


【紅組】

【白組】
aiko、
嵐、
絢香、
五木ひろし、
いきものがかり、
× HY、
石川さゆり、
EXILE、
AKB48、
× NYC、
× SKE48、
関ジャニ∞、
きゃりーぱみゅぱみゅ、
北島三郎、
香西かおり、
郷ひろみ、
倖田來未、
× ゴールデンボンバー、
伍代夏子、
コブクロ、
坂本冬美、
× 斉藤和義、
天童よしみ、
× 三代目 J Soul Brothers、
中島美嘉、
SMAP、
× 西野カナ、
舘ひろし、
Perfume、
TOKIO、
浜崎あゆみ、
徳永英明、
藤あや子、
× AAA、
× プリンセス プリンセス、
× ナオト・インティライミ、
× 水樹奈々、
氷川きよし、
水森かおり、
× FUNKY MONKEY ABYS、
× ももいろクローバーZ、
福山雅治、
× YUI、
細川たかし、
× YUKI、
ポルノグラフィティ、
由紀さおり、
美輪明宏、
和田アキ子
森進一

KBS WORLD「国楽の世界へ」 劉智淑

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/21)に、人物シリーズ55回目として、西道(서도)民謡の名人(名唱)劉智淑(ユ・ジスク、유지숙、1963年5月23日【旧暦】~)を紹介した。
劉智淑は、先週紹介の崔慶萬(チェ・ギョンマン)の奥さんで、番組初めての夫婦での紹介になるという。

はじめに西道民謡(黄海道と平安道)について、南北の政情もからめて次のように語られた。
・半島北の無形文化財は、朝鮮戦争時に南に亡命した数少ない歌い手たちの努力により、今もその伝統が継承されているが、彼らが世を去るにつれ、その伝統の奥深さを把握して歌える人がほとんどいなくなっている。
・劉智淑は、忘れられつつある半島北の無形文化財を発掘し、復元に尽力している。

▼劉智淑の歌による「全甲心打令(ジョンガプソムタリョン、전갑섬타령*)」、「青紗灯籠(チョンサチョロン、청사초롱)」を聴く。歌の聞き出しから劉智淑の発声が今様北っぽいが、それよりも、あいのてが中国南方少数民族風でビックリ。南方に通じる沿海の気質があるのだろう・・・か。
(*)ブログ「コッヌリ国楽芸術団」に感謝。

・西道民謡は、黄海道と平安道一帯で歌われてきた民謡を指す。韓国で、名唱キム・ジョンヨン、オ・ポンニョたちにより多数伝承されているが、民謡の故郷では、今はほとんど忘れ去られたという。

次のように劉智淑のプロフィールが紹介された。
・1963年 江華道(仁川広域市)江華道郡両寺面に生まれる。(父は江華、母は黄海道生まれ)
・故郷は、海を越えれば黄海道で、昔は漁などを通じて交流があり、人々は西道民謡をよく歌った。父親とその兄弟が歌だけでなく踊りも上手かったこともあり、彼女は幼い頃から西道民謡を口ずさんだという。
・20代初め頃、運命の師オ・ポンニョ名唱との出会いをきっかけに、20代後半以来、歌に専念する。

▼劉智淑の歌による「延坪島難逢歌(ヨンミョンドナンボンガ、연평도 난봉가)」を聴く。題名と違いおおらかな海洋歌に聞こえてしまうけれど。

・平安道地方の、死者のハンを晴らすために行ったきたタリッグッや、農業をする際に人々が集まり、各自の話を歌にして歌うヒャンドゥゲノリなどを音楽劇として発表している。

▼劉智淑の歌による「船歌打令(スルビタリョン、술비타령**)」を聴く。晴天朗々とした海原、波頭を越える海の男たちのいさましくもからりとした力強さを感じる。歌、演奏は夫婦によるものだろうか。
(**)ブログ「キョンギ・ソリ」に感謝。

2012年11月25日日曜日

紅葉の高尾山

高尾山薬王院の紅葉
むかしの仕事仲間と紅葉の高尾山に行く。
京王線のガラリと空いた各駅停車で向かったため、人の混みように気付いたのは北野駅で乗り換えたときだった。車内の混雑は、そのまま終点の京王高尾山口駅を人々であふれさせた。それはすさまじいもので、登山口どころか、ずっと山頂まで続いたのだ。

想像できるだろうか、標高わずか599mの山とはいえ、まるで祭りの参道をゆるり歩くように山路をたどったのだから。山を登ることよりも、黙々と歩くひとの混み合いに疲れた。途中の高尾山薬王院は、隘路となり路がくねっているため、歩みが止まったりした。ただし、この場所は紅葉を楽しむに一番よい景観もあった。

さて、山頂広場での昼食は・・・期待どころでない。通り路以外、座り込んだ登山者の昼食場所になっていたのだ。登山口で買ったおにぎりを食うところがない・・・何とか売店の影で口にしたが。いわば立錐の余地もないといった観であった。早々に引き上げて下山する頃には、ようやく登山者も減り始めたためか、下山路にゆとりができ、気ぜわしさも減って下ることができた。

ミシュランの3つ星やテレビ局のこの時期の紹介はありがたいけれど、その分ひとびとに苦難を課したようだ。来年、紅葉を愛でに出かけるのは遠慮するだろう。でも、平日なら何とかなるかな・・・。

2012年11月24日土曜日

「考動」展

雨天の昨日と打って変わって快晴の今日、久し振りに吉祥寺に出かける。東急デパート北側の通りを2ブロックほど西に進むと、ギャラリー「mono」があって、小さな階段を上がると現在、<荻野克彦の「考動」展>が催されている。

親類から外出のヒントをもらって、出かけた次第である。芸術的関心が高いわけではないので、お邪魔したに過ぎないが、親類と懇意の荻野氏は気さくな方で・・・例えば、現在拠点にされている城下町の角館(かくのだて)の歴史から佐竹藩に話題が広がり、同藩の旧領地茨城(常陸)にあった金山などの雑談に応じてくれた。

そうそう、「考動」展は、荻野氏のデザインによる、南津軽の家具と木工と漆、および愛知県瀬戸の陶磁器を展示している。ギャラリーの2部屋に、木製「椅子」や「皿」や「猫」から、陶器の蕎麦の「猪口」まで洒落た作品が並んでいる。
1階入り口にあった同展案内のポスト・カードにある図柄を思い出して、わたしもアート気分に浸りたく、蕎麦の「猪口」の陶器を求めた。

帰り道、輸入食品店で、ドイツ製の菓子シュトーレンを購入。もうじきクリスマスだもんね。


(付記)
夕方、突然、3.11を思い出させるように家が揺れだした。気象庁の地震情報によれば次の通り。
・平成24年11月24日18時03分 気象庁発表
「24日17時59分頃地震がありました。震源地は千葉県北西部 ( 北緯35.6度、東経140.1度)で震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます。」

なお当地は、<震度2>相当扱いだが、体感は<3+>の感じすらした。
PCの地震速報アプリは、マグニチュード<5.0以上>設定なので、地震速報を表示できなかったので、<4.0以上>に変更した。

2012年11月23日金曜日

イ・ソンヒの童謡「雨傘」

今日は足尾銅山へ鉱物採集に行く予定だったが、天気予報もあってぎりぎり結論を待ち、昨晩延期と決めた。それでよかったわけで、午前中の雨模様には驚いた。無理して行かなくて正解だった。

先週のTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」で、森田正光氏が予報した通り、ザアザア降りになったわけで、いつもながら同氏の適中に感心する。例えば、今夏のロンドンオリンピック(7月27日~8月12日)での日本のメダル数を、例年に比べて暑い夏のため大いに期待できるとズバリ予想したのだから・・・これは天気予報と関係ないので予言?かな。

というわけで雨降る今日は、イ・ソンヒの歌う童謡「雨傘(우산)」を聴いてみよう。おでこを向かい合わせて歩く3つの傘が見えるようだ。学校に間に合ったかな。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの童謡"、"イ・ソンヒの童謡集"、"愛唱童謡集"、"童謡「島の赤んぼう」"、"イ・ソンヒの童謡「星を見ながら月を見ながら」"、"「春」")



(Youtubeに登録の성배 길に感謝)

2012年11月22日木曜日

小雪2012

今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。あちこちに、そろそろ雪が降り始め、冬がもう間近なのを知る。なにしろ、次の節気は「大雪(たいせつ)」なのだから。

ところで「小雪(しょうせつ)」は、その名を「小雪(こゆき)」に読みかえると、どこか愛らしく、多分雪の持つ純白さと、あっ雪だ!と手に受けとめたときの、あっけなく消えてしまう華奢な様が重なって、人々に愛らしいイメージを与える。

今年の冬はだいぶ寒そうだ。

実は、「小雪」の名に最初に思い浮かんだのは、女優の小雪さんでしょうね。彼女が、柔らかな赤ん坊をあやす、moony(紙おむつ)のテレビコマーシャルは・・・ほんわり暖かくていいねえ。それに、赤ん坊は千両役者である。

(追記)野川公園を巡る

野川公園の黄葉

昼下がりの野川公園をのんびりと遊ぶ。

公園北側を流れる野川に沿って下流に歩むと、公園を南北に分ける東八道路をまたぐ陸橋に通じる緩やかな坂道があって、公園南側へ楽に行くことができる。野川は見通しがよいが、元々ゴルフ場だったこともあり、地表が微妙に起伏して、木立も所々に点在する。東八道路の南側の公園は、敷地も広く、木立が多いため、秋の紅葉を楽しむことができる。

公園南側にある散歩道のイチョウがすっかり黄葉していた。実はこの奥に広場があって、幼児を連れた数組の家族が緑の芝の上で戯れていた。

写真の公園は静かに見えるが、木立を揺する風音や、鳥たちのさえずりで結構うるさく、実はしんみりした風情ではない。秋はどうやら色彩を楽しむ季節のようだ。

2012年11月21日水曜日

韓国アイドルグループ歌手の今後の動向

イ・ソンヒがメンター(審査・指導者)として参加した、MBCのオーディション番組「偉大なる誕生」は第3ステージを迎え、歌唱力のある歌手の発掘に余念がない。エンターテインメントの世界は、次代をになう実力歌手の登場への期待がますます大きくなっているようだ。

中央日報は、エンタメ>芸能一般の欄に、グループ歌手の動向を分析して次のような観測記事を掲載した。

韓国アイドルグループ危機論?…「国内市場が飽和状態なら海外に」2012年11月16日14時43分
・K-POPのけん引役を果たしてきたアイドルグループが危機に直面している。今年1年はいつになく多くの新人アイドルグループがデビューしたが、ほとんどはこれといった成果を出せていない。現在のファン層を構築したアイドルグループも、今年はなかなかよい成果を残すことができなかった。「アイドルの流行は終焉した」という観測さえ出ている始末だ。
アイドル市場の飽和状態が挙げられる。アイドルファンは限定されているのに新生アイドルグループが切れ目なく出てきて市場に過負荷がかかった。
・ある大衆音楽評論家は「全般的にアイドルグループが自己複製の末に行き詰まり、アイドル音楽によってこれ以上の新鮮さを与えられなくなったのかもしれない」と説明した。
・アイドルグループが持つ"見せる"音楽そのものの競争力が落ちたという分析もある。1990年代の中盤から後半にかけて、"聞かせる"音楽に代わって"見せる"音楽が凄まじい勢いで成長した。さらに力強く、刺激的に成長した流れに歩調を合わせるなら、しっかりしたシステムを作り競争力のある原石を見つけ出して新しい舞台を見せるべきだったが、そうはできなかったというのだ。

アイドルグループの低迷はここにも…視聴率が物語るその現状2012年11月16日17時27分
・過去数年間、アイドルグループの人気によってスタートした番組すべてが視聴率低調に悩まされている。

音源チャートからアイドルグループ失踪…バブル崩壊か2012年11月15日17時07分
・韓国大手芸能事務所YGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表は、最近、韓国日刊スポーツの取材で歌謡界の「5年周期論」を取り出した。ヤン代表は「歌謡界ではパターンが繰り返される。5年周期で市場の流れが変わる」とし「アイドル市場の流行はすでに終わった。だから私たちから出す新人のカラーはこれまでのアイドルグループとは違ったものにする」と市場を予測した。
・もう一つ興味深いのは、(略)アイドルグループのファン層の絶対数を占める10代より20~40代のファンの支持が、音源チャートにおいてははるかに重要な役目を果たしていることを示している。

こういう時期だからこそ、先導力、指導力を持ったイ・ソンヒのような実力歌手の重要性が増すだろう。すなわち、マスプロダクトされた商品性の高い存在であるよりも、時代を共存できるアーティストをファンは本質的に望んでいるかもしれない。
なお、断っておきますが、K-POPアイドルグループに対して云々あるわけではないですよ・・・イ・ソンヒのような実力派歌手がもっといいだけですが。

(本ブログ関連:"オーディション"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")

2012年11月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 崔慶萬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/14)に、人物シリーズ54回目として、日本の篳篥(ヒチリキ)に似た2枚リードの木管楽器のピリ(觱篥:피리)の名人、崔慶萬(チェ・ギョンマン、최경만)(1947年~)を紹介した。

始めに、「ピリ」について次のように語られた。
・先史時代の遺跡から、一定間隔に13個の穴が開けられた鳥骨の一片の化石が発見され(1961年)、笛の一種と推測されている。現在伝えられる「ピリ」とは、大きさ、形、音を出す原理など違うが、韓国では口で吹いて音を出す楽器を総称してピリという。
・ピリは長い歴史を持ち、宮中の厳かな儀式音楽から、一般芸人たちの大道芸の伴奏音楽まで、常に<主旋律>を担当してきた。

▼崔慶萬のピリ他による「歌声(ノレッカラッㇰ、노랫가락)」、「青春歌(チョンチュンガ、청춘가)」を聴く。思いのほかシンプルでのどかな響きがする。

次のように崔慶萬のプロフィールが紹介された。
・1947年 ソウルの君子洞に生まれる。
・1963年 国楽芸術高等学校入学。京畿地域の巫俗音楽家出身のチ・ヨンヒに師事する。ピリと、チャルメラのような響きの管楽器テピョンソ(太平簫、태평소)を学んだ後、ソウル市立国楽管弦楽団員として活動を始める。
・1977年 米国に移住。音楽と別に生計を立てつつ音楽活動を継続して、ファーストアルバム「崔慶萬、ピリ演奏曲集」をリリースする。
・1997年 帰国後、国立国楽院の民俗楽団員として活動を始める。
・現役ピリ奏者中、最も演奏に長けているとの評価がある。演奏は、師匠の整えた軽やかなメロディーに、自らの線の太いメロディーを取り入れ、興のあるうちにもずっしりと重みのある音が特徴である。

▼崔慶萬のテピョンソによる、行進曲に使う「ヌンゲ(능게)」を聴く。テピョンソの辺りに撒き散らすような金管の音に思わず寄ってしまう・・・カラッとしてにぎやかで楽しい。

(プロフィールの続き)
・師匠のチ・ヨンヒの指導は、ピリを直接奏するよりメロディーを歌って教える、クウム口音、구음)という方法を多く使った。最近、崔慶萬は、京畿道や西道地方のメロディーを歌ったアルバムを発表、珍しさから注目が集まった。

▼崔慶萬の歌による、「愁心歌(スシムガ、수심가)、「ヨックム愁心歌(엮음수심가)」を聴く。人生の空しさを嘆く・・・淡々とリズムを打つように歌う。
参考)ユルイネ音楽教室の楽譜と解説に感謝。

2012年11月19日月曜日

来年の干支

本屋では年賀状デザインソフトのCD付きムックが平積みされ、郵便局では色刷りの年賀状が売られている。これらは、干支のデザインを用意してくれているので楽ちんである。

でも、自分なりにオリジナリティを持ったものが欲しいなど考えると、干支によって難易度の差が出てくるので大変だ。

「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の干支の内、今年は辰(龍・竜)であり、来年は巳(蛇)である。

今年の年賀状は、ピーター・ポール&マリー(PPM)の歌「パフPuff, the magic dragon)」(1961年)から、歌詞に登場する竜の「パフ」をヒントにしたが、来年の年賀状はどうしよう。蛇の洒落たデザインが思いつかないのだ。

「巳」の文字をヘビに変えても、口先に舌を付けたりすると一瞬で冷めてしまう。哺乳類である人間が先天的に記憶する、恐竜や爬虫類の太古の恐怖から逃れることができないのだろう。蛇はどう考えてもヘビでしかなく、残念ながら可笑しくも可愛くもない。
そこで、日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」(1958年)のヒロインを考えたりしたが・・・。いいものはないだろうか。


(付記)
読売オンラインの記事「星出さん、カザフに帰還…船外活動日本人で最長」(2012年11月19日12時33分)によれば、まるで宇宙の申し子のようなお名前の星出彰彦(ほしで あきひこ)宇宙飛行士が、ISSから無事帰還したことを次のように報じている。
・【アルカリク近郊(カザフスタン)=大山博之】星出彰彦さん(43)ら日米露の宇宙飛行士3人が19日(日本時間10時56分)、約4か月にわたる国際宇宙ステーション(ISS)での滞在を終え、ロシアのソユーズ宇宙船で、カザフスタン中部にあるアルカリク近郊の雪原に無事帰還した。
・滞在中に行った星出さんの船外活動は計21時間を超え、日本人宇宙飛行士で最長となった。

宇宙飛行士の活動の驚きが当たり前になり、ニュース記事の取り扱いもだんだん地味になってきている。でも、子どもたちにとっては、相変わらずヒーローであり、次の宇宙飛行士の先導者なのだから。

(付記)
昨日の鉱物採集の疲労で、今日足腰は筋肉痛に極み、とりわけふくらはぎのこりようは尋常じゃない。

2012年11月18日日曜日

小来川鉱山・久良沢鉱山、初雪も

鉱物の会で栃木県日光市にある小来川(おころがわ)、久良沢(きゅうらさわ)の両鉱山に鉱物採集に行く。前者は銅鉱山でラング石などの二次鉱物を、後者はマンガン鉱山でマンガンパイロスマライトをターゲットにする。
早朝、JR目白駅前に集合して大型バスで出発。雨天決行の話もあったが、現地は快晴に恵まれ、かつ紅葉を愛でるチャンスまであったのは幸いだった。そして、なんと初雪まで経験したのだ。

(小来川鉱山)
最初の訪問地の小来川鉱山は、2006年、2007年にも訪れたことがある。そのときは、ズリを這い上がり、山の尾根まで登った。とはいえ、成果は孔雀石程度で悔しい思いをしている。今回、それを挽回したく参加した。
小学校低学年の子どもを含む会員は、20分ほど沢を伝って、低位置にあるズリ(錆びたトロッコが2台横転のまま放置された場所)まで順調に歩をこなしたが、わたしは、岩場に足をもつれさせながらどん尻を拝した。しかも、帰り道も足腰をふらつかせて最後尾だったのだ。幹事の方にフォローいただき感謝。
果たしてこんなことで・・・と落ち込んだことはいうまでもない。体力の衰えを嫌というほど感じた。今後も続けられるだろうか不安だ。

ラング石に会うことはできなかったが、成果は次の通り。
・黄鉄鉱(等軸晶系)、水晶、方解石(三方晶系)、孔雀石・・・種類を膨らましても、こんな感じ。

(久良沢鉱山)
小来川鉱山の上り下りですっかり自信をなくしたのに、大型のバスのため現地横付けが難しく、登りの道路を小一時間歩くことになった・・・またしても最後尾に。ついに腰にはりを感じ始めた。鉱物仲間のY氏に同道していただき感謝。

何度も道端で休憩をとりながら現地に到着すると、川を挟んで道路反対側にあるズリ斜面に会員が張り付くようにして採集を開始していた。
採集に夢中になっているとき、なにか白いものがそばを舞い落ちた。まるで、焚き火の白い小さな灰かと思えるほどのふんわりしたものだ。今年経験する初雪だったのだ。その分、風も吹き込んできた。防寒ヤッケを更に着込んだのはいうまでもない。

幸い目的の鉱物も手にした、結果は次の通り。
・バラ輝石、柘榴石、磁硫鉄鉱、マンガンパイロスマライト
(採集終了後に幹事さんからいただいたマンガンパイロスマライトの方が良品であったが・・・)

繰り返しになるが、今回体力を大いに消耗した。帰宅して湯につかり十分暖めてみたが、足首、膝、腰の疲労は癒えない・・・本当に疲れてしまった。

2012年11月17日土曜日

イ・ソンヒの「クデヨ」 (再)

一日、雨が降りやまず身動きできない。といって、実りあることをするでもなく過ごしている。雨風の音も次第に強くなってきた。

傷心のまま雨降る街をさ迷い、少女は待ちつづけ、問いつづける。イ・ソンヒの歌う、5集所収の「クデヨ(貴方よ、그대여)」(キム・ポムニョン作詞/作曲、1989年)は、熱い情熱を冷めずいて、それながら静謐さえ感じさせる。再び同じ映像・音源であるが視聴してみよう。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「クデヨ」")



(Youtubeに登録のkoreanballdsに感謝)

2012年11月16日金曜日

(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌 (続)

先日登録した「(資料)『母をお願い』の中で母がうたう歌」の続編として次の歌を記す。
申京淑著「母をお願い」(安宇植訳、集英社文庫)の三章で、妻について何一つ思い遣りをかけなかった夫(「あんた」)が、やがて妻が「愛とは何かと訊かれたら」で始まるうたを歌っていたことを思い出す。
ソン・テグァン(宋大琯、송대관)の歌に「愛とは何かと訊かれたら(사랑이 무어냐)」(作詞:ソン・テグァン作曲:チェ・チョンファン)があるようだが、このことだろうか。ただしYoutubeで聞くことができないのが残念。

(本ブログ関連:"(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌")


さて今晩、韓国文化院で、韓国文学翻訳院「東京フォーラム」が催され、「母をお願い」の著者申京淑(シン・ギョンスク、신경숙)と日本側の作家島田雅彦の両氏による対談があった。フォーラムの最後に、この作品の成立について著者が次のように語っていたので記す。
・2年越しに、新しい作品を書きながら手をつけた、300ページ程度の作品だった。
・ただし、機が熟してないと感じていたとき、出だしの「お母さん(オンマ)の行方がわからなくなって一週間目だ」が浮かんだ。こうすることで、いろいろな可能性を棄て、同時に展開と整理ができた。

この作品の「作者あとがき」に、「連載を終えてからも苦心の末に、オンマを生き返らせるためにエピローグ『バラのロザリオ』編を書き上げた」と記している。「連載」とはエピローグ以前の一章から四章を指しているのだろう。

作品は、北京オリンピック前年(2007年)の夏の土曜日に、地下鉄ソウル駅で夫とはぐれた母親に密接な肉親をそれぞれの章において語る。作者は、一章では作家の長女を「あなた」といい、二章では長兄を「彼」といい、三章では夫を「あんた」 といい、四章では母親自身を「あたし」、次女を「あんた」という。しかも同じ四章で貧しい頃に母親が出会った「あんた」までもが登場する。

しかも、四章で母親が学生時代の次女と行動を共にしたり、土俗的世界が混在したりするあたりから、エピローグでバチカンにあるピエタ像に母親を重ねるまでの表現は難解だ・・・文学はやっぱり難しい。

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年11月15日木曜日

陶淵明-2

陶淵明の詩についての市民講座の2回目を聴く。「帰去来の辞」につづいて、今回は「田園の居に帰る五首」中の、其の一、三、四と、「斜川(しゃせん)に遊ぶ 并(なら)びに序」について解説された。

「田園の居に帰る五首」中の、其の一の詩中にある次の対句に興味があった。
狗吠深巷中   【狗(いぬ)は吠ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)】   犬が奥まった路地で吠えていたり
鶏鳴桑樹顛   【鶏(にわとり)は鳴く 桑樹(そうじゅ)の顛(いただき)】   桑の木のてっぺんで鶏が鳴いている

この対句について、老子の描く理想郷に通じるとのこと。そういえば、使用のテキスト後半にある有名な「桃花源の記」に「鶏犬相聞」もあって、犬や鳥ののんびりした鳴き声は、桃源郷のひとつのシンボルのようだ。

現世は、自宅で鶏を飼う人はいないし、流行の小型犬は鳴き声をあげないものが多いようで、桃源郷とは反対の世界だ。

また、漢字の特性について次のような説明があった。
表意文字である漢字は、名詞にも動詞にも形容詞にもなり得る。例えば、「種(たね)を種(う)える」というふうに同じ漢字を名詞と動詞に使うことができる。なるほど・・・言葉(文字)をきちんと見つめていない者としては、客観的に気付かされました。

ところで、気になる点がある。陶淵明の詩中で使われる「自然」という言葉だ。この「自然」を、時代に分けて解釈したらどうなのだろうか。例えば、陶淵明の1600年前の東晋時代、あるいは蘭学以前の江戸時代、そして現在において、「自然」という言葉の理解や認識の差によって、詩の解釈も違ってくるような気がするけれど・・・どうだろうか。

2012年11月14日水曜日

(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌

申京淑(シン・ギョンスク、신경숙)の小説「母をお願い」(安宇植訳、集英社文庫)の中で、長兄をソウルに送り出した後、切ない思いをする母親(オンマ)について触れるところがある。庭先に並べた容器の甕(かめ)をこすりながら、遠くの息子に心通わせようと母親が口ずさむ。

(第一の)主人公である娘は、母親の心境と涙に気付いていたろうに、その後ろ姿に「オンマ!」と呼びかける・・・。

そのとき、母親の口からトロットの一節を聞いている。ナムジン(南珍、남진)の「カスマプゲ(痛心、가슴아프게)」(1967年)の出だしの「わたしとあなたの間にあの海がなかったら/辛い別離だけはなかったろうに・・・・・・」や、ナフナ(羅勲児、나훈아)の「愛は涙の種(사랑은 눈물의 씨앗)」(1968年)の「・・・・・・いつかあなたは/わたしを棄てたりなさらないでしょう」だ。

(Youtubeに登録のmomo86ist、sclctradingに感謝)

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年11月13日火曜日

深まる秋

小金井公園をぐるりと廻りながら、今晩韓国語教室のまとめテストに向けて、ICレコーダー*に収めた会話を聴く。
(*)CD収録の会話をMP3に変換して携帯デジタルプレイヤーに収めればよいのだが、面倒なのでパソコンで再生した音を、ICレコーダー直付け録音した。やってることはアナログである。

公園の木々は、赤・黄色に染まって秋を演じている。手入れの届かない公園奥の木立の下には、枯葉が積もっていた。
太陽が雲に隠れると急に辺りがヒンヤリとしてくる。客もまばらな公園売店前にあるテーブルで、熱々のおでんを食う・・・温まるねえ。まあ、こんなわけだから語学の勉強もはかどらない。

当地は野川崖線がぬっているため当然坂道が随所にあって、教室の往復に利用する。西武多摩川線をはさんだ「二枚橋の坂」は、旧坂の方が傾斜が急であり、帰りに少々しんどい。おまけに、今晩は秋の風も吹き抜けて寒いのだ。そんな坂道を上がっていたら、腰ほどの木立の中から子猫の泣き声がする。この冷え冷えした夜、何かを求めて呼んでいるような気がした。けれど、芭蕉の「野ざらし紀行」にある、あのいたたまれぬ句を想起しながら坂道を上りきってしまった。

ところで、テスト結果は・・・轟沈でした。

2012年11月12日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 情歌楽会

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/7)に、人物シリーズ53回目として、国楽室内楽団「情歌楽会(チョンガアク会、정가악회」(2000年~)を紹介した。

始めに、「情歌楽会」の活動の趣旨について次のように語られた。
・芸術の分野では、自分だけの色、つまり個性を出すことができて初めて認められる。国楽界では、フュージョン音楽を追求する若者が増え、大衆の関心もこういった新しい音楽に向いている。
・情歌楽会は現在より、過去・未来に目を向けた活動を行っていて、伝統音楽をより深く、創作音楽はより広く、そして国楽をあまり耳にしない人々をも巻き込んで音楽を作っている。

▼情歌楽会による、慶州良洞村(?)で見つかったという「女唱歌曲(여창가곡)」から 「編数大葉(편수대엽)」を聴く。このゆるりとした感じ・・・とても舞踏的な気がするけれど。

伝統音楽は、韓屋の室内構造、規模に合ってこそ響きを際立たせる。情歌楽会は、韓屋でレコーディングした二つのアルバムを含めて、3枚のCDをリリースした。

次のように情歌楽会のプロフィールが紹介された。
・2000年 情歌楽会創立。伝統音楽の中でも正楽(昔のソンビの風流音楽)に注目して活動を始め、メロディーを再構成し、新しい楽曲を作り出した。
・現在、情歌楽会は音楽団体というより、音楽家たちがその構成員となる企業の形をとっている。

▼情歌楽会による、「情念(정념)」の中から「人間(인간)」(ユン・ヘジン作曲)を聴く。現代曲風リズムと始原的な音色が重なり合う。

・情歌楽会の音楽は、一般的なフュージョン音楽と違い、また昔の音楽家とは少し違う方法で、自分たちの世界を構築している。新しい道へ導く、国楽界の新たな光のような役割を果たしているのではないだろうか。

▼情歌楽会による、「ジュル(弦)風流(줄풍류)」の中から、「細霊山(세령산)」を聴く。上品な汎東洋的な香りがする。

(追記)
情歌楽会は、確かに今様なスタイルをとっていない。伝統的な音色を大切にしているようだ。こんな継承があるのだとはじめて知った・・・ちょっと気になる。

2012年11月11日日曜日

漢字

夕方降り始めた雨は、深夜を境に明朝には静まるようだ。

今晩放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第2集『漢字誕生 王朝交代の秘密』」はおもしろい。漢字の起源(甲骨文字による占い)と特徴を紹介した。三千年前の殷時代に登場した漢字の歴史の裏表(恐怖政治)は少々気が滅入るが、その後歴史に受け継がれる表意文字の漢字は、時代を超えて意味を持ちつづけ、空間の広がりで意味を拡大した。

表意文字の漢字の重みと柔軟性にあらためて気づかされる。他方、表音文字カタカナの蔓延に言葉の理解の仕方も変わっていくのではと気掛かりだ。

・・・夜分、雨音が急に止んだと思っていると、またしとしと雨音がしてくる。やっぱり一晩中降るようだ。

2012年11月10日土曜日

イ・ソンヒの「恋文」

美しい序奏で始まる、イ・ソンヒのアルバム7集(1991年)に所収の「恋文(연서)」は、彼女が持つ少女のような一面をあらわしている珠玉の一品だ。

ぽっかりと空いた少女の心を埋めるのは、置かれた写真からの視線ではない、思い出の言葉でないのだと、切ない心の恋文を送る。・・・かわいらしいね。それにしても美しい曲だ。
Youtubeのイ・ソンヒの写真に、彼女の少女時代の面影が見えませんか。素晴らしい選定だ。

(本ブログ関連:"7集")



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2012年11月9日金曜日

小金井公園秋逍遥


公園東側散歩道
昼下がり、小金井公園東側にある、テニスコート脇の散歩道は木々の一部が紅葉して秋の気配を感じる。 とはいえ、落ち葉が風に吹かれたり、枯葉が重なるほどではない。深まる秋を楽しみたい。

公園中央「いこいの広場」のユリノキは、洒落た木立で全体に黄葉が進んでいる。秋のロマンチックな気分に浸りたいならここがよいかもしれない。

「こどもの広場」に小学校の低学年らしい集団がいて、帰り支度をする様子をしばらく見た。22名の生徒を、4、5人の先生方が引率している。さて、一列に前並びして、順に番号を言わせるのが面白い。ひとりひとり番号を口にしながら回れ右するのだが、女の子は何事も静かでゆっくり声を出し回転するが、男の子ときたら、例えば、「ななっ(七)!番~ん」てな具合で、元気よく大声を出しながら飛び上がって回転する。23番目まで言わせるのは大変だ、先生方お疲れさまです。そんなことも知らず、低学年の小学生一団は、元気よく手を振りながら一列になって帰っていった。楽しい眺めだった。

(本ブログ関連:"ちいさな男の子は阿呆である")

2012年11月8日木曜日

今日の記事:イ・ソンヒ(李善熙)

Google検索で、「期間指定」を24時間以内にして、「이선희」(イ・ソンヒ)を調べると、上位記事に歌手イ・ソンヒ(李仙姫)について見られず、三星ライオンズ所属のスカウターであるイ・ソンヒ(李善熙)が、ハンファ・イーグルスにコーチとして迎え入れられた・・・ということばかりだった。

歌手イ・ソンヒが検索のトップ(2ページに渡って)に上がらないなんて、こんなことは珍しい。ハングル氏名では男女の区別ができないことがある。

ちなみに、李善熙の経歴は次の通り。(Daumスポーツ掲載のxportsニュース記事(11/8))
・慶北高校を卒業した、李善熙(現コーチ)は、プロ元年の1982年~1987年まで三星ライオンズとMBC青龍を経て6年間通算133試合に出場し、28勝36敗3セーブ、防御率3.35の成績を残した。
・以降、1994年~2000年までハンファのコーチを歴任し、2000年~2007年までは古巣チーム三星のコーチを務めた。2008年からは三星のスカウターを歴任した。そして(今回)、2000年代初頭一緒だったキム・ウンリョン監督が率いるハンファのコーチ生活を始めることになった。このコーチの職務は今後決定され、投手パートを引き受けるものと見られる。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")

2012年11月7日水曜日

立冬2012

今日は、立春から数えて19番目の節気「立冬」である。「」の始まりなのに、最高気温はなんと20℃(立川市、Weathernews)になった。平年7日の最高気温は、18.3℃(府中市、1981年~2010年)なのだから随分と暖かい。とはいっても寒がりなので、先月中旬からガス・ストーブを使っている。

健康体操教室で汗をかいて帰り道、マクドナルドに寄って窓際の暖かい席に座ると、ガラス窓越しの陽射しを浴びてうつらうつらしてくる。文庫本の同じページを何度も読み直す。

本格的な納得できる冬はいつ来るのだろうか・・・気付いたときが冬というわけだろうけど。立春(来年の2月4日)になっても、まだ寒い寒いといっているだろう。

2012年11月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴松熙

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/31)に、人物シリーズ52回目として、パンソリの歌い手(ソリックン、소리꾼)で、今年85歳になる朴松熙(パク・ソンヒ、박송희、1927年~)を紹介した。
解説の岸さんの熱い語りにいつも感銘を受けます。

まず、「口伝授心」の説明から始まった。
・弟子は「師匠の影は踏んでもならぬ」という、常に師匠に対する尊敬の念を持つ意を込めた言葉がある。伝統音楽の国楽も、口伝えて心を授ける「口伝授心(구전심수)」という、師匠と膝を向かい合わせて、一節一節、聞き取って、師匠の歌をひたむきに守ることを通して確立された。
師匠の存在が格別な存在であったことも分かる。

師匠の教えを守ったパンソリの歌い手、朴松熙の歌を聴く。
▼朴松熙による「興夫歌(흥보가)」の中から、<ノルブ(놀부)の二つ目の瓜から大道芸人たちが出てくる場面>を聴く。こぶとり爺さん、舌切り雀、あるいは金の斧か・・・とにかく元気で威勢がよい。

(本ブログ関連:"興夫歌"、"甫歌")
 
次のように朴松熙のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道和順に生まれる。
・10代前半の頃から複数の師匠に師事しパンソリのみならず歌や舞を学ぶ。
・結婚して田舎で農業を営みながら村人に公演などしていたが、夫の死後、ソウルで朴綠珠(パク・ロクジュ、박록주)名唱と出会い、「春香歌(춘향가)」、「興夫歌」、今は忘れ去られた幻のパンソリ「淑英娘子傳숙영낭자전)」など学ぶ。
・また朴鳳述(パク・ボンスル、박봉술)名唱から「赤壁歌」の伝承を受ける。

▼朴松熙による「赤壁歌(적벽가)」の中から、「軍士点考(군사점고)」を聴く。歌というより語り・・・。
・中国三国志に由来する赤壁歌だが、歌中に韓国固有の情緒が(空想により)込められている。

・2002年、パンソリ、フンボガの芸能保有者として指定され、伝承が絶えたといわれている「淑英娘子傳」などを音源として残した。

▼朴松熙による「淑英娘子傳」の中から、<仙君(선군)が淑英(숙영)を恋い慕う題>を聴く。夢と現実が交流し・・・現実に救われる不思議な話。物語伝承として聴きたい。

2012年11月5日月曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒが2009年5月のコンサートに向けてメディアに登場したひとつに、MBCの番組「音楽の旅 ラララ」(2009年3月26日)がある。その中で、彼女の代表曲「分かりたいです(알고싶어요)」を歌っているのをYoutubeで聴こう。。
忍び入る月光のような青い明かりを背に受けて、かわらぬ高趣ただよう彼女の姿を見ることができる。全画面、画質を上げて視聴したい。

(本部ログ関連:"分かりたいです")



(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2012年11月4日日曜日

四谷で鉱物の会 12-11-4

四谷へ鉱物の会の例会に行く。この時期、プログラムのメインは夏休み報告で、会場は大盛況、会員であふれていた。
基本的に夏を中心に、鉱物採集した産地、採集物、地元状況などの成果について、会員がひとりひとり報告する。なかでも、秋田県(A鉱山)と愛知県(T鉱山)の採集報告が重なった。多数の会員が同一鉱山におもむいたようだ。それから最近の傾向だが、親子連れの新入会員が増え、子どもたちの自己紹介がほほえましかった。
また、会員有志による群馬県沼田周辺のミニ鉱物採集会の丁寧な報告があった。

ちなみに私の報告は、8月末に栃木県西沢鉱山へ行ったこと。10月初めに秩父鉱山大黒坑でブーランジェ鉱を手に入れた(いただいた)こと。10月末に東京都埋蔵文化財センターの見学会で滑石を使って勾玉作りを・・・まず砥石で大きく削り取り、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどで整形し、最終的に感熱型のレシートで磨くと光沢が増して綺麗に仕上がる・・・ことを。

ところで、いつもお世話になっている筑波の研究者S氏から、鉱物の学会で催された巡検に参加して採集した標本をいくつか分けていただいた。
・桜石(京都府亀岡): インド石を核に菫青石が周りを囲むように成長。断面が花弁に見えて美しい。
・正長石(大阪府能勢町): がっつり組み合ってカルルスバット式双晶がわかる。
・高温型石英(大阪府能勢町): しっかり両錘状だ。
・コーク石(兵庫県猪名川町): 希少鉱物だそうだ・・・黄土色皮膜の地味な鉱物。

また、毎回会員が提供する鉱物標本をいただいた。
・水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・緑水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・黄鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・赤鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・砂(モロッコ、サハラ砂漠)

2012年11月3日土曜日

標本の整理

鉱物標本の置き場に困り、仮置きしたつもりの応接間も埋まってしまった、どうしよう。

むかし採集しながら、ラベル紛失など整理不十分で産地不明になってしまったものの、綺麗というだけで残していた石を、とうとう玄関先の窪みに置いて(というより捨てて)しまった。他に持っていく処はないのだから。

横を通るたび、光をうけてキラリと輝く水晶の群晶、鮮緑色が美しい孔雀石、ピンクに染まったバラ輝石・・・色は混じり光が散乱している。半分楽しみ、半分心苦しく思っている。

まだまだ、未整理品がいっぱいある、どうしょう。

2012年11月2日金曜日

カマキリ

昼の日向、外出しようと鉄製の門を見ると、暖かい陽射しに鮮黄緑の色を透かした体長10cm程のカマキリが動かずにいた。ぬくい、むしろ熱いくらいの門にじっと佇み温まっているのだろうか。

この時期に?とWikipediaを見れば、「野生下においては、関東以西では雄個体は10月中~下旬頃、雌個体は11月上~下旬まで見られる」とのこと。はたして、今日見たカマキリは雄だったのか、それとも雌だったのか。美しい体色から想像するに雌だったのでは・・・。この時期はカマキリの産卵期でもあるそうだから。

ところで、子どものころ平気だったカマキリの手づかみを今はできない。その理由がないからだ。じゃあ逆に、子どもは何で平気で虫に手を出すのだろうって考えてしまう。とにかく触りたいという燃えるような好奇心をすっかり忘れちゃったみたいだ。

カマキリの名を漢字で「蟷螂」とあらわすが凄みが感じられない。虫偏に「當」と「郎」に一体どんな意味があるのだろうか。むしろ、和名の通り「鎌斬り」とでもすれば、あの前足で身構える姿に通じてピッタリするのだが。
・・・それに、韓国語でカマキリと疣(いぼ)が何で同じ「サマギィ(사마귀)」なんでしょうね。しかも英語では「祈る(praying)カマキリ(mantis)」だし。

さて、家を出て振り返って見ると、門にカマキリの姿はなかった。どうやら邪魔しただけのようだ。

2012年11月1日木曜日

陶淵明-1

中国朝時代の詩人陶淵明(365年~427年)の描いた世界について、市民講座があり出かけた。今日は講義の初回で、全5回を予定している。

漢詩・漢文は、高校時代の授業が最後で素養もないにもかかわらず、今回受講した目的は、先日ブログに記した通り、イ・ソンヒの歌「分かりたいです(알고싶어요)」に付された漢詩について知りたいからだ。
(この漢詩の由来は承知のうえで・・・)

さて、地元公民館の教室は、多数の聴講者が集まり埋まっていた。講師は、入門書「MY古典 陶淵明のことば」(斯文会)をテキストに同著者の田部井文雄氏が解説された。(以下同書より)

初回講義は、「帰りなんいざ、田園 将(まさ)にあれなんとす・・・」で有名な「帰去来の辞」だ。詩四段の書き下し文、語句について順に解釈された。陶淵明が職を辞して帰郷するという意気盛んなイメージがあったが、人生の有限を嘆じていることまで含まれていたとは知らなかった(忘れていた)。
すなわち、「已(や)んぬるかな/形を宇内(うだい)に寓すること復た幾時ぞ」(ああ、もう終わりなのだなあ/この身をこの世に生き続けさせるのも、これからどれほどの間のことであろうか。)とうたいながらも最後に、天命にまかせて疑いを持たず生きようとする。けれど・・・。

それはそうと、これからイ・ソンヒの「分かりたいです」の漢詩(蕭寥月夜思何事 ~)を調べてみようかな。