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2012年10月28日日曜日

勾玉作り

小雨降るなか、午前・午後の半日をかけて、多摩センターにある「東京都埋蔵文化財センター」の見学会に行く。主催は、地元小金井公園に併設の「江戸東京たてもの園」(友の会)である。ちなみに、同園で開催中の「武蔵野の歴史と考古学展」は同センターと連携している。
今回、センターの収蔵庫をのぞいたり、勾玉作りをしたり貴重な経験をさせていただき、関係者に感謝です。

午前は、最初にDVD(フジテレビの放送映像)による、縄文時代のクッキー(パン)作りの紹介を見る。マテバシイ(ブナ科の常緑高木)のドングリの実を使ったもので、手近な材料であらためて真似したくなる。縄文の食事は、温暖化による広葉樹林のおかげである。
同センターは、本年度の企画展示として、「縄文人の食事」をテーマに縄文時代の人々の食生活を紹介している。多摩センター地域は内陸地のため、縄文人の食材はもっぱら木の実、獣、川魚などが中心で、海産物を食べた痕跡はないそうだ。
次に、展示室と遺跡庭園の竪穴住居(再現)を巡る。展示室の縄文土器が新しくなるとともに大きくなることについて、貯蔵が目的だったのではという解説があった。時代とともに、食料の生産力も上がってきたことがうかがえる。遺跡庭園で驚いたのは竪穴住居が、内部で火を焚くと意外に暖かいのだ・・・とはいえ、室内は暗く、煙通しが天井にあるが、さぞ煙たかったことだろう。この生活を、私たち先祖は生まれてから死ぬまで何代と過ごしたことになる。
庭園は、北側に川を望む丘地にあり、崖下に湧水を得られる、実際に縄文人たちが生活した場所である。
縄文時代(前13000年~前2400年頃)は、集落の規模も小さく、互いに争いをした形跡は残されていない平和な時代だったようだ。残念ながら、当時の子どもたちの世界を垣間見ることのできる遺物(たとえば玩具のようなもの)は、まだ発見されていないようだ。

午後は、勾玉作りだ。実は参加者に子どもたちが多ければ席を譲ろうと思っていたが、真反対の世代ばかりのため、安心して製作に励む。勾玉の石材といえば、糸魚川の翡翠を思うけれど、今回は超柔らかい硬度1の滑石(チョークの材料)を使って指導を受けた。結果は左写真の通り・・・まんざらでもない。
直方体の滑石の石片に、勾玉の図柄を描き、砥石で削り取ることから始まる。順次、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどを使って整形する。ところで、指導の方から、感熱型のレシートはさらに細かい仕上げに使える・・・とのことで使ってみれば、なるほど艶がでてきたから驚き。