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2013年3月28日木曜日

ラファエロ展

昨日までの寒さは一体何だったのかと思うほど、今日は暖かだった。春らしい陽気に誘われて、上野にある国立西洋美術館で開催中の「ラファエロ(Raffaello)」展を見に行くことにした。

ルネッサンス期に、わずか37歳で生涯を終わらせたラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)の作品展だが、同展によれば「ヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展」という。今までこのような特別展がなかったことにちょっと不思議な気がする。(ラファエロに対する評価の風潮がそうさせたのかもしれない)

(本ブログ関連:"ラファエロ")

上野駅の改札口を出て驚いた。小さな子ども連れが多いのだ。春休み?・・・地元の小学校のスケジュールを調べると「3月26日~4月5日までは春休み」とのこと・・・なるほど、もう春休みだったのか。子どもたちは、動物園に行くのかな。
ラファエロ展も観客が後を絶たないほど盛況だった。一部の絵の前では、人だかりして鑑賞がままならないものもあった。混雑時の音声ガイドは、鑑賞の流れにサオさすような気が・・・。

さて、今回の展示画のなかで、まず見たかったのは、作品「大公の聖母」(1505-1506年)だ。フィレンツェ時代に、レオナルド・ダビンチの「繊細な明暗法の影響を受けた」(ラファエロ展「カタログ」:p.76)もので、聖母の穏やかなまなざしに心安らぐ・・・慈愛と、そして未来への微かな不安まで感じる。
この絵の聖母子の背景は、後世に黒く塗りつぶされたというが違和感ない。そう思い込んでいるからだろうか、むしろ絵に落ち着きと静謐すら感じさせる。

北方ルネッサンス好きにとって、おやっという思う解説があった。作品「エリザベータ・ゴンザーガの肖像」(1504年頃)だ。ラファエロが生まれ育ったウルビーノの地に戻り、ウルビーノ公妃となったいささか権高さを漂わすエリザベータを描いたものだ。
「同時期のほかの画家と同様、ラファエロがウルビーノの宮廷でも人気を博していたフランドルの肖像画技法に高い関心を払っているが、その結果、背景に見える風景描写に注意を払うようになった」(同展「カタログ」:p.74)という。実際、あのゴツゴツした岩の雰囲気は、フランドルにあるというよりも、北方の画家がアルプス越えしてまでイタリアに学ぼうとしたとき、アルプスに至る道すがら見た山景ではないだろうかといつも思っているのだが。
フランドルの画法が、逆にイタリにも影響を与えていたというのは楽しい。

カタログの解説「ラファエロ像の変遷と偶像化の過程」(同展「カタログ」:p.34、渡辺晋輔)にも触れられているのだが、ラファエロの下絵を元に作られた版画「パリスの審判」(1513-1515年、マルカントニオ・ライモンディ)の人物配置がおもしろい。版画右下3人の人物配置が、発表時に道徳的に問題視されたマネの作品「草上の食事(昼食)」(1862-1863年)と同じだからだ。このモチーフは、古代のレリーフ以来使われたものだそうだが、どうやらモネの絵の強烈なインパクトから、版画の構図に目がいったというのが正解だろう。

そうそう、ラファエロの作品「自画像」(1504-1506年)はおなじみだ。

(資料)韓国50代アジョシ

韓国の50代、特にサラリーマンについては、定年が50代半ばということもあり、その選択に直面するのが早いため、人生観に大きく反映するようだ。朝鮮日報の記事「【萬物相】男が50歳を過ぎたら」(3/27、朴海鉉[パク・ヘヒョン]論説委員)は、50代男性(アジョシ)の置かれた状況を次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:"50代")
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・心理学者によると、男が50歳を過ぎれば「第2の思春期」を迎えるという。ちょっとしたことでイライラし、すぐに泣き出してしまうこともあるらしい。また50歳を過ぎると知識や経験も豊富になり、若い人たちにあれこれおせっかいもしたくなるため、世代間の葛藤も増えてくる。そのためか退職して仕事をしなくなると雑念が増え、自分で自分の心と体を痛めつけてしまうことがよくあるようだ。

韓国でベビーブーム世代といわれる50歳から58歳の年代は715万人もいる。親の世話だけでなく、子どもを大学に行かせ、結婚もさせなければならないため、人生のあらゆる重荷を背負っているかのようだ。男たちは老後の備えもできていない平均53歳の若さで仕事をやめてしまう家では家長としての権威もずいぶん前から色あせた。元気を失った50代の男たちが増えたためか、彼らを慰めるための書籍が相次いで出版されている。

・男が50歳になって過去を振り返ると、誰でも後悔することが山のようにたくさんあるはずだ。それでも人生のさまざまな苦労を乗り越え、何とかここまで生きてきた。50歳という沼にはまって全ての活動をやめるのはまだ早い。まだまだ元気は残っているはずだ。
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