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2013年7月26日金曜日

津波が湾内の泥を押し流すこと

異性を知らずこの世を去った若者を惜しんで、せめてあの世で男女の縁を結ばせようとする儀式が日本や近隣の国々にある。空想の婚姻でも、残された者にとっては、命の永続性を願うことに通じる。

しかし既婚者が亡くなったとき、あの世の世界に、以前と異なる男女の関係が突然現れたら厄介なことだろう。あの世は不可侵なのだから。

以前、NHKテレビで東北の大震災のドキュメント中に、柳田国男の「遠野物語」にある、次の伝承に通じるできごとが紹介された。
事実に人のこころの難しさを感じたが、あの世とこの世をさ迷う、現(うつつ)の幻視かもしれない。震災は、深く沈殿していた「わだかまり」を呼び覚ましつつも、津波という大きな不幸とともに流し去る機会を与えてくれたのかもしれない。

「遠野物語 九十九」(改行、読点任意設定)
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土淵村の助役北川清という人の家は、字火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は、海岸の田の浜へ婿(むこ)に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。

夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚(なぎさ)なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。

今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛(かわい)くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元(あしもと)を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰(やまかげ)を廻(めぐ)り見えずなりたり。追いかけて見たりしが、ふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩(わずら)いたりといえり。
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