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2014年9月30日火曜日

今年も3/4食べてしまった

9月最後の日。今日を過ぎれば、今年も残すところ1/4しかない。リンゴの実を中心に立て切りしたものをイメージすると、残りの少なさに驚く。そんなに早食いしてしまったのかと。

(本ブログ関連:”リンゴの実”、”林檎”)

小川の心地よい流れに足をつけて笹舟遊びしていたら、みるみる遠くに流れて行ってしまうのを見て慌てるよう。だらけていたわけでなく、貪ったわけでない・・・指折り数えてやっと気付くのだ、時の刹那さが身にしみる。

思いより早く、時が追い越していく。巾着田の真っ赤な彼岸花(曼珠沙華)の見物でもと思っていたら、すでに盛りを過ぎたとネットで知る。せめて秋、垣根越しに金木犀(キンモクセイ)の香りを楽しもう。沈丁花もそうだった、子どもの頃に馴染めぬ香りだった。歳を重ねるうちに親しむような、まるで秋刀魚の苦味。まんざら悪くない。

(本ブログ関連:”キンモクセイ”、”彼岸花”)

秋の深まりは負い打ちをかける。何と文具店の店頭に、来年のカレンダーや手帳が並んでいる。来年のことまでは頭がまわらない。

(本ブログ関連:”カレンダー”)

2014年9月29日月曜日

御嶽山噴火(続)

先週末(9/27)の御嶽山噴火は、犠牲者が多数になるかもしれない。まだ、山頂付近に心肺停止状態のまま救出されずいる方があるようだ。当日、行楽日だったため、行方不明者の中に家族連れが含まれるかもしれない。

(本ブログ関連:”御嶽山”、”火山”)

ところで、今回の噴火の成因について、水とマグマ性の熱による「水蒸気爆発(噴火)」であって、マグマそのもの(噴出)による「マグマ噴火」ではないようだ。ただし、この「水蒸気爆発(噴火)」後、「マグマ噴火」に遷移するかもしれないとのこと。

テレビで知って驚いた情報がある。
① 現在、地震研究と比べて、火山研究の体制(研究者)と資金(研究費)がともに極めて不足しているという。この時代、地道に自然に対する研究を尊ぶ気風を忘れているようで残念だ。火山(災害)研究の国家的支援の是非を、機会損失的な切り口で論じると、とんでもないしっぺ返しを受けるかもしれない。
② 今のところ、「水蒸気爆発(噴火)」について科学的な予知が難しいということも聞いた。

2014年9月28日日曜日

イ・ソンヒ ペク・チヨンのコンサートに出演

10アジアの記事「ペク・チヨンのコンサート、イ・ソンヒ、キム・ジェドン、イ・スンギ、FlyToTheSkyなど華麗な人脈いっぱい」(9/23、チェ・ジンシル記者)は、歌手ペク・チヨン(백지영)のコンサートに、イ・ソンヒがゲスト出演というサプライズを次のように報じている。(抜粋)
ペク・チヨンは、イ・ソンヒと一緒に写ったYoutube映像でしか見たことがないので、つい若手かと思ったが、1999年デビュー以来芸歴を積んだ歌手だった。イ・ソンヒが、同じ事務所ではない後輩歌手のコンサートに出演するのは珍しいことなのだろう。

(本ブログ関連:”ペク・チヨン”)
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・歌手ペク・チヨンのコンサートに、華麗な歌謡界の先輩、後輩が共演した。

・去る(9月)20日、ソウル・オリンピック公園オリンピック・ホールで、「2014ペク・チヨン ショー-その女性」が開催された。この日、公演は一日2回進行された。この日の公演ゲストに、イ・ソンヒ、キム・ジェドン、イ・スンギ、FlyToTheSkyが出演して、・・・、ペク・チヨンの夫であるチョン・ソグォンまで公演会場にサプライズ登場して皆を驚かせたりもした。

・特にこの日、ゲスト公演の白眉は、FlyToTheSkyに続き登場したペク・チヨンのメンター(=指導者的)先輩歌手のイ・ソンヒの舞台であった。観客は、イ・ソンヒがメイン舞台に登場するとすぐに大きな叫び声と拍手を送り熱烈に歓迎した。

・イ・ソンヒは、映画「王の男」のOSTで多くの愛(=支持)を受けた「因縁(인연)」(の歌)で舞台の幕を開けた。イ・ソンヒは、特有の清らかで澄んだ声で「因縁」を歌った。特に、(歌の)折り返しでは爆発的な歌唱力でソフトなカリスマ性を披露した。

・イ・ソンヒは、始めてすぐ「チヨンさんの歌に癒された。公演会場に早く到着して、チヨンさんの歌を聞いて順番を待っていた」と、後輩ペク・チヨンに対する変わりない愛情を誇示したりもした。

・イ・ソンヒは、最後の曲で、今年発表して多くの愛を受けた15集タイトル曲「その中であなたに出会って」を舞台披露した。

・イ・ソンヒとペク・チヨンは、この間、SBS「ヒーリング・キャンプ」、JTBC「HIDDEN SINGER」などの番組に一緒に出演して、お互いの友情を確認した。イ・ソンヒは、「ペク・チヨンの歌は、演技を没入させてくれる」として賞賛を惜しまず、後輩ペク・チヨンの胸いっぱいにさせたりもした。

・ペク・チヨンは、来る10月4日釜山公演に続き、10月18日大邱、11月1日天安公演を控えている。
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チゲパックを4つ

朝のTVニュースで、日比谷公園で昨日・今日開催の「日韓交流おまつり」を知って出かけた。
初めてのイベントなので例年と比較できないが、規模は思ったより小さ目だが、人出は天気もよくてまずまずのよう。

入り口で購入した食べ物クーポン券を片手に、まず海苔巻きを求めた。家族連れが、会場で買った食べ物で昼食している日陰に混じって食べる。この海苔巻き、いかにもアジュンマの手造り感がしてよい。

その後、食品会社のテントを巡って、チゲの素のスープ・パック(日本語表記のパック)を4つ購入(3+1おまけ)する。帰宅して、パックの「ご注意」表示を読むと、一昨々日、本ブログに記載(「スンドゥブチゲの季節(簡略版)」)したものとソックリ・・・つまり、そそっかしい人向けに、「こぼさぬように」、「火傷せぬように」というもの。私と同様なことをする客がいるというわけ。

明日にでも、スンドゥブ・チゲにして食してみよう。

ところで、このイベントでは、書籍関連の話題もあったが、展示書籍は韓国文化院の一般蔵書のようで・・・。書籍販売を期待したが、これも書店で見る語学書だけで・・・とはいえ、一冊求めた。

2014年9月27日土曜日

御嶽山噴火

帰宅して、夕方のNHKテレビニュースを見て驚いた。長野県と岐阜県の境にある、御嶽山(3,067m)が噴火したのだ。

山頂付近に人影があって、その背後を噴煙がモクモク吹きあがっている。解説によれば、山頂付近の登山者から犠牲者が出るかもしれないという。また、麓で撮影していたテレビクルーを、かつて雲仙普賢岳で発生して犠牲者を巻き込んだあの火砕流(1991年)を思わせる噴煙が山肌を滑り落ちて襲ってくるのに、息をのむような恐怖を感じた。クルーは幸い無事だった。

(本ブログ関連:”火山”)

気象庁の噴火警報「火山名  御嶽山  噴火警報(火口周辺)」(平成26年9月27日12時36分  気象庁地震火山部)は、次のように発表している。(抜粋)
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<御嶽山に火口周辺警報(噴火警戒レベル3、入山規制)を発表>
・火口から4キロメートル程度の範囲に影響を及ぼす噴火が発生すると予想。
<噴火警戒レベルを1(平常)から3(入山規制)に引上げ>
(本文)
1.火山活動の状況及び予報警報事項
  ・本日(27日)11時53分頃、御嶽山で噴火が発生しました。
 ・南側斜面を噴煙が流れ下り、3キロメートルを超えるのを観測しました。
 ・山頂火口から4キロメートル程度の範囲では、噴火に伴う大きな噴石の飛散等に警戒してください。
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そういえば、浅間山噴火のときも噴石危険のため、<山頂火口から4キロメートル程度の範囲>を進入禁止にしたことを思い返す。(ある集まりで、航空写真測量の方が、当時の浅間山頂の写真(約1x1㎡)を見せてくれて、2tクラスの噴石が軽々と飛んだ後が分かるものだった)

地震は、震源が見えないから次の発生を恐れる。火山噴火は、見えるだけに衰えぬ噴煙に恐怖が続く。

2014年9月26日金曜日

彼岸明け

「秋分の日」(9/23)を中日として前後3日ずつ挟んで、今日は後半3日目の「彼岸明け」だ。

(本ブログ関連:”彼岸”)

彼岸だからといって、急にこの期間、仏教的な心の経験をしたわけでない。精神は日常のまま、いつも通り生活した。何にも変わりなかった、というわけだ。

地上に、宗教が色濃く反映する世界もあれば、「宗教」とはいささか無縁な世界もある。
私は、生活を緩やかに囲む自然に感応する、太陽が昇れば陽光に神々しさを感じるといった意味で、神道的な世界にいるのだろう。自然の変化とともに過ごすのに、経典や教典などまとまった導きの書を見たことはない。すべては、日々習俗として身に着けてきたものだ。

みんな生きている。熱帯雨林の熱気に蒸せるジャングルの中でも、針葉樹林の凍てつくタイガの中でも、みんな生きている、そして生きてきた。自然を知り、調和して生きていく方法を学んだのが、ある意味宗教的だと思うが。

密閉した人間の中に宗教を見いだそうとすれば、何かを見誤まるかもしれない。

2014年9月25日木曜日

スンドゥブチゲの季節(簡略版)

スンドゥブチゲをよく食う。地元駅そばにある韓国家庭料理店の料理と、スーパー店頭などで売っているパック入りスープの2通りだ。料理店で出されるスンドゥブチゲはプロ仕様の調理品なので、ここでは簡単に家庭でできる丸大の「スンドゥブ」スープ・パックについて、おじさんの観点から一言?述べる。
(願わくば、この「スンドゥブ」パックのコク味や色付けが変化しないことを!)

(本ブログ関連:”スンドゥブチゲ”)

スンドゥブ(純豆腐、순두부)は、おぼろ豆腐様の柔かい豆腐だそうだが、絹豆腐が口当たりよい。市販の簡易おぼろ豆腐を使ったものを食したことがあるが・・・食感が物足りなかった。
チゲ(煮込み、찌개)は名の通り、料理店ではいろいろな食材を入れるが、家庭では次のように簡略する。ちなみに、私は、アサリの香りと味覚が好きなので、この食べ物に卵を入れたことがない。

1.用意するもの(declare)
 ① 丸大の「スンドゥブ」パック (常温保存一袋、絶対に「辛口」がお勧め!)
 ② 絹豆腐(パック入り一丁、開封して一応洗っておく。大匙でこさぎ切る=包丁はいらない)
 ③ あさり(小型缶詰一缶、プルタブ式=缶切りはいらない)

2.調理手順(process)
 ① 「スンドゥブ」パックの封を手で切る。力いっぱいすると、内容物がプチッと服に飛び散るので注意。
 ② 小鍋に、①をゆっくり入れる。勢い余って外にこぼさぬように注意。(私の場合、小鍋まで引っくり返したことがあるが)
 ③ 暖め始める。これからの時期、①のパックに辛味の塊りがどうしても残るので、小鍋の熱(火傷せぬように)を利用して、パックの開いた口を逆さに、小鍋に斜めに傾けて溶かし出す。ここが大事なポイントだ!
 ④ スープが熱くなったら、パックに入れた「絹豆腐」を大匙で縦横に切り、(上下2層のつもりで)すくって小鍋に入れる。
 ⑤ ぐつぐつ煮えてきたら、缶詰の「あさり」を一缶全部入れる。最後に煮立ったらOK。

3、できあがり(IPO)
白いご飯に、スンドゥブ・チゲの豆腐、アサリを載せ、スープをたらしてフーフーいいながら食べるのが一番。

これから、熱いスンドゥブ・チゲが似合う季節がやって来る。

2014年9月24日水曜日

イ・ソンヒの「恋文」

イ・ソンヒの7集所収の「恋文(연서)」(1991年、作詞イ・ナムギ、作曲キム・ジンリョン)は、彼女の歌唱力と、その旋律の美しさ、優しさ、そして可愛らしさから、同じYoutube映像を何度もこのブログに載せている。

(本ブログ関連:”恋文”)

この曲に魅了されるのは、歌のなじみやすさもあるが、実は、映像にあるように登録者が採りあげた写真がいいのだ。ファンの心情、その根底にある共同性としてのイ・ソンヒ像を巧みに厳選したといっていい。彼女の持つ天性の爽やかさと清雅さ、そして童顔と形容される若々しさ。ファンの一人として、何度も聴き、何度も見入る。

「恋文(연서)」(歌詞

あなたを愛したから、心にあなたがとどまる
空の部屋を用意して、ロウソクを灯したわ

あなたへ笑顔を、部屋の壁に描いて
その懐に眠入りながら、夢を見ます

*冷たい風 空の果て、届くのを待ち疲れても
空の部屋 置かれた あなたの写真
私を じっと、見つめるのね

愛してます、言葉の代わりに、あなたの笑顔見たいのです

(*以降繰り返し)

愛してます、あなたのその言葉を、もう一度聞きたいのです

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

KBS WORLD「国楽の世界へ」漢江

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第72回として、ソウルの街を東西に横切る川、「漢江(한강)」にまつわる話を紹介した。

始めに、ソウル市街を横切り黄海に注ぐ漢江の地理的な位置とその象徴性について、次のように紹介された。
・漢江は、江原道から始まり、約500キロメートルの長さを誇り、ソウル市内の南部と北部を繋ぐ橋がかかり、観光名所としても知られる。文明の発祥地や世界的都市には、世に知られる川がある。川は人々の心を捉え、地域の人々のプライドにつながる。済発展を指した「漢江の奇跡」に象徴される漢江は、ソウルだけでなく韓国民を代表する。

▼ 漢江を歌った「漢江水打令(한강수타령)」を聴く。遊戯謡。陽を受け、川舟を漕ぐ櫓のさばきと合わせて歌ったか。

次に、漢江にまつわる風俗や交通史について、次のように解説された。
・昔、漢江で舟遊びした。景色を楽しむのでなく、楽器を演奏したり、歌う者や妓生を乗せて、音楽を聴きながら詩作などして遊び、金をかけた。現在の漢江は、遊覧船が往来し、川辺には市民公園、高層ビルやマンションが並び昔の風雅な情景と違う。
・昔、漢江は重要な交通路だった。舟遊びをする舟だけでなく、色々な船が往来した。人を運ぶ渡し船、地方から税として取り立てた米や物を運ぶ船、魚や生活用品を運ぶ商船など、渡し場に入ると一時的に市場になった。騒がしい風景が想像される。

▼ 舟歌「紫船舟歌(시선뱃노래)」を聴く。こちらは、海よりの漁獲船の歌か・・・洗練された歌い方で。

最後に、朝鮮時代の筏運搬に漢江の水路利用について、次のように説明された。
・朝鮮時代には大きな道路や荷車が発達していなかったので、物を運ぶ時は主に水路を使った。漢江は、江原道に始まち、忠清道を通って、ソウルまでつながった。仁川の海に近く、全国所々へ最も早くたどり着く便利な川だった。
・漢江でソウルに運ばれる物に、江原道の木材もあった。大きな家の建築に、丈夫な木材が必要だった。江原道は木材が豊富だが、ソウル(旧:漢陽(한양))まで運搬が問題だった。これを漢江に浮かばせ、漢陽まで筏にして運び、材木として売った。

▼ 江原道地方、春川の筏歌「春川筏歌(춘천 뗏목노래)」を聴く。川の流れに、峠行くアリランとは・・・民謡の合体?

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「筏に乗って長い旅をする人にとっては、船は退屈でときには危険なことも多かったと思います。そんなときにも、慰めになったのはやはり歌であったようです」

2014年9月23日火曜日

秋分の日2014

春と秋に、昼夜をほぼ二等分する日がある。今日は秋のその日、「秋分の日」だ。また、彼岸の中日でもある。といって、とりたてて何もない祝日だったが。

(本ブログ関連:”秋分の日”、”彼岸”)

そういえば、バナナ趣味の私としては、落としてはいけないビッグニュースがあったんだっけ。(人工)バナナ味にもっぱら関心持つ身としては、ちょっと趣旨が違うけれど、まるで漫画のバナナ皮ですってんころりんする物理的な課題について・・・だが。

(本ブログ関連:”バナナ”)

日経新聞の記事「『バナナは滑る』証明 イグ・ノーベル賞に北里大・馬渕教授ら」(9/19)は、ゴジラがバナナの皮に滑ってころんでいる絵を掲げて受賞スピーチした、日本人研究者を次のように紹介している。(抜粋)
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・ユーモアで笑わせた後、なるほどと考えさせる研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の2014年授賞式が18日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で開かれ、物理学賞にバナナの皮の摩擦係数を測定して実際に滑りやすいと証明した北里大の馬渕清資教授ら4人を選んだ。

・日本人のイグ・ノーベル賞受賞は8年連続

・人工関節の研究をしている馬渕さんは「痛みのもとになる摩擦を減らす仕組みはバナナの滑りやすさと同じだが、実際に滑りやすさを測定した学術的なデータはなかった」と研究の動機を語った。授賞式でも実際にバナナや人工関節の模型を掲げ、研究内容を歌いながら説明し笑いを誘った。

・馬渕さんによると、バナナの皮の内側は粘液が詰まったつぶがたくさんあり、足で踏むとつぶれて滑る原因になる。バナナの皮の上を歩いた時の摩擦係数は通常と比べて6分の1しかないという。ほか3人の受賞者は北里大の酒井利奈准教授ら研究チームのメンバー。
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この先生、スピーチ時間(たった1分間)をオーバーして、例によって登場する少女に制止(「もうやめて、私は退屈なの(Please stop. I'm bored.)」)させられるのだが・・・、いいなあ、何から何までジョークが効いている。しかも、受賞の賞金はないし、飛行機代から宿泊費用までみんな自前というのも、本当に洒落ている。
ここでは、「和を以て貴しとなす」じゃなくて、「奇を以て貴しとなす」だ。

2014年9月22日月曜日

セミの羽

玄関先の蟻(アリ)の行列が消えたよう。もう店仕舞いでもしたのだろうか。

いつもの隊列とは離れた場所で、別働のアリが群がっていたアブラゼミのむくろも見えなくなった。だいぶ前のことだ。今は、羽だけがポツンと取り残されている。
ネットの情報では、セミの羽に殺菌作用があるという。清潔過ぎて、アリたちは敬遠したのだろうか。

置き去りにされたセミの透明な羽に、葉っぱの脈のような羽脈が走っている。それが、地面の風に揺れて、微かに光を反射するのを見ると寂しいものだ。

今年、玄関先で、アブラゼミが最後を迎えるのを二度見た。鳴き声(音)をあげるでなく、ただ羽をせわしく打ち震わせていた。地上に出て一週間、命を終えると聞いている。かれらは、全うしたのだろう。

アリはセミの命を自分たちの巣に戻して、次の命に与えた。玄関先の一隅で、命は次の命に受け継がれる。そこには、見えない生命の大きな流れがある。歳をとると、まるで背中に風音を聞くように、そんな生命の流れを一瞬ふと見たような気がする。

2014年9月21日日曜日

日曜日の新大久保

新大久保には、人混みする日曜日を避けて、暇に任せて適当な曜日に出かけていた。久し振りの日曜日に、街の様子を訪ねてみることにした。噂に人出が減っていると聞いて、どの程度なのかも関心があった。

(本ブログ関連:”新大久保”)

確かに、旧来の職安通りも、それに対して後発登場した新大久保駅前からつづく大久保通りを挟んだコリアンタウンも、最盛期ほどの混み合いではない。総じて、若い女性が減った分、おばさんたちの姿が再び目立つようになったということか。

以前は、混雑する歩道で追い越しが不可能なほど人の流れが密着し、車道にはみ出るような時期もあったが、さすがにそれは見られない。歩道で追い越しできるほどの余裕が生まれた・・・。以前の盛況を知っているだけに、街の微妙なこの変化に、何か兆しているような気もする。

シャッターを降ろした店舗は見かけない。韓流ショップも必死で、路に出て呼び込みする姿が増えたように見える。また、街角の要所要所に、コリアンタウンのマップを、(多分)無料配置するようになったのが印象的だ。
いわれることだが、看板の文字がハングルから漢字にかわりつつある気配もする。(もしかしたら、目先のきく商人はもうとっくに、ここにいないのかもしれない)

ところ、職安通りの韓国CD・書籍ショップ(「コリアプラザ」)への途中、韓国菓子の屋台から流れる音楽に、イ・ソンヒの「その中であなたに出会って」が聞こえたりした。

(本ブログ関連:”その中であなたに出会って”)

書店には、申京淑(신경숙)の長編小説「深い悲しみ(깊은 슬픔)」(1994年)があった。初期の頃の作品だが、着実に版を重ねているようだ。

(本ブログ関連:”申京淑”)

街をぐるぐる歩いて、大久保駅そばにある韓国伝統楽器関係の物品店(「韓路」)で「韓国古典音楽選集(한국 고전 음악 선집)」(=歌詞集)を求める。韓国の民謡がどんなものか、文字が大きいのでゆっくり訪ねてみようかな。

2014年9月20日土曜日

彼岸の入り

今日は「彼岸の入り」だ。Wikipediaによれば、雑節の一つである秋の「彼岸」は、「秋分(=「秋分の日」の今月23日)」を中日とし、前後各3日ずつを合わせた計7日間ということで、今日がその前半部の初日となる。

(本ブログ関連:”彼岸”)

そんな仏教的な時節ながら、いかな境地に達する気配もない。深まる秋の寒さを心配して、昨晩なんかそろそろストーブでも出そうかと思案するのが精一杯。凡俗をきわめるには自信がある。

お話しかわって、今晩のNHKスペシャル「巨大災害(MEGA DISASTER)-地球大変動の衝撃」の第3集「巨大地震-見えてきた脅威のメカニズム」は、ちょっと刺激的で見入った。箇条書きにすれば、こんなことだろうか。
・プレートは、発生して移動する間に次第に厚さを増す。その重みで相手プレートの下に滑り込む。太平洋プレートの場合、海山の巨大な出っ張りを巻き込みながら滑り込む。
・滑り込むプレートに伴った出っ張りに抗して、上側の地中から大量の水が発生する。それがプレート境界面に流れ出て、プレートの滑り込みを容易にさせる。結果、地震が発生する。
・プレートの滑り込む進入角度が浅いと、摩擦面が多くなり、地震が巨大化する。その例として、チリの地震、日本の東海・南海沖地震につながるプレート面があげられる。
・これらのメカニズムの解明に大きく寄与した技術が、「地震波トモグラフィー」である。地震波を元に、3次元的に地球内部の構造をコンピュータを使って解析する技術だ。

明晩の第4集では、「火山大噴火」がテーマだそうだ。何だかタモリはうれしそう。

(本ブログ関連:”タモリの「三浦半島断層群を行く」”)

2014年9月19日金曜日

自分の声をPCで聞くと

昔、オープン・リール型のテープレコーダーが出たとき、録音された自分の声を初めて聞いた。思った以上に甲高い声に、重みのない気がして、少々落胆したものだ。

普段、自分の声だと思っているのは、口蓋や頭蓋の振動が加味されたもので、その分低目に聞こえるのだと、どこかで読んだような気がする。声の軽さを承知した後、自分の声を聞く機会もないまま過ぎた。

ランゲージ・ラボラトリー(LL)という、語学用機材を揃えた教室が学校にあった。今はどうなのだろう・・・当り前なのかな。そんな目新しさもあって、語学の発音練習用に、自分の声を聞く専用のマイク付きヘッドフォンというものが、市販されていた記憶がある。それを思い出したのだ。

専用ではなく、手頃にできないかと思い、ネット電話で使う安価なマイク付きヘッドフォンを調べたところ、PC上でイヤホンとマイクの両方を同時に使えると知った。

早速、近所のスーパーに出かけて、ネット電話用のマイク付きヘッドフォンを購入した。PC上で、Windowsのコントロールパネのサウンド設定を少し変えて試してみた。確かに、ネットの動画音声を聞きながら、自分の声をかぶせて聴くことができたのだ・・・が。


PCのサウンド機能を介して、自分の声も耳に入ってくるのだが、残念ながら発音と聴取に微妙な遅延が生じる。この遅延のために、Youtubeでイ・ソンヒさんの歌声を聞きながら一緒に歌うことができない。同時に歌ったつもりでも、自分の声が遅れる。問題はそれだけではない・・・とんでもないことに、凄い音痴さに気付いたのだ。他人に言われるよりも辛い・・・。

また、ネット上の語学教育用の動画に合わせて発音すると、遅延のため追いつかない。そこで自嘲するのだが、そのときの自分の照れ笑いが、本当に情けない。われながら不遜に聞こえてくるのだ。日頃のちょっとした物言い(照れや薄笑い)は、脳内で自動的に無視しているのだろうけれど、イヤフォンを通して、それがはっきりと聞こえる。

マイク付きヘッドフォンは、もしかしたら鏡に映る自分を見るように、自分の声質やしゃべり方まであからさまにするようだ。

後ひとつ、ヘッドフォンを長時間耳に当てていると、締め付けられるような気がしてくる。

(追記)
サウンド設定は、使用後元に戻したほうがよさそう。(ヘッドフォンを抜いた後、1回だけの現象なので何ともいえないが)PC再起動時に強烈なハウリング音がして、Windowsをセーフモードでリカバリーした。

(追記)
この遅延現象は、SpeechJammerに通じるようなものかな。

2014年9月18日木曜日

やっぱり秋だ

ほのぼの天気に誘われて、長袖から半袖姿に戻したが、夕方になってあわてた。風の寒さが、涼しさから程遠いのだ。街行く人の服装を見れば、ほとんど(9割方)長袖なのだ。気候の狭間に合った衣服の選択ができないのは、歳のせいだろうか。

先日、(おじさん、おばさん向けの)健康体操教室で、こんなことがあった。指導者から、体操室の空調の按配を聞かれたとき、生徒たちが答えに窮していると、「暑いのか寒いのか分からないのですね」といわれて、生徒全員が吹き出してしまった。まさに、図星だったような。

図書館の花壇の彼岸花
秋の風は身にしみる。自然はしっかり秋らしい装いをする。近所の栗林の栗の実は、近年に珍しい見事な毬をふくらませている。小学校の垣根には、咲き繫がるまでに至ってないが、彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)の花が咲き始めた。

(本ブログ関連:”彼岸花”)

夕方、図書館から帰りがけ、そこの花壇に少し植えられた彼岸花が夕陽を受けて、花茎の上に赤い花びらを載せて風に揺れていた。枝や葉のない、ある意味で直截ないでたちをした、彼岸花の花弁の華やかさに気押しされる。

彼岸花の別名、曼珠沙華から、野に咲く花というより、どこか夢幻を飾るもののように見える。妖艶さと引き込む魔性のようなものさえ感じる。
彼岸花には、怪しい異名もあって、あの世に通じる気配さえ感じる。引き気味で見ていたこの花に、歳のせいか違和感が次第に薄くなってきた。

そういえば、久しく行きそびれている、西武池袋線の高麗駅近くを流れる高麗川沿いにある巾着田に、真っ赤に咲き繁る万寿沙華の群生を見に行ってみたい。合わせて、巾着田につづく、コスモス花が広がる光景も眺めてみたい。これこそ、歳に相応しい散策かもしれない。

2014年9月17日水曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒの4集CD版を探していたところ、新たに出た「4集+5集 All That Masterpiece」を手に入れたのは、2011年末のことだった。
KBSラジオのPDチョン・イルソによる、この合同アルバムの解説に、4集に収録された「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)について、イ・ソンヒと作者ソン・シヒョンの成果を次のように語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”、”ソン・シヒョン”)
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・・・1988年2月に出された4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーでかなり重要な位置を占める。ここから、彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。

ところで、その変化の端緒を説明する名前の一人がいる。まさに、ソン・シヒョン(송시현)だ。
1987年、「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで、名前を知られたシンガーソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始めたが、4集LPのA面タイトル曲の「愛が散るこの場所」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全4曲が彼の作品だ。 二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和したし、以後も一時期、イ・ソンヒと一緒にすることになる。
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「愛が散るこの場所」(原歌詞

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)

 (Youtubeに登録のcellan boに感謝)

2014年9月16日火曜日

地震、震源は茨城県南部

昼過ぎ、久し振りにグラッときた。揺れだした瞬間、いつもとちょっと違うなという嫌な予感がする。さてどうしようと考えているうちに揺れが増してくる。体感震度3くらいかなと思って、ある意味覚悟を決めた矢先、早々に治まってしまった。この程度でよかったと、一息つく。

気象庁の地震速報(平成26年09月16日12時33分 発表)は次の通り。
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16日12時28分頃地震がありました。震源地は茨城県南部(北緯36.1度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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気象庁の発表の通り、当地の震度は3だった。気になるのは、震源が「茨城県南部」(北緯36度、東経140度辺り)ということだ。いつも、ここを震源とした揺れが大きいのだ。

(本ブログ関連:”茨城県南部”)

最近、「栃木県北部」震源について要注意という週刊誌情報もあるが・・・そろそろということかもしれない。気になるばかりだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/10*)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第71回として、「秋(가을)」にまつわる話を紹介した。
(*)先々週(9/3)の「国楽の世界へ」は、特別企画「メディカル韓流」のためお休み。

始めに、秋が来たことで、旧暦を元にした節句の伝統行事を次のように紹介された。
・収穫、読書など色々な修飾語が付く秋は、肌寒くなり、若干寂しさを感じる季節でもある。家族のありがたさを感じ、節句に村中を訪ねて家族や友人、お互いの幸せを祈る風習があった。
・陰暦に、月に一度節句があった。1月: 「正月(설날)」があり、また満月になる15日は一年の中で最も月が大きく見える「テボルム(대보름)」の日だ。/2月: 先祖の墓参りで、冷や飯を食べる「寒食(한식)」の日になることが多い。/3月3日: 日本の「桃の節句」に当たる「サムジンナル(삼짇날)」、またはツバメが戻る日ともいう。/4月: 釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」。/5月: 「端午(단오)の節句」。/6月: 東方に流れる川水で髪を洗う「流頭(유두)」の日。/7月: お中元に当たる「百中(백중)」。/8月: お盆に当たる「秋夕(추석)」。/9月: 菊酒を飲む「重陽(중양)」。/10月: 新穀を神に供える「上月(상달)」。/11月: 昼が最も短い「冬至(동지)」があり、この日小豆粥を食べる。秋が来た、収穫の時期を知らせる。

▼ 「祝願德談(축원덕담)」の歌を聴く。村中を訪ねて幸せを祈る・・・活を入れられるようなマーチングだ。

次に、「農楽(のうがく、농악)」)などの風習を通じて、心のつながりを次のように説明された。
・節句に、笛や太鼓などに合わせて踊る「農楽」の音が広がる。村中を訪ねて幸せを祈る風習だ。現代も必要だろうし、不幸の多い年にはなお更だ。久々の故郷も親しく一時を終えれば別れが来る。音楽と共にあれば、思い出は長く残るだろう。
・パンソリ「沈清歌」は、王妃になった沈清が秋空の月を眺めながら、故郷の父を思う場面がある。

▼ パンソリ「沈清歌」から「秋月満庭(추월만정)」の歌を聴く。こころ振り絞るようにして切なく親を思う場面だろう。

最後に、秋の空を飛ぶ雁に思う歌を次のように紹介された。
・雁は、懐かしい人の消息をもたらす使いとされてきた。沈清も父親に手紙を書いて、それを雁に伝えて欲しいと願う。今年のお盆、秋夕に色んな事情で両親と時間を過ごせなかった方もいらっしゃるでしょう。父を恋しく思い涙を流して手紙を書いた沈清の気持ちも、同じように寂しかったことだろう。
・高麗時代の学者ソンビ、權思復(권사복)には、空を自由に飛び交えるのに危険な田に降りた雁についての名詞「放雁」がある。田に落ちた雁を助ける時に作った詩のようだ。
雲漢猶堪任意飛
稻田胡自蹈危機 ・・・

▼ 竹笛タンソ(短簫、단소)の演奏「野原で(들판에서)」を聴く。風音、草葉の揺れに、野原も次第に息づいてくる。

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「今年の秋にも穀物は実を成しています。秋の収穫があるから、わたしたちは今日も感謝の中で生活できるのだと思います。今年の秋も実りの多い豊作になることを祈ります」

2014年9月15日月曜日

子どもは自然だ

子どもは自然だ。決して飾ることはない。だから自然の変化に素直に感応して、喜びを全身で表す。

虹を見れば大人も心が奪われる。それは、どこかで経験した驚きであり始原的だ。虹の美しさはどんな言葉を使っても表現することができないからだ。詩人は、その感動の源をたどって、「子どもは大人の父である」と表現する。

ネットで偶然見つけた、15ヶ月の子どもが空から降る雨粒に、初めて経験する映像がある。自然と交わる感動を見せる。もしかしたら、全ての親は、わが子の昔に見ていたはずだ。それが蘇ってくるのだろうか、新鮮な興奮するワクワク感を少しの間共有したい。

映像は、アメリカ在住の韓国系親子のようで、”面白いの”と語りかける。


Kayden + Rain from Nicole Byon on Vimeo.

2014年9月14日日曜日

(資料)子ども:韓国「少子化」

社会人になった頃、既に少子化がいわれ、教育産業の縮小が予測されていた。先日、有名な大学予備校が全国に展開している教室を数校だけ残すと発表した。(余談だが、昔聞いた話しでは、予備校舎の窓の並びから、将来マンション転用を考慮しているだろうということだったが・・・)

少子化のおかげで、子どもは両親とその両方の祖父母からお年玉がもらえる、ということも話題になって久しい。成長して結婚すれば、若夫婦の両肩に、いずれ各々の両親の世話がのしかかることになるのだが。

朝鮮日報(日本語版)の記事「少子化: 『韓国は2750年に消滅』 -『最初に消えるのは釜山』 国会立法調査処が予想」(8/23、キム・ドンソプ保健福祉専門記者、関連:韓国版)は次のように、少子化による人口減(「韓国は2750年に消滅」)を伝えている。(年代を見やすく改行、抜粋を容赦)

700年後の未来世界は誰にも分からないけど、100年先なら、世情が変わらなければある程度予想範囲だ。予測の中で、人口予測は、ある意味確度の高い未来予測だ。予測値への驚きは、宇宙から地球を見たときと同じだろうが・・・同じように受け入れられるかどうか気になる。

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現在の少子化問題が解決しなければ、韓国の人口は2750年にゼロになる恐れがあるとの見通しが発表された。

(韓国の)国会立法調査処(省庁の一つ)は(8月)22日、合計特殊出生率が昨年(1.19)のままなら、次の見通しを明らかにした。(合計特殊出生率: 15歳から49歳の女性が一生に産む子どもの平均数)
・2136年: 122年後の人口が1000万人に減少し、
・2750年: 人口は消滅するだろう。

これは、野党・新政治民主連合の梁承晁(양승조)議員が、国会立法調査処に依頼したのを受け、立法調査処が独自に開発したシミュレータの「立法・政策需要予測モデル(NARS 21)」を使って推計した結果だ。英オックスフォード大学のデビッド・コールマン教授は、2006年「韓国は少子化が進んで人口が消滅する地球で初めての国になるだろう」と予測している。

現在、韓国の人口は5043万人だが、合計特殊出生率が1.19人のままなら、
・2056年: 4000万人になり、
・2100年: 2000万人へと半減すると予想。(1930年(2100万人)とほぼ同じ)
・2200年: 300万人まで人口が急減、
・2256年: 100万人になり、
その後は500年かけて徐々に消滅していくと予測されている。
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(参考)日本の将来人口予測:
「将来人口は,平成22年国勢調査人口等基本集計結果及び同年人口動態統計の確定数が公表されたことを踏まえた」(総務省統計局「人口の推移と将来人口」)、ちなみに、今年は「平成26年」=2014年で、表中に記載はない

平成 (1,000人)
22 128,057
23 127,799
24 127,515


27 126,597
32 124,100
37 120,659
42 116,618
47 112,124
57 102,210
67 91,933
77 81,355
87 70,689
97 61,434
107 53,322
117 46,098

2014年9月13日土曜日

バナナ味巡礼

バナナは、輸入自由化されるまで、病気見舞の(今は見かけぬ)果物詰め合わせ籠を飾る必需品だった。だから、子どもにとって、バナナは身内に入院する者がいるときしか相伴できない、普段食べられぬ高価な果物だった。私にとって、バナナの黄色は黄金色に匹敵した。子どものころの好きな色は黄色だったのだから。

当時、バナナに似た味の菓子や飲み物を見つけると喜んで口にした。それが今、スーパーでバナナが当り前に並べられ、信じられない安値で売られている。いつまでも懐かしく、愛しい果実だ。今でも、バナナ味した食品を見つけると、すぐに求める。私がスーパーに行く目的のひとつである。

今日の教室で、バナナが好きか嫌いかの話題になったとき、苦手という人もいた。な、何と言うことを・・・と思ったが、時代が変わったのかもしれない。そう思えば納得できる。でも、私はバナナを捨てない。バナナが好きで、バナナ味にこだわる!

以前、本ブログで、韓国のバナナ牛乳に触れたことがある。そのコマーシャル映像について、教室で話したところ、先生も印象に残っていて、有名なCFのようだ。それが次のYoutube映像である。ああ、子どもにはかなわない。

(本ブログ関連:”バナナ”)

まだまだ、バナナ味巡礼は続けるよ。


(Youtubeに登録のChris Chengに感謝)

2014年9月12日金曜日

(資料)子ども:韓国「男子選好」風潮の弱まり

近頃、3世代同居は、都市部では生活環境から難しく、しかも法で裏打ちされた<家>という伝統的な制度も希薄なため、家族は親子2世代でしか成立しない現状だ。子どもにとって、<家>は成長して巣立つ仮の場所でしかない。高齢化する親にとって、子育ては人生の中でウエイトが小さくなる。それでも、子どもが自立した後、親は新しい親子関係を考える。

高齢化時代の親(特に寿命の長い母親にとって)は、いつまでも親たろうとして、子どもとの関係が永く続くことを願う。親は、子を(特に娘を)わが身に同化して若さを求め、子は(特に娘は)、産まれたわが子(孫)の世話を親に求める。体力を残した高齢化時代の親にも終末は来る。現状の、親子関係が、相互の期待するような形で続くのか気になるところだ。

中央日報の記事「男児出生比が過去最低…勉強・就職に競争力のある娘を好む傾向=韓国」(9/10)は、高齢化を背景にした親にとって、子どもを男子から女子へと選好が変化していると次のように報じている。(年代を見やすく改行、抜粋を容赦)

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# 娘ばかり3人の・・・イ・ボクジャさん(59、女性)。男児を好む傾向が強かった時期に・・・いつも身の狭い思いだったが・・・「最近ぞっとするような軍隊内の殴打事件のニュースを見るたびに、娘だけを産んだのがどれほど幸いかわからないという気がする」と話した。

# 続けざまに息子2人を産んで周辺からのお祝いを一身に受けた・・・パク・グァンスさん(49、女性)だったが・・・「息子が2人だが両親の結婚記念日どころか誕生日も忘れて過ぎ去ることが多い」と愚痴った。「この頃、きれいに服を着ている60代の女性は、たいてい娘を持つ母親」として「娘を産めなかったのが重ね重ね残念」と話した。

1990年代にピークだった「男子選好」の風潮が弱まっている。統計庁が9日に確定した「2013年出生統計」によれば、
・2013年: 女児100人あたりの男児出生の性比率は105.3人。統計庁基準で81年以降、最低値。
・1990年: 116.5で最高値になった後、徐々に下がって
・2003年: 110以下になった。
・2007年: 106.2を記録して初めて「正常男女比(103~107)」の範囲内に入ってきた。
女性が男性よりも寿命が長い・・・男児の数が3~7%多いのが正常・・・。
統計庁のユン・ヨンオク人口動向課長は・・・「男子選好の風潮が弱まったという明らかな傍証」と分析した。

(注)日本は、80年代以降、105~106の間を行ったり来たりしているようだ。(三重大学奥村教授資料

大学進学率は、女性が追い抜いた。
・2009年: 初めて女性が82.4%で、81.6%の男性を追い抜いた。
・2013年: 進学率の差が7.1ポイント(女性74.5%、男性67.4%)と一層広がった。

成績の格差は・・・公務員採用試験ではすでに女性の勢いが強い。
外交官試験で女性が
・2010年: 60%を占めた
・2013年: 59.5%を記録した。
司法試験の女性合格者比率は40.2%、
5級公開採用は46%に達する。
大企業の人事担当イ氏は「成績順で選べば女性が過半数を超える時が多い」と吐露した。

最近、軍隊内の殴打事件まで噴出しながら、息子よりも娘を好む比率が高まった。
韓国女性政策研究院のキム・ナンジュ博士は「男児を好む傾向が退潮したのは、仕事をする女性たちが増えながら、育児負担が相対的に小さい娘を好むことになった上に、女性の発言権が高まったため」と説明した。
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(付記)
わたしたちは、まだ3世代同居時代の幻想から抜けられずにいるのかもしれない。将来、親子関係に、また別のモデルが生まれるかもしれない・・・動物の親は巣立ち後の子に寄り添わない。

2014年9月11日木曜日

星を求めて

文学の世界で、SF小説は相変わらずマニアック、辺境のままだろうか。サイエンス重視が強調されたハードコアとか、ちょっと哲学的なニューウエーブとか、いろいろあったけれど、今はどんな感じかな。

私にすれば、肩がこらない、空想世界に翼を広げたファンタジーが一番気楽だった。レイ・ブラッドベリの場合、ハロウィンの世界からホラーへ半歩、ダブリン市民について文学へ半歩といった具合に、縦横無尽なところがよかった。

うすうす気付いたのは、日本のSF作家の重鎮たちが若い頃に、ブラッドベリの洗礼を受けたであろうことを。どこかウェットな彼らの初期作品に、ブラッドベリに通じるものを見たことがある。

ところで、私はサーカスを身近に知らなかったからこそ、その歓声と照明の裏側に、得体の知れない何かがあるのではないかというファンタジーを容易に受け入れた。なにより、アメリカの子どもたちにも共通するだろう闇に対する好奇心に触れた楽しさがあった。そこは屋根裏だったり、部屋の隅だったり、ベッドの下だったり・・・日常の中にこそ闇は大きく広がっている。

そんなわけで、何度か触れたけれど、楽しいはずのサーカスと犯罪が組み合わさった意外性に関わらず、旋律が美しい「星を求めて(Look For A Star)」の流れる映画「恐怖のサーカス(Circus of Horrors)」(1960年)がある。映画は未見であるが、音楽の方はビリー・ヴーン(Billy Vaughn)楽団の演奏でおなじみだった。

(本ブログ関連:”星を求めて”、”サーカス”)


(Youtubeに登録のTheRadioVenusに感謝)

2014年9月10日水曜日

アン・ジョンアの「愛しい私の妹」

暑い夏をやり過ごして一息ついたとき、街路樹のふもとに枯れ葉があるのを見て、ふと我に返ることがある。まぶしい陽射しを受けて、蒸散をしきりにしていたあの緑の葉たちが、いつのまにか散歩道に散っているのだ。季節の変わりが、こんなにもあっけないのかと。気付かぬうちに、何か大事なものも一緒に消え去ったような感覚に襲われる。

KBS WORLDラジオ番組「国楽の世界へ」の郷歌編(8/27)で、亡きを「妹」*を語った僧侶の伝承から作られた歌、アン・ジョンア(안정아)は歌う「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)(作詞コン・ジンア、作曲カン・サンク)が紹介された。童謡をおもわせる、緩やかな旋律とテンポを繰り返して、懐かしさへと導く優しい曲だ。

(*)番組では「姉」としていたが、歌詞を探したら、僧侶が先に亡くした「妹」(여동생)について語ったという注釈があった。

この「愛しい妹」の曲と歌詞は、ネット上で知ることができる。⇒ <>、<歌詞>、感謝。


「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)

どこまで行ったのか、どこまでなのか
一つだけつながった、とても綺麗な木の葉(このは)
どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹

急に吹いてくる、冷たい風のために
あまりに寒いので、ブルブル震えるよ
枯れ落ちたその葉の間に
風が吹いて探すこともできない遠い所に

どこまで行ったのか、どこまでなのか
一つだけつながった、とても綺麗な木の葉(このは)
どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹

どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹
愛しい私の妹


(参考)
姉を探す歌もある。姉への母性に近い思慕と、ともに遊んだ昔への郷愁に近いものだ。日本の童謡「赤とんぼ」では(子守の)「姉や」に対して、イ・ソンヒの5集所収の「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン、1898年)では姉に対して、通じるものがある。

(本ブログ関連:”お姉ちゃん(누나야)”)

2014年9月9日火曜日

季節の変わり

ああ、すっかり秋になったなあと感じるのは、身にまとう物が次第に厚手になっただけじゃない。この昼間、熱いコーヒーを飲んでいて、なるほどと気付く。夏は、冷蔵庫に水出しの麦茶、緑茶、そして紅茶も冷やして飲んだ・・・順を追ってローテーションしていたが、最近その頻度が滞っている。
どうやら、熱さが心地よくなってきたようだ。飲み物まで季節変わりしている。

近所の散歩道、街路樹が葉を落とし始めている。暑さ疲れと思ったが、どうもそうではないようだ。秋の気配をキャッチしたからだろう。いずれの散歩道も、足元に落ち葉が寄せ集まっている。次の年、若葉が広がるように役目を終える。

「言葉」の文字に「葉」がある。季節を巡れば、葉はやがて枯れ落ち朽ち。言葉も季節の変わり目に果てるのだろうか。

ときに秋風に、舞い散る言葉もあるように思う。一方で、美しい花を咲かす木々は、ひとびとの手で寿命を延ばされる。
惜しむらくは、とうに寿命が尽きたのに朽ちようとしない、いさぎよくない枯れ木が、秋の風を寒々とすることだ。

2014年9月8日月曜日

白露、中秋2014

今日は旧暦8月15日、二十四節気の「白露」。大気は冷えて露が出始める頃だそうだが、冷気を感じるまではないものの、外出に長袖が増えてきた。

(本ブログ関連:”白露”)

しかも今日は、秋の真ん中を指す「中秋(仲秋)」と重なる。この巡り合わせを、河北新報の記事「ススキ秋風ゆらり 38年ぶり白露と中秋」(9/8)は、次のように紹介している。
・「仙台市天文台によると、ことしは1976年以来、38年ぶりに白露と旧暦8月15日の『中秋』が重なる珍しい年回りとなった。ただ、月が満ち欠けする周期と暦にはずれがあるため、中秋の名月は必ずしも満月とは限らない。ことしは9日が満月になる。」

(本ブログ関連:”中秋(中秋の名月)”)

ということで、中秋の十五夜に「月見」を楽しむ、「中秋の名月」の満月は、明晩(9日)にお預けということになる。今日は一日、激しい雨はないものの、路面がずっと濡れた生憎の空模様だった。
コンビニのレジ横に、月見団子を飾ったセットを置いてあって、客が気付くよう売っていたが、思案のしどころだった・・・。

2014年9月7日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの歌唱力をまさに象徴する、3集に収録の「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)は、初期ながらしっとりして重厚であり、透過光のように澄む。それだけに数々の伝説を生んだ。この歌が、黄真伊(ファン・ジニ:황진이)の漢詩を本歌取りしたように語られたのもその一つだ。

(本ブログ関連:”分かりたいです”、”黄真伊”)

ところで、イ・ソンヒの自伝に相当する思い出の記に、この歌についてファンの次のような反応を語っている。もうちょっとで、中島みゆきになってしまうところだった・・・ような。
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3集では「分かりたいです」が最も多い愛を受けた(人気があった)曲だ。1987年4月の一ヶ月間、放送回数107回を記録したので、いつでも何処ででも聞こえる歌だったと言える。”やはり”タイトル曲でないこの歌が大ヒットした原因は、ヤン・インジャ先生*の歌詞のためのようだ。「忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか」などの歌詞は、女性心理を見抜いたという評を聞いて、それゆえに男性ファンからは「男に疲れさせる(重い)歌」という愚痴も聞こえてきた。
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*ヤン・インジャは、この曲の作曲者キム・ヒガプの妻。


「分かりたいです(알고 싶어요)」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のsoya iに感謝)

2014年9月6日土曜日

デング熱

デング(dengue)熱」の感染が全国に広がっている(70人を超えたよう)。デング熱の症状を引き起こすデングウイルスは、蚊を媒介して、人から人へうつるという。蚊は、ヒトスジシマカといわれるが・・・。

最初、デング熱を「テング(天狗)熱」と聞き間違えた。へぇ~というほどに無知だった。

病名の由来について、テレ朝News(9/4)は次のように報じている。
・「デング熱の『デング』という呼び名については諸説ありますが、国立感染症研究所によりますと、英語の『ダンディ』にあたるスペイン語『デングエロ』が語源とされ、強烈に痛む背中をかばうあまり、背筋を伸ばした歩き方が『ダンディ』に見えてしまうことからこう呼ばれるようになったという」ことだそうだ。

今回、感染の中心地といわれる代々木公園で採集した蚊から、デングウイルスが見つかったというが、何という名の蚊なのかまでは伝わってこない。どこかに具体的な情報でもあるのだろうか。

(9/4、厚生省「デング熱の国内感染症例について」(第六報))

今日の語学教室で話題になったことだが、蚊が電車の乗ればどこでも行ける・・・というわけ。ちなみに、テレビ解説によれば、蚊自体はそんなに遠くへ飛ぶ力はないという。

とはいえ、近所の公園を散歩すれば蚊に食われる。以前のように、刺されたところをムヒでも塗っておけばということでは済まない心配事が増えた。
先日、庭の草取りをしたばかり・・・そのとき、半袖姿だったため、腕先を思いっきりヤブ蚊に刺されてしまった。後になって、ヒヤリとしている。

ところで、蚊といえば、あのブンブン音(モスキート音)をイメージして、高音の聴覚検査がある。Youtubeを参考に確認したところ、歳相応の結果で、納得よりも、ちょっと残念な気分。

(本ブログ関連:”この世の果て”)

2014年9月5日金曜日

アイドル曲の歌詞は・・・2年前の記事

2012年3月5日の中央日報の記事「韓流アイドルの曲は意味不明の歌詞ばかり…『ひどすぎる!』」()()は、アイドル歌手の、というより流行のPOP曲特有の傾向について、以下のように記している。(抜粋・・・指摘曲名が多数あるため)

2年前の記事だが、さて今はどうだろう。いまだに指摘のままか、それとも変わっているのか、流行に不案内だが、そうなんだろうなという気がしないでもない。そして、K-POP特有でもあるまい。

歌詞を大事にしないという、音楽関係者の言葉がしょっちゅうラジオ!から流れてくる。歌をダウンロードで購入すれば、歌詞カードを手に持つことはない。眺められることのない歌詞(歌声)は、小刻みに連打する楽器へと化す。「ストーリー」を込めることのない音(歌声)に、もう、そうなってしまっているのだろう。

LPやCDを聴きながら、歌詞カードを見たとき、歌と本当に相(あい)対しているという、あの高揚を忘れられない。

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以前の韓国歌謡には人生が込められていたパティ・キムチョー・ヨンピルシム・スボンの歌まであえて遡らなくても、1990年代までも歌謡曲の歌詞にはひとつのストーリーがあった。チャジャンミョン(ジャージャー麺)を契機に母親に対する愛を歌ったG.O.Dの「お母さんへ(어머님께)」、人生の主人公は自身であることを叫ぶイム・サンア(임상아)の「ミュージカル(뮤지컬)」などなど。

最近の歌謡界ではこうした意味深い情緒は期待しにくい。意味もわからない擬声語がリフレーンだけでなく歌全般で繰り返される。ハングル歌詞の間に英語を無理に挟んで入れたり、卑俗語を使ったりもする。若い世代の感覚に訴える「Fad」(一時的な流行)へ回すにはその程度が激しいという指摘が出ている。

#特定単語の繰り返し   (列挙)

歌謡評論家のソン・ギチョル氏は、「数行の歌詞のために一生心に残る歌がある最近は曲だけ中心になり、歌詞は付属的なものになる傾向があって残念だ」と話した。

#英語の歌詞を挿入   (列挙)

#「フックソング」(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)も良いが…  (列挙)

ある作曲家は、「以前は作詞をした後で曲を付ける傾向が多かったが、最近は状況が逆転して、曲を作った後に歌詞をつけることが多いリズムとメロディに合わせたら歌詞がおかしくなるものだ」と分析した。最近インターネットの音楽チャートで歌謡曲1曲の寿命は平均1~2週にすぎないが、早期に歌を記憶させるために憶えやすいフックソング(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)で終わるということだ。

歌謡評論家イム・ジンモ氏も「大衆音楽とは誰が聞いてもうなずける普遍性がなければならない。K-POPが世界へ進出していくのに普遍性がない歌詞は障害物になるだろう」と指摘した。
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(Youtubeに登録のxradman、MBCkpopに感謝)

2014年9月4日木曜日

(資料)イ・ソンヒの日本語曲「空がくれたもの」、「見せたいけしき」

「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」、久し振りに博物館見学する。

以前、大手町にあった「逓信総合博物館」は、日本の情報通信技術の歴史を、貴重な現物展示で見せてくれた。電電公社からNTTへと時代の流れもあって、ちょうど一年前に同館は閉館した。その歴史的な資産の一部が、現在、三鷹の「NTT技術史料館」に引き継がれている。電信技術(ペリー来航の土産品西南の役に急遽張られた電信線)や交換機(アナログからデジタル=コンピュータ化)など貴重な見学ができた。人の身長ほどあるVAD法光ファイバ母材を見たとき、オートクレーブで作られた人工水晶を思い出した、透明なものSiO2は美しい。あらためて、素人質問に長時間ガイドいただいたご担当に感謝。

温故知新。知らずにいたら何も始まらない。

イ・ソンヒには、多分唯一の日本語曲がある。8cmのCDシングルに収められた「空がくれたもの」と「見せたいけしき」だ。(次のYoutubeの映像にあるように、カセット版もあったのかもしれない)

インターネット(gooORICON STYLEなど)から、次のような情報が得られる。
・「空がくれたもの」: ポニーキャニオン PCDA-00449 1993年05月21日発売
・歌手: イー・ソンヒ(表記に注目!)、作詞:夏目純、作曲:都志見隆、編曲:萩田光雄
・価格: 1049円(税込)
・放送: 「空がくれたもの」は、ABC「朝だ!生です 旅サラダ」の音楽に使用されたという話しもあるが、未確認。

(本ブログ関連:”見せたいけしき”)
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの日本公演”、”(資料)イ・ソンヒの過去の日本公演と日本語曲”)
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの思い出(政界進出、安全地帯の作曲)”)

以前、韓国のブログで、(音質の良い)「見せたいけしき」の歌を聴くことができた。最近、サイト登録者限定とか会員登録限定といった形でログイン要求をする傾向にあって、聴くことが難しくなった。そんなとき、Youtubeに「空がくれたもの」と「見せたいけしき」の2曲が登録されたのだ。何という幸運・・・もしかしたら、今の内かもしれない。永く見られることを切に願う。

Youtube映像を登録された方は、ご自身のfacebookにイ・ソンヒの昔の貴重な写真やテレビ出演の動画をふんだんに掲載している。新しい発見ができたこと感謝。

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2014年9月3日水曜日

聊斎志異の「狐の嫁入り-狐嫁女(こかじょ)」

SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」(韓国、2010年8月11日~9月30日)で、イ・ソンヒはOST(劇中歌)「狐の嫁入り(여우비)」(歌詞)を担当した。現代風の若者と無垢ながら伝説の九尾狐が、ふとしたきっかけで恋に落ちる、ファンタジック・コメディのラブストーリーであるが、物語中、気象現象の「狐の嫁入り」を示す「お天気雨」を何度か見せてくれた。

(本ブログ関連:”僕のガールフレンドは九尾狐”、”狐の嫁入り”)

中国清の奇談集「聊斎志異」(蒲松齢作、立間祥介編訳、岩波文庫)に、「狐の嫁入り-狐嫁女(こかじょ)」がある。

(概要)
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殷(いん)天官が若いとき、肝試しにある廃屋に一晩泊まる。すると夜中、厳かに現れた集団が結婚式を催し、それに立ち会う結果となる。祝いの酒を振舞われ、その出来事のしるしとして、秘かに酒盃の金杯を懐に入れてしまう。

そのとき、主人公は美しい花嫁を目撃する。「佩玉(はいぎょく)がコツコツと鳴り、麝香(じゃこう)の馥郁(ふくいく)たる香りがただよってきた」、そっと窺ってみると「翡翠の鳳凰の髪飾り、水晶の耳輪がゆれて」いた。宴の終わり、金杯の数が足りないことがわかるが、その場はおさまり、事無きを得た。

その後、進士に及第した主人公は遠くの地に赴任する。その祝いに、金杯の酒を飲むことになるが、祝い主から次のような話を聞く。「(金杯)これはもともと八個一組のもので、・・・(今)七個しかございませんでした。・・・」。その杯こそ、主人公が肝試しで手にしたものとそっくりだったのだ。

主人公は、その話しを聞いた後、手元の金杯を祝い主に届けさせた。返礼に訪れた祝い主に、いきさつを話す中で、「狐が千里も離れたところの物を自在に取り寄せる能力を持っているものの、それをいつまでも手元に留めておくものでないことを、このときはじめて知ったのだった」と。
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この物語に、狐を直接想わせる姿で登場はない。また、金杯の数が、八または七で、九とも違い、九尾狐を連想することができない。ただ一ついえるのは、狐の化身、花嫁が非常に美しかったことだ。どうやら、異種として、狐の嫁に求める姿は、「まことに絶世の美人」ということになる。

(Youtubeに登録のPieKilledJasonに感謝)

(付記)
ここ数日の間、何処からともなく昆虫が私の部屋に入ってきた。カナブン3匹、アシナガバチ1匹である。一体どこを通り抜けてのことか、不思議だ。

2014年9月2日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 郷歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第70回として、主に新羅時代の歌「郷歌(きょうか、향가)」*(表記を「郷札(きょうさつ、향찰)」)、および「吏読(りとう、이두)」にまつわる話を紹介した。

(*)「古代朝鮮語解読のさわり」(趙義成 東京外国語大学大学院准教授): 「(現存20数種)数が圧倒的に少ないため、解読自体がままならないし、ここから判別される単語の数も微々たるものである。郷歌は全て漢字で表記されているが、表記法は漢字の音と訓を複雑に組み合わせている」・・・言葉の専門家が言語+漢文+歴史など総動員して・・・

始めに、「郷歌」の表記「郷札」と、「吏読」について、次のように紹介された。
・郷歌は、民族固有の歌という意味がある。新羅時代から始まり、高麗時代でも広く歌われた歌の原型といわれる。
・ハングルができる前、言葉を表現する方法として、中国の漢字と文章の形式をそのまま使ったり、漢字の音読み・訓読みを借用して表記した。このような表音式の表記法を「郷札」、または「吏読」と言う。「郷歌」は「郷札」で表記された。

▼ 郷歌「処容歌(처용가)」の歌を聴く。中国風の香りして洗練された歌い・・・今様である。

次に、「処容歌」に関わる、異人あるいは巫俗信仰とつながる処容(처용)の説話を次のように解説された。
・郷歌には、ストーリーが伝わり、当時の人々の暮らしを想像できる。郷歌「処容歌」は、東海龍王の息子、処容が作った。ある日、悪い病を移す悪霊が処容の妻を狙う。それを見た処容は怒る代わりに歌を歌いながら踊った。すると悪霊は処容の人柄に感動して、二度と現れないと誓った。その時から伝染病が流行りだすと、処容の顔を書いて門の前に貼り付ける風習ができた。処容の踊りは現在までも伝わっている。
・処容が新羅と取引をしていた中東地域の商人であったと推定する学者もいる。

▼ 「薯童謠(서동요)」を笙に似た笙簧(생황)と琴に似た伽耶琴(가야금)で聴く。繰り返す旋律に古きをしのぶ。

最後に、薯童謠のストーリーと、現存郷歌の少ない曲数への取り組みについて、次のように説明された。
・薯童謠は、百済の貧しい少年が新羅の姫に心を奪われて作った歌で、善化(선화)姫が薯童(서동)に恋に落ちる内容。薯童自身でなく村の子供たちに教え歌わせ、子供を通じて国中に広がった。この歌を聞いた王は善化姫を追い出す。そして、薯童は善化姫を迎え入れて結婚し、後日百済の王になったという話だ。
・民族の歌の原型ともいわれる郷歌だが、現在に至るまで伝わっている歌は多くない。新羅時代の歌が14曲、高麗時代の歌が11曲、計25曲。今は歌のリズムは消え、歌詞だけが残る。国文学者が主に研究を続けてきたが、最近は音楽をする者も郷歌に注目している。

▼ 「愛しい妹(보고픈 내 누이*)」の歌を聴く。綺麗な調べ、幼い心のまま、「赤とんぼ」のような捜し求める切なさがある。

(*)歌詞を探したら、僧侶が先に亡くした妹(여동생)について語ったという注釈があった。

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「歌や伝統は、私たちがいつでも取り出して使える、まるで宝石箱のような気がします。これからも、沢山の歌が作られ永らく伝わって欲しいものです」

2014年9月1日月曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

イ・ソンヒが音楽界へ本格デビューした初年、立て続けに出したアルバムの2集に収録した「秋の風(갈바람)」(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)は、秋の風に託してしみじみと別れの哀切を聞かせる。この歌は、彼女が時を重ねるたび磨かれていくようだ。

(本ブログ関連:”秋の風”、”オギヨディオラ”)

「秋の風」の「갈바람」(「갈」は「秋(가을)」の略、「바람」は「風」)は、船員(漁師)言葉だ。「秋に吹く風(西風、서풍)」を意味する。

KBS WORLDラジオの「違いの分かる韓国語」に、漁業に関わる風を次のように紹介している。
・샛바람 = 동풍(東風)                  船乗りの語
・하늬바람 = 서풍(=西風)             農村·漁村で「西から吹く風」を指す語.
・마파람 = 남풍(南風)                  船乗りの言葉
・된바람 = ① 북풍(北風)              船乗りの語
          ② 激しく吹く風.

10年前、イ・ソンヒが20周年記念コンサートで歌った「秋の風」は、もしかしたら彼女が最も輝いていた時期かもしれない。もちろんその後、時を重ねて、ミュージシャンとして、アーティストとして完成したことはいうまでもない。当時の映像がYoutubeにある。一度削除されたものだけに、この登録がいつまでも見られるよう願う。

「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のyongjoon parkに感謝)

(補足)
KBS WORLDラジオの「国楽の世界へ」で、「晩秋」の回に、朝鮮時代の申光洙(신광수、1712年~1775年)の「關山戎馬(관산융마)」の詩が次のように始まると紹介された。
・「秋の川は寂寞として魚さえ寒い(秋江寂寞魚龍冷)/人々は西風を受けながら仲宣楼(중선루)に登っている(人在西風仲宣樓)」・・・。