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2014年4月8日火曜日

イ・ソンヒ 「Jへ」にまつわるビハインド・ストーリー

韓国経済の記事「イ・ソンヒ、イ・セゴン作曲家と『Jへ(J에게)』にまつわるビハインド・ストーリー公開」(4/8、ペ・ソニョン記者)に、イ・ソンヒが、デビュー曲「Jへ」との出会いについて、TV番組のインタビューで「裏話」を語ったと、次のように報じている。
すでに本ブログで、経緯を記しているが、彼女自身の言葉としては初めてのことなのだろうか。

ところで少し気になることがある。著作権について、そのあたりは初耳だ・・・下記の追記の中で氷解。

(本ブログ関連:”イ・セゴン李世建、이세건)”)
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SBS「ヒーリング・キャンプ」放送画面
・歌手イ・ソンヒが「江辺歌謡祭」大賞を与えられた歌「Jへ」にまつわるビハインド・ストーリーを公開した。
・イ・ソンヒは、7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ 楽しいじゃないか」に出演した。
・この日、イ・ソンヒは「高等学校2年の時、歌を歌いたくてチャン・ウクチョ(장욱조)音楽室を訪れ、その方面に無名の作曲家が楽譜をゴミ箱に捨てる姿を見た」と話した。当時、(私も)ついその楽譜を取って、「この曲、私が歌ってもかまいませんか?」と尋ねたというイ・ソンヒ、まさにその曲が「Jへ」であった。
・イ・ソンヒは、「楽譜というものが、私をときめかせた。楽譜は、音楽を知ることができるようにする通路であった。絶対にあの楽譜を捨ててはいけないという考えだけだった」と話した。
・イ・ソンヒは、「Jへ」で、「江辺歌謡祭」で大賞を受賞した。そうして国民歌手イ・ソンヒが誕生することができた。また、「Jへ」を作った無名の作曲家であるイ・セゴン作曲家に、著作権をすべて返したとも付け加えた。
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(追記)
news1の記事「『ヒーリングキャンプ』 イ・ソンヒ、「父が帯妻僧」告白・・・帯妻僧とは?」(4/9)に、父親について、次のように触れている記述がある。(抜粋)
これについても、本ブログで繰り返し、韓国仏教と照らし合わせて記している。

(本ブログ関連:”妻帯僧”・・・韓国では”帯妻僧”)
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・この日放送で、イ・ソンヒは自身の幼い時を言及して、父が帯妻僧であったことを明らかにした。 彼女は、「(父は)祈祷をとても多くしていたし、私は市内の学校に通いながら、森の中に住んだ」と明らかにした。
・続いて、「自然に、山寺で僧侶が経をとなえる声を真似たりした」と付け加えた。
・イ・ソンヒが言及した、帯妻僧は男僧侶のうち、結婚して妻と家庭を設けた特定の僧侶を示す言葉だ。火宅僧とも呼ぶ。
・イ・ソンヒの父の情報に接したインターネットユーザーは、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、そうですか」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、自然に自然と近かったのですね」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、この頃も帯妻僧はたくさんいらっしゃるのでしょうか?」などの反応を見せた。
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(追記)4/9
釜山comの記事「イ・ソンヒの父 帯妻僧の事実公開へ 『家族写真』注目・・・」(4/8)は、番組「ヒーリングキャンプ」の中でイ・ソンヒが語った家族のことについて、次のように報じた。(抜粋)
これについても、本ブログで繰り返し、彼女のプロフィールに照らして記している。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)
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・イ・ソンヒの父 帯妻僧
・この日放送(SBS「ヒーリング・キャンプ 楽しいじゃないか」)で、イ・ソンヒは「祖父は歌唱をしたが、私もその影響が大きいようだ」とか、「父も声が良かった。帯妻僧で祈祷をたくさんした」と話した。
・続いて、「父のために、幼年時代を森の中で暮らした。学校は、都心に通って、放課後には外と遮断された山寺で暮らした」とか、「とても大きな寺なので、数多くの僧侶と一緒に暮らした。その中にあって、常に僧侶が経を唱える時、私も知らずに真似したりした」と説明した。
・ひるがえって、イ・ソンヒは、去る2012年放送されたMBC「黄金漁場-膝打ち導師」に出演して、「父が宗教家だが帯妻僧だ。小学校6学年の時まで寺で暮らした」と、特異な家庭環境について明らかにしたことがある。
・当時、放送では、イ・ソンヒの帯妻僧だった父とともにとった家族の写真が公開されたりもした。
・イ・ソンヒの父が帯妻僧に、ネチズンは、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、以前にも公開された話だな」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、お経で鍛練された歌の実力?」、・・・などの反応を見せた。
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(追記)4/9
マネートゥデーの記事「イ・ソンヒの”Jへ”、作曲家のイ・セゴン 誰? 『ヒット曲製造機』」(4/8、キム・ポヨン記者)は、彼女の代表曲「Jへ」の作者イ・セゴンとの関係について、次のように報じている。(抜粋)
「Jへ」の著作権について、納得した。
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・イ・ソンヒは、「(『Jへ』を捨てようとした)その方(イ・セゴン)が勝手に歌えと言ったよ」として、「3年間大事に保管した『Jへ』を持って江辺歌謡祭に出場した」と話して驚きを誘った。
・続いて、イ・ソンヒは、その作曲家が「イ・セゴンだった」として、「著作権は、大会を契機にイ・セゴンに返した」と話して注目を引いた。
・イ・セゴンは、「Jへ」'をはじめとして、歌手イム・チャンジョンの「すでに僕に(이미 나에게로)」、「嘘のような真実」と、ミン・へギョンの「恋はもうやだ(사랑은 이제 그만)」などの曲を書いた実力派作曲家だ。特に「恋はもうやだ」はミン・へギョンの代表曲に数えられる曲で、彼女の全盛期スタートを切った曲で知らされている。
・これに接したインターネットユーザーは、「イ・ソンヒの『Jへ』の作曲家イ・セゴン。(ミン・へギョンの)『恋はもうやだ』も作曲したよ」、「イ・ソンヒの『Jへ』。 歌、本当に良い」、「イ・ソンヒの『Jへ』。 なぜ他の人(歌手)は拒絶した(受け入れなかった)のだろうか」、「イ・ソンヒの『Jへ』。イ・セゴンとの縁、珍しいね」などの反応を見せた。
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