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2014年8月26日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旌善アリラン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第69回として、江原道旌善(정선)地域に伝わるアリラン(아리랑)、「旌善アリラン」にまつわる話を紹介した。

始めに、アリランの江原道<旌善>について、次のように紹介された。
・旌善アリランの由来に、①朝鮮建国時期説や、②アウラジ(아우라지)川を挟んで恋をした二人の男女の話も伝わる。その歌詞に、旌善地域の当時の暮らしが伝わる。
・国土の7割は山で、その中で江原道旌善は、韓半島の脊梁(大幹)を成す太白山脈の真ん中、山深い奥にある。標高1,000mを超す数多の山、そこから出る水の流れは川と結びつく。百回も曲がりくねった水の流れと一千階層からなる絶壁と表現される。都会と遠く離れた地域だが、山奥の旌善を世に知らせたのは、美しい自然と歌、山と水と共に生きてきた人々の歌、旌善アリランだ。

▼ 旌善アリランを新編曲した「道(길)」の歌を聴く。ラウンジミュージックのよう心地よい・・・今様である。

次に、旌善アリランの由来①について、次のように解説された。
・地域に多様なアリランが伝わるが、ユネスコ無形文化遺産と、韓国文化財の両方指定されているのは旌善アリランだけで、1971年、江原道無形文化財第1号に指定された。
・多様なアリラン中、旌善アリランは最も歴史が長い。約600年前、高麗が滅び、朝鮮建国のとき、高麗臣下に朝鮮王の太祖(태조、李成桂)に不満を持つ者もいた。彼らは杜門洞(두문동)に隠れて生活した。その中の7人は旌善(居七賢洞、거칠현동)に入り、生涯高麗に忠節を誓い、山菜を食べて生活した。高麗を思い、離れた家族を考える、そんな気持ちを込めた彼らの詩を、後に歌にしたのが、今日の旌善アリランの始まりという*。

(*)「旌善郡ホームページ」より: 「大院君が景福宮を修造した朝鮮後期から、アリランが全国的に知られ始め、当時まで命脈をつないできた旌善の伝統音楽に『アリラン、アリラン ・・・』という音をつけて『リフレイン』として定着し、これを基に『旌善アラリ』、または『旌善アリラン』と名づけられた。」

▼ 「旌善アリラン(정선아리랑)」を弦楽器アジェンとピアノ演奏で聴く。あれれ、冬のソナタ・・・コラボ、今様である。

最後に、旌善アリランの由来②について、次のように説明された。
・アウラジ川を挟んだ、ヨリャンリ村の娘とユチョンリ村の青年は、ツバキを摘みに行くと言い訳して川を渡り、互いの愛を育ませた。梅雨時、川の水位が高くなって渡れないのを、娘が川の水を恨めしく思い歌ったという由来だ。現在、アウラジ川辺に娘の銅像が立っている。

▼ ソウル、京畿地域に伝わる「長アリラン(긴아리랑)」の歌を聴く。農作業の歌か、穏やかに伸び伸びと歌う。

・旌善アリランは、山中一人で農作業する身の安全を知らせるため歌ったともいう・・・そうだ。