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2015年1月31日土曜日

イ・ソンヒの「小船」

イ・ソンヒがさまざまな試行を繰り返す中で、(伝統音楽の)国楽と(本格的に)取り組んだのが、1992年リリースした8集であった。アルバムのタイトル曲は、彼女のビッグショーを収めた次のYoutube映像で視聴できる「小船(조각배)」(作詞イ・チョルヨン、作曲キム・ヨンドン作曲)である。

(本ブログ関連:”小船조각배)”)

彼女の、国楽との取り組みは、現在の成功とつながっている。8集の試行に対して当時さほど気付かれてはいなかったようだが、東洋的な回帰としてヒットさせた「因縁」の布石となっている・・・と考えたい。そして、彼女の音楽は東洋的展望を超えて「その中であなたに出会って」を登場させている。

韓国の音楽家には、山にこもって再生するという伝説があるが、国楽へのチャレンジもそのように見える気がする。

「小船」

怒涛の波に浮かぶ、か細い小船
わが悲しき身を乗せて、果てしなく行く女よ
春風、花風の囁(ささや)きも疎(うと)ましく
奥深い沼に空しく行くつもりか

驟雨(しゅうう)降りしきる深夜、葦(よし)の森
契(ちぎ)りなき人生行路、当てもなく行く女よ
お月様が寝覚めてニコリと笑うも疎ましく
運命に身をのせて空しく行くつもりか

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年1月30日金曜日

雪2015

朝から、シーンとして音がない。どうやら降雪が街の音を吸い取ったようだ。それに、障子越しに庭雪が部屋の隅々まで明るく包む。雪は乱反射して影を作らない。・・・なにもかもソフトな感じがする。

雪の降る最中は暖かい。なぜかホッとする。子どもたちが浮き浮きするのも分かる気がする。・・・ここまでは、いい気分だが。

(本ブログ関連:””)

次第に降り積もる雪が気になってくる。屋根からドサッと落ちるまではないけれど、通り道の積もり具合をそっと覗く。さほどでもない、一安心。夕方までに雪はすっかり止んだ。

夜分、雪がとけで始めて気付く。やっぱり寒い。これで冬が終わってくれればいいのに。何度もいうけど、冬は苦手だ!

2015年1月29日木曜日

(資料)韓国の宗教人口

韓国の宗教人口について、1984年~2014年の間、韓国ギャラップが5回の調査を基にした「韓国人の宗教1984-2014(1)宗教の実態」報告(1/28)を、クリスチャン・トゥデイの記事「無宗教の人たちの選好する宗教、仏教・キリスト教(カトリック)・キリスト教(プロスタント)の順」(1/28、イ・デウン記者)は、次のように要約している。(抜粋)

(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)
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韓国ギャラップ、30年間の変化の実態を発表・・・儀礼などの参加度はキリスト教が最も高く

・韓国ギャラップで、1984年から2014年までの30年間、韓国人の宗教と宗教意識の変化を比較した「韓国人の宗教の実態」調査結果を28日発表した。

・韓国ギャラップは、①1984年に初めて全国民を対象とした宗教関連の調査を開始した後、②1989年、③1997年、④2004年、⑤2014年の比較調査をそれぞれ実施した。2014年の調査では、4月17日から5月2日まで済州を除く全国満19歳以上の男女1500人を対象に実施された(信頼水準95%)。

・2014年現在、宗教分布は、仏教22%、キリスト教(プロテスタント)21%、キリスト教(カトリック)7%の順だった。ギャラップ側は、「仏教は、高齢者と我が国東側(慶南・北)で、プロテスタントは若年層と我が国西側(首都圏·全羅)で、相対的に強みを見せた」と明らかにした。調査結果だけで見れば、知られているものとは異なり、カトリックの教勢は大きく増えなかった。
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調査 事例数 韓国の宗教人口分布(%)

(年) (人) 仏教 プロテスタント カトリック その他宗教 非宗教者

1984 1,946
19
17
6
3
56


1989 1,990
21
19
7
2
51


1997 1,613
18
20
7
1
53


2004 1,500
24
21
7
1
47


2014 1,500
22
21
7
0
50










【第5回 比較調査概要】
- 調査期間: 2014年4月17日~5月2日(3週間) 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)満19歳以上の男女1500人 
- 標本誤差: ± 2.5%ポイント(95%の信頼水準) 
- 標本抽出: ステップ2層別化集落地域無作為抽出
- 標本ポイント内の性/年齢別の割り当て抽出 →(参考)「韓国ギャラップ・オムニバス調査標本設計報告書」
- 応答方式: 面接調査員のインタビュー 
- 依頼先: 韓国ギャラップ独自の調査過去の調査の概要 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)は、18歳以上の男女 
調査期間/サンプルサイズ/標本誤差(95%の信頼水準)/すべての面接調査、韓国ギャラップ独自の調査


(注)仏教について、曹渓宗(조계종)、太古宗(태고종)などの宗派に分かれる。
       ⇒ ”妻帯僧
       ⇒ 東京大学仏教青年会「第16回 朝鮮仏教史  5. 韓日併合期と独立後の仏教」
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明治時代に入ると日本仏教勢力が朝鮮に進出してきます。最初に江戸時代の朝鮮通信使とも繋がりのあった浄土真宗大谷派が、続いて日蓮宗、浄土真宗本願寺派、浄土宗と進出してきました。 そのような日本仏教の進出を受け、朝鮮仏教界も大きく動きます。日本を訪れ積極的に開化政策を進めようとする僧侶が出る一方で、それに反対し伝統仏教を回復しようとする鏡虚(きょんほ)らのグループも現れました。 日本が韓国を併合すると、朝鮮総督府が直接、朝鮮仏教の統率に乗り出し、寺刹令(じさつれい)を制定しました。 ・・・
・第二次世界大戦が終わり、日本から独立した韓国の仏教は、日本仏教の支配と影響を廃して、復興に向かいました。その第一歩として妻帯僧を追放し寺院の生活を正す浄化運動が起きます。 日本では明治時代に入って僧侶の妻帯が認められたこともあり、その支配下にあったときには妻帯する僧侶が韓国でも現れました。 それに対して戒律の遵守を求め妻帯を禁止する僧侶らと妻帯僧の間で紛争が起きました。その結果、曹渓宗から妻帯僧らが分派して太古宗が生まれました。 その他にも、新たに円仏教、真覚宗、元暁宗、法華宗、仏入宗といった宗派が誕生し、今に至っています。
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(注)シャーマニズム的な巫俗(ふぞく:무속)は、宗教としてでなく精神の源泉として下部構造に位置づけられるようだ。

(注)儒教も宗教としてでなく、儒教>宗教>巫俗といった精神構造の道徳律的な最上位に位置づけられるようだ。

2015年1月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 思い出

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第89回として、「傷ついた心を癒す切ないメロディー」の短歌(단가)「思い出(追憶、추억)」、雑歌(잡가)「フンタリョン(흥타령)」(南道民謡)、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にまつわる話を紹介した。

始めに、林芳蔚(임방울、1904,5?年~1961年)の「思い出」の成立について次のように紹介された。
・歌い手、林芳蔚は、パンソリ「春香歌(춘향가)」から、獄中の春香の姿を「スクテモリ(쑥대머리)」の歌で表して一躍スターとなり、(朝鮮、日本、満州で)100万枚のレコードを売上げる。
・林芳蔚は、珊瑚珠(산호주)と恋に落ちて、2年間行方が分からなくなる。その間、彼は声を痛めて、愛する彼女を残して一人去る。彼女は彼を探して(智異山?)山中の洞窟にたどり着くが、会ってもらえず、結局、病気になってこの世を去る。彼は、そんな彼女を抱えて泣きながら歌ったのが「思い出」として伝わる曲だ。

▼ 短歌「思い出」を聴く。パンソリ風、即興曲・・・ところで山にこもって研鑽というのは、男の歌い手に共通する伝説だろうか。
(参考:ブログ「キム·ミョンゴンの世界の話」)

次に、朝鮮時代末活躍した宋興祿(송흥록、1801年~1863年)を次のように紹介された。
・歌の王と言われるほどの歌い手、宋興祿は、ある宴会で妓生の孟烈(맹렬)と恋に落ちた。彼の歌に皆が感動する中、彼女だけ気に入らぬ表情をしていた。歌は悪くないが、まだ未熟な面があるといわれ、プライドが傷ついた彼は帰郷して、歌の練習に励んだ。後日、再び彼の歌を聞いた彼女は、ようやく彼の歌を認めた。その後二人は一緒に住むことになる。ある日、喧嘩の末、彼女が家を出ようとしたのを、彼は、体は去っても心を残してくれと歌った。民謡「興打令(흥타령)」の中に今も伝わっている。

▼ 南道民謡「興打令」を聴く。歌い手(安淑善)の伸びやかな声ときれのあるリズム、イ・ソンヒの源流を見た気がする。

最後に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にある人々の共感性について次のように説明された。
・昔の歌は生活の喜びや悲しみも表現するからこそ、深く共感できる。パンソリ「興甫歌」に、興甫(흥보)が鞭打ち刑を受ける場面がある。昔、罪ある者に鞭打ち刑を科したが、金持ちや権力者は罪を犯して鞭打ち刑を科せられても、金で人を雇うことができた。貧しい彼は、子どもたちのため、自ら鞭打ち刑を受ける。貧しい時代にそういうこともあった。パンソリには、彼らの心を察して歌い、悲しい歌に合わせて泣いたり笑ったりする中で、互いを理解しあえる力がある。

▼ パンソリ「興甫歌」から「興甫が鞭打ちに科せられる場面(흥보 매품 팔러 가는데)」を聴く。・・・切ない話しのよう。

2015年1月27日火曜日

15.8℃(4月上旬並み)

今日、近隣の街の気温が、午後1時過ぎには、15.8℃という今年最高になり、4上旬並みの陽気だった。こんな穏やかな天気がずっと続けばよいが、明日からまた元の冬に戻るという。

(気象庁)本日の「日最高気温一覧表」・・・日毎更新

ホッとしたのも束の間、天気予報の通り、晩には北風が吹く音がして冷え込んできた。考えてみれば、こんなことは序の口、例年大雪は2月になってから。まだまだ油断できない。

旧暦では、まだ12月8日、年も越していない。

2015年1月26日月曜日

イ・ソンヒの「Waterloo+Dancing Queen」(ABBA)

イ・ソンヒが、多分、2004年に20周年コンサートを世宗文化会館で公演したときと思われる映像があって、7080世代に人気のあった、ABBAの「恋のウォータールー(Waterloo)」と「ダンシング・クィーン(Dancing Queen)」をダンスチームを従えて歌い踊る珍しい姿をYoutubeで見ることができる。

(本ブログ関連:”2013:7080世代が最も好きな曲”)

80年代末~90年代のダンスブームの頃、イ・ソンヒは、ABBAの「Waterloo」(1974年)や「Dancing Queen」(1976年)を手がけただろうか。20周年コンサートの舞台では、ダンサーの振り付けや衣装をちょっと古めかしている。コンサートの年、彼女は40歳になろうとしていたが、初めて耳にした小学生当時に戻ったような溌剌としている。

ところで、日本でABBAがブームになった頃、私はその波に乗って楽しんだ記憶がない。なにしろ、南沙織や太田裕美の方に目と耳が向いていたような気がする。

(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2015年1月25日日曜日

イ・ソンヒの「姉さん部隊」

イ・ソンヒにはデビュー当時、女学生(中高生)を主軸にした熱烈なファン層が登場した。「姉さん部隊(언니부대)」という。彼女たちから見ればイ・ソンヒは「お姉さん(언니)」に当たる。そのファン集団・集まり(グループ)を「部隊(부대)」と呼んだ。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

SBSスポーツの記事「ヒーリング(キャンプ)、イ・ソンヒ『姉さん部隊』のために先輩女性歌手に怒られて」(2014年4月7日)によれば、この「姉さん部隊」という存在について、実はイ・ソンヒが初めて率いたと次のように記している。
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・イ・ソンヒは、大韓民国最初の「姉さん部隊」創始者であり、数多くの女性ファンを保有していた。コンサートの列が全部女子学生なので、チョー・ヨンピルのコンサートと勘違いするほどであった。
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当時の「姉さん部隊」層の中心を満年齢で15歳とすれば、現在45±4、5歳になっているのでは。ちなみに、イ・ソンヒは現在、満年齢で50歳である。

この「部隊」という表現、今ではちょっと古いようだ。では、最近のアイドルグループのファン層を何と呼んでいるのだろうか。複数メンバーで構成されるグループを対象にした場合、ファンは何を拠り所に集まるのだろうか。

私には、この「部隊」から、「プデチゲ(部隊鍋)」のイメージが浮かんでしようがない・・・。

2015年1月24日土曜日

豆、恵方巻、チョコレート

図書館の帰り道、スーパーがあって、入り口に季節に応じた食べ物が陳列されている。来月4日「立春」(節分)の前日に撒く、煎り豆の入った菓子袋がずらり並んでいると思ったら、今度はコンビニ店頭に、のぼり旗が立って、節分に食べる「恵方巻」の予約をうながしている。

節分の時期を、豆や恵方巻の商品で代替して知るような気がして妙な感じだ。ファッションに先取りという価値があるように、食べ物までもが先取り情報を持つている。年末から、予約、予約とせきたてられている気がしてならない。

とうとう、チョコレートまで加わった。テレビで、チョコレートフェアの催事と外国ブランドの高級チョコが押し寄せてきていることを放送していた。美味そうだな・・・と見ていたが、考えてみれば、2月14日の「バレンタインデー」に合わせてのことではないか。

いささか早過ぎないかと思うけれど、事(ビジネス)はどんどん運ぶ。スーパーに隣り合う商業ビル内も改装という名の店舗の入れ替えが進んでいる。何ごとも絶えず入れ変わっている。

季節は天候の変化よりも、ビジネスのカレンダーで早まる。1月なのに、もう2月だ。

2015年1月23日金曜日

石を愛でる人

昔、大学受験生は、それぞれの大学独自の試験を受けた。それが、受験資格試験に相当するような「共通1次試験(大学共通第1次学力試験)」が加わって、今は「大学入試センター試験」と呼ぶそうだが・・・その仕組みがさっぱりわからない。

大量受験者を採点するのに、マーク式(OMR)が使われているが、記述式(OCR)の方は(技術的にも難度が高く)一般化しなかったようだ。マーク式の場合、選択肢式となるわけで、いろいろ批判があったようだけど(つまり正解が露出している)、やがて慣れたからか信頼性が高いからか、今は当り前になっている。

今年のセンター試験の「国語」(第2問)に、小池昌代の小説「石を愛でる人」全文から出題されているというので読んでみた。(問題の解答をチャレンジしたわけではない)

内容は、「水石」の愛好家(アイセキカ)であるテレビのプロデューサーらしき人物(山形さん)と主人公(わたし)のちょっとした付き合いが語られている。随筆、散文、スケッチといった筆致だ。仕事上の付き合いがきっかけで、水石の展示会への案内(呼び出し)、鑑賞後の居酒屋への誘いなどと話しが続く。

展示アトリエの入り口に置かれたパンフレット「水石の魅力」に次のように書かれている。
「水石は、趣味のなかでも、もっとも深淵で奥の深いものだといわれています。盆栽などとあわせて鑑賞されることも多いのです。/庭石のような大きなものでなく、片手で持てるような小さな鑑賞石をいいます。あなたも、水石の世界に、どうぞひととき、お遊びください」

水石鑑賞には、入れ子のような視点があって、小さな石の形状に巨大な山姿を空想する。石の隙間から雲が湧き出るといった幻想の世界へと誘うようだ。本当の水石好きの方には独自の世界観があるのだろうけれど、私には小さな石の奥、水が滲む先に桃源郷があるように幻視する。

(本ブログ関連:””)

2015年1月22日木曜日

イ・ソンヒ「30th Anniversary Lee SunHee Live」、「1集-Remastered」

昨夕、待望のイ・ソンヒのアルバム「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と「1集(REMASTERING ALBUM)」が入荷したとCDショップから電話があった。けれど、寒雨を撥ね退けて出かけるのに躊躇して、「明日行きますから」と答えた・・・。

今日も雨は止まずおまけに寒い。それでもファン心理というのか押されるように新大久保に行き、ショップの2階でイ・ソンヒアルバム2つを受け取る。この時点でお天道様への不満を忘れ、早く聞きたいという気持ちにせかされる。

「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」は、しっかりした外箱入りのハードカバー書籍のような装丁で、白色を基調にした上品な仕上がりだ。ライブ版にふさわしく、コンサート会場の雰囲気を思い出させる「Overture」から始まる。舞台背景まで浮かんでくるような荘重な臨場感があってうれしい。歌詞集に掲載の彼女の写真は、30周年記念に相応しい気品と風格を感じさせる。
それにしても、韓国発売が昨年12月22日だったので、1ヶ月してようやく手元に届いたことになる。

(本ブログ関連:”30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE”)

「1集(REMASTERING ALBUM)」は、いわゆるプラスチックケースではなく、厚手の紙箱に入っている。ふっくらした、まさに童顔そのものの若きイ・ソンヒの姿がケースを飾っている。「あ!昔よ」に始まる・・・高音がびしびし飛んでくるよう、元気いっぱいさだ。
先日記載した、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる、このリマスター版についての「アルバム紹介」が、歌詞集の最初に載っている。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

CD版は、LP版と違って手元に馴染むのがありがたい。
子どもは、おいしいおかずを後回しにする。今回、2つのアルバムを一気に聞いてしまうのが惜しくて、ゆっくり聴いていこうと思う。それもファン心理というものかな。

2015年1月21日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅花歌

年初のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第88回として、齢を重ねることを梅の花に例えた歌「梅花歌(매화가)」他にまつわる話を紹介した。

始めに、儒学者、退渓李滉이황、1501年~1570年)が梅の花を好んだ話しを、次のように紹介された。
・冬の寒さが続く。昔、冬至が過ぎると既に春が始まったとされた。冬至を境に昼が長くなるからだ。学者(ソンビ、선비)は、この頃、ある花を待ち望んだ。「四君子(사군자)」すなわち「蘭菊竹梅(란국죽매)」の一つ、梅の花だ。気品に満ちて風格あることから、4種の植物を君子と称えた。朝鮮時代を代表する儒学者の退渓李滉は、梅花を大事にして、亡くなる最後の遺言が「あの梅の花に水をやってくれ」だった。
・梅の花の歌「梅花歌」は、歳をとることを嘆きながら、梅の花に例えて歌ったもの。

▼ 歌「梅花歌(매화가)」を聴く。自然の輪廻を高らかに歌っているようにも。(参考:Youtube映像、歌詞解説あり)

次に、約100年前の朝鮮後期に作られた独奏曲形式「散調(산조)」について、次のように説明された。
・冬のある日、窓際に梅花を一株植えた植木鉢とその反対側に火鉢が置いてある部屋で、風流を好むソンビは詩を作り、妓生が演奏する撥弦楽器「伽耶琴(カヤグム、가야금)」を楽しんだことだろう。
・散調は、パンソリや祭儀の時に演奏したリズムやテンポを基に、ひとつの楽器で演奏できるように構成したものだ。散調のテンポは、穏やかな「チニャンジョ(진양조)」<「チュンモリ(중모리)」<「チュンヂュンモリ(중중모리)」<「チャジンモリ(자진모리)」の順に速くなる。ゆっくりした出だしは、恨を抱くかのようにも聞こえ、次第に速く最後は恨を晴らして羽ばたく印象を与える。チャジンモリで奏した後、最も早いテンポの「フィモリ(휘모리)」に移り変わって奏する。

(参考)以前の放送内容: テンポ「長短(チャンダン、장단)」の取り方

▼ 伽耶琴散調の「フィモリ」演奏を聴く。軽快に撥ねるよう・・・風景にも心情にもいろいろ描けるのだろう。

参考)以前の放送内容: フィモリの「フィ(휘)」は、動詞「吹き荒ぶ」(휘몰아치다)」から、「モリ(모리)」は、「音楽を思った方向に進めていく」という意味を持つ・・・とのこと。

最後に、画家の生涯を描いた映画「酔画仙취화선)」(2002年)の中で、日本の笙とよく似た楽器笙簧(センファン생황)と縦笛楽器の短簫(タンソ、단소)による二重奏が紹介された。
・詩作、書画をするソンビの文人画は、落ち着いた描き方が特徴で、単純な色彩で余白を生かしながら、しっかりと表現するソンビだけに通じた文化でもあった。
・数奇な運命をたどった朝鮮後期の天才画家、張承業(장승업、1843年~1897年?)の生涯を描いた映画「酔画仙(취화선)」で、張承業が妓生メヒャン(매향)と一緒に笙簧と短簫を演奏する。

▼ 笙簧と短簫の二重奏(笙蕭並奏(생소병주))による「水龍吟(수룡음)」を聴く。冷たい水を潜るような透明感がある。


(付記)
今夕、CDショップの電話があった。イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と、「1集(REMASTERING ALBUM)」アルバムが入荷したそうだ。でもねえ、この寒雨を撥ね退けて出かけるには躊躇したよ・・・「明日行きますから」と。

2015年1月20日火曜日

大寒2015

今日は二十四節気の二十四番目、「大寒(だいかん)」。節気の最後、寒さの最も厳しい時期で、東京1月の平均気温は、一年で一番低い5.2℃(統計期間:1981~2010年)。10℃を超えるには4月を待たねばならない。春は未だ遠い。

(本ブログ関連:”大寒”)

とはいえ、一日ずつ日が伸びており、気持ちの上で峠を越えたと思いたいけれど、例年当地の大雪は2月が厳しい。まさか雪掻きするなんて・・・このところ何度も経験している。

この冷たい季節に聴く、イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」は澄み切った空気まで感じる美しい曲だ。ちょっと気になることがある。彼女の若い頃の記述で自伝(이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで))に近い中で、この曲に直接触れている箇所がない。同曲の収まったアルバム5集(1989年)は、彼女のアルバム中、最大の売り上げ数だったのではないだろうか。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのアルバム枚数”)

昨日よりちょっと冷える。やっぱり大寒か、寒いのは苦手だ・・・何べん言ったことだろう。

2015年1月19日月曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

今晩聴く、イ・ソンヒの11集所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年)は、年に一度ここに感想を記していたことに気づいた。

きっと、年一回だけでも心を清めなさいということかな・・・それほどにこの曲は美しい。神様は多分何も応えてはくださらないだろうから、いっそうこの曲に耳を傾けよう。晶系の複雑な結晶面にきらめく光に似て、透明な澄んだ歌声が響くよ。

11集「Dream of Ruby」は、彼女にとって音楽的試行を重ねた時期のアルバムといわれるが、この曲はやはり彼女そのものだ。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)

(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

イ・ソンヒの公式ホームページで、アルバム紹介が次の12集以降しかないのが残念。

2015年1月18日日曜日

顔の識別(2)

世の中に自分とそっくりな人が3人いるというけれど、今までに出会ったことはない。きっとどこかにいるのだろうが、考えてみれば、身近な者と似た人物にも遭遇したことがないのだ。つまり、しっかりと違いを識別する能力が高いという証拠だが・・・。

それでも随分昔、顔の識別が怪しくなったと気づいたのは、女優の「原田知世」と「石田ひかり」の区別がおぼろになったことだ。しょっちゅうテレビにかじりついて見ているわけでもなく、名前だけ知っているに過ぎないのだが。つまり、二人の容貌を思い出すトリガーの方が先におぼろになったわけ。

(本ブログ関連:”顔の識別”)

最近では、AKBなど3文字の少女アイドルグループのメンバーが話題になっても付いていけない。というより、関心というか知ろうという意欲が湧かない。メンバーの多さもあって、容貌の識別だけでなく、名前すら怪しい。

またしても驚いたことに、芸能ニュースに出てくる「綾瀬はるか」と「新垣結衣」の名前が入れ替わっていたことに気付いた。彼女たちが、私の頭の中でモーフィングし続けている。可愛い女優の識別が難しくなるなんて、大変残念なことだ。

2015年1月17日土曜日

出会い

出会いが偶然だったとしても、いつか記憶に残れば、それが偶然だったのかと自問する。まして、そこに情感が漂い、懐かしさが深まれば、決して偶然ではない何かに導かれた必然があった、それは希望だったのだと。

ノ・サヨン(노사연)の2集収録曲「出会い(만남)」(1989年)は、今も7080世代にカラオケで歌われる上位曲だ。そう、誰もが思い出を持っている。おじさんだって、おばさんだって大事にしまっている、遠い美しい記憶があるんだよ。この歌が種になって結晶を作り、あの出会いを輝かせてくれる。

(本ブログ関連:”出会い”)

(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2015年1月16日金曜日

イ・ソンヒとイ・スンギのデュエット「Jへ」

SBSの歌謡ショー「イ・ソンヒと友人達」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒが愛弟子のイ・スンギと「Jへ」をデュエットするYoutube映像がある。画質も音質もよくて・・・素晴らしい。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)(2)”)

イ・スンギとの数ある「Jへ」のデュエット中でも、息が合って楽しそう。最近、イ・スンギの主演映画「今日の恋愛」を、イ・ソンヒと彼女のファンが映画館を借り切って観覧したそうだ。まさに、箱入り息子。いつまでたっても息子は息子という、母親的なものが感じられるほのぼのした関係のようだ。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”)

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2015年1月15日木曜日

PRD-BT106-P02

わが家で利用の有線テレビにデジタル以外に、デジアナ変換して使っているものがあるが、そちらが3月末サービス終了するという。今後は、デジタル信号しか送ってくれないというのだ。

使用中のアナログテレビは、画質も音質もいまだ衰えていない。もう少し使ってみようと思い、Amazonで探したデジアナ変換する地デジチューナーが、本日届いた。冷たい雨の中、配送してくれた宅急便の若者にありがとう。

以前、有線テレビのサービスマンがVHSレコーダー経由でつないでくれてたのを、Amazonの<カスタマーレビュー>で評判のよい「PRD-BT106-P02」でダイレクトに接続した。画像が前より鮮明なのに驚いた(VHSレコーダーをかまさないからだろうけど)。テレビ本体の画質、サラウンド機能は従来通り調整できるし、使用感はまだまだ満足、全く問題ない。

それに、VHSテープ(イ・ミジャもヘウニ・・・)もいっぱいあることだし、古いものを大事に使っていこう。

(付記)
イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と、「1集(REMASTERING ALBUM)」アルバムは、来週水曜に一緒に受け取ることになった。彼女の古いLPアルバムも収集していることだし、アナログ世界と縁は切れない。

(追記)
小正月や小豆粥、行事も食事もせず。そういえば、この時期の火祭りに「どんど焼き」がある。隣り町で、ポスターが貼られていた。

2015年1月14日水曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

イ・ソンヒのファンは、一体どんなイメージだったのだろう。イ・ソンヒが大学生時代、「江辺歌謡祭」(1984年)に登場して大賞受賞した当時の同世代というよりは、少し歳下の女学生(中高生)といったところだろうか。女学生特有のアンビバレンツな心情が、歌謡界のなかで独特な彼女のボーイッシュな容姿とスタイルを支持した・・・まさに待望の登場だったのかもしれない。

イ・ソンヒに男性ファンがいるのもよくわかる。なにしろ彼女のコンサートで、隣席の中年男性が、彼女の歌に合わせてずっと一緒に歌い続けていた。コンサートで歌手と共に歌うことはよくあるようだが、少々戸惑った記憶がある・・・それはそれとして。

イ・ソンヒの歌声には、爆発的な力強い高音が特徴といわれるが、合わせて親しみやすい愛らしい印象がある。それは、童顔といわれる容貌とともに今も変わらない。14集所収の「本当に悪い(참 나쁘다)」(2009年)を聞けば納得できる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「本当に悪い」”)


立ち直れない思いを抱いて
街に出て見たわ
あのたくさんの人たちの中で
私は何度も泣きそうなの

そのまま、この雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・貴方、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの

本当に悪い・・・私をここに一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて

そのまま、雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・あなた、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの・・・

本当に悪い・・・ここに私は一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて、どうか・・・近づいて

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年1月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 寿斉天

年初のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第87回として、宮中音楽「寿斉天(수제천)」、民謡「アリラン(아리랑)」、そして行進曲「キルクンアク(길군악)」にまつわる話を紹介した。

始めに、王道政治の要である「礼楽」の「(音)楽」の役割について、次のように紹介された。
・礼儀の「礼」と音楽の「楽」、「礼楽思想」は朝鮮時代、国家統治の基本原理だった。音楽に関する書「楽記(악기)」は次のよう説明する。礼儀は人々を区別し、音楽は人々を同化させる。人を年齢や役割で区別し、礼儀を以って互いを敬う。音楽で互いを理解して親しくなれば、争いが起こらない。宮殿では、世の調和を感じられる音楽が好まれた。代表曲に「寿斉天(壽齊天)」がある。

▼ 国立国楽院正楽団(정악단)演奏「寿斉天」を聴く。日本の雅楽に似ているが、随分と煌びやかで色彩的な響きだ。

次に、民謡「アリラン」が世に知られるようになった、第一次世界大戦時の<逸話>を次のように紹介された。
・民謡「アリラン」は、民族を代表する歌で、ユネスコ人類無形遺産にも登録された。この曲が世に知られたのは、第一次世界大戦時、ドイツの捕虜収容所で、世界各国からの捕虜を対象に言葉と歌を研究したことによる。当時録音した記録の中に、ロシアの捕虜が歌ったアリランがある。その昔ロシアに移住した朝鮮系(高麗人)ロシア兵が捕虜となりドイツへ送られて、遠く離れたドイツで歌った曲がアリランだ。

(本ブログ関連:”アリラン”)

▼ 「アリラン」の歌を聴く。都会風にアレンジされている。原曲は、ずっと韓国大衆音楽の背骨の役割を果たすのだろう。

最後に、行進曲「キルクンアク(キルクナク、道軍楽)」が奏された場面について次のように紹介された。
・行進曲「キルクンアク」は、歩きながら演奏する音楽という意味だ。もともとは王を乗せた輿や兵士が行進するときに演奏した音楽で、行進曲であるだけに力強いのが特徴。そのためかキルクンアクを歌で表現した曲もある。民族音楽の「農楽」でもキルクンアクのリズムを演奏することがある。農夫は一年の仕事を終えると、キルクンアクを演奏しながら家に帰った。

(本ブログ関連:”キルクンアク”)

▼ 「キルクンアク」を打楽器主体の演奏で聴く。この演奏も軽快に洗練されている、今様である。

(付記)
鳥がさえずり合うように、音楽は響き合い調和するもの、人に伝え聴かせるもの。辻芸人、旅芸人、音楽に貴賎はない。音楽は水紋のようなもの、だから、その輪を乱してはならないと思う。

2015年1月12日月曜日

成人式2015

成人式の祝日、天気晴朗ながら風音の止まぬ一日だった。体感温度がきっと低い外で、遊び声がする。子どもは風の子、うらやましいかぎり。

(本ブログ関連:”成人式”)

少し前までは、午後3時頃になると冷え込み始めたが、最近は4時頃になった。日照時間が少しずつ延びたせいだろう。子どもたちの声も4時過ぎ、しなくなった。親にお帰りと呼び戻されたのかな。

今日の街は華やいだことだろう、晴れ着姿もいいもんだ。ところで振り返ってみると、成人式に行った記憶がない・・・主張があってのことではない、ただ面倒だっただけ。思い違いかもしれないが、後で記念アルバムが送られてきたような覚えがある。

2015年1月11日日曜日

鏡開き2015

正月の1日から3日までの休みを「三が日」。「松の内」の終わる7日まで<門松>を飾る。そして、今日11日は、神仏に供えた鏡餅をさげて食べる「鏡開き」だ。これで、正月行事は一通り済む。

鏡餅を供えていない。餅は、せいぜい<雑煮>を食ったくらい。それに<安倍川餅>は好物だが、正月の縁起物とはいい難い。七草粥も食してないし・・・。

もう一つ残念なのは、イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」アルバムを予約したショップの話しで、入荷が遅れているというのだ。

(追記)
隣り町の図書館に行く。正月気分はすっかり終わっていて大変な混みよう。スタディールームにも入れず、ロビーのテーブルの列に割り込むようにして座り込んだ。

2015年1月10日土曜日

(漢字)幕があがり降りる

漢字を見て気になることがある。文字を構成する一部を共通して、それに他の文字を組み合わせると、それぞれに意味を持つが、連続した何か流れを持つように思えてくる。素人の勝手なこじつけ、駄洒落に近い妄想のようなものだが興味がわく。

例えば、「莫」を共通にして、「日」、「布」、「土」を組み合わせると、次のようになる。

暮らす>夕暮れ>終幕>墓

日々生活にいそしみながらも、いずれ夕陽がさし、幕が降りて眠りにつく。人生をあらわすようだ。文字に知恵があるのなら、それを使いこなすよう大事にしたいものだ。

(付記)
ネット「日経ビジネス」の対談記事、「キーパーソンに聞く」の「女は『ガラスの天井』、男は『ガラスの地下室』」(1/9)で、久米 泰介(くめ・たいすけ)氏に同誌副編集長の秋山知子氏がインタビューする中で、次のような数字をあげている。
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・ある意味衝撃的だったのが、誰でも知っているはずの平均寿命の男女差ですね。アメリカ人の平均寿命は、男性が女性より6.9歳短い。ところが1920年にはその差はわずか1歳だった。日本も現在、平均寿命の男女差は6.4歳ほど(2013年)ですが、1920年頃はやはり約1歳つまり差がどんどん開いている
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(参考)「日本の平均寿命の推移をグラフ化してみる(2014年)(最新)」(GarbageNews)・・・推移図表がある。
(参考)「人口統計資料集(2014)」(国立社会保障・人口問題研究所)の「平均寿命の高い国:2050~55年」・・・日本の女92.44歳、男85.60歳 ⇒ 差6.84歳

2015年1月9日金曜日

イ・ソンヒ<チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉>

韓国ではイ・ソンヒを「国民歌手」と讃える他にいろいろな表現があって、「ディーバ(歌姫)」に始まり、「(女性)歌王」、「ライブ女帝」、「歌手クイーン」などある。昨年の彼女の実績は、<帰還>とも呼ばれるように多数に認知されたし、ニュース記事のタイトルに「大韓民国歌手」とまでいわれたりした。

韓国ギャラップが昨年(2014年)調査の「2014年を輝かせた歌手」では、人気曲で3位、歌手ランクで5位(世代別40、50代では1位)に輝いた。

歌手がファンに支持される評価に、当然ながら経済的な面も考慮すべきだろう。その基準に、コンサート公演(回数やチケット数など)の結果がある。つまり、コンサートに出向いて、歌手に対して(きちんと)経済的な対価を投じられる層の厚さを知ることができる

昨年のインターパークの実績を要素に入れて集計したランクが発表され、そのトップにイ・ソンヒが上った。大韓日報の記事「歌謡界最高の『ディーバ』、ライブ女帝 - 歌手イ・ソンヒ」(1/7、ユ・ヨンミ記者)は次のように報じている。(ちなみに、2013年はチョー・ヨンピルだった)

(参考)昨年までの「一目で見るゴールデンチケットアワード10年」(インターパーク)
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チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉

・歌手イ・ソンヒは、デビュー30周年を記念するコンサート<歌う イ・ソンヒ>を通じて、2014年4月から11月まで全国13都市27回公演を進める間、すべて全席売り切れの神話を記録した。

・全国ツアーを通じて7万余の観客と出会った歌手イ・ソンヒのコンサートは、2014年最高のプレミアム公演で観客から熱い支持を受けた。

・そして2014年、サイ、イ・スンチョル、ソテジ、GODなど多くの歌手の公演中で、2014年のチケットパークが選定した大韓民国最高のコンサートで、<歌う イ・ソンヒ>コンサートが作品賞を受賞した。

・ゴールデンチケット・アワードは、一年間のインターパークで販売された公演の販売量とランキング、観客の投票を合算して選定する信頼性が高い国内最高のチケット・アワードで、2014年選定基準は「観客オンライン投票」40%+「チケット販売枚数」30%+「ランキング(順位)加算点」30%で点数を合算して発表した。

・「観客オンライン投票」は、インターパーク会員を対象に、2014年12月18日から31日まで投票を進め、投票参加者数は合計24,257人(モバイル16,083人含む)だ。

・2013年の公演部門作品賞受賞者は、歌手チョー・ヨンピルであった。

・2014年最高のコンサートとして支持された<2014歌う イ・ソンヒ>を見た観客は、一様に歌手イ・ソンヒの変わらぬ声と感性、彼女の真心ある歌のおかげで暮らしの疲れを癒され、慰めを得て、再び新らたに始められる力と勇気を得た公演だったと評価した。

・国内女性歌手では空前絶後な独歩的な記録を立てて、韓国最高のティーバとして存在感をもう一度確認させた歌手イ・ソンヒのコンサート。

・話題のコンサートは、彼女のデビュー曲であり、1984年最高の人気歌謡であった「Jへ」から、2014年最高のヒット曲である15集タイトル曲「その中であなたに出会って」をはじめ、去る30年間の粘り強い支持を受けてきた点が功を奏した。

・彼女のヒット曲「分かりたいです」、「思い出のページをめくれば」、「愛が散るこの場所」、「いつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「ライラックが散るとき」、「思い出のページをめくれば」、「因縁」、「あ!昔よ」、「美しい江山」など、彼女の最高ヒット曲に巡り会える公演だった。

・現在(発売中の)、コンサートの感動をそのまま感じられる「30周年記念ライブ ベスト・アルバム」も、観客に支持を受けている。
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2015年1月8日木曜日

イ・ソンヒの「私は恋に落ちました」

1985年にリリースしたイ・ソンヒの初めてのアルバムがリマスタリングされて、今月(韓国では先月)お目見えする。1集「あ! 昔よ」(JCDS0824)について、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソが「アルバム紹介」したものを、昨日の本ブログに掲載させていただいている。その中で、1集の驚異的ヒットについて次のように述べているヶ所がある。

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・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバム(第1集)のタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
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上記紹介の曲目中にある、「私は恋に落ちました(나는 사랑에 빠졌어요)」(作詞・作曲ソン・ジュホ)をYoutubeで視聴したい。
いかにも少女らしい恋に恋する曲であり、イ・ソンヒの特徴を最も示す、爆発的ではち切れんばかりの高音の絶唱を聞くことができる。あっけらかんとした初々しさもあって、どこか楽天的な曲ともいえる。(歌詞にある사랑を、「恋」と「愛」に使い分けてみた)


私は恋に落ちたみたい
私は恋に落ちたみたい

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします
*
しきりに誰か恋しくて
しきりに誰か会いたくて

ときめく心はなぜか
あなたを見れば細るこの心
この心、この心

私は恋に落ちました
私は恋に落ちました

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(*以下繰り返し)

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。

2015年1月6日火曜日

小寒2015

今日は二十四節気の「小寒」。厳しい寒さの前触れである。残すところ「大寒」を過ぎれば、一年のサイクルの始めに戻るのだが、寒さ嫌いにとって関門である。

(本ブログ関連:”小寒”)

今日の天気予報によれば、最高気温が16℃だそうで、いい意味で出鼻をくじいてくれる・・・ただし、この暖かさは今日まで。

天気予報で気付くのは、関心の範囲が当地、当地域、あるいは影響を受ける地方くらい。ネットのニュースで、小寒を検索して驚いたのは、記事に取り扱っているのが、韓国や中国ばかりなのだ。

正月休みも終わり生活にいそしめば、小寒は人の気分からするりと抜け落ちるばかり。

(追記)
毎週水曜日のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週(12/31)年末特番のため休みだった。番組担当の金寶愛さんの独唱を拝聴しましたよ。

2015年1月5日月曜日

日めくりカレンダー

今年、「日めくりカレンダー」をPCのそばに置いて、毎日、日めくり(更新)することに決めたが・・・昨晩、日付の変わった深夜に一枚切り取って今日(5日)の日付にしたが、今朝それを忘れて、また一枚剥がしてしまった。

(本ブログ関連:”日めくりカレンダー”)

今日は6日なのか・・・ああ、予定が間に合わないと一日中慌てる・・・夕方になってやっと気付いた。昨晩遅く切り取った5日の分を探し出し、日めくりカレンダーに貼り付けて、ようやく本当の5日が復活した。
ああ、PC横に月日表示のデジタル表示時計も置いているというに。

今日は、朝から夕方まで南の風が吹いて、久し振りに陽に暖かさを感じた。東京都の最高気温が10℃を超えて、13℃に達したのだ。10℃超えの効果は抜群。

遅い今晩、ストーブが暖か過ぎるほど。この調子で温和な日が続けばと思ったが、明後日から再び厳しい冷え込みのよう。お天道様にはこちらの思いが通じない。

2015年1月4日日曜日

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

イ・ソンヒは、シム・スボン(심수봉)に「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』(사랑 밖에 난 몰라、1987年)の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」といわれた。

2004年、デビュー20年のコンサート舞台で、イ・ソンヒは、ビートを効かせたシム・スボンのトロット唱法に対して、本歌取りというか換骨奪胎に近いほどのしっとりとしたバラードでこの曲を歌った。今を起点に未来へ向かうのか、それとも過去からようやく今にたどり着いたのか、そんな違いがあるように感じさせる・・・。

(本ブログ関連:”シム・スボン”)


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

(追記)
隣り町にある大手のいわゆる新古書店で、20%オフをやっていた。ただでさえ半額に近いのに更に・・・ついつられて? 2冊購入。

2015年1月3日土曜日

イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)

正月三が日の最終日、新大久保に行く。駅前は思いのほか混雑していて、大久保通りも賑わいが続いていたが、さすがに職安通りへ抜ける小道はいつもの休日ほどでない。

実は職安通りに面したCDショップに、イ・ソンヒの30周年記念コンサートのライブアルバムを予約していて、受け取りは7日以降にもかかわらず寄ってみた。なぜかといえば、ネットで彼女の1集アルバムのリマスター版「Lee Sun Hee Remastered」(JCDS0824)が発売(韓国出荷予定1/4)されるというのを知ったからだ。

(本ブログ関連:”「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」アルバム”)

同ショップには書籍売り場もあるので、ちょいと覗いて見たついでに、このリマスター版を追加予約しようとしたわけ・・・だった。けれどまだ同ショップの扱いリストに載ってないという。じゃあ、今度コンサート・ライブアルバムを受け取りに来たときに、正式に予約することにした。

その足で、新宿の大手書店のフロアを巡る。何かいいものはないかな?・・・と探す。鉱物関連の標本や書籍は見れども今回はパス。語学書籍に、韓国語教室で紹介されたことのある、アメリカ人向けに書かれた「韓国語概説」(イ・イクソプ著、前田真彦訳)があって購入。SVOの人間にSOVを説明する工夫がされているような気がして、(膠着語に住む浅学なものにも学校英文法的な理解で)役立ちそう。

考えてみれば、明日は正月の付録のような日曜日。まだ正月が残っている。

(付記)
KBSのヒューマンドキュメンタリー番組に関連して、イ・ソンヒの社会行為が報じられている。(スポーツ朝鮮記事

2015年1月2日金曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

高校時代、イ・ソンヒは、通っていた音楽室であわや消え去ろうとしていた譜面を作曲家から譲り受けた。後に20歳となる大学時代の夏、「江辺歌謡祭」(1984年)に出場してその曲を歌い大賞受賞した。「Jへ(J에게)」である。女学生たちに圧倒的な支持を受けることになる。

(本ブログ関連:”京郷新聞”)

1980年代当時の空気を知る、ソウルにいた日本人留学生の思い出に、なぜかカセットテープの彼女の歌を求めたという記述がある。考えてみれば、LPプレーヤーを持って留学するような時代ではなかった。

江辺歌謡祭には「4幕5場」というデュエットでステージに立ったが、髪型(チリチリパーマ)、丸縁のメガネスタイル、スカート(ベトナムスカート)というファッションのどれをとってもユニークだった。後の彼女は、コンサートでバックにその映像を映すことをためらわない。次のYoutube映像(デビュー20年のコンサート、2004年)で見ることができる。清清しいほどだ。

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)

2015年1月1日木曜日

2015年 元旦

2015年年賀状
2015年の元日、初日の出を富士山頂から望むテレビの実況中継画面を見ながら拝む。新しい日めくりカレンダーをPCの脇に吊るす。こうすると、一日一日が迫ってくるよう。

東京の月別平均気温は、この1月が一年で一番低く、3月までは10℃を切る。つまり、本格的な春の4月直前まで、厳しい寒さが続く。正月早々、暖かい春が待ち遠しくなる。早く来て欲しいものだ。

今日は旧暦の11月11日。イ・ソンヒは1964年の旧暦11月11日に誕生した。韓国では旧暦で誕生日を祝うこともあるようなので、もしかしたら今日祝っているかもしれない。また、新年は旧暦の元日(新暦2月19日)を祝うので重なることはない。

このブログ、2009年の2月中旬から始めて、およそ5年10ヶ月ほど続いている。イ・ソンヒのファンとして、ネットで彼女の情報を探したり、コンサートがあれば出かけたりして、思いつくまま記している。

今年も楽しく続けよう。

(追記)
昼過ぎ、地元の神社へ初詣に行く。祈ることは多々あるけれど、自分のことは一言で十分。途中、私にとって、今冬初めての雪降りに会う。冷たいものが顔に当たったと思ったら、次第に粉雪が舞い始めた。結局にわか雪だったが、何かめでたいような気がした。