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2015年11月21日土曜日

仙人はたいへんだ

薄田泣菫のひとくち話集ともいえる随筆「艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)」に、仙人と路傍の石がいっとき対話をする「仙人と石」がある。本来、動と静、変幻と不動の対比を持つべき、仙人と石が互いに存在を語り合う不思議な話しだ。

(本ブログ関連:”薄田泣菫”)

仙人は、雲に乗って飛び回る、そんなイメージがあるが、石との対話で人間らしい悩みを見せる。出会いと別れは次のように語られる。

法力でこさえた驢馬にまたがり、一日五万里を巡る仙人がいた。あるとき旅に疲れて一休みした際、路傍に昔からいる白い石に呼びかけられて、なぜ駆け回るのか問われた。
「わしは幸福の棲む土地をたずねて、方々捜し歩きたかったからだ。」と仙人はこたえた。だが、その幸福は、「まだ見つからない。そしてわしはすっかり年をとってしまった。」とつぶやく。
石は、「どうだい、いっそここに落ちついて、わしと一緒に棲んじゃ。」と申し出るが、仙人は断わって、「そうだ。幸福を求めて。……こんなにして方々駆けずり廻って、やがて死ぬのが、わしの一生かも知れない。でも、わしは出かけなければならない。」といい、嵐のように飛んでいった。
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白い石は低い声で独語を言って、そのまま黙ってしまいました。
秋の日はそろそろ西へ落ちかかりました。途を間違えたらしいこがね虫が、土をもち上げて、ひょっくりと頭を出しましたが、急にそれと気づいたらしく、すぐにまた姿を隠してしまいました。
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何もかもが見えてしまう、見えると思っている仙人はたいへんだ。無為を手柄にする石とて同様。幸福を探しても気付かず、分からない。遣り過ごしている傍らにある、かわらぬことにこそ、本当の幸福があるかもしれないからだ。

(本ブログ関連:”仙人”)