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2016年12月11日日曜日

ぼくらの宇宙飛行士

昔、子ども雑誌、月刊「少年」の巻頭色刷りページを飾ったのは、小松崎茂のSFというべき宇宙活劇画だった。戦争物から転進したせいもあったからだろうか、どこか戦の臭いを残していた。とはいえ未来科学の世界を独特精緻な筆で描いていた。

そんな時代、宇宙飛行士へのあこがれも早かった。時は宇宙開発競争が始まったころ、NHKテレビで、擬似経験をするに充分な白黒の番組、「宇宙探検(Men into Space)」(1959年)に見入った。冷静沈着なリーダー役のエドワード・マコーリー大佐は、ブラウン管を通じて接することのできる憧れの対象だった。まさに宇宙が、漫画雑誌から茶の間へ一歩近づいたのだ。次の映像から、この番組の質の高さが分かるだろう。


(Youtubeに登録のMedia Mixに感謝)

実際の宇宙飛行士には思い出深い名前がある。1961年に弾道飛行して宇宙に飛び出たアメリカ初の宇宙飛行士、アラン・シェパード(Alan Bartlett Shepard Jr.、1923年~1998年)がいる。当時、子どもたちに強烈な衝撃を与えた宇宙飛行士だったはずだが、今は語られることが少ないようだ。

その翌年、1962年にアメリカ初の地球周回をした宇宙飛行士、ジョン・グレン(John Herschel Glenn Jr., 1921年~2016年12月8日)も忘れることはできない。アメリカ軍人らしい風貌と威圧感があり、見るからにヤンキーといった感じだった。後に、77歳の高齢で、スペースシャトルにも搭乗するという、人生を宇宙飛行士で徹した方だった。うらやましい。

そのジョン・グレン元宇宙飛行士が、12月8日に無くなった


1960年代は、米ソの宇宙開発競争の幕開けだった。1961年、ソ連のガガーリンが成し遂げた人類初の地球周回飛行は、アメリカを大いに慌てさせた。

(本ブログ関連:”ガガーリン”)