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2017年4月30日日曜日

今年も1/3食ってしまった

あっけない4ヶ月。歳をとると一年が早い。時間が年々軽くなる。何ごとも、身になる感覚が乏しいからかもしれない。

いつもながら、一年をリンゴの実にたとえて、1/3の大きさを実感する。そんなリンゴを今まで何個食ってきたことやら。

ゴールデンウィークということで、この一週間は教室が休講となった。この機会、体を診てもらえば心配ごとが増える。

リンゴを正直に縦割りして食えば、時の速さが目に付くばかり。ならば芋虫のごとく潜り込んでウネウネ食いたいもの。

そうすれば、いつまでもリンゴの中を這い回り、少なくとも一年を気にせずに過ごせるのではないかと妄想してしまう。

2017年4月29日土曜日

散歩のついでに「冷たいたぬき蕎麦」

薄曇りの空、近所の公園に出かける。いつもと違った道筋で、小さな蕎麦屋が公園前にあるのを見つけた。蕎麦屋然とした小洒落た店構えではない。蕎麦通でもないので、ままよと入り口のガラス戸を開けた。客は誰もおらず、主人と奥さんが客席でテレビの競馬中継に見入っていた。

入り口に目立つように手書きした品書きがあって、その中から「冷たいたぬき蕎麦」を頼む。なんともゆるい店内、蕎麦が出てくるまでの間、少々不安になる。いってみれば、完全に地元客専用の蕎麦屋といった風情で、慣れたもの同士だから許されるような雑然さなのだ。

冷たいたぬき蕎麦は、今までに見たこともない不思議なものだった。蕎麦に天かす(揚げ玉)と少しの添え物といったシンプルなものではない。さらに、「もやし」*をたっぶりかぶせ、その上に「きざみ海苔」を散らしていた。蕎麦もボリュームたっぷり。そして、あまり冷たくない。

(*もやし: ネットに「もやし」入りの「冷やしたぬき蕎麦」の情報があったが・・・)

脱力感あふれたまま公園に入る。今日は、何度か参加したことのある「ウオーキングフェスタ」の開催日で、ひとびとで賑わっていた。公園広場にはテントがいくつも並び、スポーツ関連企業も出店しているようだ。その中に、もしかしたらウオーキング用の靴があるかもしれないと思って見に行こうとしたが、体を養生する方が先と気付く。気持ちだけは元気のまま・・・。


(4/30 追記)
今日(4/29)は祝日「昭和の日」だった。2006年まで「みどりの日」だった記憶の方が、私たち世代にとって強いかもしれない。「昭和」の後をついだ今上天皇は2年後に譲位(退位)され、「平成」の元号も過ぎていくことになる。

2017年4月28日金曜日

イ・ソンヒの「一人になった愛」

イ・ソンヒは、デビューアルバム第1集を、澄んでいながらも圧倒的な高音で歌いあげた。それでもヒットの烽火をあげるため、韓国歌謡の唱法を守ったものがあるようだ。売り出したばかりの彼女にとって、選曲・独自性など主張できるはずもないことだったろう。

女性を前面に出さぬ、独特なボーイッシュなイメージが女高生たちに大いに迎え受け入れられたが、まるでそのまま、1990年に来韓した「モントリオール室内楽団」と次のYoutubeのように共演した。そのとき歌った1集所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年)を、アルバム当時と聞き比べると、本来そうであったかのような錯覚をしてしまうほど変化している。もはや彼女の泳ぎを妨げるのを知らず。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)


風が雨を巻きあげて  さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ  さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって  孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが  切なくて

散らばる葉を集め  火をつけて
去った愛を探して  さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば  それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年4月27日木曜日

始めの4歩 イディッシュ語

4歩進むと、それなりに知恵が付いてくる。イディッシュ語能力が増したというわけではない。ただ、今日の学習部分を予習できるよう、事前にpdfファイルにしていただいたわけ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

事前に教材に目を通せればしめたもの。オンラインキーボードの「LEXILOGOS」で学習部分を入力し、そのリンク先の①「変換」でローマ字転写(LEXILOGOS版)し、②「Yiddsh辞書」のYiddsh-English翻訳ツール(Google版)を使って内容を吟味できる。そんなわけだが、息切れしそう・・・なにしろ、これがずっと続くのだから。

ところで、一緒に学んでいる(ある言語の研究者修業中の)若者から、次のような興味深い話を教えてもらった
① セム語系の聖典を学ぶ子どもたちがよく体を前後に揺らしているのは、特定の言葉(内容)に沿ってリズムをとっているからだそうだ。(そうか、おじさんが闇雲に体を揺らしてもしょうがないことを知る)
② ヘブライ文字の、例えば単語にある(ו ,ז ,-ן)は(-n, z, u)だが、それを見分けるのは大変だと言ったところ、ポーランド語などでは単語の頭と尻尾で検討をつけるそうだ。イディッシュ語でもそうじゃないかとのこと。(そうか、老眼の問題じゃないと知る)

今日の「イディッシュ語」は、事前の予習ができていたので遅ればせながら付いて行けた。
・先生推奨の入門書レッスン3(אין ניו־יאָרק אױף דער גאַס)を輪読: ニューヨークの移民街、ユダヤ人通り、新聞、そして子どもたちの遊びと学校・・・といった内容。

帰り道、吉祥寺のジュンク堂に寄って、先生に教えていただいた児童書「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)を入手。結末に、イスラエルに行くという独特の文学形式があるという。

2017年4月26日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、韓国の茶で仏教文化に関連した緑茶の曲を紹介した。(演奏音源は英語放送を参考)

始めに、韓国の緑茶(녹차)の種類、特に新茶について次のように紹介された。
・明日(4/18)は二十四節気の「穀雨」で、穀物に必要な雨が降るという日だ。この時期から本格的な農作業に入る。この頃、韓国南部で緑茶の新芽が出始める。穀雨以前に採取した茶を「雨前茶(우천차)」、初摘み茶の意の「初もの茶(첫물차)」ともいう。茶は、採取する時期や作り方、入れ方によってさまざまな種類がある。食事と同様、好きな人々と楽しむ茶が一番よい茶だろう。

▼ 박경선の茶の二詩を歌にした「茶香二題(차향이제)」(1998年)のカヤグム演奏部分を聴く。古色に染めて・・・

次に、茶の伝説を持つ、朝鮮後期の「草衣禅師(초의선사)」(1786年~1866年)について次のように紹介された。
・緑茶は、沸騰して少し冷ませた湯に入れる。茶の話題に欠かせぬ人物に、朝鮮後期の「草衣禅師」がいる。「草衣」は号。彼は、茶道を詩で表現した「東茶頌(동다송)」を著した。茶に関する伝説や効果、茶の種類や品質、茶の入れ方など多様な構成だが、茶は一人で飲むのが一番で、二人で飲むのはその次とのこと。

▼ 「東茶頌」の曲(韓国創作音楽研究会の演奏)を聴く。新茶の香りして・・・

最後に、仏教全盛の高麗の歴史書「三国遺事」(1270~80年頃)にある茶の記載について次のように紹介された。
・茶が体に良いのはよく知られていて、最近の研究によると、認知症の予防にも効果があるという。忙しい中でも、毎日茶を一杯ずつ飲む余裕がストレスを減らすという解釈もある。茶は古くから親しまれ、歴史書「三国遺事」に、国のために功を立てた僧侶に、王が茶を捧げたという故事もある。仏教では茶を重視する。詩「茶偈(다게)」は、仏教の儀式で茶を供養するときに歌う。<今捧げるこの清い水が、甘い露のような茶に変わる>という内容の詩だ。また、韓国では今も節句に、多くの家庭で先祖に儀式を捧げる伝統があって、「茶礼(차례)」と呼ぶ。

▼ 「茶偈の歌(다게송)」の曲を聴く。さまざま音色に飾られた・・・今様、

2017年4月25日火曜日

日記帳

ブログを欠かさず続けている。イ・ソンヒさんのコンサートに行ったときは、ソウルのホテルのPCから書いたり、鉱物採集旅行のときは家に戻って穴埋めしたりした。苦労したのは、PCが故障して修理に数日分の空白が生じて、後日、帳じり合わせしたことだ。

いまだにスマホの身分じゃないので、外出先からアクセスして書くことはできない。そんなとき、小さな手帳に要点だけメモることにしている。どうも日本人は昔から手帳に書くことが好きなようだ。

ところで、太平洋戦争中のこと、日本は敵性語として英語を一般に避けていたが、アメリカでは特定の軍人に日本語を集中特訓した。彼らは、戦場で日本兵の手帳(日記)を収集し、解読した。小さな手帳にびっしり書き込まれたであろう、大方くずし字風のものをよく読んだものだと思う。

捕虜収容所では、日記帳をもとに尋問した。そんな中、興味深い話がある。NHKのドキュメントで語られたことだ。将校クラスになると口が堅く、手帳だけでは話が進展しないとき、尋問者は手帳にフランス語で書かれているものを見つけた。そして、おもむろにフランス語で語りかけた。呼応するかのように、将校は親しく話し始めたという。インテリの将校を懐柔するのに、あなたは他の兵隊たちと違うといった風に持ち込んだのだ。これは、多分今でも共通した心性かもしれない。

2017年4月24日月曜日

ハナミズキの花

華麗に咲き誇った桜の花は、惜しまれながら散った。春を知らせてあっさりと去る一瞬のできごと。何ごともなかったように、今は若葉を春の陽に輝かせている。

桜の後を襲うように、ハナミズキが白や薄紅の花を咲かせている。ハナミズキの並木通りはいかがだろうか。でも、桜の余韻が強すぎたせいか、ハナミズキに後釜といった風情がぬぐえないのはどうしてか。原産地のアメリカのイメージがして、桜に続かないのが惜しい。ハナミズキにしても居心地が悪いようだ。

春寒に咲いた桜が、その美しさを満開にした頃の暖さとべて、今晩はやけに寒い。街灯に照らされたハナミズキは夜風に揺れて、どこか分の悪さを感じる。

さっと散ることもできず、いつまでも花を咲き続ける、身の置きどころがないハナミズキに馴染むのに、だいぶ時間がかかりそうだ。

2017年4月23日日曜日

運が良けりゃ

ミュージカル映画「マイフェアレディ(My Fair Lady)」(1964年)の一部を通信の講習に使ったことがある。オードリー・ヘプバーンが演じる勝気な主人公イライザが、ヒギンズ教授に関心を持たれたのは、そのロンドン下町訛りだった。

ヒギンズ教授は、音声の矯正の専門家であって、この映画の中に少しだけだが矯正装置が登場する。その映像をもとに、電話の発明家アレクサンダー・グラハム・ベル(通称アレック)にまで話をつなげる工夫をしてみれば、グラハム・ベルの一族が聾唖の矯正にかかわりがあったことまで面白おかしく膨らませることができる。

通信の説明と関係ないが、このミュージカルに「運が良けりゃ(With A Little Bit Of Luck)」の歌がある。空耳でも日本語タイトルとどんぴしゃり。全く調子がよくて納得する。

「運が良けりゃ」、つくづくそう思うのは、先祖がつなぐ命を守ってくれたこと。運が良かったからこそ。そして、今日生きていて語っている。運が良かった。すべては「神様のおぼしめしでさあ」と聞こえてくる。

ところで、この映画が制作された1964年に、イ・ソンヒが誕生した。実に、運がいいなあ。


(Youtubeに登録のrosen88kavalierに感謝)

2017年4月22日土曜日

(雑談)鉱物採集が上手な人

骨董商がわが子の教育に、優れた作品だけ徹底的に見せるそうだ。いい悪いの比較ではなく、跳びぬけた作品を通して、自然と眼力を養成するのだろう。

初期の月着陸映像がテレビ放送されたとき、地質学者が画面を指差して、あれを!と思わず口にしたという。どこかで聞いた話しだが、専門的に集中した人に見えるべくして見えたのだろう。

こんなことがあった。鉱物採集会の帰り道、その路上に当日最高の鉱物を超ベテランが偶然見つけたという。一方、ぐでぐで歩きながら、帰宅途中の駅にある温かい《うどん屋》しか浮ばぬ者には及びも付かない。もし同じ視界を経験したとして、素通りするのがせいぜい。

一緒に鉱物採集する仲間でもそうだ。年季の入ったベテランは、ほぼ同じ場所で採集しているにもかかわらず、驚くような美しい緑柱石を見つけてしまう。一尺四方の岩を砕いて、結晶を取り出すのだからかなわない。そんなとき謙遜されると、こちらはますます余裕がなくなる。

さて、これは鉱物採集に限ったことでないだろう・・・それを承知すると、凡人には居場所が無くなってしまうことになる。

2017年4月21日金曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒのデビュー曲である「Jへ」を初めて聞いたのは、ミン・へギョンだったか、ケイ・ウンスクだったか、K-POPのずっと以前のこと。当時、(日本で聞く)韓国歌謡にはなぜかアルコールの匂いがしていたとき、異質といっていい自然な旋律、曲調だった。というのも、韓国歌手のカバー曲はオリジナルを尊重し、自分の色を強調することが少なかった(最近まではそうだったと思う)。後に、彼女の透明感あふれる声を聞き、驚きが増したのはいうまでもない。

イ・ソンヒの凄さは、高音、透明な声質だけでなく、選曲があたかも彼女に生まれるべくして生まれたように、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)を聞けば、いかに調和しているか分かる。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

イ・ソンヒ礼賛は、彼女の歌を聞くたび深まり、尽きることはありません。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・


(Youtubeに登録の김현진に感謝)

2017年4月20日木曜日

始めの3歩 イディッシュ語

3歩踏み出したら思いっきり転げた。「石の上にも3年」、「三つ子の魂、百までも」、何ごとにも重要な出だしの<3>なのに・・・。

転げると本屋で衝動買いする癖があって、今回は御茶ノ水神保町の書泉グランテへ行く。ここは書店員さんの心意気が昔のまま。一方、いろいろな意味で、間口の広いS堂書店のレイアウト変更に驚く。何となく書籍購読者が減少したのが分かる気がする。久し振りの古書店街(本当に何年振りのこと)様子が変わり、あちこち古本屋が飲食店に衣がえしていた。

今日の「イディッシュ語」は、いきなりの単語の渦に全滅する。目が泳ぐ・・・眼球がヘラヘラして、頭の中で小さな花火が次々破裂する。宿題にするしかないと腹をくくる。
・前回紹介されたネット公開教材ソフトの「レベル1-2」(לאָמיר עסן אײַזקרעם)、
   定冠詞(男性・女性・中性)、勧誘 לאָמיר
・先生推奨の入門書レッスン2(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)を輪読: 世界で話されているイディッシュ語について、教室で先生と生徒の対話・・・といった内容。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

2017年4月19日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 漁父四時詞

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「漁父四時詞(어부사시사)」など関連した曲を紹介した。

始めに、朝鮮中期の文人尹善道(윤선도、1587年~1671年)の隠遁生活と詩作について次のように紹介された。
・農作は農夫、魚釣りは漁師だが、漁師には更に二つの分類がある。生活のための職業と、学者ソンビが隠遁生活に風流として楽しむ場合だ。ソンビは、科挙試験に合格して名を知らしめることを義務としたが、一方で世の中から離れた隠遁生活を理想とも考えた。実際、若い時からの隠遁生活は稀で、歳をとって政界から引退して、または、島流しの場合だ。朝鮮中期の文人尹善道(号は孤山)は、全羅南道南岸の小島、甫吉(보길)島に隠遁し、漁師の四季を定型詩「漁父四時詞」に、季節ごと10編に計40篇であらわした。

▼ <静かで平和な漁村の風景を表現した>尹善道の詩を軽快に編曲した「漁父四時詞」を聴く。<曲中の「チクックチョン(지국총)」は櫓を漕ぐときの音>を指すとのこと。今様である。

次に、中国の故事、戦国時代の屈原の「漁夫之辞」を元にした「漁師辞(어부사)」について次のように紹介された。
・ソンビが漁師の生活などを歌った詩を一般に、「漁師辞」といい、中国の戦国時代の屈原に由来する。反対派に朝廷から追放された屈源は、川辺で漁師と出会う。なぜここで彷徨っているのかと尋ねられた彼は、世がみな濁っている中、一人正しく生きようとして追放されたと応えた。すると、漁師は笑って、清い人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるものといい、川の流れに合わせて生きると歌った。これを記録したのが、屈原の「漁夫之辞(漁父辞)」だ。その後、多くのソンビがこの詩を書いて歌った。

▼ 本来<(リード木管の)笛ピリのシンプルな伴奏で歌う>「漁師辞」を聴く。ピアノも加わって、今様に。

最後に、漁師辞に登場する白髪の老人の生き方を次のように紹介された。
・漁師辞には、川辺に暮らす白髪の老人りが出てくる。山で生活するより水の近くで生活する方が良いという。川辺の楽しい生活を表した曲である。

▼ <国楽とヒップホップを組み合わせた>「漁師辞」を聴く。何でもありの編曲で、今様に・・・う~ん。

2017年4月18日火曜日

忘れた言葉を話すこと

不思議な話しに、全く経験のないはずの外国語を、催眠状態で話せる人がいるという。正直なところ、どんなに学術的な体裁で報告されたとしても、にわかに信じがたいし、都市伝説にうっちゃった方が健全な気もするが・・・。

むしろ、事故で脳障害を起した患者が、言語能力に目覚め堪能になるといった話しの方が納得できる気がする。小さい頃、遊んで頭をぶつけた時、直ぐに足し算や引き算の暗算をして、頭がおかしくなってないか確認した・・・そう考えること自体、重症でない証拠だが。頭の怪我で語学の才能に目覚めるという、そんな幸運に巡り合っていたならなあとつくづく思うが、危ない賭けで・・・。

ずっと根拠ある事例に、言葉の呼び戻しという、そんな場面に遭遇した話しがある。「現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動」(鴨志田聡子著)に、イスラエルのイディッシュ語の集いに参加した高齢者が、幼少期にわずかに経験した忘れたはずのイディッシュ語を突然理解できるようになるという。その補注(p.150 #80)に、次のような紹介がある。
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彼らはイディッシュ語を幼少期に家庭で聞いて育ち、それ以降は聞く機会があまりなく、自分でも話すことはおろか、聞いても理解できないと思い込んでいるような人たちである。こういった人が何かのきっかけでイディッシュ語を聞いてみると、彼ら自身ですら驚くほど理解できる。筆者は初級のクラスで一緒に語学を学んだ高齢者が、読み書きや話すのは難しいのに、聞いたイデッシュ語はすべて理解し英語(彼女の第一言語)に同時通訳していたのを見たことがある。
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幼少期の経験、特に言葉は、使えばますます磨かれるが、使わなくてもいずれ出番を待っている。人間ってすごいな、素晴らしいなと感動してしまう。同書には、イスラエルで使用頻度の少なくなったイディッシュ語を家庭内で使っている家族があり、その理由を新聞に語る親の言葉を紹介している。
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なぜ私たちは子どもをイディッシュ語で育てているのでしょうか。・・・ イデッシュ語は私たちと先祖を直接つなぐので、子どもが歴史的視野と確かな文化的背景を基盤に自我を形成するのを助けます。・・・
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そう、自分たちの言葉は、自分の過去をつなぐばかりか、自分たちの先祖とも直接つながっている。時間をまたぐ文化の架け橋でもある。言葉は忘れてはならないものだ。

2017年4月17日月曜日

気になること

子どものころ、ずっと昔のことだが、親の語りに「欠食児童」という言葉があった。食事にがつがつするのを、たしなめる意味で使ったりした。戦中・戦後のひもじい時代の子どもたちを見てきたからこその言葉だろう。

でも、口にできるものがあった子どもはよかった。「戦災孤児」と呼ばれて、親の庇護を失った子どもたちが大勢いた。そんな子どもたちが、上野駅の通路に身を寄せていたと語ったが、それ以上くわしい話しはなかった。

3.11の直後、マスコミは沈黙した。両親を亡くした子どもたちがいたのに。直後のテレビの被災報道を見ながら、伝わらないもどかしさを感じた。

ようやく最近になって、テレビのドキュメント番組でも語られるようになったようだ。震災から5年近くかかった。

2017年4月16日日曜日

今年初めての夏日

暑かった。今年初めての夏日。午後2時半頃、都心の最高気温は26.1℃に達し、夏日の基準である25℃を超えたのだ。夜の廊下に冷気がわずかしかないのに驚かされる。

(本ブログ関連:”夏日”)

そういえば、夕方訪れた(一昨日のブログに掲載の)満開の桜並木は、小さな若葉が薄紅の花弁と入れかわり、力強い枝並みに変貌していた。もはや春でないといわんばかり。

思いのほか早く登場した夏日について、日本経済新聞の記事「東京都心で今年初の夏日 平年より11日早く」(4/16)は、次のように報じている。(抜粋)
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日本列島は16日、広く高気圧に覆われた影響で、鹿児島県など一部を除き全国的に晴れて気温が上がった。東京都心では日中の最高気温が26.1度まで上がり、今年初めて25度以上の夏日となった平年より11日前年と比べても2日早かった
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(参考)夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など気象庁の用語
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            夏日   :日最高気温が25℃以上の日。
            真夏日:日最高気温が30℃以上の日。
            猛暑日:日最高気温が35℃以上の日。
            熱帯夜:夜間の最低気温が25℃以上のこと。(気象庁の統計種目にはない)
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2017年4月15日土曜日

イ・ソンヒ所属事務所「フックエンターテインメント」2016年業績

イ・ソンヒが初期の経営に関わった所属事務所「フックエンターテインメント(후크엔터테인먼트、Hook Entertainment)」の昨年2016年度業績を、マネートゥデイの記事、「イ・スンギ空白でも《フックエンター》実績に上機嫌 …『イ・ソジン、イ・ソンヒの力』」(4/11、キム・コンウ記者)は、以下のように報じている。
昨年、<看板スター イ・スンギの軍入隊の空白にもかかわらず>、一昨年と比べて業績を大幅に改善している。

(本ブログ関連: ”フックエンターテインメント”)

(参考1)最近のフックエンターテインメントの業績推移
                           売上高(百万ウォン)
            2016年    11,113
            2015年      9,585
            2014年    15,935
            2013年      9,844
            2012年      9,353

(参考2)イ・ソンヒは、今年に入っても、昨年来の国内ツアーを1~3月まで延長、5月米LAと9月豪シドニーのワールドツアーなど目白押しである。

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フックエンターテインメントの2016年売上げ111億ウォン、営業利益7.8億ウォン

フックエンターテインメントが、看板スター イ・スンギ(이승기)の軍入隊の空白にもかかわらず、イ・ソジン(이서진)、イ・ソンヒの活動に支えられて、昨年実績が大幅に改善されたことが分かった。

11日、金融監督院によればフックエンターテインメント(以下 フックエンター)は、2016年の売上額が 111億1,300万ウォンで、前年対比15.6%増加した。営業利益は7億8,100万ウォンで同じ期間26.5%増えた。

2002年設立されたフックエンターは、歌手イ・ソンヒのマネジャー出身であるクォン・ジンヨン代表が持分100%を保有している。所属アーティストは、イ・スンギ、イ・ソジン、イ・ソンヒ、ヤン・テオ(양태오)、ユン・ヨジョン(윤여정)などがいる。

フックエンターは、昨年2月、看板スターであるイ・スンギが軍に入隊して、実績が減少するものと予想された。だが、イ・ソジン、イ・ソンヒの活発な活動のおかげで、ㅡㅡむしろ急激な成長の勢いを見せたという分析だ。

イ・ソジンは「三試三食漁村編 3」、「ユン食堂」など芸能番組で、「天然ぶり」で人気を得ている。DGB生命保険、スピーキングマックス、メディトクスなど(企業)広告に出演して、第2の全盛期を享受している。

フックエンターは、来る10月、イ・スンギが除隊して芸能界に復帰したら、今年史上最大の売上げを記録するものと期待している。フックエンターは、2015年、159億ウォンの売上げを記録したことがある。

フックエンターは、マネジメント(役務)収入 104億の中で、84億ウォンを手数料で支給した会社(事務所)とアーティストの収益配分率が 2対8 と推定される

フックエンターは、(ソウル市江南区)清潭洞に建物2棟を保有する、最重要な芸能事務所で有名だ。これら建物と土地の帳簿価額だけで240億ウォンに達する。それだけでなく、会員券も21億ウォン以上保有している。
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2017年4月14日金曜日

桜を見上げる

近所の薬局で、苦い苦いと強調された薬を飲んだところ、濃いコーヒー味がした。おまけに甘い。こういう場合、どういえばいいのだろう。舌が幼稚すぎるのだろうか、鈍感なのだろうか。いや、感性が純粋だからということにしよう。まあ、これは薬局から帰って来ての話しだが。

薬局を出て帰り道のこと、ちょっと遠回りしてある路地に寄った。普段は地味な生活道路だが、この時期に見事な桜並木に変身する。先日来たとき、辺りに桜餅のような香りが満ちていた。今日はどんな具合だろう。

花はかすかに散り始め、路肩に桜色の吹き溜まりができていた。車が滅多に来ないところだけに、見物の人たちは気ままに路の真ん中で、満開の花模様を見上げる。

まるで桜の花に包まれたような優雅な気分になる。明るい空の下、桜の花弁は、意外に白っぽいが、左の写真のように幾重も重なると淡い紅色になる。空気が変わるのだ。

桜の陽だまり、桜の香気、誰にも教えたくない贅沢な場所。老夫婦、幼子を連れた母子、普段なら賑やかだろう主婦の一団、みなが同じ感性でひたれる場所だ。

2017年4月13日木曜日

始めの2歩 イディッシュ語

今月に入って、現在までの最高気温21.6℃を(7日と昨日の)2回経験している。その間、思いっきり冬に逆戻りしたりした。おじさんの身にはこたえるのだ。今日の最高気温は、17.6℃と春らしい落ち着きに戻ったようだが。

寒暖差に、電車の睡魔がますます誘惑してくる。(私にとって一番心地よい乗り物揺れはバスだが、それはさておき)おかげで地下鉄を一駅乗り過ごしてしまった。少し余裕を持って出かけたので、遅刻にはならなかったが。今日は、イディッシュ語の本気モード2歩目だ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

他の出席の方々が、本来的意味で本気なので、足を引っ張りはしないか気掛かりだ。今日から参加された方も、(分野は異なるのに)こともなげにヘブライ文字筆記体で板書するのに驚く。

先生の著書「現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動」(鴨志田聡子著、三元社)を今日から拝読させていただく。

・前回紹介されたネット公開教材ソフトを元に: 代名詞 / ”זײַן” 動詞 / 名詞(単・複) / 自己紹介の表現練習
・単語: פֿאָראערין 研究者、סטודענט / תּלמידים 学生、לערער・לערערין 教師(f・m)、
         אוױף פּענסיע 年金生活者(on pension)/ פּענסי 年金(pension)
・単語: יאָ / נישט  No/Yes、בוך

2017年4月12日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 祭奠

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、西道地域の雑歌 「祭奠(さいてん)」など関連した曲を紹介した。

始めに、「寒食」の風習と、食文化を垣間見られる北方西道地域の雑歌「祭奠」について次のようの紹介された。
・韓国の今日4月5日は植樹祭の「植木日(식목일)」。昨日4月4日は、二十四節気の「清明」だった。万物陽気になる日で、清明に地に適当な棒を植えても、新芽が出る諺もある生命力豊かな時期だ。昔、王が直に畑を耕す風習もあったため、この時期に木を植える「植木日」を定めた。人々は、季節が明らかな変化するとき、先祖に祭祀を捧げた。今日は「寒食(한식)」(墓参りの日)であり、その祭祀の西道地域の歌「祭奠」がある。

寒食に、夫の墓に供える食物の名を並べて嘆く妻の雑歌「祭奠제전)」を聴く。碧梧桐風、節日に訪ね・・・。

次に、寒食に冷たい食事をとる風習について次のように紹介された。
・冬至から105日目の寒食の日に、冷たい食事をとる風習がある。昔、女性は、かまどの火を消さないのが重要な義務とされたが、寒食の日に古い火を消した。国が新しい火を分けたという。全に命があるという考えから、春を迎え、新しい火に変えたのだ。寒食は、その過渡期、一度火を断って冷えた食事をする儀式であった。

▼ <青葉の陰、緑陰が花より美しい季節>の意の「緑陰芳草녹음방초)」を聴く。漢字混じりの歌で・・・。

最後に、太陽の陽射しいっぱい春に期待をこめて次のように語られた。
・昔、万物が生き返る春に戦も中断した。春は命が育つ時期だからだ。どんなに権力に目がくらんだ者でも、この時期、農作をした。そうでないと、戦に勝っても生き残る民がいないことをよく知っていたからだろう。春は、田畑をならす本格的農作業が始まる。天気が良ければ豊作になると信じたし、海辺の漁師も魚種が増えると信じた。欠かせないのは、太陽の陽射しだった。農村も漁村も生き生きとした気運が溢れる季節。鮮やかな花も緑も美しい春から始まって、今年も豊かで満ち足りた一年になればと思う。

▼ 「太陽がいっぱい(태양은 가득히)」の演奏を聴く。ラテンのような軽快さで、春の陽を浴びる、今様で。

2017年4月11日火曜日

イ・ソンヒの「雨降る街に立って」

今日は春を忘れたよう。しとしと雨に冬の寒さ。片付けてしまったストーブをもう一度お出ましさせる。それも今日一日だけのこと。明日から春らしい暖かさに戻るという。おかげでこもって、年寄りの冷や水ながら習いごとの準備がはかどる・・・ああ、やっぱり冷えるに変わりない。

雨もようやく夜半におさまり、雨音もすっかり消えてしまった。あっけない静けさだ。これまで、雨に包まれ圧縮された気分がしたが、止んでしまえば開放され緩い我に返るようだ。

イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)には、雨降る夜の街に立ち、雨音の中で孤独をかみしめる主人公がいる。イ・ソンヒの歌声なれば、それも美しい透き通った思い出になるのでしょう。(中島みゆきの歌だったら、こうはいかないけれど)

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)


雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの

* 雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね

(*以下繰り返し)

(注: このYoutubeの女性はイ・ソンヒさんではありません)

(Youtubeに登録の길성배に感謝)

2017年4月10日月曜日

神野美伽「夜桜善哉」

昼の都心の最高気温は、気象庁の観測で 15.9℃と十分暖かだった。近在の観測点でも、14.5℃とまあまあの温みだったが、どんより空に春の元気はない。この春、桜の花は、夜分の風や雨に一部散ったようだが、舞い散るまでにいたってない。

しかし、午後が深まると、いっきに冷え込んだ。今日から、もう一つの教室が始まった。夜の授業のため、準備を公民館の読書室でした。日が落ちて外に出て驚く。昼に合わせた軽装の誤りに気付いたが、もう遅い。冬に逆戻りして、夜風が身にしみながら教室へ向かった。

帰り道にもっと後悔した。温かい防寒着にしておけばよかったと。天気予報では、明日は更に冷え、おまけに雨降りという。(明後日から、春が復活のようだが)

愚痴を重ねて、おまけに夜桜見物のチャンスを逸したかもしれない。こんなとき、神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)を聞いてほっこり埋め合わせしよう。

(本ブログ関連:”神野美伽”)


(Youtubeに登録のkece3に感謝)

2017年4月9日日曜日

(雑談)うどん

最近、うどんに凝っている。少し前に、病院へ行くほどでもない胃を痛めて以来のこと。スーパーの太めの生うどんをゆでるだけ。汁は作るのが面倒なので、うどんスープの粉末を使用している。

① うどんをゆでる
・うどんを沸騰した鍋に入れ、うどんが膨らむくらいなるよう、湯が泡立つまでゆでる。
・箸で、鍋の湯の中のうどんを素早く何度もかき回す。次に湯を捨て、冷たい水道水を鍋に加えて、またかき回すこと更に2回。うどんのぬめりを徹底的に取るのがポイント。

② うどんスープの粉末と一緒にゆでる
・食べるのに適量な湯と、①のうどん、およびうどんスープの粉末を一緒に鍋に戻す。
・軽く沸騰したらどんぶりにうつして食べる。沸騰させることで粉末スープの味がまるく広がる。

スーパーの生うどんも馬鹿にならない、食感がつるりとしてうまいのだ。我ながら感心しているが、もしかしたら、誰もがやっている当り前のことかな?

2017年4月8日土曜日

イ・ソンヒが高校2年の時か、3年の時か

ネット巡りして気になることがあった。イ・ソンヒが、高校時代に通った「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」で、その後大デビュー曲となる「Jへ(J에게)」と幸運にも巡り遇った時期についてだ。彼女が高校何年生の時かだ。

以前、このブログで、イ・ソンヒが「高校3年」の時と何度か記したことがある。今から3年前の今日のこと、韓国各紙は、前日のテレビ番組(SBS「ヒーリング・キャンプ」)で、の口から「高校2年」の時に巡り会ったと、報じていた
ブログの修正をしたか、念のため見直したところ、「高校3年」の記載のままが2件あり、急いで赤字修正した。

一体どうして、彼女が高校3年の時と判断したのだろうか。もしかしたら、韓国のイ・ソンヒファンのブログ情報を流し読みして、勝手に判断してしまったのかもしれない。大学1年の音楽祭で初めて歌った曲だから、そんなに長く(2年も!)寝かせていたはずがないと、これまた勝手に判断したのかもしれない。

デビューとなる「江辺音楽祭」で大賞受賞後、イ・ソンヒはその版権を作者(作詞・作曲者)のイ・セゴン(이세건)に全て返したのはいうまでもない。まさに、彼女らしくスマートである。

そして、その偶然の出会いとは、同じ音楽室で、作者のイ・セゴンが、自らの作品「Jへ」を世に受け入れられないからとゴミ箱に捨るところに、イ・ソンヒが登場してもらい受けたのだ。後々考えれば、本当に劇的な場面だった。

2017年4月7日金曜日

オンラインキーボードLEXILOGOS

インターネットは、以前に考えられなかった、知識や情報を自由に公開していることだ。何気なくつかみようもない思い出も、なにかしらトリガーというかキーワードがあれば、それらを幾重にネット検索してみれば、いずれかが網にかかるもの。情報に信頼とか質を問う話もあるが、そんな以前の立場のゆえ大変便利でありがたいと思っている。これから何かをしようとする場合もそうだ。便利なツールが待っていてくれる。

少し本気に始めたイディッシュ語(ヘブライ文字)のキーボードについてネットにいいツールがあった。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”キーボード”)

・以前、Googleの入力ツールのChrome版イディッシュ語(ヘブライ文字)入力ツールをセットしたが、ネットの一時ファイル削除の都合上、Chromeをリセットすることが多く、設定が都度消えていた。
・今回、画面上のキーボード使用で充分と判断して、「LEXILOGOS」のオンラインキーボードに変えた。
   ① 画面の文字をクリックすると、編集欄にイディッシュ語(ヘブライ文字)表示する。
   ② 便利なのは、<変換(conversion)>で、ラテン文字転写(表記)にしてくれる。
   ③ また、Google翻訳へリンクしてくれるので、入門レベルなので英語も日本語もよし。


(追記)
先生のブログに、「イディッシュ語キーボード」ツールがご紹介されている。4/8
・まずは、上記(超簡易ツールである)独自キーボード画面の「LEXILOGOS」に慣れてきたら、次に、手元キーボード対応ツールを使ってみたい。
・ご紹介の(お試し版)「Google 入力ツールをオンラインで試す」は、実際のキーボードと連係しているので、キータッチの模擬練習できる。(以前、Googleの入力ツールでChrome版をダウンロードし、キーボード打ったが、そのとき超初心者で不慣れだったため・・・今度は頑張ろう!)

2017年4月6日木曜日

はじめの1歩、イディッシュ語

去年の夏、市民向け講座「イディッシュ語入門」を聴講した。センスの乏しさを承知しながら、好奇心のまま無鉄砲にもチャレンジしたわけ。主に東欧系ユダヤ人を中心に語られた言語で、ドイツ語風の発音と文法、ヘブライ文字の使用というユニークさがある。参加して、世界が少し広がったような気がした。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

講座聴講後、イディッシュ語の入門書を図書館で借りたり、ビギナー向けYoutube映像を見た。Youtubeには、実際のクラスを写したものや、文字と発音だけのものなどある。特に教室スタイルの映像で、いきなり筆記体で板書したのに面食らった。

いよいよ今日から、<使ってみよう!>イディッシュ語の春期間講座が始まる。早速、受講申込みして、本気モードで、始めの一歩をスタートした。こうやって自ら退路を絶ったのだが・・・はじめの一歩の閾(しきい)値が何と大きかったことか。

昨年夏の講座と同じ先生の下、超少人数の受講者で講義が始まった。
・始めにフリートークで、現在のレベルや関心を伝えた。(達者なレベルの受講者もいらして・・・)
先生のブログで紹介されている教材ソフトの「レベル1」の「自己紹介(~ איך ה״ס )」を視聴。
・文法書、辞書の紹介。先生推奨の入門書のレッスン1を素読。チンプン・カンプン。(達者な方がホワイトボードにロ-マ字転写して、サポートしていただく)

というわけで、これから何をすべきか自覚する・・・宿題の種は尽きず。

帰り道、頭がクラクラして、新宿の紀伊国屋書店で発作/衝動買いしてしまった。

2017年4月5日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」赤い花、赤い心

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「赤い花、赤い心(붉은 꽃 붉은 마음)」など関連した曲を紹介した。

始めに、新羅の純貞公(순정공)の妻水路夫人수로부인)に捧げられた花と歌について次のように紹介された。
・新羅の純貞公が江原道江陵地域の地方官となり、首都慶州から江陵へ向かう道筋は、南から北へ、左に山、右に海の広がる美しい道と知られる。途中、海辺で昼食時、絶壁に咲く赤い花が、彼の妻の水路夫人の目に入る。だが絶壁に花を取りに行く者はない。その時、牛を引いた老人が通りがかり、軽々と絶壁を登り、花を摘み取って婦人に捧げて歌った。<自分のことが恥ずかしくなければ、花を折って捧げます>という内容。歌の名は「献花歌(헌화가)」だが、今はリズムが消え歌詞だけ伝わる。

▼ 新羅の「献花歌」を童謡にした「赤い花、赤い心」を聴く。子どもたちのかわいい歌声を今様に。

次に、済州民謡の「山川草木(산천초목)」について次のように紹介された。
・春が訪れて、故郷の春といえば、春を代表するツツジやレンギョウなどの花が先に浮かぶ。来週、ソウルも桜が満開になるだろうう。これからひと月、所々に花が咲き、世界が鮮やかになる。そして、花に劣らず美しいのが新芽。済州民謡に、花と緑の景色を表現した歌「山川草木」がある。

▼ <春を迎えてワクワクする恋人たちの想いを表した>「山川草木」を聴く。霞晴れて草木に露が煌めくよう、今様に。

最後に、パンソリ「沈清歌(심청가)」の沈清(심청)と歌「花草打令(화초타령)」について次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」は、孝行娘の沈清が、盲目の父の治療のため犠牲になる物語だ。彼女は船乗りに売られ、供え物となって海に沈められる。或る船乗りが、沈清が沈んだ海で、美しい花が浮んでいるのを見つけ、不思議に思って花を植えた。その頃、宮廷で皇后が亡くなり皇帝が悲しみに耽っていた。皇帝は、船乗りが植えた花を見て慰めたという。パンソリ「沈清歌」に、色々な花を歌にした「花草打令」があり、蓮、梅、桃など鮮やかな春の花が歌われる。帝に捧げられた花の中から沈淸が登場するという、春らしい設定になっている。彼女は皇帝と出会い、皇后になる。

▼ パンソリ「沈清歌」から「花草打令」をカヤグム演奏と歌で聴く。次々と花の名があげられる。

2017年4月4日火曜日

清明 2017

今日は二十四節気の「清明」。過去の本ブログに清明を記したのは、2015年だけ。春の光を知らせる「春分」が余りに大き過ぎて、次に来る清明を取り逃がしてしまったようだ。

(本ブログ関連:”清明”)

一昨日の地元公園の「桜まつり」は、賑わいに比べて花の勢いが今ひとつだった。再度、公園に出かけて桜の咲き具合を観察してきた。満開目前だった。

本当に春らしい陽射しだった。そして、驚くほどの人出。桜まつりが今も続いているよう。今日が休日かと見まごうばかり。桜の木立の下に、ビニールシートを敷き詰めて、花見客グループが飲食と会話を楽しんでいる。

隣りの原っぱでは、明るい陽を浴びながら、子どもたちがはしゃぎ廻っていた。子どもの齢に合わせてか、一緒に遊ぶ親、見守る親さまざまだ。

花見客の渦に巻き込まれながら写真を数枚撮り始めたところ、カメラが動かなくなった。どうやら、メモリー表示とバッテリー表示を見間違えたようだ・・・何たることよ。カメラ店に行けば、充電式のバッテリーといわれ、何にも知らないのがバレた・・・何たることよ。

とりあえず、撮り始めた時の写真を載せる。盛況振りが分かるといいが。

2017年4月3日月曜日

イ・ソンヒの「龍角散」テレビCF

昔の親父のイメージは、酒と煙草・・・ここまでは普通、それに「仁丹」と「龍角散」。中学の英語の男性教師も、親父に近い世代だったか、授業中に仁丹を口に補給していた。今はあまり見かけなくなったが、昔の親父世代には案外マナーというか、必需品だった記憶がある。

試しに、私も仁丹と龍角散を飲んだことがある。仁丹は苦くて、龍角散は上手に喉に含まないと咳き込んでしまう。飲み慣れれば、口中がスッキリするだろうと想像した。龍角散は、漢方の薬効があるようで、今も龍角散ノド飴を舐めることがある。

龍角散のルーツは、秋田藩久保田藩、藩主佐竹氏)の時代に作られた家伝薬という。本草学に強い同藩らしい産物。佐竹氏には、江戸幕府より常陸から秋田へ転封を命じられたとき、常陸時代に財政を潤した多数の金山を埋め戻したとか、常陸から美人を引き連れて来たので秋田に美人が多いとか興味深い話がある。また、秋田蘭画平賀源内とのゆかりもあって、山師だった源内の流れから、秋田大学の鉱山学科が、鉱物マニアにすぐ浮かんでくる。(龍角散の現社長のフルート愛好はつとに有名。元々音楽家なのだ!)

ところで、龍角散は韓国でも販売されていて、広く親しまれているようだ。ブログに、韓国人と互いに、龍角散が自国の製品と思っていたという話がある。韓国でも日常的に使われている証かもしれない。(ブログ「アンニョンはんいる」に感謝)

昔の韓国の龍角散TVコマーシャルに、イ・ソンヒが登場するものがある。以前このブログで何度か記した。韓国のブログに、彼女がいつも澄んだ声のため龍角散を飲んで、喉や声帯を保護していると語らしめるCF映像(1985年のデビュー頃という)など紹介しているものがある。(ブログ「はにかみの記憶補助空間」に感謝)

(本ブログ関連:”龍角散”)


(Youtubeに登録のkcanariに感謝)

2017年4月2日日曜日

バナナ(豆乳飲料)

バナナ味した飲料や菓子類を見つけては味見している。一昨日に続き、本日の「桜まつり」の帰り道、スーパーで「バナナ 豆乳飲料」(330ml)と出会い飲んでみることにした。Su社の製品で、果汁4%、豆乳とバナナの合体である。飲み口の蓋(ふた)の内部形状がとてもユニーク。始めた見たデザインで、開封後の液漏れ防止を意図しているのだろうか。

(本ブログ関連:”バナナ”)

実は、バナナアレルギーだ。それでどうして、バナナ味巡礼するのかといえば、症状がさほどでないからだ。喉が軽くイガイガする程度だ。ところが、豆乳アレルギーの方は、反応がもっと強い。

それでも早速、口にした。まさに実況中継。喉にイガイガが始まり、耳の奥まで進む。次第に、喉がヒリヒリして、耳の奥がやたら痒くなる。4口目飲んであきらめることにした・・・食道にイガイガがおりてきそうになる。今回のギブアップは、豆乳アレルギーのせいであって、いい大人しての自己責任

バナナ味した飲食物に、豆乳ベースのものは他にもある。以前、試したことがあるが、私の負けだった。今度も負けた。(以前、豆乳だけ飲んで大失敗したことがある・・・不思議なことに、成人になってからアレルギーが分かったが。昔、そうではなかったのに!)

(付記)
私は、Youtubeで「子猫」の可愛い姿を見るのが楽しみにしているが、猫アレルギーなのだ。電車で隣りの客が猫を飼っているのが分かるときがある。すぐ、モワァーとした感じに覆われる。

桜まつり

地元公園の、今日の「桜まつり」の人出は、ほどほどだろうと思っていた、連日の花冷えのため、昨日の桜の開花状況は、ソメイヨシノが開花したものの、他種は未開花。祭りは昨日と今日しかない。それで期待が低くなってしまったのだ。ところが、出かけてみれば、「桜まつり」は驚くほどの大盛況だった。

だが近隣市の今日の最高気温は、12.9℃に過ぎない。気温はほどほどでしかないのに、公園の散歩道を大勢の人が行きかい、祭り会場広場を埋めつくすほどの賑わいだった。広場の南北でイベントが同時進行して、南側ステージではタレントが歌とダンスを披露していたし、北側では地元のお囃子集団が演奏とひょっとこ踊りを演じていた。

広場通路に屋台が立ち、並ぶ客があふれて完全にお祭り気分。広場や桜の木立の下で、ビニールシートを敷いた家族連れが、いつものスタイルで花見をしていた。子どもたちの遊び声が飛び交い、迷子の呼び出しが場内放送されて、いよいよ祭り気分が増す。

で、肝心の桜の開花状況といえば、花弁がほどよく開いている木が2割方だろうか、それ以外は薄紅色の芽を膨らませているだけ。それでも、広場を囲む桜の木立全体にうっすらとピンクに翳って見えた。

2017年4月1日土曜日

4月1日

昨日で、今年の1/4(3ヶ月)が終わってしまった。1/4は大きい。リンゴの実を4等分してみれば分かること。一口では食えない大きさだ。そんなわけで、3ヶ月を無駄食いしていたかもしれない。(若ければ)惜しいような、(若くないので)惜しくもないような。

ラジオで高齢なパーソナリティーが、月日の経つ早さについて言った。こんなに早いのならアッというまに20年過ぎて百歳を越えてしまうと。確かに光陰は百代の過客だが、平均年齢50歳に満たぬ時代だった頃のこと・・・ところが昨年の百歳以上人口は6.5万人いる。ならば、百歳越えラジオパーソナリティーもおかしくない。

時間はあっというまに過ぎるし、終いもあっというまに来るはず。でもターミナルに近づくのに無数の思いが生まれ、時間と無限の追いかけっこしている錯覚をする。都心で、行き先の超高層ビルが見えるのに、なかなか近づかない感覚だ。たどり着かなかったことはない。

一般に年度変わりの4月1日、気分一新したいけど、昼頃になって雨がようやく止み、気温は花冷えのまま少し上がり始めた。近所の公園の「桜まつり」は今日と明日。お天道様はねずみ色のまま、出かけるのは明日にしようかな。
⇒ 桜の開花状況はいかがと「都内の桜情報」を見れば、ヤマザクラ:未開花、ソメイヨシノ:開花、サトザクラ:未開花、カスミザクラ:未開花とのこと。ソメイヨシノの開花も咲いたばかりの話し。観桜はもうちょっと先でいいようだ。

そんなわけで、今日はどんな「エイプリルフール」が話題になったか楽しみにするぐらい。