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2018年12月31日月曜日

雪女

冬の怪談というか伝承に、「雪女」の話がある。次のようなストーリーだ。

吹雪のため小屋に避難した二人の木樵(きこり)が雪女に遇う。雪が静まるのを待つうち、一人は寝入り、もう一人は寝付けずにいた。そのとき、雪女が小屋に入ってきて、寝てしまった男にそっと息を吹きかけ、それを目撃した若い男には、ことを他言せぬよう約束させて消えた。翌朝、雪女に息を吹きかけられた男は死に、若い男は幸運にも生き残った。(今様にいえば、凍死であり、あるいは死の寸前の幻覚だったのかも知れない)

後に、若い木樵は、町へ奉公に行くという美しい女と出会う。それを止めさせて、二人は結ばれ、子どもたちの親となる。男は、妻の美貌を雪女に例えて喋ってしまう。そのとき、妻は「その雪女こそ私だ。他言せぬとの約束を守れなかったお前に対し、本当ならすべきことがあったが、今は子どもたちがいるので」といい姿を消した。死を免れたのだ。

雪女という超越した異類との婚姻譚であり、神話にある見てはならぬ禁忌を犯す話しでもある。後の安倍晴明の母親に当るという狐が、思いを残す「葛の葉」の別れの場面を想起する。これらが折り重なった物語だ。

(本ブログ関連:”異類婚姻譚”、”葛の葉”)

さて、この物語の舞台、東北や日本海側の豪雪地帯をイメージしていたところ、青空文庫に、小泉八雲の「怪談」集に収められた「雪女」があり、「武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた」で始まる。豪雪を背景にするには舞台が随分違う。さらに、田中貢太郎の「雪女」では、「多摩川(たまがわ)縁(べり)になった調布(ちょうふ)の在」とより具体的になっている。二人の作家は同じソースを使ったようだが、舞台が江戸(東京)に近いとは驚きだ。

そんな舞台なら、もしかしたら、私も雪女に遇える可能性がある。

2018年12月30日日曜日

平成の師走

考えてみれば、平成最後の年の暮れになる。「師走」を(本来)旧暦12月にあてているが、今日は旧暦11月24日(まだ「霜月」に過ぎない)。そう思ってみると気が緩む。年の区切りが、歳とともに曖昧になり、最近それがどうしたと言って平気でいる。

子ども時代、年末は家中が慌ただしかった。というより、近所もそうだし町全体そんな空気がした。そして、元旦になるとシンとして動きがなくなった。子どもたちの遊び声だけが響いた。

今は、交通網が発達して、家族連れは容易に実家へ帰省できるし、元旦の町に何でもある。コンビニが充実して、外出できぬ独身者に冷蔵庫代わりになっている。

近所の若い家族は、今日もさっさと出かけたようだ。駐車場から車が、一台また一台と消えていく。

(付記)
今日、年賀状を印刷し、一安心して、そのままポストに投函した。気付けば添え書きを忘れていたようだ。

2018年12月29日土曜日

今年と来年

歳をとると、惰性で生きていることに気付く。うっすら雪が積もった氷上を、風任せに滑っているようなもの。爽快さもあるけれど、氷の厚さを知らずにいるのも心もとない。

だから、来年は、少し跳ね上がったことをしてみたい。行動範囲も広げてみたい。

そして、ブログの趣も、多少変えてみたいと思っている。

(明日、来年の年賀状を作成する)

2018年12月28日金曜日

イ・ソンヒの娘

普通でも娘と父の関わりはむつかしい。それぞれの家庭に歴史がある。イ・ソンヒには、ひとり娘のユン・ヤンウォン(父姓はユン)*がいる。この娘にとって、父との関係は、幼くして父の死との出会いであり、その後、母イ・ソンヒが再婚した義理父との関係など、複雑な境遇にある。実際、韓国で暮らす両親とは別に、アメリカで単独生活しているようだ。
また、イ・ソンヒの場合も、僧侶**の娘として生まれた結果、子ども時代にいじめにあい、苦しい立場を経験している。イ・ソンヒと娘ともどもに、父親との関係でいろいろ想起させられるものがある。

(*) ユン・ヤンウォン: 彼女の父はユン・ヒジュンで、かつてイ・ソンヒのマネジャーであり曲作り(作詞・作曲)をした。ユン・ヒジュンは、イ・ソンヒの最初の結婚相手だったが、6年後に離婚、事業に失敗との説があり、服毒自殺している。

(**) 僧侶: 韓国仏教の主流宗派は僧侶の妻帯(韓国では帯妻)を認めていない。戦後の韓国仏教の党派性の原点ともいえる。イ・ソンヒの父は、明治以後に日本の仏教の影響による妻帯を認めた宗派に属し、仏教音楽の「梵唄」を指導したといわれる。

(本ブログ関連:”スペック”、”イ・ソンヒの娘”、”妻帯僧”)

現在26歳のユン・ヤンウォンは、米コーネル大学卒業***後、同大でジャーナリズムを勉強中という。子の成長を見守る母が語るSBSのテレビ番組「憎たらしいうちの子ども(미운 우리 새끼)」で、イ・ソンヒは、現在26歳の娘について、大学で長く勉強を続けて欲しい、結婚が少し遅れてもよい、いろいろな経験をして欲しいなど述べているとのこと。番組中、娘との関係について様々ないきさつを縷縷語ったようだ。

(***) 米コーネル大学卒業: イ・ソンヒと娘を交えたコーネル大学卒業式でのFB掲載の写真がある。
https://www.facebook.com/leesunheePH/posts/congratulations-to-sun-hees-daughter-who-just-graduated-from-cornell-university/196766714379526/

(参考)韓国ブログ「イ・ソンヒ 娘ユン・ヤンウォン 公開」
イ・ソンヒと娘の関係についてテレビ番組で語った話題をもとに、さらに(多分、過去ニュースを渉猟して)時系列風に紹介しているようだ。
http://gabrialno.tistory.com/271

2018年12月27日木曜日

(資料)韓国Gallup: 2018年、今年 輝いた歌手と歌謡

今年も、韓国Gallupによる、恒例の韓国人気歌手と曲目について「2018年 今年 輝いた歌手と歌謡」の調査結果が以下の通り報告された。次表は、上位10位までが一覧されている。イ・ソンヒは、10位(支持率5.5%)のチョー・ヨンピルに次いで、11位(支持率5%)にランクされた。

毎年、アイドル(グループ)*は新陳代謝して、IUを除いて、ランクの入れ替わりが激しい。大衆歌謡(トロットなど)については、若手(홍진영)が進出したが、ベテラン勢は8位以下を占めた。

(* アイドルグループ: ライフサイクル(新規投入と陳腐化)の短命化が進んでいるようだ)



その他 Mamamoo, イ・ソンヒ(共に 5.0%), EXO(4.2%), BIGBANG, イム・チャンジョン(共に 4.0%), イ・ムンセ(3.5%), チソン(3.4%), キム・ゴンモ(3.2%), ユン・ジョンシン(3.0%), テジナ(2.8%) などが 20位圏に入った。.

■ 調査の概要
- 調査期間:(1次)2018年7月4〜22日、(2次)9月7〜27日、(3次) 11月7〜30日
- サンプリング:2段階成層コロニー地域無作為抽出-標本ポイント内(性/年齢別の割り当て)
- 応答方式:面接調査員のインタビュー
- 調査対象:全国(済州除く)のみ13〜59歳の男女4,200人/アイドルは満13〜29歳の1,501人
- 標本誤差:±1.5%ポイント(95%の信頼水準)/「アイドル」は±2.5%ポイント(95%の信頼水準)
- 回答率:26%(総接触16,192人のうち4,200人の応答完了)
- 依頼先:韓国ギャラップ独自の調査

2018年12月26日水曜日

イ・ソンヒのコンサート<Climax>の追加

久し振りに、イ・ソンヒについて触れてみよう。

本年6月に開始した、イ・ソンヒのコンサート<Climax>は、すでにブログに紹介した会場に加え、来年も全国ツアーが展開され、下記の通り赤字で示した会場が追加されている。ここ数年来、全国ツアーの開催地は増加傾向(10/2009 → 11/2011 → 13/2014 → 15/2016 → 現在15/2018)にある。この分だと、同一コンサート名の<Climax>で、(ツアー期間も拡大して)まるまる一年をあてることになる。更に追加の可能性もあるのではと推測する。

2018年
ソウル : 6/29~7/1  올림픽공원
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米国CA: 8/11  Pechanga Resort & Casino
----------------------
水原: 9/8~9/9  수원 실내체육관
大邸: 9/29  대구 엑스코(EXCO)
仁川: 10/20  인천 남동체육관
大田: 11/3~11/4  대전 무역전시관
高陽: 12/1  일산 킨텍스(KINTEX)
清州: 12/15~16  청주대 석우문화체육관
光州: 12/29  광주여대 유니버시아드 체육관
----------------------
2019年
蔚山: 1/12~13  울산동천체육관
釜山: 2/9  부산 벡스코(BEXCO)
安養: 2/23~24  안양실내체육관
天安 3/9~10  천안 유관순체육관
晋州: 4/6~7  진주실내체육관
原州: 4/27  원주 따뚜공연장

2018年12月25日火曜日

ロイターの「平成を象徴する出来事は」

平成に入ってさまざまな出来事があった。いくつか思い出すが、それがどんな順番だったのか、いつごろのことかなど漠然としている。記憶が曖昧なのか朧なのか。年末に、ニュースメディアの各社は一時代の「まとめ」記事を掲載することだろう。

現在、「ロイター 」はニュース記事の最後に、アンケート調査「ロイター オンライン調査 - 平成を象徴する出来事は」があって、平成元年から平成29年までの出来事を例示している。その中から、(ラジオボタンなので)一つだけ選ぶことになる。途中経過だが、「投票結果を見る」ことも可能だ。

私にすれば、何といっても、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」が平成の大事件といえる。合わせて、福島原子力発電所の事故も忘れられない。

(本ブログ関連:”東日本大震災 ”、”原発”)

また、世界史的に見れば、第2次世界大戦後の世界を支配した東西冷戦構造に終結をもたらした、平成3年(1991年)の「ソ連崩壊」だろう。米ソ冷戦による東西の壁という大きな矛盾は、実は小さくて重層的な矛盾を覆い隠していた。上位の矛盾を取り除くと、その下に更に無数の矛盾があふれ出し、収受が付かなくなる。今まで、ひとびとは、いずれの矛盾にも最適解を持ったためしはない。

来年から始まる新しい世界がどうなるのか、時代を決めるのは誰なのか。歴史は繰り返すとしかいいようがない。パッチを当てただけで、アップグレードとかバージョンアップしたというのだけは避けたいものだが・・・。

2018年12月24日月曜日

クリスマス・イブ 2018

今、寝入っている子どもたちの枕元に、サンタクロースがソリに乗ってやってきて、クリスマスプレゼントを置いていく。明日の朝、目覚めた子どもたちは、プレゼントを発見し歓喜する。

今夜の子どもたちは期待に胸を膨らませ、なかなか眠りにつけなかったけど、やがて静かな寝息を立てることだろう。サンタクロースには、その寝姿が愛おしくてたまらない。そして、明朝に目を丸くして驚く子どもたちのよろこぶ声を想像する。

ところで、深夜、Googleで「クリスマス」を検索したら、画面が一瞬プルプルと震えて静止した。すぐに検索結果が表示されたけれど、日本中のおとなたちが、クリスマスについて一斉に確認したのだろうか・・・多分。

昨日の「天皇誕生日」の祝日が日曜日だったため、今日が振替休日となり、クリスマス・イブに重なった。若いころ、クリスマス・イブの日の夕方、職場がなぜかそわそわしたものだ。独身者は、用事やあてがなくても定時にオフィスを退出した。

今日が休日だったので、助かった若い男女もいることだろう。明日はきっといいことがありますよ。

2018年12月23日日曜日

天皇誕生日(平成30年)

今日は、天皇陛下の85歳の誕生日であり、「平成」*最後の天皇誕生日となる。来年4月末に譲位されるからだ。宮内庁のサイトは、「これまでの天皇誕生日一般参賀の参賀者数(平成以降)」について、下表のように記している。
(*平成:「平成」は、1989年(平成元年)1月8日から現在にいたる間をさす )

参賀者数は、ここ3年の間に急増(平成28年 38,588人、平成29年 52,300人、平成30年 82,850人)している。

    年     参賀者数
平成元年 行われず
平成2年 行われず
平成3年 17,420人
平成4年 13,550人
平成5年 20,140人
平成6年 18,220人
平成7年 13,350人
平成8年 取り止め
平成9年 9,280人
平成10年 14,800人
平成11年 17,567人
平成12年 14,890人
平成13年 16,760人
平成14年 19,079人
平成15年 18,848人
平成16年 17,681人
平成17年 17,558人
平成18年 20,152人
平成19年 15,602人
平成20年 22,655人
平成21年 30,560人
平成22年 26,298人
平成23年 24,789人
平成24年 28,065人
平成25年 28,945人
平成26年 28,933人
平成27年 26,627人
平成28年 38,588人
平成29年 52,300人
平成30年 82,850人

(付記)
ちなみに、平成の巨大な自然災害として、平成7年(1995年1月17日)の「阪神・淡路大震災」、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」があげられる。このとき、天皇、皇后両陛下が、国民の精神的な大きな支柱となったことは忘れられない。

2018年12月22日土曜日

冬至 2018

今日は二十四節気の「冬至」で、後は「小寒」と「大寒」を残すのみ。日照時間が一番短い日とはいえ、一日中しとしと降りで薄暗く、気分もどんよりした。あっという間に日没して、気付けば辺りは真っ暗になっていた。

(本ブログ関連:”冬至 2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年”)

冬至は日照時間が一番短いとはいえ、「日の出」が一番遅く、「日の入り」が一番早いわけじゃない。Weathernewsの今日の記事(12/22)によれば、「この冬、東京で日の出が一番遅いのは年が明けた1月7日(6時50分40秒)、日の入りが一番早いのは12月6日(16時27分53秒)です」とのこと。その理由は、「地軸の傾き」や「公転軌道が真円形でない」ためだそうだが、ややこしい。
  ・一番遅い「日の出」(1/7 06:50:40)
  ・冬至の「日の出」(12/22 06:46:29)
  ・冬至の「日の入り」(12/22 16:32:08)
  ・一番早い「日の入り」(12/6 16:27:53)

最近、日の入りの速さに慣れてきて、暗くなるのに驚かない。午後5時を境に日の入りの速さをとらえていたつもりだったが、遡って見れば、午後5時ちょうどに日の入りしたのは、10月20日のことだった。その頃、日没の速さを深く感じていたわけではなかった・・・。

変化を楽しんでいるうちに、後戻りできないことに気付き憂鬱になる。こんなことを毎年毎年繰り返している。歴史も案外そんなものかもしれない。

2018年12月21日金曜日

2019年賀状デザイン

来年(2019年)の年賀状デザインを考えてみた。

(本ブログ関連:”年賀状”)

年賀状のデザインといっても、「ゆうびん.jp」が提供の「はがきデザインキット」から、「亥年」を表す「イノシシ」の子ども(ウリボウ)を素材にして作成しただけだが。

今回は、モノクロ印刷にする。図柄の「ウリボウ」が可愛らしくて、モノクロでも十分年賀状らしさがあると思う。そして、例年のごとく、印刷は歳の暮れの多分30日ころになるだろう。その時期になるまで気が乗らないのだ。

ところで「ウリボウ」の名は、体に水平にある模様が、植物の「ウリ」(シマウリ、マクワウリ)に似ているからといわれる。ウリ自体丸っこい形をしているので、合わせてイメージしやすい。また「~ボウ」は、「赤ん坊」などに使われる「縮小詞/指小辞」にあたるだろう。新年はできるだけ若々しい方がよいのだから。

2018年12月20日木曜日

Yiddish語 2018秋-12

先々週末、胃腸を痛めて以来、ずっと「うどん」しか食っていない。歳をとると回復が遅れるようだ。テレビで食レポ番組を見ても食欲が湧かない。不思議なことに、うどんの食感が気に入ったみたい・・・今の体調に合っているのかもしれない。

暖かな昼の陽射しを受けて、今年最後のイディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は次のよう解説された。
・ 数詞(基数、順序数)のうち、順序数についての練習
    - [ (性別)名詞] ← [(ער/ע-)順序数] ← [(性別)冠詞]
    - 順序数を使った文章の完成
・強調としての「יאָ」の使い方
・クリスマスソング「Winter Wonderland」(作曲フェリックス・バーナード*、作詞リチャード B.スミス)のイディッシュ語訳の紹介。(*フェリックス・バーナードはユダヤ人である)

(先々週に宿題に出された「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」について調べたものを回答した)

2018年12月19日水曜日

日本における動力機初飛行の日

今日は、日本で原動機付き飛行機による初飛行の日とされている。以下、Wikipediaの記述をもとに記す。この記念日について残念なことだが、ネット(Google)ニュースで話題にすらなっていない。先日(12/14)の「南極の日」でブログに語ったことと同様、明治のことといえ達成者が軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

(本ブログ関連:”飛行機”、”南極の日”)

今から108年前の今日、明治43年(1910年)12月19日に、代々木錬兵場(現「代々木公園」)にて、徳川好敏大尉がフランス製「ファルマンⅢ 複葉機(Farman III)」に、日野熊蔵大尉がドイツ製「グラーデ単葉機( Grade II Libelle)」に順に搭乗して、日本初の動力飛行(エンジン付航空機による飛行)に成功した。

(次の写真はWikipediaに掲載されている)
ファルマンⅢ 複葉機
グラーデ単葉機









実は、公式初飛行の数日前(同年12月14日)に、同じ飛行場で日野大尉が滑走試験中、一瞬浮上したが公式に認められず、19日をもって「公式初飛行」とされた。そのときの飛行順に従って、徳川大尉の名が初飛行操縦者として記憶にある。

(追記)
大戦後、米軍接収の後に返還された「ファルマンⅢ 複葉機」は、いくつかの変遷を重ねて、現在、入間基地内の「航空歴史資料館 修武台記念館」に展示されているという。その様子がYoutubeに「アンリ・ファルマン・・日本で最初に飛んだ飛行機」として登録されている(登録者tetsuaki muraokaに感謝)。

ところで、作曲家坂井貴祐による「アンリ・ファルマンの飛行」(演奏:古河市立三和北中学校吹奏楽部)がYoutubeにある。複葉ファルマン機が軽々と離陸、上昇して、上空で旋回を楽しんでいる飛翔感がある。全身に風を受けた操縦士が、地上を見下ろす爽快感、機体と一体化して独り浮揚できるなんて何と最高なことだろう。


(Youtubeに登録のSAKAI,Takamasaに感謝)

2018年12月18日火曜日

「三十四丁目の奇蹟」

クリスマスにはいろいろな物語がある。ただし、残念ながら日本の家庭を舞台にした名作は知らない。そもそも宗教的な土台が違うのだから。(以前、ブログに触れたことだが)昔の日本のクリスマスは、酔っ払いサラリーマンのグダグダな天国だった。結局、家庭内イベントに落ち着いたが、大方の外来ブームは、そういった形に収斂するのだろう。

(本ブログ関連:”クリスマス”)

サンタクロースはいるの?、キリスト教徒の子どもにとっても大切な疑問のようだ。少女の素朴な疑問に、新聞社の編集者が応えるといった、子どもを中心にした、いかにもアメリカ人好みの話もある。

以前、版権切れしたアメリカ映画がDVDになり大量に廉価販売された。クリスマス時期にDVD版の「三十四丁目の奇蹟」(1947年)を購入したが見当たらない。誰かに勧めてそのままになってしまったみたいだ。これも子どもが物語を回す。

町山智浩の映画塾!」で、この映画を<予習編><復習編>の2回に分けて紹介したYoutube映像がある。物語の時代背景について、特に<復習編>では、アメリカの世相(戦後のベビーブーム、移民と宗教など)や政治状況にまで八面六臂の解説をされた。(この評論家は米国在住とのこと、ときどき日本に来て仕事する遠距離恋愛的な純化精神の持主のようだ)

物語を引っ張る少女スーザン役は、後に映画「ウェストサイド物語」(1961年)で主人公マリア役を演じた「ナタリー・ウッド」だった。彼女が「三十四丁目の奇蹟」に登場していたとは、解説されるまで気付かなかった。(昔、ナタリー・ウッドのファンがいて、いろいろな話[謎の最期など]を聞かされた)

<予習編>で物語の展開を知り、<復習編>で時代解説を聞かせてもらった。

<予習編:2013/11/05公開>


<復習編:2013/11/11公開>

(Youtubeに登録のWOWOWofficialに感謝)

2018年12月17日月曜日

雪の降る町を

冬になると定番の歌がある。ラジオとテレビが同居していた時代、「雪の降る町を」(作詞:内村直也、作曲:中田喜直、1952年)がそれだ。シャンソン歌手「高英男」(1918年~2009年)によってヒットしたことになっているが、記憶にあるのは、男性コーラスグループ「ダークダックス」によるものの印象が強い。歌声喫茶はなやかなりし頃のこと。その雰囲気は、学校の教室に教師が音頭をとってゆき渡った。

そんな時代、下町のイメージで売り出した俳優であり歌手の「倍賞千恵子」が歌うと、包み込むような暖かさを感じた。人と親和する彼女の庶民性は、ある意味、近所のお姉さんスターでもあり、それゆえ歌うにふさわしかった。それに目をつけた映画監督によって、「さくら」という不動の妹役を演じた。

(本ブログ関連:”倍賞千恵子”)

とはいえ、この歌にも時代の雰囲気がある。何かを越える意志を秘めた語りから、ありがちな同調を求める感がした。教室で配られた、小さな歌集(歌詞帳)に収まった一連の歌を思い出さずにいられない。


(Youtubeに登録のわびさびすさびに感謝)

2018年12月16日日曜日

今日は寒かった

ぐずぐずな体調を口実に出不精したら、昼ごろ小雨が降った。あっという間の出来事。屋外で観察するまでないが、「天気雨(キツネの嫁入り)」ほどのこと。

午後に近所の用で家を出て見れば、通りが黒く濡れていた。陽射しは明るいのに、一歩進めば刺すように寒い。防寒してよかったと思うほど。

今月(12月)に入って、東京都心の最高気温は4日の23.4℃(これは多分このままだろう)。最低気温は11日の1.4℃だったが、今日、日の出前までに最低気温が0.4℃だったそうなので今月一番の寒さだろう。降雪地帯に比べるまでもないが。

そんなわけで、顔を出しては直ぐに引っ込める。寒さにゃかなわない。こんなとき野良猫たちは一体どうしてんだろうね。

2018年12月15日土曜日

ママがサンタにキッスした

空想と現実が未分化なまま、物語を紡ぐことができる子ども時代は素晴らしい。(それが中二の思春期には、生半可に現実を理解して拘泥するようになる)

子どもはクリスマスが待ち遠しい。クリスマスに、サンタクロースがプレゼントを運んできてくれるからだ。朝、目覚めたとき、枕元にプレゼントを発見して、空想が現実とつながっていることを確認する。自分の世界にとどまれる大きな安心なのだ。

だから、いかにたずねられても、大人はサンタクロースが存在することを語らねばならない。そして子どもはクリスマスに見たことを、いつまでも夢に残せばよい。いずれ体験した空想の世界を忘れることになるのだから。

愛らしくもありがちな、子どもらしい世界をそっと覗いた、The Jackson 5(メインに子ども時代のマイケル・ジャクソン)が歌う「ママがサンタにキッスした(I saw Mommy kissing Santa Claus)」を聴いてみよう。旋律がとてもやさしい。

(本ブログ関連:”ママがサンタにキッス(を)した”)


(Youtubeに登録のobdianeに感謝)

2018年12月14日金曜日

南極の日

今日(12/14)のラジオが「南極の日」と語った。知っていたわけじゃなかったので、そういうものかと思った。記念日の理由をWikipediaで調べた。< 1911年12月14日に、ノルウェーの探検家「アムンセン」が初めて南極点に到達したことによる > そうだ。子どものころ、アムンセンを一般に「アムンゼン」と呼んでいた気がするけど、北欧(語)なのでアムンセンが正しいのだろう。

ところで、「南極の日」は、もう一つ別の記念日がある。日本気象協会のtenki.jpの記事「1月29日は『南極の日』。南極では風邪にはかからないその理由」(2018年01月28日)に、< 昭和基地開設記念日 > とある。
昭和基地といえば、観測船(砕氷船)の「宗谷」が忘れられない。同船が氷に挟まって動きが取れなくなったとき、ソ連の「オビ」号が救出に向かったこと、基地撤退後も生き残った樺太犬のタロとジロのことも思いで深い。

「南極の日」が二つあることについて、南極を外の目で見るか、内の目で見るかによっての違いだろう。ただ、どちらも冬の寒い時期にあるのでイメージしやすい。

子どものころ、少年雑誌の南極探検の記事で、白瀬中尉と呼ばれた「白瀬矗(しらせ のぶ)」(1861年~1946年)について知った。今はなぜか歴史に埋もれているようだ。彼が(主として明治時代に活動したにもかかわらず)軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

2018年12月13日木曜日

Yiddish語 2018秋-11

かげった体調にようやく明かりが射してきた。この坂、越すに越されぬ難儀坂だ。

気合を入れて体を動かし、勢いづけて、イディッシュ語教室へと向かった。

今日も理解を共有できるよう、読み・書き・読解に工夫を重ねて指導いただいた。
・ダイアログ: ベジタリアンの若者と、善意のおじさん・おばさんとの丁々発止。
・ミュージカル: 舞台映像を一部参照しながら、貴重な台本を紹介いただいた。
・案内: 12月24日(月)午前0時~、NHK BS「プレミアムシアター」でユダヤ文化関連の音楽が紹介される。
     ◇ ドキュメンタリー
        「クリスマス・ソング 知られざる物語」(2017年 カナダ)(1:57:00~2:49:30)
     ◇ 映画音楽の巨匠 ジョン・ウィリアムズ
         名曲コンサート(2:50:30~4:25:00)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

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(付記)
クリスマス・ソングを書いたユダヤ人

ユダヤ教徒と異教徒間のカップル(結婚)や家族を支援するアメリカの全国組織「InterfaithFamily」のサイトに、「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」(Nate Bloom、2006年12月)という記事が掲載されている。

記事タイトルに、キリスト教徒でないユダヤ人が一体なぜクリスマス・ソングを作ったのかと疑問が浮かぶだろう。米国でラジオ放送されたクリスマス曲から、「アメリカ作曲家協会(ASCAP)」が選曲した上位25曲中、12曲にユダヤ人が関連しているというのだ。(当初2006年の記事ながら、その後更新され、2008年現在のデータで紹介されている)

第1位曲は、「Winter Wonderland」(作曲: Felix Bernard, 作詞:Richard B. Smith)である。InterfaithFamilyに掲載の記事によれば、作曲者Felix Bernard(Bernhardt)(1897年〜1944年)の父親はドイツ出身、母親はロシア出身であり、彼らの母語はイディッシュ語だったと記している。記事が更新される中で、一般のコメント(情報)にも目を通し、Felix Bernardがユダヤ人であることを確信したようだ。
ちなみに、「Bernardは、ロサンゼルスの非宗教墓地に埋葬されている」とのこと。

(その他の人気曲についても、ユダヤ関係者を探している。例えば、誰もが知る「White Christmas」の作詞・作曲者である、Irving Berlinにしてもそうだ)

ところで、アメリカの映画産業がなぜ西海岸(ハリウッド)なのかという話題がある。この産業を作り上げたのはユダヤ人だったが、映画技術の特許権をおさえたエジソンに牛耳られ、それがいやさにハリウッドへ逃げたといわれる。確かに電送技術でも、ニコラ・テスラとの交流・直流の争いで、エジソンの独占欲をうかがい知ることができる。

それじゃ、ニューヨークのブロードウェイにショービジネスが今も残っているが、そこで活躍するユダヤ系と、映画産業のユダヤ系との間にどんな違いがあるのだろうか。アメリカで生まれた者と移民の者・・・といった微妙で大きな違いか。部外者にはこころ及ばぬものがあるのかもしれない。

ヨーロッパで音楽に従事したユダヤ人が、米国の東岸にたどり着く。そこには先着のユダヤ人がいる。あらためて新天地を求めて西海岸へ移る。なんだか、そんな流れを想像してしまう。

(参考)
・ブログ「Love world neighbors(the rule of law )」に掲載の「クリスマスソングとユダヤ人」に、< ユダヤ人作曲のクリスマスソング > のリスト(出典不明)がある。

・The Starsの記事「Why many classic Christmas songs were written by Jewish composers」(Rob Kapilow、2017年11月30日)は、ユダヤ人の同化(移民の子がアメリカ社会へ参加する)という歴史的な過程の観点で、作曲家たちを列伝風に紹介している。

2018年12月12日水曜日

(資料)幻のニホンオオカミを追いつづける男

体調にいまひとつ自信なく、寒い外に出る気力もない。家にこもって養生する。そんなとき、いろいろな想いで遊ぶ。いっそ桃源郷へと、仙界 → 山怪 →(眷属)キツネ → オオカミなどへ。そして、オオカミからニホンオオカミへと広がる。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

先日(11/29)のブログに付記した、「ニホンオオカミは消えたか?」(宗像充著)の書を視覚的に補強してくれる映像がYoutubeにあった。1999年のドキュメンタリー「幻のニホンオオカミを追いつづける男」(制作TOPPAN)だ。2012年のNHKドキュメンタリー「見狼記」へと連なるようだ(こちらはYoutubeで詳しく見ることができないのが残念)。

「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、ニホンオオカミの存在を信じて、秩父山地でひたむきにフィールド調査を続けるアマチュア研究家、八木博氏を縦軸に関係者から様々な情報が紹介される。上掲書を思い出してはうなずくばかり。

八木氏の情熱は、見る人に強烈なインパクトを与えるかもしれない。ニホンオオカミ「固有種」への思いは強く、まるで松本清張の人物伝に出てきそうな執念さえ感じるほど。それゆえ、動物分類学の研究者に、徹底した実証振りが高く評価される。・・・遠の昔にあっさりと捨て去った妥協しない信念を、振り返ることにもなる。

八木氏は、1996年に秩父山中で、ニホンオオカミらしき動物の写真撮影に成功している。次の「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、その3年後の1999年に制作されたドキュメンタリーということになる。

(幻のニホンオオカミを追いつづける男)

(Youtubeに登録のYouyakei Gekijoに感謝)

(付記)
ニホンオオカミの外見は、タイリクオオカミと違ってどこかヒョロリ感がする。がっちりしたオオカミのイメージがないのだ。とはいえ、理由があって、緯度の高い寒冷地域と、緯度の低い熱い地域に棲息する「恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息する」という「ベルクマンの法則」があるとのこと。なるほどクマも人間もしかりだ。

2018年12月11日火曜日

(雑談)冬の夜寒さ深まる

気付けば深夜24時直前。今日(12/11)のタイムスタンプを獲るため、まずは登録する。

体調に回復のきざしが見えたものの、こんな日は家にこもって養生するしかない。夜に入り小雨が降り始めたが、雪になるほどではない。夜中に風が吹き強まる。冬の夜は、しんしんと寒さが深まる。これで本当の冬になった。

こんなときだから、一昨日(12/9)のブログ、「シェヌ・デ・ピュイ火山群」に触れた「大室山」の俯瞰映像をYoutubeで見てみよう。柔らかな光と、緑に包まれた美しい山肌が可愛らしい。私が訪れたときは、それと反対の冬、強風にロープウェイの座席がブルンブルンと揺れていた。

(本ブログ関連:”大室山”)


(Youtubeに登録のTokyoStreetView - Japan The Beautifulに感謝)

2018年12月10日月曜日

女子フィギュアスケート GPファイナル 2018

今朝病院へ出かけた。どうやらウィルス性胃腸炎で、経過観察しましょうとのこと。

ところで、朝のテレビニュースは、バンクーバーで開催された女子フィギュアスケート「2018グランプリ・ファイナル」結果の話題でしきりだ。この試合に、16歳で初出場の「紀平梨花選手」が初優勝したのだ。日本で、16歳で初出場・初優勝は、浅田真央選手以来13年振りとのこと。
(2018平昌オリンピックに彼女が出場できなかったのは、オリンピックの年齢制限の微妙な差のせいだったそうだ。だから、今回2位になったアリーナ・ザギトワは、同じ16歳ながら出場できていたし金メダルを獲得している)

正直なところ、にわかファンには、フィギュアスケートで、①「ショートプログラム(SP)」と、②「フリースケーティング(FS)」といった2種がなぜあるのか、どんな違いなのか、今もってよく分からない・・・その程度なのだが。ビックリしたという以外に語れるものがないのが残念。

16歳を中心に若い選手たちが競い合うのを見て、これから先、一体どんな世界が繰り広げられるのだろう、技術が高度化するのだろう・・・分かったつもりで追いかけよう。

それにして、紀平梨花選手の落ち着いた演技に驚いた。日本の女子フィギュアスケートの長い歴史、層の厚さから生み出た余裕なのかも知れない・・・素人ながらそんな気がした。

2018年12月9日日曜日

シェヌ・デ・ピュイ火山群

昨夜、体調を崩して以来、回復が芳しくない。明日、健康診断というにどうなることやら。外出もできず、まさに引きこもり状態。養生を続けるしかない。

夕方のテレビ番組「世界遺産」を見ていたら、今年(2018年)世界遺産になった「ピュイ山脈とリマーニュ断層の地殻変動地域」(世界遺産オンラインガイド)について紹介されていた。以前読んだ、ちくま新書の「ヨーロッパ火山紀行」の著者である小山真人氏が番組監修されていた。

フランスの飲料水に「ボルヴィック」があって、ペットボトルのラベルを良く見ると火山の絵がある。伊東市の奥手にある、一度の噴火で火山生成した<単成火山群>の「大室山」を思い浮かべるかもしれない。

(本ブログ関連:”ボルヴィック”、”東伊豆単成火山群”)

番組紹介された、仏オーヴェルニュ地方のシェヌ・デ・ピュイ火山群は、南北に火山が一列に並んでいる。南北のプレート(アドリアプレートとユーラシアプレート)が衝突してできたもので、こちらも<単性火山群>である。

溶岩流が、小川を通路にして流れ出て作られた高さ10mほどある、細長い地形上に町ができている。崖の底から、小川の水が染み出ていてうまいとのこと。全く成因が違うが、「段丘崖」の「国分寺崖線」の湧水が頭をよぎる。

今の私には水が恋しい。体調が回復したら、ボルヴィックのボトルの水を飲み干そう。

2018年12月8日土曜日

(雑談)風邪でダウンか?

体調が何となく怪しかった。今日の日付に変わった深夜、吐瀉と腹下しを繰り返し、それが止まぬまま朝を迎えた。節々が痛んだが、喉が腫れるでなく、咳も出ず、熱もない。風邪なのか、長引かないのでインフルエンザではないと思うが・・・。

明け方、体が軽く楽になった。まるで服を着替えたようにすっきりしている。

昔、社内の健康診断の結果、いろいろ注意を受けたことがある。それがうるさいので、妙案がないか探した。そうだ、減量すると検査結果がよくなるのを経験上知っていた。そこで、健康診断前に減量に励んだものだ。

今回はそんな意図があったわけでないが、たまたま、来週月曜日に健康診断があるため、このまま体を絞っていけばいい結果になるかもしれない。

2018年12月7日金曜日

大雪 2018

今日は、二十四節気の「大雪(たいせつ)」。東京に雪が積もる気配はない。これまで気温は上がり下がりしてきたが、もしかしたら今日がピークかもしれない。これから先、寒さが増していくようだ。

(本ブログ関連:”大雪”)

冬になれば思い出す。長野オリンピック(第18回冬季オリンピック、1998年2月7日~22日)のフィギアスケートに出場した、「エレーナ・リアシェンコ(Олена Ляшенко)」選手のことを。当時のテレビCM映像が今も目に焼きついていて消えることがない。気品ある瞳に吸い込まれてしまった。以前、彼女のYoutube映像に触れたことがあるが、幸い残っており、今回そのままエンベッドさせていただいた。

(本ブログ関連:”エレーナ・リアシェンコ”、”フィギュアスケート”)


(Youtubeに登録のerio2erioに感謝)

2018年12月6日木曜日

Yiddish語 2018秋-10、CICALA MVTA

帰宅が遅く、今日の日付の時間切れが迫るため、あわてて記す。

イディッシュ語教室は、今秋期コースの10回目の授業を迎えた。若い人はのりしろがあって成長が見込めるが、おじさんはギリギリで学んでいるため、果たして10回に見合う進歩をしたか不安である。人一倍反省するが、努力はとことんしない・・・それで成長するものか、恥ずかしい限り。

開催年度によって、クラスメイトに若干の入れ代わりがあるため、授業が工夫されている。

今日の授業は次のよう解説された。
・動詞の過去形(英語の現在完了形に似た構造)を学ぶ。動詞の過去形には、様々変化がある。
・行事「ハヌカ」を中心に、ユダヤ教・イスラエルの年間行事について紹介される。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

授業が終わると、そのままクラスメイト(ミュージシャン)の出演する音楽ライブ「CICALA MVTA」へ、連れ立って出かけた。一緒に出かけたクラスメイトは、ミュージシャンの音楽ジャンルに詳しくファンだそうだ。
ライブ会場は、大勢の客で埋まった。出演のクラスメイトのミュージシャンは、一人がシンガーであり、もう一人が演奏家である。今まで聴かせていただいたのは、シンガーの方を中心にした歌のライブだった。今回は、演奏家の方を中心にした演奏のものだ。

会場へ行ってこそ、ライブの強力なエネルギーに当たることができる。音楽はなかなかいいものだ。

2018年12月5日水曜日

ウォーキング教室(第2回)

先週参加した「ウォーキング教室」(全2回)の第2回目、最終回の今日は実践編として公園散歩をした。終わりがけに知ったことだが、参加者の大方は私と同世代だそうで、しかも歩きなれているようだった。それに比べて・・・。

最近、航空祭で開放された飛行場を歩き回ってくたびれ果て、以前には、グループで鉱物採集へ出かけたところ列の最後尾になったりした。そんなわけで、歳のせいと観念し始めたところだったが、今日のウォーキング教室の参加者を見れば、どっこいみな元気なのだ。もう一度、やり直してみようと心した。

講師の先生がこんなことをいわれた。いきなりウォーキングが大変なら、しばらくは自宅でストレッチングを毎日15分程度はげみ、それからウォーキングに出かけても大丈夫、とのこと。要は、毎日続ける重要さを説かれた。

最後に、こんな話も付け加えられた。「今日のウォーキングをした結果、帰宅して夕方とか明日になって足腰に痛みが出てくるなら、それはやり過ぎです」とのこと。自分に合った無理のないところから進めなさいというアドバイスだろう。張り切り過ぎはダメなのだ。

講師の先生、公民館の職員の方、イベントのスタッフのみなさんに、お世話になったこと感謝します。(この機会を得て、もう一度頑張ってみようかなと思い直した次第)

2018年12月4日火曜日

(雑談)冬だというに暖かすぎて汗をかく

服装にセンスがないというか、季節に鈍感なのかタイミングが分からない。先日の「百里基地航空祭」(12/2)見学に際してもそうだった。ブログに寒かったと感想を述べたけど、防寒の用意をしなかったのが一番大きな原因。来場客は、みな厚手の冬服を着こなしていたのに、私は思いっきり軽装だった。

今日はしっかりジャンパーに身を固めて外出した。結局、反省した。じわじわと汗をかいてきたのだ。東京の最高気温は、23.4℃(14:50)で、暖かという表現を過ぎている。全国でも、25℃越えの「夏日」が続出したそうだ(練馬も、25℃だったという)。

旧暦の今日は10月27日。10月を「小春」といい、そんな寒い中でも暖かな日和を「小春日和」と呼ぶ。この言葉のイメージから、穏やかな陽射しに心がほっと和む感がするけれど、今日は「春」を越えて「夏」へと飛んでいる。緩やかに変化してこそ心豊かになれるというに、何と無粋なことだろう。

おかげで外出はままならず、途中で引き返す羽目になった。夜になっても、エアコンもストーブも不要。冬の廊下の冷気も吹っ飛んだようだ。

2018年12月3日月曜日

カレンダーの日

日めくりカレンダーには、その日その日の記念日が記されている。例えば、今晩は「秩父夜祭り」(12/2~3)のメインイベントだったり、また、「カレンダーの日」という業界記念日だったりする。

「カレンダー」について、ブログに何度も記してきた。追い立てられる日々に照らしてカレンダーとの関わりを語ったり、あるいは、アメリカンポップスの「カレンダーガール」について触れたりした。

(本ブログ関連:”カレンダーガール”)

普段でも、ブログに口にするカレンダーだけど、「カレンダーの日」という記念日があることを知らなかった。ネットに検索してみたところ次のような情報を得た。

全国団扇扇子カレンダー協議会」という、「団扇(うちわ)・扇子・カレンダーの製造及び販売を行う業者で構成される任意団体」があって、カレンダー業界の団体と連携して、12月3日を「カレンダーの日」として制定したそうだ。この日に制定した理由は、かつて明治政府が官員の給料を1ヶ月削ったとしばしばいわれる、旧暦からの改暦のできごとと縁がある。協議会のホームページに、「明治5年11月9日、時の政府は『来る12月3日を明治6年1月1日とする』と宣言。23日後に」突然改暦を実施したと説明している。

でも。私にとってカレンダーは、カレンダーという外来語であり、「暦(こよみ)」といった古来から続く日常の感覚とは違う。別の感覚するカレンダーは、思い出の「ニール・セダカ(1939年3月13日~)」の歌「カレンダー・ガール」(1960年)につながる。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)


(Youtubeに登録のnucker2001に感謝)

2018年12月2日日曜日

百里基地航空祭(ツアー2日目)

潜伏していた「飛行機好き」の病が歳とともに再発したらしい。最近は、転地療養しかないようだ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

この時期になると、ツアー会社は、各地の航空祭ツアーを組んで案内してくる。去年は岐阜県下で行なわれた「岐阜基地航空祭」に出かけた。今年は、(ツアー2日目に当る今日)、茨城県下で開催の「百里基地航空祭」を見学した。

(本ブログ関連:”岐阜基地航空祭”)

飛行場は、飛行機が飛ぶから滑走路があり、滑走路が長いから敷地も広い。それで、航空祭の実演を見上げる場所は広い。広いので吹きさらしになり、この時期とても寒い。逃げ場がないのだ。

目の前上空を飛翔するファントム機F-4)*が、こちらに尾部を向けた旋回の瞬間、圧倒的な排気音を受けて腹が揺さぶられる。これを繰り返されるのだから、飛行機好きにはたまらない。そして、場内のアナウンスで、操縦者の氏名と出身地が語られる。あらためて、(生身の)人が搭乗するのを知ることになる。

(*)ファントム機: ハシェット社の「エアファイター・コレクション」第1巻で紹介(これだけ購入)

航空祭には、あらゆる人びとが集う。日頃接することのない老若男女、さまざまな職種というか生き方といったらいいのかもしれない、実に多様だ。中には、飛行機好きなのかカメラ好きなのか(すごく高級な望遠カメラを持った)若い女性までいる。

前回の岐阜基地航空祭は、飛行場までたどり着くのにくたびれたが、今回はそれに比べると少しは楽だった。入り口から会場まで割合近かったからだ。とはいえ、会場に着けば、飛行場はやっぱりどでかいことを思い知る・・・結局、後半は歩き疲れて、格納庫に並んだ椅子に座って空を見上げていた。気付けば、回りは中高年ばかり。屋外用の強力な暖房機が設置されていて、そこから抜けられず、集合時間まで居座った。

2018年12月1日土曜日

JAXA筑波宇宙センター(ツアー1日目)

今日から2日間出かける。今日は「JAXA筑波宇宙センター」、明日は「百里基地 航空祭」を見学の予定。電車を乗り継いで行けない距離でないが、バスツアーによるお任せ小旅行であり気楽に巡りたい。

感想は明日(12/2)帰宅後に追記したい。

(以降、12/2に追記)
というわけで、初日(12/1)に訪問した、筑波学園研究都市にある「JAXA筑波宇宙センター」の見学について追記する。といっても、一般公開の展示物をざっと見る限りだが・・・それにしても驚いた。

展示物「こうのとり」
テレビ画面や、PCのYoutube画面の中で納得していた勝手なイメージが破られた思い。展示館に置かれた人工衛星、実験棟、輸送機器などが、今まで想定していたサイズと全くの大違いだった。

「国際宇宙ステーション(ISS)」との物資補給をした、宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)「こうのとり」の展示物に近寄ったとき、初めは気付かなかったほど巨大なサイズだ。頑丈そうな構造物(試験モデル)を見上げて考えた、もしかしたら「こうのとり」ではと・・・。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

そのとき、展示館の見学ツアーに行き合わせて、そばで聞かせていただいた。解説者が「こうのとり」をさしながら、< このサイズのものをフェアリング部に収納する「HⅡBロケット」の大きさが想像できますね > と解説された。なるほど、トン(t)クラスの搭載物を運ぶ「HⅡBロケット」の圧倒的なスケールにも、合わせて実感した気がした。重力を超えて飛び上がることを考えれば、「こうのとり」が頑丈に見えても当然という次第。

外部広場には、HⅡBの前世代であるが、「HⅡ」ロケットの実機も展示されている。また後継の「HⅢ」ロケットの登場も待ち遠しい。

そうそう、小市民らしいお土産も買った。

2018年11月30日金曜日

年賀状をどうしようか

今月も残り一日。月別カレンダーから今月分をいさぎよくはがした。すると12月分が一枚ぶらさがっているだけ。ヘラヘラと横揺れする。1年の終わりの月の何と力なさよ。

書店には、来年の家計簿、手帳など積まれている。最近の変化に「年賀状」が減ったためか、年賀状ソフト本も少なくなって見える。若者はメールという手段があり、高齢者は交流範囲が狭まったせいか、年賀状の発行は2003年をピークに下降の一途をたどっているそうだ。
(参考)「年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(最新)」(8/31

昔は、人脈の継続や確認の意味合いもあって年賀状交換をした。ところが、社会の流動性が増すと一年に一度の年賀状ではフォローできなくなる。個人情報の取り扱いが厳格になって、年賀状はますます私的空間の交換に変質してきた。個人の住所を記載した社内名簿なんていうものはとっくに存在しない。世間から名簿が次々消えた。

正月はプライベートな家庭行事になっている。(古風なしきたりを重視する社会でないかぎり)年始の挨拶にうかがうことは滅多にない。時代が変わった。そんなわけで年賀状の衰退は続くだろう。

ただし、特に親しい若者の間でグリーティング・カードを送るようになるかもしれない。(ハロウィンののりで!)

2018年11月29日木曜日

Yiddish語 2018秋-9

PCの会話ソフトを使って練習するに、何かよい方法はないだろうか。ソフトの声と自分の声を重ねて聞きたくて、ヘッドホンとマイクを組み合わせたヘッドセットを探して購入した。安価だったせいか、発した声が遅れて耳に入ってくる。結局、道具に頼らず、今は音声速度を調節して練習している。これは意外とよい。運動前のストレッチのような具合だ。

イディッシュ語会話教室へ行く前、使用テキストに付録の音声を、A→Bリピート機能を使って聴いている。これを毎日繰り返していたら、今頃きっと凄いことになっていたろうけれど・・・怠け者はいつまでも低空飛行。

そんなまま、反省しながらイディッシュ語教室へ行く。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は、久し振りに出席したアーティストが、がんがんリードしてくれた・・・凄い。
・ 先週(11/22)教わった「ハヌカ」の祝い歌「חנוכּה אױ חנוכּה」の復習と、Youtubeに合わせて歌った。
・テキストのダイアログ練習。

当り前だが、授業があってこそ追いつこうとするもので、独習者を想うと本当に頭がさがる。


(付記)
授業の帰り、本屋に寄って「ニホンオオカミは消えたか?」(宗像充著)を予約した。実は、図書館からこの本を借りていて、返却するのが惜しく読み直したいと思ったからだ。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

「ニホンオオカミ」は、いわゆるオオカミの「タイリクオオカミ」とイメージが違い、動物分類学上の議論があるようだ。それに、絶滅していて既に存在しないともいわれる。これらについて、関係者に会って論を進める著者の思いを知るのが面白い。(以前入手した、世界のオオカミを扱った写真集「オオカミと野生のイヌ」(菊水健史監修)には、ニホンオオカミが扱われていない。)

2018年11月28日水曜日

ウォーキング教室(第1回)

ものごとを始めるには、きっかけが必要だ。それも、みんなと一緒に始められればなおよい。そんなとき「ウォーキング教室」のイベントがあって参加した。講師は、NTTの病院でリハビリテーション科に勤務する医療保健学博士の安川生太氏だ。

健康を気にかけて、以前、中高年向け「健康教室」に毎週通ったことがある。私にはだいぶきつく、帰宅するとぐったりしていた。そんなとき、新しく始める会話教室が翌日に当ることになり、健康教室の方を中断してしまった。疲れ具合から、予習もままならないだろうと判断したからだ。
今は、唯一運動らしいものといえば、都心の会話教室に通うことくらい。運動不足をひしひしと感じ、ウォーキングを始めようかと思いついた次第。

今日の教室には、平日午前中となれば集うは中高年ばかり。みな同じような具合を抱えているのだろう。第1回目は、座学と軽い運動をした。
・「元気な身体」: 無理のない姿勢作りについて解説いただき、基本的なストレッチを実践した。(「軽い」はずだったのに、帰宅すればやがて疲れが出てくる)
・「運動機能を保つ」: 歩く際の運動量の目安を解説いただいた。(運動メニューごとに数値があって、「メッツ」という単位量が付されていた)
・「ウォーキング・シューズ」: チェックポイントについて解説いただいた。(① 靴ひもで締める、② かかとが硬いこと、③ 靴底の曲がり位置が足指手前であること)を教えてもらった。

いろいろと興味深い話題があった。次のような事例があったそうだ。「昔のイギリスのバスで、座って運転する運転手と、車内を動いて切符を切ったりする車掌が、その後に心臓病にかかる割合について、運転手の方が車掌より多かった」そうだ。とにかく運動しなさいとアドバイスをいただいた。

2018年11月27日火曜日

科学番組と雑誌

テレビの科学番組でお気に入りは、NHKの「サイエンス ZERO」だろう。最新科学情報を一般向けに分かりやすく解説してくれる。科学に精通したライターや番組担当者と女性アシスタントを含めてナヴィゲーターと呼び、番組テーマに関係する科学者や技術者がその都度ゲスト出演する。びっくりするようなテーマをよく見つけて説明してくれる。しろうとは、そのたび驚くやら感心する。

科学趣味の者には、番組のアシスタントの女性タレント・俳優にも関心がある。初期に出演の「眞鍋かをり」に始まり、「安めぐみ」、「南沢奈央」、「小島瑠璃子」に至るまで、一も二もなく賛意を示す対象となる。彼女たちが、他の番組に出演しているのを見ると、ついつい頑張れと口にしてしまう。間違いない応援対象である。

雑誌「Newton」も応援対象である。この月刊誌が初めて発行されたとき、日本もついにこのようなグラフィック科学雑誌を出版する時代になったと喜んだ。アメリカの「サイエンティフィック・アメリカン」の信頼性と、「ナショナル・ジオグラフィック」の見やすさを合わせ持った雰囲気がした。その精神は今も続いているようだ。最新の、2019年1月号には、大型の2019年カレンダーが付録に付いている。ISS(国際宇宙ステーション)から日本列島の夜景を水平に眺めることができる。特集は、人類の進化「サピエンスのすべて」だ。

昔、科学雑誌といえば、専門家向けに孤峰を誇る岩波書店の「科学」があり、それを追随するように中央公論社の「自然」があった。一般向けには、朝日新聞社の「科学朝日」や読売新聞社の「科学読売」などがあった。その後、日本経済新聞社から日本語版「サイエンティフィック・アメリカン」(現「日経サイエンス」)と、「ナショナル・ジオグラフィック」が発行されると、「自然」、「科学朝日」、「科学読売」などは次々廃刊していった。一般向け科学雑誌には、見せ方が必須と知らされた。
「Newton」は、科学記者が記事作りするものと一線を画していた。グラフィカルなセンスと直感的な分かりやすさの同居なのだ。

ところで、科学者は、「ウォーキング・ディクショナリー」と呼ばれるのを恐れる。大衆受けするタイトルで書籍を出すかどうかが分かれ道のようだった。
今はそんな時代でなくなった。講談社の科学新書「ブルーバックス」が、科学読み物の普及と基盤を作って安定しているし、最近、ソフトバンク系列の出版社から同様の「サイエンス・アイ新書」が出て賑わっている。DTPなど出版のし易さもあって、後は資本力だけなのかもしれない。それにしても、いい雰囲気の時代だ。

2018年11月26日月曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

イ・ソンヒの冬の歌に「キョウル エサン(겨울 애상)」がある。タイトルの「冬(겨울:キョウル)」に続く「애상:エサン」には、「哀想」と「哀傷」の意がある。DONG・A’S「Prime」の韓日電子辞書によれば、
・「哀想」の場合、「悲しい思い」とある。
・「哀傷」の場合、①「人の死を悲しみいたむこと」、②「物事に感じ、哀しみいたむこと」とある。

ネットで、イ・ソンヒのこの歌を「겨울 애상」で検索したが、「哀想」の漢字を付したものが見つからない(ただし、他の歌や詩では使われている)。一方、「哀傷」については、中国のファンが付したのだろうか「哀伤(=哀傷)」の文字が多く見られる。

「哀傷」に「死」のイメージがあるが、イ・ソンヒの歌詞から直接読み取れないけれど、彼女のミュージックビデオに次のような珍しいものがある。・・・雪原で、イ・ソンヒが少女と出会ったのも束の間、やがて少女は幻のように消え、イ・ソンヒが一人歩き進める。遠景に、雪面に倒れるイ・ソンヒ、それとオーバーラップして重なる少女の顔。何とも不思議な映像で、正直どう解釈したらよいか分からない。

漢詩の如く始まるこの歌に、そっと耳を傾ければ、凍るような夜のしじまに残された孤独な影を感じることができる。それには「哀傷」が適切と思う。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)


(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2018年11月25日日曜日

(雑談)思い込み

思い込みほどやっかいなものはない。

インド領「アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島」*にある「北センチネル島North Sentinel Island)」に上陸した米国人宣教師が、外界との接触をかたくなに拒絶してきた住民によって命を無くしたという。(AFP通信「AFPBB」(11/24)記事より)

(*)アンダマン・ニコバル諸島: 思いのほかミャンマー(ビルマ)の南沖に近い。

インド政府は、北センチネル島の住民の意思を尊重して(現代人側から病気感染させぬ配慮などで)、今も接近することなく彼らの生き方に任せているという。現代人と違った、自然と融合した独自の世界観をまるごと保護・尊重しているようにも見える。

大航海時代、領土的な野心を満足できる広大でかつ充分な自然産物があれば、とっくに植民されていたことだろう(結果、島民は歴史から知られることなく消え去ったかもしれない)。幸い、現代は宗教に名を借りた侵食や、進化論的な支配を正当化しない。インターネットは、無謀な行動をすぐに世界に知らせ、多くの目で判断することができる。

善意は、他者の自然観、信仰、言語、生活様式、暦行事といった、あらゆる文化を奪い去るかもしれない。これからも、残念なことだが、心配りもない正義や思い込みから無謀な行動が続くだろう。

2018年11月24日土曜日

「年末ジャンボ」の行列

「宝くじ」は、「誰かが当っている」という事実から、次は自分の番かもしれないと空想や期待をふくらませる。

銀座にある宝くじ売り場の行列は有名。一等の当り券がよく出る店であり、夢に限りなく近づける場所だ。とはいえ、当選に見合うだけ、大量に売っているからだろうけど。

どんな人たちが並んでいるのだろう。毎年、大型の宝くじのたび来ているのだろうか。大金が腐るほどあれば、私もこの列に紛れ込んでいたかもしれないけど。

「宝くじが当ったら」という話題に、何に使うか?とか、 ひと(他者)に話すか?といったものがある。昔は、鉱物採集で遠隔地に行くのに便利なキャンピングカー欲しいなんて思い描いた。ひと(他者)に話すのは危険などと思ったが、すべて妄想。そして今は、出歩く距離が縮まったせいで、宝くじ売り場に行くこともない。一等当選の夢を見ることもない。

宝くじは、落語「芝浜」のような人情のあるよい出会いをするわけじゃない。ありがたみも分からぬ大金は、結局身を持ち崩すんじゃないかと、見上げながらも止めとこうと思うのであります。

2018年11月23日金曜日

勤労感謝の日 2018(大学祭)

今日は収穫を感謝する宮中の祭祀「新嘗祭」であり、一般に勤労を感謝する祝日「勤労感謝の日」として知られる。アメリカの「感謝祭」(11月第4木曜日)と同様、収穫に感謝する。
ゆるい陽射しの中、先日(11/19)のブログで触れた、東京外国語大学の「第96回 外語祭」に出かけた。午後3時過ぎ、構内は大勢の客であふれていた。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”、”外語祭”、”学園祭”、”大学祭”)

まず人混みを避けて、会場奥手から覗くことにした。中央アジアのウズベキスタンやキルギスタン方面に関心ある学生たちが開く売店や展示イベントを訪ねた。

現地留学した学生が収集した、ソ連時代のピンバッチが多数販売されていた。その中にロシア・ソ連の詩人「セルゲイ・エセーニン」のものがあって購入した。なるほど詩人の人気振りがうかがえる・・・でも、どんなタイミングで着用するのだろう。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

また、学生たちが保存・管理しているキルギスの民が草原で使用する(テント中央に支柱を用いない)移動式住居「ユルタ」に入って、住居の解説を聞く。合わせて、ウズベキスタンの二弦楽器「ドゥタール」他の演奏を聴く。(素朴な伴奏楽器の気がしたが・・・Youtubeを「uzbek dutar」で検索すれば凄い)

ところで、回廊施設下に展開された数ある屋台のなかで、チェコ関係の売店があり、なぜかポーランドのホットチョコを売っていた。ホットチリペッパーを足して飲む。売り子の学生から、昨年、イディッシュ語を学んだと話を聞いた。

次に、ポーランド関係の売店で、代表的な菓子であるラズベリージャム入りのドーナッツ「ポンチキ」を求めて食べてみれば、どこかで口にした記憶がよみがえる・・・というか、日本で当り前に口にする菓子だと思った。

(余談)
菓子ポンチキは、Wikipediaによれば「ポンチェック」の複数形とある。関係ないけど、韓国にトロットから派生したというべき元気な音楽に「ポンチャック」がある(歴史から消されそうで心配・・・Youtubeでご覧あれ)。歌手のイ・パクサを見るたび、ジャンルは違うが、千葉県の「ジャガーさん」を思い出す。

2018年11月22日木曜日

Yiddish語 2018秋-8 (小雪 2018)

今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。小雪とは名ばかり?で、小雪が降ることもなく、また寒くもなかった。天気予報で、雨が降るとされ、昼過ぎ ⇒ 午前中とその時刻が変わっていったが、実際は昼にわずか小雨がぱらついただけで心配するほどもなかった。体が冬のモードに慣れてきたのかもしれない。イディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”小雪”)

イディッシュ語の授業は、先生の工夫をいただき楽しく進められた。イディッシュ語だけの授業で、知った単語がいくつか聞こえてくると何だか理解した気になってしまう。・・・気楽というか、呑気というか。

ユダヤ教の行事である(エルサレム神殿奪回を記念する)「ハヌカ」の祭りで、子どもたちの祝い歌「חנוכּה אױ חנוכּה」(Chanukah oy Chanukah)について学んだ。① ハヌカの遊びの独楽(ドレイドル)回し、② じゃがいも料理の「ラトケス」、③ 8本のローゾクに火を灯すことなど解説を聞く。

ハヌカの行事は、今年(2018年)は12月2日~10日、来年(2019年)は12月22日~30日に当り、くしくもキリスト教のクリスマス時期と重なる。そのため、このユダヤ教の祝いに、クリスマスのように子どもたちが楽しむ工夫があるとのこと、そんな説明をいただいた。

最後に、ユダヤ教のさまざまな行事カレンダーについて聞く。イディッシュ語を理解するため、その歴史と精神文化の背景を知ることが大切と今更ながら確認する。その広さと厚さを、ちょっとだけかいつまんだに過ぎないが、もっともっと知りたい想いがする。

(追記)
教室の帰り道、お茶ノ水駅に出て古本屋巡りしたが、若いころのような興奮が湧かない・・・とても残念なこと。途中、映画資料の豊富な古本屋で、新宿にあった日本アート・シアター・ギルド発行の雑誌「アート・シアター」(15号)特集の「僕の村は戦場だった」(監督アンドレイ・タルコフスキー)を購入した。

(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)

2018年11月21日水曜日

(雑談)通り道で二つのこと

陽が傾くころ外出した。西陽のまぶしい通り道を一匹の若い猫が悠々と横切った。視線を歩みのまま保ち、周囲に臆することはない。堂々とした振る舞いだ。小型トラックが迫って来ても一瞥もしない。むしろトラックの方が、猫の渡り切るタイミングに合わせてスピードを緩めた。

よく、夜行動物が夜道に飛び込み、自動車のヘッドライトに照らされて足が止まることがある。光に反応して硬直するからといわれる。夜も行動する猫だが、明るい日中の行動は動じることがなく動き続けるように見える。たいしたものだ。

横丁を曲がったとき、狭い道幅いっぱいにトラックが止まっているのが見えた。ある住宅の解体工事中で、その廃材をトラックに積み込んでいる最中だった。何度か通ったことのある道なのに、以前どんな家があったか検討もつかない。考えてみれば、そんな例はしょっちゅうだ。

トラックの横を通り過ぎようとしたとき、荷台の上と下で二人の男が大声で話していた。でも言葉が聞き取れない。ヘルメットを深く被っていたので気付かなかったが、どうやら彼らは外国人だった。最近、工事現場で外国人労働者が働いている光景をよく目にするようになった。

日本が将来どうなろうとも、はっきりいえることがある。猫は昼間に悠々と道を横切るだろう。

2018年11月20日火曜日

狐(キツネ)と人と北海道

北海道のキツネといえば「キタキツネ」を思い出す。私の若いころ、フィールドに入ってキタキツネを観察した獣医師がおり、結果としてキタキツネの写真家となった竹田津実氏の写真集がなつかしい。当時、キタキツネはブームになり、親子のふれあい、幼い子キツネの成長など原野をバックに美しい写真におさまっていた。

(本ブログ関連:”キツネ”)

そのころからキタキツネに一種ロマンのようなものがあった。「キツネ」は、ヨーロッパや日本の民話に見られるような、ずるくて人をだますといった生き物ではなく、いってみれば、自然保護の指標として、動物愛護の先鞭となったのかも知れない。

インバウンドで、欧米人の観光客が増えて訪れるという「キツネ村」が東北にあって、今の時代だからだろう、やたら愛情いっぱい接して自撮りする様子をテレビなどで目にする。本来野生の動物であり、人間と敵対していた関係なのに不思議な光景だ。ロシアの実験で、キツネの飼育(家畜化)を繰り返すと、中にイヌのような毛並みに変わり、色違いの模様をするものが出現して、人になつくという。飼育者に、愛されることを無上の喜びにするという。

(本ブログ関連:”キツネにかかわる伝承の分布”、”(雑談) 狼 ⇒ 犬、狐 ⇒ ?”)

ところで、山の神信仰について、東北へ行くほど「稲荷信仰(稲荷神)」が多いという。書籍「山怪」(田中康弘)によれば、北(=東北)へ行くほどキツネの話題(怪異譚)が同様に多いそうだ。その「山怪」シリーズの「参」に、北海道の場合を次のように説明している。
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北海道では狐に類する話はほとんど聞くことが出来ないようだ。キタキツネは悪さをしないのだろうか。
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(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

北海道とお稲荷さんの関係について、朝日新聞に、米作普及の歴史的観点から説明した記事「神仏編 狐とお稲荷さん」(2017年2月24日、文と写真・塚田敏信)がある。同社らしい表現もあるが、時代経過からそうだろという感がする。(抜粋)
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稲荷を追っていたら気になることが出てきた。道内で稲荷神社の名が多いのは、道南から日本海を北上するラインと胆振日高などの沿岸部。つまり海沿いの町なのだ。稲荷の原点は“田”。なのに現在稲作が盛んな空知や上川にはむしろ少ない。どうしてだろう

水田が北に広まったのは開拓からしばらくしてのこと。それらの土地では別の神がまつられ、稲荷が根づいたのは、比較的早い時期に和人が入った海沿いの地域だった。思わぬところからも見えてくる北海道の姿。だからまち歩きは面白い。
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2018年11月19日月曜日

学園祭

来週の韓国語会話教室は、大学祭の近傍らしいため、休講と念を押された。今週水曜日(11/21)から来週日曜日(11/25)まで開催されるようで、せわしいようだ。次回の教室は月曜日(11/26)なので、重なってはいないけど。後片付けなど余波?があるせいかもしれない。

大学のある地元ローカル紙「調布経済新聞」に、「府中・東京外国語大学で学園祭 首都圏の大学祭『1位獲得』の人気学祭」(11/19)というタイトルで記事が出ている。人気ランクの情報源は、都内のイベント情報サイトによるもののようだ。今晩、教室へ向かう途中、構内通路にロープが張られたりして、それらしい動きがあるようだ。

社会人向け会話教室の縁があって、ここ数年出かけている。ほんの少しだけど、若者たちの雰囲気を知るよい機会にもなっている。

語学専攻別の学生たちによる「語劇」という演劇がある。字幕つきなので、選んで見るのも面白い。また、回廊のある中庭に、語学専攻別の学生による国別の食べ物屋台が登場する。大学独特のもので、一見一食の価値がある。

2018年11月18日日曜日

野川の源流

都心から郊外へ向かう電車の中で、急にヒンヤリさせる「武蔵野台地」らしさを気付かせる地点がある。都心と台地の高低差による気温の変化なわけで・・・と記しながらふと気付いた。今の電車は、空調が効いて窓を開ける必要がない(実際、窓は開かない)ため、若い人に分からないかもしれない。
昔の電車は、夏など車内が蒸し暑くなると、窓を開いて外の空気を取り入れたりしたので直感的に理解できたことだが・・・。

現在の都心は台地の下側に広がる。古い地名に「谷」(つまり崖の下)があれば、台地との境界を示すことになる(四谷、渋谷、下谷など)。東京の西側にある台地は奥に進めば高度が増すわけで、普段でも都心と比べて気温は低い。

そんな都心の低地をスリバチに見立てて「東京スリバチ地形散歩」(皆川典久著、洋泉社)という本がある。「多摩武蔵野編」を去年の暮に購入したが、読むだけで台地散歩に至っていなかった。(武蔵野台地の境目である崖を示す)「国分寺崖線」に沿った代表的な川(小川だが)に「野川」がある。野川の源流をたどり、湧水地を見ることにした。

といっても大げさなことではない。まちおこしの協会が主催する「野川の源流を探ろう!」に参加したのだ。国分寺駅前に集合(午前10時過ぎ)、湧水場所や史跡を巡って、日立中央研究所内の大池そばにある湧水場所で解散(12時30分過ぎ)した。次の行程だが、地図上のイメージと違って先々に起伏があり、私の足腰ではいささか難儀した。
 ・お鷹の道
 ・真姿の池
 ・史跡(武蔵国分寺跡)
 ・姿見の池  ←・・・・ 今回初見のはず?
 ・大池(日立中央研究所内) ←・・・・ 今回初見!(年2回同所公開とのこと)
あらためて、丁寧に解説いただいたスタッフの方々(同じほどの年齢とお見受けするが元気!)に感謝。

2018年11月17日土曜日

対流

街のハンバーガー屋で(ホット)コーヒーを、最初の一口飲んだとき火傷しそうになることがある。フッと息を吹きかけても冷めることはなく、コーヒーメーカーで熱せられた高温のままのようだ。思い当たる節がある。マグカップに入ったコーヒーを家庭用電子レンジで温めたときもそうで、熱さに揺らぎがないのだ。

ショップや家庭用電子レンジの湯沸しは、高温で恒温状態に暖められ、熱が(冷めないほど)均一になって「対流」がない。そのため、風味や触覚の揺らぎも発生しない。どんなも美味でも、平盤なものには魅力がない。微妙な変化があってこそ魅かれるものだ。

ところで、冬の冷え込みに部屋をエアコンで暖めたが、温もりが単調で飽きがくる。ガスストーブを加えれば、温もりに尻尾があるように室内を巡るのが分かる。対流の妙味は、変化を感じとれることだ。(あえて低速の扇風機を回したりすると埃が舞う。空気清浄機も必要になる)

均一で単調なものは苦手だ。人工的平盤さに不自然を感じるからだ。わが身四方に一律でない変化があってこそ自然であり、微妙な変化の兆しを感じとれてこそ生命力なのだと思う。ハンバーガー屋のコーヒーに、熱の微妙な揺らぎを(スマイル以外に)「0円」でサービスして欲しいなんて思ったりする。

2018年11月16日金曜日

マーベル、マーブル

今日の残り時間がない。いつもは聞かない深夜のラジオ番組に耳を傾けて、はっと気付いた。

アメリカのコミック「マーベル・コミック」にさまざま登場するキャラクターの原作者で、先日(11/12)亡くなったスタン・リー(Stan Lee、本名:Stanley Martin Lieber、1922年~2018年)の回顧番組に、小野耕世氏(1939年~)が出演された。

マーベル・コミックについては、パルプ・マガジンのイメージがするが、スタン・リー作のキャラクターは現代的な今風の個性を持っているそうで・・・映画の通りか?

ところで、マーベルといわず、しきりに「マーブル」と語られた。1980年代にそうだったようだが、とはいえパルプ・マガジンまで戻れそうもない。

いろいろと語ってもらいたい、生き字引の語る番組を願いたい。

2018年11月15日木曜日

Yiddish語 2018秋-7

日本の電車で乗客がよく転寝する姿を、欧米人には信じられないそうだ。でも、体験すれば分かると思うよ、これほど心地よいものはないのを。

今日、イディッシュ語教室通学路の地下鉄座席で、何度も転寝を繰り返してしまった。教材が入って膨らんだカバンを膝に置き、それを覆うように両手を繋いで固定しだが、気付けば繋いだ手が解けている。・・・何度も繰り返した。

ところで、今日の授業は、いつも先導してくれるクラスメイトがお休みのため、(今秋期に初参加の方も含めて)残りのメンバー共通理解のために <動詞の活用>の総復習をした。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

これから先、電車の中で転寝して目が覚めたら、いろいろな言葉を流暢に喋れるようになるという奇蹟が起きないものだろうか。何度も眠っているが、一度もそんな体験がないが・・・願っている。

2018年11月14日水曜日

2018年 第69回「NHK紅白歌合戦」出場歌手

大晦日に恒例の歌番組、「NHK紅白歌合戦」の本年度出場者リストが発表された。紅白という男女に分けて歌を競い合うスタイルが欧米にないと識者はいう。でも、69回も続けばそれはそれで一つの文化だ。日本人はそんな舞台が好きなのだ。

とはいえ、歌への感度が鈍くなったせいか、歌番組を聞くことはない。最近、「NHK紅白歌合戦」を聞くことも減った・・・億劫になったといってもよい。ところが、出場歌手が決まると気になるものだ。時代感覚のずれを知る一種のバロメーターとして、つい歌手名を確認してしまう。

(本ブログ関連:”紅白歌合戦”)

ということで、次の出場歌手リストで、知っている(聞いたことのある)歌手に「○」印を、名前だけ知っている歌手に「△」印を勝手ながら付けさせていただいた。

朝日新聞の記事「紅白歌合戦の出場歌手発表 DA PUMPは16年ぶり」(11/14)より

【紅組】
【白組】
aiko(13) 嵐(10)

あいみょん(初) 五木ひろし(48)
いきものがかり(10) EXILE(12)
石川さゆり(41) 関ジャニ∞(7)
AKB48(11)
King&Prince(初)

丘みどり(2) 郷ひろみ(31)
欅坂46(3)
Suchmos(初)
坂本冬美(30) 三代目 J Soul Brothers(7)

島津亜矢(5)
純烈(初)

Superfly(3) SEKAI NO OWARI(5)

DAOKO(初)
Sexy Zone(6)
天童よしみ(23) DA PUMP(6)
TWICE(2) 氷川きよし(19)
西野カナ(9) 福山雅治(11)
乃木坂46(4) Hey!Say!JUMP(2)
Perfume(11)
星野源(4)
松田聖子(22)
三浦大知(2)
松任谷由実(3)
三山ひろし(4)
MISIA(3)
山内惠介(4)
水森かおり(16) ゆず(9)

Little Glee Monster(2) YOSHIKI feat.HYDE(初)




9 8
6 5

それにしても、何かしてもしなくても一日が終わり、あっという間に一年が過ぎる。あっけないものよ!

2018年11月13日火曜日

冬の公園に桜が咲いていた

2週間ほど前、ある公園の脇を通ったとき、園内に白い花が咲く木立が見えた。おやと思うまま過ぎてしまったので、多分あれは桜だったろうと確信のないまま終わった。枝振りから梅の木ではなかったし。

曇り空で明かりも鈍い今日の昼過ぎ、別の公園にだが出かけた。肌寒い平日のせいか、遊歩道を歩く人影もなく閑散としていた。この時期になれば、枯葉ばかりが目に付く。そんなとき、グラウンド横に、先日見たのと同じ白い花が咲いていた。
近づいて見れば、白い八重桜だった。ひっそり咲く、勝手にそんな思いで見るからかもしれないが、どこか弱弱しい風情がした、

まだ若い桜の樹が二つ立っていた。それぞれの横に解説の案内板があり、一つには「子福(こぶく)桜」、もう一つには「十月桜」の名を記して説明が書かれていた。共に秋から冬にかけて花を咲かす栽培品種とのこと。花弁は薄くわずかな風に小刻みに揺れた。

冬咲くことを定められた公園の桜に、栽培品種の寂しさを感じてしまうのは思いすぎか。公園にもっと人出があって賑やかな中で見たら、違った感想をしたに違いない。

2018年11月12日月曜日

帰り道のもの影で

今日は昨日より冷えると、テレビの天気予報で気象予報士がいった。とはいうものの「例年と比べて暖かい」と付け加えられた。なるほど、韓国語会話教室の帰り道、夜道は思ったより寒くなかった。重装備に近い防寒着も、あてが外れたよう。

風もない帰り道、外灯の影で若い母親が幼い女の子をママチャリの後部座席に乗せるのが見えた。こんな時間にと思った。夜9時過ぎだ。保育園に預けていたのだろうか、なぜかいろいろと気になった。普段から、ママチャリに子どもを前後に乗せて走る母子の様子に、思わず「頑張って」と口ずさむ。歳をとると、そういう思いが強くなる。

ところで、子どものころ、父は自分だけ見る映画があって、母に嫌味をいわれていた。今は無いジャンルで「母子(ははこ)もの」(或いは母物映画)という、戦中・戦後の経験の中で生まれた女性像、母子家庭を描いたものだ。誰もが共有した時代があったからこそ、働き場所を限られた中でも健気に生きる母子に観客は涙した。(ネットに研究者の論及があった。当時の観客たちの時代の経験と心情をふまえて、それぞれの立場まで肉迫したか気になる。)

勝手な想像は許されないけど、あのときもの影で見た母子(ははこ)の姿に一瞬で反応してしまったのは、もしかしたら、父に何度か連れられて見た、三益愛子の映画の一場面が蘇っただけかも知れない。

2018年11月11日日曜日

魔法瓶が降りてきた:小型回収カプセル(HSRC)

地上400Kmを回っている「国際宇宙ステーション(ISS)」と、「約6トンという世界最大の補給能力」を持つ、JAXAの宇宙ステーション補給機「こうのとり 7号(HTV7)」が、9/28に接続した。約41日間の係留後、11/8に分離、本日の11/11に大気圏再突入して使命を完了した。その際、同補給から「小型回収カプセル(HSRC)」が放たれ、南鳥島周辺の太平洋上に着水し回収されたという。

(本ブログ関連:”こうのとり 7号”)

小型回収カプセルは、タイガー魔法瓶が開発した真空二重容器で、まさに魔法瓶メーカーのお手の物だ。その詳細は、産経新聞(11/11)の記事に「カプセルはISSの日本実験棟『きぼう』で作成されたタンパク質の結晶と金属酸化物の試料計約1キロを収納した。円錐(えんすい)に近い形状で直径84センチ、高さ66センチ。試料の鮮度を維持するため、内部を4度に保つ保冷剤が入っている。」と記されている。

(本ブログ関連:”タイガー魔法瓶”)

また、再突入に当っては、「今回のカプセルはエンジンを噴射して姿勢を制御しながら減速し、試料への衝撃を和らげながら降下できる。」(11/11)とのこと。

カプセルというより魔法瓶がといった方が馴染みやすいのだが、それを前面に出したニュース記事タイトルは見当たらない*。でも、開発会社がタイガー魔法瓶と聞いて以来、なんだか空から魔法瓶が降りて来る気がしてならない。

(* )追記:おっとっと、ありました !!
FNN Primeの記事「“究極の魔法瓶”地球に帰還 米ロに続く3カ国目の技術」11/11に関連の動画像が掲載されている。

2018年11月10日土曜日

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」

「流行歌」という言葉が隠れて久しい。昔、誰もが耳にした、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」(作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃、1972年)の歌は、子どもから年寄りまで口ずさむことができた。私たちはそれを流行歌と呼んだ。

流行歌は、レコードやテレビから繰り返し聞こえ、歌詞カードや字幕なしに親しまれた。電化製品が「家電」から「個電」へと細分化された結果、音楽も共有するものから個人のものへと変わっていった。音楽はいつの間にか、ヘッドホン(或いはイヤホン)の中で響き、足の早い消費物へと変質したようだ。

時代は、二、三十年のサイクルで大きく変遷する気がする。時代の変化は、その後に継承されることもあれば、また振り出しに戻ることもあるようだ。時代(或いは世代)を表す重要なキーワードがいつのまにか消えうせ、実は旧態のままだったりする。さいころは何度も振り返されるようだ。伝わらぬ無念さをひしひしと感じることもある。

冬に思う歌といえば、誰もが口にした(歌いたくても難しい)流行歌がある。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、1977年)だ。北へ帰る、演歌の定番とでもいうべきものだ。そして、津軽海峡の言葉から冬景色をはずすことができないほど、彼女の抜きんでた歌唱力は、この作品を別段に乗せた。

(本ブログ関連:”石川さゆり”)

当時、次のYoutubeを見れば、粗忽なファンは彼女のイメージを追ったかもしれない。けれど、彼女はそんな騒ぎを超えて、歌本流を昇っていった。歌謡界の大きな柱を担う存在として。


(Youtubeに登録のblue birdに感謝)

2018年11月9日金曜日

大江戸三文オペラ

イディッシュ語のクラスメイトに音楽家(歌手と演奏家)がいて、今晩、表記タイトル「大江戸三文オペラ」のコンサートに出演された。都会のイベントのため、帰宅したのが深夜の24時直前。今日の日付だけでも残しておきたいと慌てて、この出だしだけ記す・・・詳細は後で。

ひとまず、11月9日のタイムスタンプが付いて一安心。

戦前戦後を通じてドイツで活躍した劇作家の歌を、日本語歌詞で表現された。いつも教室で明るく活発な方だけに、ステージから伸びやかな歌声が会場に広がる。みなは、その声に合わせて体を揺らせ聞き入った。

教室の仲間も客席にいて、コンサートの最後に一緒に、”bravo”(【yshr-koyekh】ישר־כּוח)を叫ぼうと申し合わせたけど、日本語・ドイツ語・英語などと歌が続いた後では、さすがに気が引けた。イディッシュ語で声を出す必然性がないのだから。次回の教室で叫ぼう。

2018年11月8日木曜日

Yiddish語 2018秋-6

ネットで話題になったことだが、或る作家が、昔の農民(百姓)がどんなものを食べていたかを記した内容について、学校の歴史教師が批判したという。外野から見て気になったのは、その教師が、学校が在る地元の郷土史を普段参照しているのだろうかということだ。

私の記憶では、学校の歴史授業で郷土史を語ってくれた教師はいなかった。自分たちの先祖の生活に戻って過去の一端を探れば、歴史が身近になったのではと大変惜しまれる。その上で、歴史教育家たちの作った教科書に戻って語れば、歴史が具体的になった気がするのだが。

江戸時代に開発されたこの地は、乾いた台地上にあり、小麦、野菜くらいしか作れず、水田は台地の下を流れる小川を囲むわずかな場所にしかなかったという。そんなわけで、生活は苦しく、日常の食事は雑穀が主体だった(うどんはハレの日ぐらい)。それは、明治大正期ころまで及んだという。
当然、江戸の時代に、長男以外に土地は相続されず、次男三男は家付きのまま一生独身で過ごすか、江戸の町に出るしかない。才能のある者は、運がよければどこかの農家の養子になって跡を継ぐことができた。

(本ブログ関連:”小麦”)

私たちは運がいい、そんな過去から生まれ残ったものであり、今この世界の中で驚くほど豊に暮らしている。私たちが口にする正義が、どんなに運のよいものか。

おっとと、今日のイディッシュ語の授業について記すはずだったのに・・・前段が長過ぎたようで。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

授業の前半は、慎重な女性とお気楽な男性の会話。内容を噛み砕くように、ゆっくりイディッシュ語のみのスタイルで解説いただく。せっかくのストーリー、先生の筆力でユダヤジョークらしい風味が増しているというのに・・・その面白さに、直ぐに気付けぬ残念さ。

後半は、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」の中から、男の子が、我がまま半分に、お母さんへ食べ物ねだりするといった内容。登場する男の子と女の子、どちらが年上なのやら、教科書のあちこちの場面で、二転三転するのが面白い。

そんなわけで、頭の中は柔軟体操になってしまい、帰りの地下鉄で転寝し放題だった。

2018年11月7日水曜日

立冬 2018

今日、カレンダーでは二十四節気の「立冬」、<冬の気配が始まる>ころという。旧暦の9月がようやく終わり、明日から10月となって「冬」が始まる。ところが新暦の現代、(日常実感する季節の)「冬」と、「立冬」が連動しない。次の【月別の季節区分】のように、12月までおあずけといった方がよい。

【月別の季節区分】
・冬 : 新暦 12月~02月、 旧暦 10月~12月
・春 : 新暦 03月~05月、 旧暦 01月~03月
・夏 : 新暦 06月~08月、 旧暦 04月~06月
・秋 : 新暦 09月~11月、 旧暦 07月~09月

(本ブログ関連:”立冬”)

今日もそう、都心の最高気温は20℃で、テレビ各局の天気予報で「暖かい一日だった」と語られた。実際、例年の立冬はさほど寒くない。去年は少し冷えたが、それ以外の年は若干おだやかであることが、goo.net 天気の「東京の過去の天気 11月7日」を見ると、20℃超えが意外に多いのが分かる

とはいえ、日向と日陰の気温の落差は激しく、日沈があっけないほど早い立冬。冬が始まったといえばそのように思える。

2018年11月6日火曜日

イ・ソンヒ 「一輪菊」

この時期(先月中旬~今月にかけて)、東京のあちこちで「菊祭り」が開かれているという。花を愛でることが主眼で、栽培者の丹精込めた菊の花が陳列されているようだ。

子どものころ、親父に連れられて「菊人形」の祭りに行った記憶がある。菊の花を観賞するというより、その名の通り(昔の百貨店の和服売り場に立っていたような)人形の顔や手足、或いは衣服だけ残し、他を小さな菊の花で覆うといったもの。無表情で遠くを見るような眼差しが気味が悪くてしょうがなかった。正直、いまだに馴染めないでいる。

そのせいか、今も菊人形のイメージが重なって、菊祭りに足が進まない。もちろん、たたずむ一輪の菊の花に、凛としたおもいを感じるのだが。

ところで、イ・ソンヒの歌に、9集収録の「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン、1994年)がある。この歌の軽快さは一体どこからくるのだろう。韓国の代表的「KY(クムヨン)カラオケ」のリストにもある由し。

一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
小さな花瓶の中で一輪の菊  この世の憂いを洗ってくれる
黄色い花びら差し出した顔  ささやくように愛を語るよ
一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
あ~

(本ブログ関連:”一輪菊”)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2018年11月5日月曜日

(雑談)タコ焼 - 続

今日も、韓国語会話教室の帰り道、路肩にポツンと立つタコ焼屋に寄って、ひとパック購入した。夜の空気は思ったほど冷え込んじゃいないけど、前回(購入)のときの反省から帰宅して電子レンジで温めた。あちっちと息を吹きかけ、冷ましながら食べる。それでも熱くて、上歯茎の裏を火傷する。

(本ブログ関連:”タコ焼屋”)

今回もマヨネーズを遠慮し、なおかつ青海苔も断った。するとタコ焼屋の主人は、ソースを塗った上に鰹節をふわりとかけたのだ。
「実は、鰹節もいらないんだけど。あれもこれもいらないというと変な客扱いされても・・・」と語ったところ、
主人に「青海苔よりも、鰹節の方が香りが強いんですけどね」といわれた。

本当は、何もない方がお気に入りで(更にいえばソースもいらない)、タコだけで十分だ。

次は、「ネギ焼」にチャレンジしたい(これは、完全に祭りの屋台の出し物)。ちなみに、生地は薄く、ネギはほどほど。ネットを探したところ、いろいろと盛り合わせしているが、あっさり、すっきりが肝要。自分で作るしかない。

2018年11月4日日曜日

映画「新しき世界」

無料で映画を見られる、動画サイト「GYAO」はありがたい。どれにするか選択する前に、趣向の合わないものを避けたくて、まずはユーザーレビュー(ネタばれしないもの)をつい参照してしまう。評判よいものに間違いはないと信じている。

そこで選んだのが、韓国映画新しき世界신세계)」(2013年)だ。日本タイトルは、わざわざ「新しき世界」と銘打っているが、原題は「新世界」。当然ながら、百貨店の名前ではではない。

ヤクザの内部抗争の兆しを嗅ぎ付けた警察幹部の一部は、ヤクザ世界を一掃しようと、「新世界プロジェクト(신세계 프로젝트)」と名付けた作戦を開始する。ヤクザ組織に潜入した警察官を、駒のように扱い、窮地に追い込むことを厭わない非情な警察上司、一方で、潜入者の正体を知りながらもなぜか許容するヤクザの「兄貴」、華僑人脈などさまざまな人間模様が描かれる。卓上に並べられたトランプカードが、次々とあっけなく裏返しされるように変転する。

韓国映画独特の殺伐とした暴力シーンもないではないが、それを前面に押し出すこともなく、微妙な人のつながりを描く。映画の柱でもある、気のいい「兄貴」と潜入者との間に通じる信頼に興味が引かれる。カードの裏になるのは誰かも分からない、先行きの読めない展開に時間を忘れて見入ってしまう。久し振りに映画を堪能した。

監督・脚本
パク・フンジョン
出演者
・イ・ジャソン(潜入者:警察官): イ・ジョンジェ
・カン・ヒョンチョル(上司:課長): チェ・ミンシク
・チョン・チョン(兄貴): ファン・ジョンミン

2018年11月3日土曜日

文化の日 2018

あまりに代表的な祝日のため、ブログの11月3日に、「文化の日」についてしっかり記したのは、わずか2回しかなかったのに驚く。なにしろ、文化の日にふさわしい「文化勲章」に触れるほどつまびらかでない・・・文化に疎い、文化的でないからといった方がよいかもしれない。

(本ブログ関連:”文化の日:20152016”)

今日、皇居で行なわれた文化勲章の親授式で、天皇陛下から勲章が授与されたのは次の方々という。(日経新聞記事(11/3)より)
・劇作家で評論家 山崎正和氏(84)
・作曲家 一柳慧氏(85)
・京大名誉教授で情報工学 長尾真氏(82)
・陶芸家 今井政之氏(87)
・東大名誉教授で租税法学 金子宏氏(87)

このなかで、山崎正和氏の「室町記」を遠い昔に読んだ記憶があるぐらいで、一柳慧氏は現代音楽家として名前だけ、他の方々は皆目存じあげない。そんな程度では、文化の日についてブログに記せるわけもない。

Googleニースのトップニュースに、文化勲章の親授式があげられてなかった。新聞大手紙のネットのindexページにも見当たらない。実際の紙面を見てないので何ともいえないが、いろいろと気になることである。

2018年11月2日金曜日

カレンダー

今朝になって、月表示のカレンダーを11月にした。日めくりカレンダーは、毎日替えているため、日ごと薄くなってゆらゆら揺れる。月表示カレンダーも、最近、新しいのに替えると、左右に揺れるようになった。年の瀬のあわただしさを予感する。

(本ブログ関連:”カレンダー”)

「平成」最後の年末、残り2ヶ月しかない。和暦は不思議なもの。昭和、平成と生きて、人生の区切りを知らされるようだ。もちろん短い元号もあったけど、次に記したように、3代生き続けるのは難しい。
明治(1868年~1911年)・・・ 44年
大正(1912年~1925年)・・・ 14年
昭和(1926年~1988年)・・・ 63年
平成(1989年~2018年)・・・ 30年

語学教室の開始ぎりぎりに着席するのがせわしくて、いつも早めに行く。昨日もそうだった。ところが腕時計を見間違えて、早く到着した。事務局の方の特別のはからいで、教室に入らせていただいた。
日頃、時間(数字)に縛られるのはいやだと言っていたはず。時計の数字に惑わせられ、カレンダーの数字に圧迫される。数字なしの生活をしてみたいと想像するが、実は家中にカレンダーがある。

カレンダーを語るたび、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)にいつも頼ってしまう。明るくはち切れんばかりのオールディーズを耳にしたい。
ところで、ニール・セダカとは、イディッシュ語を少しかじったことで旧交を温めた感じだ。彼には、イディッシュ語の歌もある。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)


(Youtubeに登録のAK47banditに感謝)

2018年11月1日木曜日

Yiddish語 2018秋-5

数の数え方(数詞)は、その文化を示すもの。位い取りや、更にいえば何進法を基準にするかといった微妙な違いまである。やっかいなのは、発音がリエゾンしたりすると皆目分からなくなる。今日のイディッシュ語教室は、まずは位い取りの基本について教えていただいた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

先週、ユダヤ人作家(小説家、詩人)、ジャーナリスト、画家といった著名人のリストが渡され、彼らの生没年とその地名、業績分野などを調べる宿題があった。この宿題、じつはみんなに大変好評だった。ネットで調べるうち、リストにあげられた人々の人生が見えてきたからだ・・・国境を軽く超えたこと・・・もちろん、それには大きな理由があったのだけど。

今日の授業は、宿題の成果をもとにして、チームを組み、各自、調べた人物紹介をロールプレイした。もちろん、あらかじめ先生からチャット例を解説いただいた上でのことだが。

教室では、別に、イディッシュ語交流のためのちょっとした作業があった。アーティストがクラスメイトにいるという幸運に恵まれて、素晴らしいものになった。

2018年10月31日水曜日

ハロウィンの夜に

今日(10/31)の「ハロウィン」の夜に、悪霊(死霊)がやって来るそうだ。日本なら、仏教行事の盆の夜、祖霊を迎え入れるのだが。キリスト教以前に起源を持つ、精神の古層に沈殿したハロウィンを、キリスト教は拭い去ることができないため、子どもたちの祭りに融合したのだろう。宗教の常套であるが。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ふだんの生活にないものが、ときどきやってきた。大人は、旅芸人、吟遊詩人、瞽女などを迎え入れ、子どもはサーカスの一団に興奮する。サーカスやハロウィンは、SFファンタジーの巨匠レイ・ブラッドベリの舞台である。(ところで、最近の映画は、なぜかピエロが恐怖をもたらすようだが)

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

何かがやってくる。そんな予感は、現実世界でも気付く。逃げ足の速い、嗅覚の鋭いひとがいる。誰よりも巧みに逃げる。ファンタジーとは違う世界の話しだが、多分、広く情報収集能力があり、行動に移せる越境のネットワークがあるのだろう。

(本ブログ関連:”逃げる”)

何かがやってくる不安は、アメ粒一つで追い返せるわけではない。だから、逃げることも重要だ。ところで、年寄りは人生で上手に逃げる。どうやってかって、それは生きている誰よりも早くあちらに逃げるのだ。(こんな軽口をたたける歳になった)

2018年10月30日火曜日

何? 温室効果ガス観測技術衛星

ネットにいろいろ情報があるけれど、素人にとって直感的に理解が難しいものがいっぱいある。

昨日(10/29)*、種子島宇宙センターから、午後1時8分にH2Aロケット40号機で打ち上げられた「温室効果ガス観測技術衛星2号『いぶき2号』(GOSAT-2)」って、一体何なのだろう。
(* 産経新聞記事「『いぶき2号』打ち上げ成功 宇宙から地球温暖化を監視」)

(本ブログ関連:”観測衛星”)

空気中の、二酸化炭素排出量を観測するという。温暖化と炭酸ガスの関係がよく語られるが、結局のところ素人には、温暖化をどのように理解(心配)すればいいのか分からない。

そもそも、温暖化は驚異なのかそうでないのか、そして現在が「間氷期」といわれ、これから気温が下がっていこうというのに、温暖化はそれを打ち負かすほど緊急の驚異なのか ・・・ タイムスケールがわからなくて、実感もないのが本音だ。

長期スパンと別に、短期的に「台風」の性質が大型・強力化しているといった驚異からなのだろうか。

2018年10月29日月曜日

(雑談)スポーツ

スポーツ競技に国境が見えることがある。サッカーの試合などで、素人(にわかファン)にも顕著に見える。自国の応援は妙に盛り上がるものだ。サッカーは、むしろそれを前提(あるいはベース)にしているのかも知れない・・・と思うことがある。

(本ブログ関連:”サッカー”)

サッカーについて経験が乏しい。あえて記憶をたどれば、中学時代、休み時間に大勢で魚の群れのようにサッカーボールを追い、運動場を右往左往したことぐらいだ。現在のサッカーがこんなに隆盛を迎えたのは、私が体験したときよりずっと後のことだ。だから、思い入れが少ないのは致し方ない。

今晩、テレビで放送の「体操・世界選手権」(ドーハで開催)を横目で見ている。体操競技について、いうも恥ずかしいが、高校時代に体操部に少し寄らせてもらって、真似ごとをした経験がある。当時、他校へ、見学に近い合同練習に参加したとき、余りのレベルの差に圧倒されたことがある。その程度の実力であった。そんな経験しかないが、テレビで体操競技を見るとき、他のスポーツと違った感覚がある。

(本ブログ関連:”体操競技”)

不思議なことに、体操競技は(もしかしたら、体操競技独特の価値観かもしれないが)、サッカーなどと比べて国境が見えないのだ。いずれの国の選手であれ、演技の美しさ・端正さ・力強さに素直に賛美を惜しまないでいる。私の場合、全く手が届かなかった世界だからかもしれないが、選手一人ひとりを見てしまう。この感覚は、体操競技だけにしかないことだけど。

2018年10月28日日曜日

(再)韓国の山

(韓国で発行の日本語版)韓国語教材に、「韓国」で一番高い山を紹介する部分があってって、地図を示さないと誤解するかもしれないので、以前触れたが改めて再掲する。

(本ブログ関連:”韓国の山”)

語学教材に、火山の「白頭山」(백두산:2,744m)を <韓国で一番高い山として> 紹介しているが、朝鮮半島全体で見た場合の話であり、実際は「中国」と「北朝鮮」の国境に存在する。

朝鮮半島南側の「韓国」全域で見れば、「済州島」の中央にそびえる火山の「漢拏山」(한라산:1,950m)が最高峰になる。

さらに、「韓国」半島部に限定すると、全羅北道、慶尚南道にまたがる花崗岩質の「智異山」(지리산:天王峯1,915m)が一番高い。(「韓国」として見れば、「漢拏山」>「智異山」>「雪岳山」の峰が有名)

「韓国」内に、2,000mを越える山はない(ちなみに日本は、3,000mを越える山が21山ある)。そのため、山歩きがポピュラーで、中高年に人気であり、そのつもりで日本の高山に挑んで遭難するケースがあった。冬山には危険が潜んでいる。
( ⇒ Google検索「韓国人 日本の山で遭難」)
また、山歩きファッションの中高年一団が、欧米旅行に出かけるといったことがあったようだ。

2018年10月27日土曜日

(独り言)ハロウィン

私用で出かけた先にある駅ビル入り口のたまり場に、「ハロウィン」衣装をした小さな子どもたちグループがいて、そのまわりを母親が取り囲み記念撮影していた。いってみれば、(若い気分を保ちたい)母親が見つけた今時なイベントかもしれない。子どもたちは、別段気にする風もなく、楽しければそれでいいとはしゃぎながらエレベーターで上階へと上がっていった。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

例年見慣れた光景だが、外来のしかもキリスト教以前に起源を持つイベントだけに、「行事」といった伝統は感じられず、根っこにつながりが乏しくて、いまだに違和感を禁じえない。若者たちの浮かれ振りを見るにつけ、昔のクリスマスに三角帽子を被って夜の街で酔い騒いでいた親父さんたちの姿とダブってしょうがない。

「ハロウィン」を「ハロウィーン」と呼ぶのが正しいと、若者がテレビで主張していた。テレビは、若者主導のイベントに追従しやすく、今後「ハロウィーン」と呼ぶようになるかもしれない。私にすれば、「ハロウィン」で押し通すつもりだけど。

ハロウィンは、本来、今月末(10/31)のイベントだが、今年は平日水曜日のため、今日・明日の土・日に、早めに街が騒がしくなるかもしれない。

若者たちがいずれ家庭を持つようになれば、いつかクリスマスのように家庭内の、あるいは地域の行事になるかもしれない。時間がかかるが、待つことも悪くない。

さて、訪問先は私より高齢のご夫妻。ハロウィンにちなんだものでなく、健康重視の蜂蜜セットにした。ハロウィンに戸惑うこのごろ。

2018年10月26日金曜日

山怪 [参]

いつも興味しんしんに読んでいる、山に住む人々に伝わる不思議な話を集めた「山怪」シリーズの第3弾がついに発行された(初版 2018.9.25)・・・今日、近くの書店を巡っていて見つけたのだが。

(本ブログ関連:”山怪”)

山岳関連の出版社「山と渓谷社」は、山の奇談について黒色の装丁をした一連の書籍を出版をしている。ユニークなことだが、それが継続しているのは、私のように山の怪異話に興味ある読者の支持があるからだろう。(特に登山に熱心とはいえない者にも受け入れられているようだ)

久し振りの「山怪 [参]」(田中康弘著)に、挨拶と待ちわびたことを伝えたい。山人の特別な話であるが、その意味を考えさせてくれる。山の自然と調和する中で育まれた(人の)共同性を母胎にした伝承だからだ。山と離れた私たちにも響く不思議さがある。時代の波に削られて、やがて消えていくかもしれないが、いずれかの形で残るだろう。

第1話「優しい狐と幻の椿」に、次のような山人の言葉がある。
「山さ入る時はかならず山神様に手を合わせて入るんだ。いつも猟さ行く時、途中さ祠(ほこら)があるんだよ、山神様のな。そこを超えたらもう山言葉しか使ってはいけねぇのさ」
「その祠から上で赤い椿の花さ見たら山下りねばなんねぇんだ。・・・」

「里言葉」と違った「山言葉」とは一体どんなものなのだろう。そして、「赤い椿の花」が、モノクロ写真のなかに唯一赤色に浮かんで見えるようだ。椿には美しさと怖さがある、五瓣の椿のように。

2018年10月25日木曜日

Yiddish語 2018秋-4

今秋期のイディッシュ語教室は、イディッシュ語だけで進める講義スタイルに一新され、正直、前回まで戸惑っていた。今回、不思議なことに少し慣れてきたような気がした。たまたま今回だけがそうだったのか、それとも一歩前進したのか・・・。
(先生がそのためいろいろと工夫されていたことを、このブログを書くとき、はたと気付くのであります)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日も《נאָר אין ייִדיש (only in Yiddish)》、二つのダイアログを元に、クラスメイトが互いに学習「言語名」や出身「国名」をリストから適宜選んでロ-ルプレイ(対話練習)した。
① どんな外国語を学んでいますか?
② 出身はどちらの国ですか?

宿題に、イディッシュ文化に関わる小説家、画家などのリストが与えられ、それらの人物について調べるという課題が課せられたが、けっこう大変そうだ。例えば、誕生した場所(国)と没した場所(国)・・・時代によって領土や国名が、現在のものと必ずしも一致しないこともあって・・・。

新鮮な気分で一歩を進めよう。

2018年10月24日水曜日

イ・ソンヒ「(映画)『完璧な他人』を見てきました」

イ・ソンヒが、23日午後、映画「完璧な他人(완벽한 타인)」のVIP試写会で写真撮影に応じたと、中央日報掲載の日刊スポーツの記事「イ・ソンヒ『完璧な他人を見てきました』」(10/23、パク・セワン記者)は、写真と共に次のように報じている。

なお、同映画には、イ・ソンヒと同じ事務所「フックエンターテインメント」所属の俳優イ・ソジンが出演しているとのこと。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”、”イ・ソジン”)

Link:韓国「日刊スポーツ」より
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歌手イ・ソンヒが、23日午後、ソウル松坡区新川洞のロッテ・シネマワールドタワー店で開かれた映画「完璧な他人」のVIP試写会に参加してフォトタイム*を持っている。

(*フォトタイム:韓国では「フォトウォールの前に立つ」と呼んだりする)

映画「完璧な他人」は、完璧に見えるカップルの集まりで、限られた時間中に携帯電話に来る電話、メール、カカオトークを強制的に公開しなければならないゲームのせいで起こる予期できない話を描く。来る10月31日に公開。
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ところで、「完璧(완벽)」という言葉は、日本語より語感の幅が広いようだ。例えば、「完璧に見えるカップル」なんていったら、道徳的にもしっかりしたように思われるが。「本物に見えるカップル」と置き換えられるかもしれない。映画ではどんなカップルなのだろう。

街の人混みですれ違っても、なかなか気付きにくいイ・ソンヒの普通さらしさがうかがえる、彼女らしいファッションだ。

2018年10月23日火曜日

霜降 2018

夜道の空を見上げれば、うっすらと白い雲が浮かんでいるのが見える。雲間から深い群青色の天空が覗き、雲に隠れた月齢14.0の月のせいか夜空が妙に明るい。昼の雨跡はすっかり乾いて路面に痕跡はないが、民家の塀の下にわずかに湿りが残るくらい。

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」だが、雨曇りのおかげで<霜>も<木枯らし>も気配がない。かえって、夜になって暖まっている・・・15℃+α だが。(それ以上になるかもしれない)

(本ブログ関連:”霜降”)

このまま行けば、明早朝に最低気温になるだろう。

先々週と先週のイディッシュ語教室の板書情報をクラスメイトからいただいたのを読み直している。授業時にしっかり(?)聞いていたつもりだったのに・・・と反省しきり。

2018年10月22日月曜日

(雑談)タコ焼

世のなかにインスタグラムという写真共有(見せ合い)のサービスがあって、自慢の画像を登録するという・・・インスタグラムもfacebookもTwitterも満足に使いこなせない、時代遅れのおじさんはついついひがみ口調になる。

今日のプライベートで、写真にして載せるようなものがあるだろうかと考えた。

韓国語会話教室の帰り道、いつも気になっていたタコ焼き屋があってフラフラと寄ってみた。今晩は寒い、なにしろジャケットの下に、薄手のセーターを着こんで出かけたほどだ。だから熱いタコ焼きでも口にしたいと思った。

若い二人連れの先客があって、買って直ぐに店先で食べ始め、楽しげに熱い熱いを連発しながら去っていった。私の分ができあがるのを待っ間、タコ焼き屋の主人が「マヨネーズをかけますか」と聞いた。マヨネーズ好き(マヨラー)であるが、タコ焼きはソース味だけでよく、マヨネーズはおろか青海苔もいらない。当然、いらないと応えた。

さて、焼きあがったタコ焼きを入れ物に並べながら、主人はいつもの段取りなのだろう、一列分にマヨネーズをかけ始めたのだ。あっと声をあげると、主人も気付いて取りやめた。後は、取りつくろうような雑談をするしかない。
「マヨネーズって、いつごろからタコ焼きにかけるようになったんですかねえ」とたずねた。
主人が、「最近、若い人はマヨネーズをかけるんですよ」と正解にもならぬ応えをした。

冷えた夜道を帰宅して、直ぐに興味しんしん口にした。大味だった。何かが足りない・・・そう、冷えて熱っちっちという楽しみを抜かしていたのだ。次回は、電子レンジで温めて口にすることにしよう。

2018年10月21日日曜日

(雑談)役者さんが分からない

最近、テレビや映画の役者さんたちが誰だか分からない(テレビと映画の境界も分からないのだが)。役者が分からないから、ドラマを見ない。
テレビのニュース番組の後、そのまま放っていると、ドラマやお笑い番組に変わっていることがある。ちらりと見て、登場する若い役者や芸人さんたちの顔が識別できないでいる。

特に、若い男の役者やミュージシャンが、前髪を眉毛の処までたらしているのに閉口する。ただでさえ顔の判断に苦心しているのに、前髪の隙間から世界を覗いているような姿は、おじさんにとって相当きつい。フードを被ったファッションと似て、防衛意識が強いのではないかと案じる。もちろん何度も出演していれば気付くだろうけれど。

昔、新人だった役者が、今では(中高生くらいの)子の親役を演じている。達者だった役者は、既に老人役をこなしている。同世代の役者が気掛かり。なにしろ、子ども時代に見慣れた役者はほぼいなくなっているのだから。

話はそれるが、聊斎志異とか百物語のような古い怪異話に、最近妙に馴染んでいる。短くて奇妙な、それもほとんど伝聞である。以前は、陳腐でだらだらと続く感がしたが、今となっては、ひとつひとつ味わいがあり捨てがたいのだ。作り込んだというより、伝承に近ければ近いほど、人の心に触れたのであろう共感を感じるようになった。

若い人が分からなくなった分、古い話に通じてきたようだ。

2018年10月20日土曜日

ジェットストリーム

昔、音楽はLPレコードジャケットで手にすることができた。その中に音盤ともいうべきレコード盤と一緒に、収録曲の歌詞プリントが収められていた。LPレコードはサイズが大きいので、ジャケットの表面にはアルバムを表象するデザインが描かれ、裏面には音楽評論として、作家、アーティスト、制作などの解説が印刷されていた。極めて充実していた。(その文化は、CD化により薄れ、ネット配信によって雲散してしまったようだ)

昔の音楽には形があった。聞き流すだけの消費物ではなかった。手にとることができる存在だったのだ。だから、当時のラジオやFMから流れる音楽にも、レコード盤と同じ感蝕を感じることができた。

一昨昨日のブログ(10/17)に、飛行機趣味の懐旧として音楽の話題に触れた。ヒンヤリした成層圏を飛翔するような、対流圏の雲を突き抜けるダイナミックな感蝕をイメージしてくれる音楽はいいものだ。

学生時代の深夜に聞いたFM音楽番組「ジェットストリーム」は、レコードに通じる(アナログで連鎖する)感蝕を持っていた。部屋をちょいと薄暗くすれば、夜の上空を飛ぶ客室の気分にさせてくれた。(もちろん、当時旅客機に搭乗したことはなかったのに)

(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)


(Youtubeに登録のkaji274133に感謝)

2018年10月19日金曜日

イ・ソンヒのコンサート〈Climax〉チケットを日本で購入したら

イ・ソンヒのコンサート<Climax>チケットを、ネット上の日本語表記の斡旋業者から購入したらどれくらいかかるだろうか。今まで、そのような日本語表記の業者を知らなかった(探せばあったかもしれないが)。

ネットに日本語表記で斡旋しているもの(ワールドワイドな業者)があったので、韓国内チケットサイト(melon)と、イ・ソンヒの「釜山コンサートのステージ前VIP席」について比較してみたところ次のようだった。

・韓国内のチケットサイト: 154,000ウォン (約 15,400円)
・日本語表記のチケットサイト: 51,000円くらい

いろいろ事情があってそうなのか、中高年に人気な歌手だから気にしないという方もいるかもしれないが、日本語表記では随分と膨らんでいるように見える。

ところで、イ・ソンヒのコンサートチケット代は、現地で10年前と比べると約1.3倍くらいになっているような気がする。こちらは当り前か。


イ・ソンヒのコンサート<Climax>スケジュール
2018年
ソウル : 6/29~7/1  올림픽공원
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米国CA: 8/11  Pechanga Resort & Casino
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水原: 9/8~9/9  수원 실내체육관
大邸: 9/29  대구 엑스코(EXCO)
仁川: 10/20  인천 남동체육관
大田: 11/3~11/4  대전 무역전시관
高陽: 12/1  일산 킨텍스(KINTEX)
清州: 12/15~16  청주대 석우문화체육관
光州: 12/29  광주여대 유니버시아드 체육관

2019年
蔚山: 1/12~13  울산동천체육관
釜山: 2/9  부산 벡스코(BEXCO)
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2018年10月18日木曜日

Yiddish語 2018秋-3

イディッシュ語に初めて関心を持ったのは、文字の面白さだった。ヘブライ文字という、これまで縁もゆかりもない字形に吸い寄せられたわけで。しかも、ヘブライ文字の音を借りてドイツ語に似た表現があって、(学生時代の経験から)遠いようで近いようで・・・で、やってみようかなということになった。

でも、最初からイディッシュ文の読み取り、単語の発音に関心が向かい、ヘブライ文字の一文字一文字の名称をおろそかにして忘れていた。

今日の授業(נאָר אין ייִדיש)は、ユダヤ人と日本人が自己紹介するとき、(一般的に)日本人の名前はどうやらユダヤ人に聞き取りにくいようで、ヘブライ文字(アレフベイス)で説明する会話練習だ。・・・ヘブライ文字の名を知らなきゃ話にならない。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

先生から、さらに有名なイディッシュ語作家・詩人たちのフルネーム(筆記体)を書いたカードが配られ、同様の練習をした。
יצחק לײב פּרץ や、 יצחק בת־שבֿעס זינגער ‎や、 שלום עליכם などあったけれど・・・。

そして、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」の文章から、ディクテーション練習したりした。

今秋期から参加の新受講者は、これら練習をちゃんとこなしている。一体どういう経験を持った方々なんでしょうね。凄い!

2018年10月17日水曜日

エディット・ピアフの「私は決して後悔しない」

特に中高年の男の悩みに、自分の時間の処し方という問題がある。その回答に、子ども時代の趣味に戻ってはというものがある。私の場合、鉱物趣味は従兄にもらった鉱物標本の記憶からだし、飛行機趣味は航空雑誌を愛読した経験からだ。

(本ブログ関連:”鉱物”、”飛行機”)

飛行機について、最近、写真と情報が豊富な旅客機雑誌「AIRLINE」が手放せないのだが、重量感があって読むのに手が疲れるようになった。今は、子ども時代の夢だったパイロットになりたいわけではない(可能な歳でもない)、むしろエアラインに関わるさまざまな人々の姿が見えてくる楽しさに気付いてきたわけ。

さて、飛行機の音楽といえばワグナーの「ワルキューレの騎行」を思い出すが、インテリ層に偏見もあり・・・最近はそうでもないかなと思ってYoutubeで検索したら、未だ怪しい。旅客機の場合、深夜のFM放送「ジェットストリーム」で聞いた、城達也の語りとオープニング曲ミスター・ロンリー」だろう。まるで夜の成層圏を飛行しているような透明感があった。

そんなわけで、以前、飛行機模型にも関心を向けてYoutubeを巡っていたら、(まるで模型機に人が乗っているような)超小型ジェットエンジンをつけた単座短翼機があり、先日(3/27)のブログに記した。その映像に流れた曲が、エディット・ピアフ(Edith Piaf )の「水に流して」(原題:”Non, je ne regrette rien”、私は決して後悔しない)だった。

エディット・ピアフは恋人を飛行機事故で亡くしたそうで、そんな因縁とは関係ないだろうが、この曲には、実に飛行機の飛翔感、躍動感を想わせる。フランス語の歌詞の意味が分からないので、ネットの解説をみれば、出会いと後悔、そしてなにより再出発を願い歌っているようだ。

(エディット・ピアフが歌う「私は決して後悔しない」)
(Youtubeに登録の”Edith Piaf”に感謝)

2018年10月16日火曜日

神代植物公園 秋のバラフェスタ

今にも雨が降りそうな空の下、昼過ぎに、先日(10/8)ブログに記した神代植物公園の「秋のバラフェスタ」へ運動かたがた出かけた。公園には随分昔に行った記憶がある。今回、意外と近距離だったことに驚いた。何で気付かなかったのだろう、もったいないことをしていた。

(本ブログ関連:”バラ”、”百万本のバラ”)

バラフェスタの名の通り、「ばら園」だけでなく園内の他の場所でも、バラに関わる園芸作品が展示されていた。平日のため来園者の大方は中高年者で、ますます秋の静けさを誘うようだった。(ちなみに、5~7月にかけて「春のバラフェスタ」も開催される)

「ばら園」には、花弁が様々な色彩と姿をしたバラが植えられていた。中には、淡い黄色の「Gina Lollobrigida」という品種があった。穏やかなイメージがするが、あの女優にちなんだものだろうか。

バラの花の特有の深紅色を探したが、時期が合わなかったのか、見つけることができなかった。「秋のバラフェスタ」は、今月いっぱい開催されるので、機会をみてまた来ようかと思う。