▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2018年1月31日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」女性歌曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、女性歌曲(가곡)にまつわる話を紹介した。(ネットで未聴のため韓国語版を参照しました)

始めに、「歌曲(가곡)」を中心に、「時調(시조)」との違いと合わせて次のように紹介された。
・「歌曲」は、定型詩「時調詩」を管弦伴奏に歌う。時調詩を歌詞として使う点で「時調」と似るが、
ー 「時調」は、音調と形式が単純で伴奏がなくとも歌える歌で、多少大衆的であるが、
ー 「歌曲」は、厳格な形式に従って歌う歌という点で違いがある。
男性の佳客が歌う「男唱歌曲」、女性の佳客が歌う「女唱歌曲」に区分して、一番最後には男女が共に歌う「太平歌(태평가)」で終える。

▼  <長く想い慕った人に会ったものの、すぐに復た離別せねばならぬ女性の未練を美しく表わした>女唱歌曲「平弄(평롱)」。(参照 ⇒ Youtube(登録者に感謝))

次に、歌曲の唱法を用いて現代的音楽を作り出すグループの作品について次のように紹介された。
・歌曲の唱法を用いた現代的音楽グループの作品「この夜が過ぎる前に(이 밤이 가기 전에)」は女唱歌曲の「平弄」を素材にして、新しく構成した歌だ。

▼(参照 ⇒ Youtube(登録者に感謝))

最後に、現代作品の「禅雲寺で(선운사에서)」(チェ・ヨンミ 詩)、「老いた葦の独白(늙은 갈대의 독백)」(白石 詩)について紹介された。

(Youtubeに登録のLehrbuecherに感謝)

2018年1月30日火曜日

(雑談)おじさんのPC作法

ネット利用に、PCを使っている。スマホやタブレットの経験はない(無くて困る思いをしたこともないし、そもそも、それで何をしたらいいのか分からない)。

PCだけで、ネットと縁をつないでいる(オフィスは「OpenOffice」で十分)。いってみれば、山村で自給自足生活している感覚に近い。そんな環境での、おじさんのPC作法について記してみる。

① PC価格は、(1万円/年)×(使用年数)で十分と考えている。[昔は、(4~5万円/年)×(使用年数)だったが]
    ー とっくにこの原則を超えてしまっているが、OSのサポートが続く限り使用する。

② 顔認証、指紋認証などは以っての他と考えている。
    ー 究極の個人情報だ!(顔認証用のカメラに、シールを貼り付けて防御している)

③ クレジット番号を使って、ネット上の商品購入は以っての他と考えている。
    ー コンビニで現金支払い可能なものだけ購入(銀行、ゆうちょで振込みもしない)

④ メールは、事前にスキャンしてくれる、Gmailが安全と考えている。
    ー とはいえ、自分のPC以外でGmailを閲覧することはない。

⑤ 一時ファイルなどのゴミ掃除を毎日!する。

⑥ プリンターインク切れのたび、純正品を使っていたがサードパーティ製に変更した。
    ー 特に、インク注入型のものは何の問題もなく、お勧めだ。

2018年1月29日月曜日

冬の夜、雨後は寒くない

先週1/22に、大雪のため延期した「2017年度秋期韓国語教室」が、今晩無事終了した。教室の夜道に名残り雪があって、うっかり足を滑らせないか用心しながら通った。授業が終わって外に出れば、霧雨があったのか、辺りが湿っているのに気付いた。

冬の夜にもかかわらず、雨後のせいか寒くないのだ。雲が上空の寒気を遮断したのだろうか。実に穏やかな気分だ。このところ、縛りつけるような冷気に、ふーっと息を吐いて気をそらしたものだ。

ところで、冬がどうして寒いのだろうか。ここはやっぱりイディッシュの町「ヘルム」の長老に説を聞きたいものだ。以前、記したものを、更に結論だけしぼって次に載せる。何百年も泥臭く熟成したお馬鹿な話は実に楽しい。
--------------------------------------------
冬の間中、暖炉に火をともす     →   町の空に熱気がたまる        →  だから、夏が暑い
夏の間中、暖炉に火をくべない  →   町の空に熱気がたまらない  →  だから、冬が寒い
--------------------------------------------

(本ブログ関連:”ヘルム”)

「ヘルム」の長老に教えていただきたいことがある。どうすれば、よその言葉が身につくのだろうか。

(映像)菜食主義者「花を宿す女」

韓江の小説「菜食主義者(채식주의자)」を(原作に)映画化した、2009年の(邦題)「花を宿す女」(日本語字幕)が、GYAO提供により、1月29日~2月27日の間視聴できる。

(本ブログ関連:”菜食主義者”)

申京淑の「母をお願い」と同様、物語の主題に関わる家族間の視点で章立てしている。

韓国映画が国際賞を狙うのに共通して見られるテーマに、欧州の目から興味深いことであろうが、キリスト教的解釈といった表現がある。映画の原作に、申京淑の海外で多数翻訳されている「母をお願い」のエピローグは、それを合致しているのだが。しかしながら、過去の創作に問題があり、韓国メディアでは、ノーベル文学賞の期待が寄せられていた老詩人の後を継ぐには懸念があるようだ。現在、将来のノーベル文学賞候補の一人として、韓国メディアは、(海外文学賞の受賞経験がある)韓江に希望を託しているようだ。

2018年1月28日日曜日

(雑談)山の冬、山の春

寒い日が続く。出かけようと思っても寒気に萎える。雪景色は、子どもに別世界であり、雪の不思議な感蝕を楽しむ遊び場だ。若者にとっては、スキー板を担いで夜行列車で出かける、期待と妄想の場所でもあった。年寄りには、今も昔も変わらぬ、雪掻きするだけの風物でしかない。

歳をとると、雪山に出かける者の気が知れぬとますます確信する。日本の山は、少なくとも、ハイカーにいたるまで踏査されていて、未知な部分はないと思われるし、目の前のそびえる山を見れば、現代人の感覚からすれば、すべて知り尽くされたように感じるものなのだ。

戦前戦後の日本アルプスに棲んだ山人を通じて、山の不思議を語った「黒部の山賊」やシリーズ「山怪」は、それでも世俗的一面を合わせ持つ話題を見せる。更に昔、明治、大正のころになると、「山の人生」(柳田国男)は、世俗と隔絶した地図の彼方に存在する、あたかも異界(伝承の世界)さえ想起させる。

「山の人生」に語られた人々は、どうやら固有名詞があやふやだ。半分現世に身を置き、半分異界に身を溶かし込んでいるような、戸籍といった制度からすり抜けて、噂話にしか残らない、もっといえば、見ても見えぬよう、知っても忘れ去られるよう、命も軽い存在だったのかもしれない。

昔の、海辺や農村の見える遠野の世界とは違って、厳しい山の生活をどうして選んだのだろう。なぜか、連日の寒さを思うと、そんなことを思ってしまう。それが、温んだ春になると、桃の花咲く桃源郷など、仙界を思い浮かべることになるだろう。

2018年1月27日土曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

昨日、雪が凍りついた道端で転んでしまい、そのときはどうでもなく、むしろ上手に体を支えたものだと感心した。しかし後になって首筋がこわばった。

子どもなら、痛いの痛いの飛んでけ~!、ただ我慢するしかない。人生長けりゃ見当もつくってもの、安静にすりゃ何とかなるだろう。

心の平静は大事。イ・ソンヒの12集所収、「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年、作詞イ・タギョン、作曲パク・ヨンス、編曲パク・ヨンス、ユ・ションソク)を聴いて、落ち着かせよう。

この曲は、パイプオルガンを想わせる荘厳なイメージもあり、どこか(洋風だが)宗教的な響きがする。先日、このブログに記した、彼女の「さようなら」に続く世界だ。

(本ブログ関連:”世界中が眠りに落ちた後から”)


夜通し雪が降ったわ。世界中が眠りに落ちた後から
悲しい 私のこころも知らぬまま、 朝はくるのでしょう。
窓、音もなく開けば、染みる冷たい風
白雪、美しく積もった 木の上には冬の空

あなたの背に近づき、しばらく寄り添ったが
なんの言葉もなしに ドアを出るのね。
もうすべて終わってしまったのね まだ私はここにいるのに
あなたに見せられなかった 痛みはまだそのままなのに

本当にとてもつらいです このように別れるのだから
あなたを なくした朝 私だけ残ってます。

去ってしまったあなたの足跡が雪の上一つずつ刻まれて
眺める目を少しずつ 滲ませてしまいました。

あの冬の終わりに あなたはもう消えて
とうとう 悲しい涙を 流してしまったの。


(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2018年1月26日金曜日

(口ずさむ)凍り道で転んだの

寒い日が続く。都心の最低気温が、昨日と今日共にー4℃となり、-3℃を連続して下回るのは53年振りとのこと。どうりで朝が厳しいわけだ。

ちなみに、気象庁の過去データに、東京の「日最低気温(℃)」の低い方から順にあげたものがある。本当に厳しいな。
-9.2 (1876/1/13) > -9.1 (1885/1/14)  > -8.6 (1927/1/24)  > -8.6 (1876/1/12)  > -8.4 (1881/1/13)

そんな中、寒い昼、踏みつけられて凍った雪道で、スッテンころりん転んでしまった。実に見事な受身だった。防寒着と手袋のおかげで、傷ひとつない。

でも、帰宅して気付いた。首の回りが塩梅よくない。軽い捻挫か、むち打ち症か。痛みは後からやってくるようだ。そういえば、昔、数台後ろからの玉突きだったにもかかわらず、やはり後になって痛みが襲ってきたことがある。

雪が止んでる金曜日、おじさん泥んこどうしたの、あそこの道で転んだの、どうしてそんなに急いだの、・・・


(Youtubeに登録のsunaf kingに感謝)

2018年1月25日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-14th

寒さ一団と厳しくて、(私にとって)久し振りの遠出の感がある。毎週通う道なれど、すっかり様変わりした雪景色に、そんな気にもなる。それに、インフルエンザ流行のピークに用心して、マスク着用した息苦しさのせいもあって。

教室では、風邪で休まれた方もいる。私も、風邪による筋肉痛から、ようやく解放されたばかり。小咳もおさまらぬし。

(本ブログ関連:”2017年度秋期「イディッシュ語」”)

今回は、テキストに戻って、親族名称について学んだ。知恵も知識もないけれど、いってみれば、フィールドワークの原則のようなものなのでしょうか・・・それより、まず覚えよ! ですね。

-----------------------------------------------
祖父、祖母             באָבע、זײדע
父、母(両親)       עלטערן ) מאַמע、טאַטע )
兄、姉                  שװעסטער、ברודער
義兄                     שוואָגער
おじ、おば            מומע、פֿעטער
甥、姪                  פּלימעניצע、פּלימעניק
いとこ:男女         קוזינע、קוזין
-----------------------------------------------

近日、先生を招いての「ヘブライ語 名刺 活版ワークショップ」が、次のように開かれる。
<詳細は ⇒ 参照
・開催日時/2018年 2月24日(土)13:00~15:00   定員 10名
・開催場所/Printworks Studio Shibuya (谷区道玄坂1-15-3プリメーラ道玄坂1階) 

2018年1月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」玄琴(コムンゴ)、奚琴(ヘグム)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、撥弦楽器「玄琴(コムンゴ거문고)」、擦弦楽器奚琴(ヘグム:해금)」にまつわる話を紹介した。

始めに、高句麗の官吏「王山岳(왕산악)」と「黒鶴(검은학)」による「玄琴」の起源について次のように紹介された。
・高句麗の官吏「王山岳」が「玄琴」を初めて作ったといわれる。当時、中国から来た七弦琴を、楽器だが演奏法を知らなかった。王山岳がそれを改造して玄琴を作ったという。彼が作った曲を演奏すると、黒い鶴が飛来して踊った。黒い鶴を「黒鶴(검은학)」ということから、玄琴(거문고)が名付けられた。黒は、死や悪を象徴する否定的イメージがある反面、権力を意味し、また、鶴は縁起良い鳥と言われたことから、玄琴に音楽を楽しむだけでなく、神秘的力を持つ意があった。

▼ 玄琴演奏で、<王の長寿を祝う曲>「寿延長之曲(수연장지곡)」を聴く。鶴が自然なまま舞い続けるよう。

次に、朝鮮時代後期のソンビ「吳熙常(오희상)」(1763~1833)の、玄琴演奏の原則について次のように紹介された。
・王山岳が玄琴を作って以来、学者ソンビのものとして、読書に飽きたとき、来訪の友と風流を楽しむとき演奏した。朝鮮時代後期のソンビ「吳熙常」は、次の五つの状況では玄琴を演奏しないと記した(五不彈)。第一、風が強く雨多く降るとき。第二、野卑な人前。第三、市場の道端。第四、座姿が適切でないとき。第五、服をきちんと整わぬとき。大げさかも知れぬが、ソンビの姿勢といえる。中国古楽器に「古琴」がある。形や奏法は玄琴と全く違うが、修養のため演奏したという点で似ている。

▼ 「古琴」演奏と歌で <恋人との別離の悲しみを、木も岩もない山中で、鷹に追われる雉(きじ)に例えた> 韓国曲「男唱歌曲、編楽(남창가곡 편락)」を聴く。風雅な響きして・・・。

最後に、中国の擦弦楽器「胡弓」に似た「奚琴」について次のように紹介された。
・玄琴は、楽器本体にくっつけた木の上に六弦を乗せ、指で押さえながら音を出す。古琴は七弦で、本体に印をつけて弦を抑える場所を分かるようにしている。昔のソンビの記録に、琴がよく登場するが、玄琴でなく中国の古琴を指すことが多い。他に、韓国でよく演奏する中国楽器に、擦弦楽器「胡弓」があり、韓国の「奚琴」に似て親しまれている。

▼ 奚琴の演奏で、「密陽アリラン(밀양아리랑)」を聴く。こちらは、思いっきり今様で・・・。

2018年1月23日火曜日

(噴火)草津白根山 噴火警報

朝方のテレビニュースは、昨夜来の降雪を話題にしていたが、そこに白根山の噴火情報が飛び込んできた。

(本ブログ関連;”噴火”)

気象庁地震火山部は、群馬、長野県の境界にある草津白根山(⇒本白根山)が、噴火したと、山麓の嬬恋村、草津町に対して、警報を次のように発した。なお、本噴火で冬期訓練中の自衛隊員1名が亡くなり、11人が重軽傷を負っている。

----------------------------------------------
火山名 草津白根山 噴火警報(火口周辺)
・草津白根山に火口周辺警報(噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引上げ)
・本白根山で噴火が発生したもよう。鏡池付近から2キロメートルの範囲では警戒が必要。

火山活動の状況及び予報警報事項
本白根山では、本日(23日)09時59分に鏡池付近で噴火が発生したもようです。
----------------------------------------------

(追記)
・本白根山は、白根山の南側に所在し、こちらの噴火は3,000年振りといわれている。
・草津町のハザードマップは、白根山の「湯釜」を噴火エリアと想定していたが、今回は本白根山の「鏡池」で発生したという。
・噴火は、小規模で水蒸気爆発(噴火)だったそうだが、被害や映像やから恐ろしさは変わらない。

(付記)
昨夜の降雪を、昼過ぎ雪かきするも、2014年ほどの積雪でなくてあっさり終わる。

2018年1月22日月曜日

雪のため全講座休講になる

今夕、大雪が予想されている。現在、午前10時現在だが、教室のホームページに「1月22日(月)は、積雪等による交通の混雑・帰宅困難が予想されるため、全講座を休講にします。」とのこと。

降雪の状況を、引き続き記す予定。どれくらい降るのだろうか。

今晩、9時過ぎに玄関ドアを開けたところ、大きな抵抗感があった。玄関先まで雪が積もっていたのだ。南岸低気圧を呼び水に、北風と一緒に、雪が休みなく降り続く。郵便ポストの上には、白い塊りが上手に積もっている。
(気になってニュース番組を見ると、何故か八王子と新宿・渋谷駅前のからの中継が多い)

日付が変わるころ、雪は北へ押し戻されるという。それまで数時間、止むまでの間、どこまで積もるつもりだろう。

明日は、雪掻きが必要。(寒気はこれから続き、木曜日ころ底になるという)

(追記)
Yomiuri online「午後11時現在の積雪は都心で23cm。東京23区の大雪警報は2014年2月14日以来約4年ぶり」(1/22、23:09)

2018年1月21日日曜日

イ・ソンヒの「さようなら」

イ・ソンヒの4集所収の「さようなら(안녕)」(1988年)はアルバムの最後に配置するに相応しい、そして名残惜しい曲だ。彼女の絶頂期のころ、ファンは次を願ったことだろう。その後数年、連続してアルバムが出されたことはいうまでもない。

大人の感覚して、洒落た別れを演じてみたい女子学生に、ちょっとした疑似体験を与えてくれただろう。「さようなら」の「アンニョン」の響きに余韻があって、妙に落ち着いて感じるのは不思議。悟ったわけではあるまいに。

(本ブログ関連:””さようなら

この曲を聞いておじさんが思い出すのは、一回り半も昔だけど、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年、日本語歌詞:なかにし礼)だろうか。曲想も場面も全く違うのに、なんだか繫がるものがある。


美し過ぎた思い出にふけりながら
あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして
静かにささやいたわ
さようなら

ドアを、ドアを開けしなに心残りして
もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に
静かにもう一度
さようなら

別れは、本当につらい
愛とは、ただあなた

けれど、去らねばならない私を引き止めないで
ああ、引き止めないでください
愛しています

ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け
コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ
静かにささやいたわ
さようなら

静かに、もう一度
さようなら、さようなら


(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)

2018年1月20日土曜日

大寒 2018

きょうは、「小寒」も過ぎて、いよいよ二十四節気の最後、24番目の「大寒(だいかん)」である。これで四季が一巡して、納めというべき、寒さが最も厳しいころだ。一方、「三寒四温」もある。体感としては、「寒」と「温」のはざ間で揺れている。来週、月曜日に雪が降るという話もある。

(本ブログ関連:”大寒”)

わらべうた「おおさむこさむ(大寒小寒)」は、不思議なことにいつ歌ったのか、誰れと歌ったのかはっきりしない。それなのに、思い出の中に確実に定着している。それに、子どもながらに、冬の風音に応えるように口ずさんだ気がする。

         おおさむこさむ
         山から小僧がとんで(泣いて)きた
         なんといってとんで(泣いて)きた
         寒いといってとんで(泣いて)きた

歌に登場する、「山からとんできた」小僧とは一体誰れなのか・・・考えてみれば、疑問に感じることもなく、歌をまるのまま飲み込んでいた。

童話「大寒小寒」(土田耕平)の中で、おばあさんが孫に、山からとんでくる小僧について語っている。作者のメモ書きのような、幼い記憶の断片のような、懐かしく暖かい一文だ。
会話の部分だけ次に抜書きする。(青空文庫より)

----------------------------------------------------
「おばあさん、小僧がなぜ山からとんでくるの。」
「山は寒うなつても、こたつもなければお家もない。それでとんでくるのだらうよ。」
「小僧つてお寺の小僧かい。」
「何に お寺なものか、お寺ならお師匠さまがゐて可愛がつて下さるだらうが、山の小僧は木の股から生れたから、お父さんもお母さんもなしの一人ぽつちよ。」
「おばあさんもないの。」
「ああ、おばあさんもないのだよ。」
「それで小僧は着物をきてゐるのかい。」
「着物くらゐはきてゐるだらうよ。」
「誰が着物を縫つてくれるの。」
「そんなことは知らないよ。大方木の葉の衣かなんだらう。」
「小僧は山からとんできてどうするの。」
「人の家の門へ立つて、モシ/\火にあたらせておくんなさい、なんて云ふのだらう。」
「そして、火にあたらせてもらふの。」
「いゝえ、火になんぞあたれない。」
「なぜ。」
「小僧のいふことは、誰の耳にもきこえないのだから、いくら大きな声をしたとて聞えない。もしかすれば、今じぶんお家の門へきて立つてゐるかも知れない。」
 三郎はそんな話をきくと、気味がわるくなりました。頭を青くすりこくつた、赤はだしの小僧のすがたが、目に見えるやうにおもひました。
----------------------------------------------------

ぼくらは、でも、山からとんできた小僧に哀れみも覚える。風音を近くに感じる、自然をそばに生活した経験があればこそだ。遠い昔に、もしかしたら、救われない子どもたちがいたかもしれない。そして(子どもにだけ聴こえる)風音を今も響かせているのかもしれない。

2018年1月19日金曜日

80年代の歌謡をテーマに放送を作ってみようか?

ネットに情報が満ち溢れ、何ごとも記録される。本人が発した言葉だけでなく、他人の推測や評価、評論まである。良い面と悪い面があるとすれば、情報は平等だが、ほんの些細な呟きまで断片化され、永遠に消えることはない。

狙った対象の価値が高くて、情報が豊富なら、シナリオライターの腕の見せどころだろう。イ・ソンヒについて、その豊富さに気付いた記者が、「80年代の歌謡をテーマに放送を作ってみようか?」(Sisa:示唆、時事から名づけた「しさnライフ ニュース」の記事、チョン・チョルヒ記者、1/19)と考えた。そんなコラムから、次に抜粋してみた。

イ・ソンヒについて、情報源のひとつである「木のwiki」は、熱心なファンたちの情熱の賜物である。わが日本のファンもうなずける宝庫である。

-------------------------------------------------------------
(略)

・このような(様々なソースから情報収集する)過程を繰り返して、作りたい放送の素材と主題を絞り込んでいきます。私は、80年代歌謡のコンテンツを人物中心に決めて、当時、最も有名な歌手であった「イ・ソンヒ」に焦点を合わせてみることにしました。それで、今回は同じ要領で「イ・ソンヒ」について調査します。

・グーグリング(Googleで検索する)結果、イ・ソンヒさんの生涯について「木のwiki」と「wikipedia」がよく説明していますね。また、関連検索語で、(彼女の愛弟子の)「イ・スンギ」があります。80年代の思い出の歌手「イ・ソンヒ」と、今現在もホットなスター「イ・スンギ」の縁が良い話の種になることがあります。放送のためのコンテンツにこれを含ませれば良いでしょうね。このような内容は、エバーノートにスクラップしておけば、より一層使いやすくなるでしょう。

・また、「イ・ソンヒ」のデビュー舞台である、(音楽祭)「江辺歌謡祭」と国内最高の歌手と認められて頂点にいたった舞台である(TV番組)「歌謡トップ10」、(コンクール)「10代歌手賞」についても調査します。エバーノートにある、ノートブック機能、タグ機能、チェックリスト機能などを活用すれば、より一層、一目瞭然に整理できて今後の情報活用度も高まります。

・ここで、興味深いチート(カンニング)シートを少しずつさらに集めた後、この資料を整理して自由に自分だけの台本を作ります。台本は、連載13~15回で説明するスクリプトの形をすればいいです。
-------------------------------------------------------------

この後も期待していいのでしょうかね。ちょっと空想します。

2018年1月18日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-13th

電車の振動は、「1/fゆらぎ」があるのだろうか、必ず睡魔に襲われる。イディッシュ語教室へ通うとき、不謹慎かもしれないが、緊張が途切れるというか心地よい居眠りを経験する。

そんなわけで、頭の中の一時ファイルをきれいに削除して出席した。(cpu、HDは旧式なれど)

今回は、ヘブライ語の雰囲気を味わう特別編(以下、”  ”内は←に、他は→に読む)
・イスラエル地図上のヘブライ文字地名の読み取り
・簡単な書式
  - 母音表示方式(ニクダー:”נְקֻדָּה” )← ヘブライ文字(子音)下の<点>が母音を示す。
  - 定冠詞(הַ)の位置(冠詞の対象となる名詞や、なんと形容詞と密着する!):
      ① ”「名詞+定冠詞」名詞」”
           ”יָם הַ‏‏מֶּ‏‏לַ‏ח‎” (ニクダー有りの例、yam ha-melakh:Lake The・Salt=死海)
      ② ”「形容詞+定冠詞」「名詞+定冠詞」”
           ”הים התיכון” (ニクダー無しの例、ha-yam ha-tichon:The・Sea The・middle=地中海)
・強動詞活用表(← ちらり見ですが)

そんなわけで、帰りの電車も、うたた寝してしまった。(暖かだったせいもあるか?)

KBS WORLD「国楽の世界へ」冬の景色

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「冬の景色」にまつわる話を紹介した。

始めに、冬季の「三寒四温삼한사온)」について次のように紹介された。
・「三寒四温」の言葉がある。冬に寒い日が3日ほど続き、次に4日ほど温暖な日が続く、その繰り返しをいう。最近、気候変動で当たらないとはいえ、昔も必ずしも三寒四温でなかった。寒い日もあれば、温かい日もあるという、前向きな意だろう。昔、ソウルを横切る漢江が凍結して、氷上で遊んだり、洗濯物が凍ってしまほど厳しかった。それでも、冬が過ぎると春が来る希望があったため、寒さにも耐えられた。

▼ 「冬の朝の景色(겨울 아침의 정경)」の演奏を聴く。雪原に朝霧が立つよう、今様である。

次に、貧家の娘が、金持ちの子の世話をする「子守娘(아이보개)」(1977年作)の曲について次のように紹介された。
・昔の冬の風景に、走りまわったり、鼻水を垂らしたり、汚れた手でビー玉を触る子どもたちの姿が浮かぶ。駒回し、凧揚げで遊ぶ子もいる。中には、新年のカレンダーで凧を作って叱られる子もいたろう。そんな様子を表した、子守りを指す「子守娘」の曲がある。子どもの日常を披露する舞踊曲だ。「凧」や「行進」など四楽章で構成される。

▼ <素直な子供たちの表情が浮ぶ>、カヤグムとテグム演奏で「子守娘」を聴く。凧、行進、羽根蹴りして家に帰る。

最後に、冬の南部地域に咲く椿の美しさと、その効用について次のように紹介された。
・冬に草木は冬仕度するが、中に忙しい植物がある。冬に花を咲かす椿だ。南部地域では、真冬にも椿が咲き、その景色はとても美しい。赤い椿に白い雪が積もる様から、白雪姫が思い浮かぶ。花が散るとき、花弁はパラパラ降るのでなく、房ごと落ちる。
また、椿は様々な使い道がある。椿油は、悪いコレストロールを抑制する効用があり、肌に良いとされる。昔の女性は、髪型を整えるとき、椿油を使った。恋人に会う前に、髪の手入れをする可憐な姿が想像される。

▼ 南道地域の民謡 「椿打令(동백타령)」の歌を聴く。海を眺める処、椿採りも穏やかに。

2018年1月17日水曜日

(雑談)食べ方

食事について
・食べ物を、集団で向かい合って、分け合いながら食べるのは人間だけだそうだ。
食べ物について
・ 獲ってきた(狩猟した)ものを食べるか、育てた(栽培した)ものを食べるかで、その後の分配の仕方が異なる。
分配について
・獲物は、仕留めた者、指揮した者に優先される。強いものから順に食べる。(順位制
・農作物は、共同で作り備蓄する。参加者に水平に分けてこそ、次の農作につながる。

男は女性の食事を見つめている。古井由吉の初期作品のように、女性の口の運びに妄想したり、あるいは、テレビの番組で、美形な女優の意外な食べ方にイメージが一変したりする。

男についても、仕事の合間、昼食に行ったファミレスで、メニューを眺めながらなかなか決まらぬ奴がいる。驚いたのは、食事の終わりに、茶碗の底の飯を一粒ずつ箸で摘まむ奴もいる。(江戸の寿司屋は屋台であり、握り寿司は大振りだったという。ちょと寄って、数個食ってさっとひくのが粋だったと聞いた)

食べ方で人品を見定めようとするのがいる。まあ、そんなことから逆に、作法というか儀式が生まれたのかもしれないけれど。

2018年1月16日火曜日

世界イディッシュ短編選

今日の都心の最高気温は、13.7℃ 、 昨日(12.4℃)と比べてわずかな差だが、随分と暖かく感じた。ちょっとした変化でも違ってくる。「大寒」まで、しばらく小休止か。

そんなわけで、動きやすくなって、近隣の大型書店を巡った。広告されていたことだが、岩波文庫に「世界イディッシュ短編選」(西成彦[まさひこ]編訳)を見つけて求めた。

かつて東欧のユダヤ人たちの言語、イディッシュ語で著した三大作家のうち、二人の作品も収められているが、主に、米国に移住したり、戦前混乱時期に流転したりした作家たちだ。編著者は、彼らを、巻末の中で特別なことばで表現したりしている。
(個々の作品について発表時期を付して欲しかった)

短編集の第一話は、「つがい」(ショーレム・アレイヘム)だが、以前、別訳で読んだことがある。「全集・現代世界文学の発見 第12 おかしな世界」(学芸書林)の「番い」(木島始訳)だ。
状況をつかめず見得のままに終幕へ突き進む、あっけない雄鳥の話。深読みしたり時代を予感なんてことなく、作者らしい饒舌と皮肉を楽しんだ方がいいかもしれない。文学に素人なので、果たして専門家はどう解釈しているのか知りたい。

(本ブログ関連:”番い”、”ショーレム・アレイヘム”)

ところで、ネットに名言集があって、ショレム・アレイヘムの格言にこんなものがあるそうだ(出典は不明だが)。饒舌にいえば、「人生ってのは、賢いものには夢だし、向こう見ずなものにはゲーム、金持ちには笑いが止まらないだろうし、貧乏人には悲劇ってなもんだ」。(登録者izQuoteに感謝)

すべては神様のおぼし召しでさあ。

2018年1月15日月曜日

小正月

元旦から15日目の今日を「小正月」と呼び、小豆粥など食す風習がある。ただ寒い日が過ぎたばかりで、一体どんな日なのかよく分からぬ。小豆粥を口にすることもないし・・・。

(本ブログ関連:”小正月”)

15日は、正月行事からようやく抜け出て、女性をねぎらうための「女正月」というそうだが、今様は、女性に負担のかからぬ正月になっている分、とっくに普通に忙しい。また、祝日の制度変更以前では、「成人の日」でもあった。これまた、成人とは一体何歳をさすのか、誰も真剣に答えてくれぬ。

今日の天気予報は、久し振りの南風で、3月ころの陽気になるといっていたが、本当はどうだったろう。都心の最高気温は、12.4℃ でしかなく寒かった。気温はもっと高目の予測だったはず。そんなわけで、今晩も冷え込んだ。

夜、韓国語教室の行き帰り、公園わきの道を通る。民家が並ぶ裏通りと比べて、冷え込みが一段と厳しい。民家の温もりで寒さが遮断されたためか。一方、公園の草原や枯れ木立は、放射冷却をもろに受けやすいためか、冷気が身に沁みた。

正月、小寒を過ぎて、大寒に届かぬ小正月、寒さだけが中途半端に感じる。

2018年1月14日日曜日

ク・チャンモの「ヒナリ」

ハンギョレ紙の記事「偉大な公演の職人」(1/11、ソ・ジョンミン シネプレー代表・元< ハンギョレ >大衆音楽担当記者)は、次の書き出しで始まる。

「1980年代の中・後半、坊主頭の中学生だった私は、ポップ音楽にのめりこんでいた。 小学生のとき、< 歌謡トップ10 > のような音楽チャート番組を好んで見ていた私は、イ・ソンヒの「Jへ」、ク・チャンモの「ヒナリ」のような歌がかなり好きだった。そうするうちに、いつからか、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルが属したWham!a-haのようなポップに陥ってからは歌謡を離れた。さらに、歌謡を軽視することさえした。歌謡は、なぜかポップよりちょっと落ちる音楽のように感じたのだ。」

若者の音楽潮流が常に海外から流入する側にあるとき、次第に自分たちの歌謡と乖離が始まり、「歌謡は、なぜかポップよりちょっと落ちる音楽のように感じたのだ」という気分になったことはうなづける。同じ側の誰もが一度は経験したことだろう。私もそうだった。

ところで、この記事の主題は、自分たちのなかに歌手イ・ムンセを見つけたことだ。執筆者が、長きに渡り彼のファンであったこと、以前、音楽記者として接した経験も通じての感動と礼賛である。結局、自分たちの音楽に戻ったことになる。

味覚に故郷の味があるように、聴覚にも大衆歌謡の響きがある。この執筆者が、最初に関心を持った大衆歌謡の歌手は、イ・ソンヒやク・チャンモだった。ク・チャンモ(구창모)の曲としてあげられた「ヒナリ(희나리)」(1985年に < 歌謡トップ10 > で5回、1位となる)を聞いてみよう。

(本ブログ関連:”ヒナリ(희나리)”)

悔恨を含ませて、想い出が癒えぬままにいる、そんな心象を「生乾きの薪」のヒナリに例えているのだろうか(愛の永遠性という解説もある)。この感覚、大衆に受けて、以前の調査「70-90年代の最高人気曲」中で、3位にイ・ソンヒの「Jへ」、4位にク・チャンモの「ヒナリ」があげられている。

(本ブログ関連:”70-90年代の最高人気曲”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2018年1月13日土曜日

「屋根の上のヴァイオリン弾き」で知るイディッシュ語の世界

一昨日(1/11)の「イディッシュ語教室」に続き、昨日は教室のクラスメイト(クレズマー音楽家)主宰の「コンサート」、そして今日、教室の鴨志田先生の講演が「横浜朝日カルチャーセンター」で開かれた。そんなわけで、3日連続、イディッシュ漬けになった。

(本ブログ関連:”2017年度秋期「イディッシュ語」”)

一昨日の教室で、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」(原作「牛乳屋テヴィエ」)で歌われる「陽は昇りまた沈む(SUNRISE SUNSET)」の歌詞について、解説いただいた。今回の講演では、この物語の背景を詳細に聞く機会を得た。東欧ユダヤ人の文化・歴史的な変遷、原作者ショーレム・アレイヘムのバイオグラフィ、物語の時代背景(政治潮流)、登場人物の言語イディッシュ語について、視聴覚設備を駆使して紹介いただいた。

作者ショーレム・アレイヘムの人生(結婚、家族構成)、その置かれた時代と体験(ウクライナからヨーロッパ、アメリカへの流転)から、原作に結びつくものがあると指摘された。戦前の日常語であったイディッシュ語が、現在厳しい局面に立たされていること(先生が海外で接したユダヤ人との対話を通して)を知ることができる。

先生は、最後に、主人公テヴィエへ(立場を超えて)「共感」する意味について語られた。

ところで、先生からイディッシュ語を学んでいるので、歌「陽は昇りまた沈む」の出だしにある、
「?איז דאָס מײַן מײדעלע דאָס קלײןע」を<筆記体>にして、ホワイトボードに書くようにいわれ、慌ててしまった。(ここに笑いマークを置きたいところです)
← イディッシュ語表記したところ、表示で単語の配列が乱れたため、改行(文頭)して修正しました。

(付記)
昨日は祐天寺、今日は横浜。全く同じ路線でいくことになった。それにしても、渋谷の街で、東横線渋谷駅にいたる地下道の長いこと、久し振りの都会の迷路に・・・。

(付記)
センター試験「地理B」の解答で、フィンランドを代表する「ムーミン」を主人公にした童話作家トーべ・ヤンソンが、母語としてスウェーデン語を使ったということが話題になっている。フィンランドの公用語は、Wikipediaによれば、< フィンランド語が93.4%、スウェーデン語が5.9%で共に公用語。サーミ人によるサーミ語が準公用語 > とされる。なぜスウェーデン語かといえば、フィンランドの歴史を遡らなければならない。(「多言語文化だ!」なんていう以前にも目を向けて置かなければ分からない・・・のじゃないのかな?)

2018年1月12日金曜日

” Winter Songbook with MIWAZOW ”

このブログは、タイムスタンプが「1/12」となっているが、実はコンサートから帰宅したとき、すでに深夜午前零時を過ぎていた。そんなわけで、日付を戻す調整をして登録した。

イディッシュ語教室のクラスメイトともいうべき、音楽家のお二人(声楽とcl演奏)による、”Winter Songbook with MIWAZOW” が、祐天寺のライブハウス「FJ's」で開かれた。その方面に全く素人ながらうかがうことにした。

ブレヒト(1898年~1956年)の詩をもとに作曲されたドイツ語曲を中心に歌われた。普段の印象とは当然ながら違って、プロの音楽家の声量と表現を聴くことができた。他に、イデッシュ語曲(祈り、平和の願い)、スペイン語曲?(ロコへのバラード)が、そしてアンコールには、お馴染みの(今回はイディッシュ語ではないが)「素敵なあなた」が歌われた。

次回の教室で、今回の曲目について教えてもらえれば幸いだ。

そうそう、ライブハウスの独特な雰囲気にマッチした、不思議な人物(知って驚く)が特別出演されて、自作歌(詩)を披露された。

(付記)
会場が、祐天寺駅から離れた静かな場所であり、夜分のため余計にそう感じたのかもしれないが、こじんまりとした街の雰囲気がおもしろい。それにしても、渋谷の街で東横線渋谷駅までたどり着くのに、むかし通ったころと比べて、何と不便なこと。

2018年1月11日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-12th

昨年12/14以来、2017年度秋期「イディッシュ語」教室が正月休みに入っていたが、久し振りに再開した。この間、いかに定着をはかったかといえば、恥ずかしい限り。結局、どたばたして教室に通った次第。

(本ブログ関連:”2017年度秋期「イディッシュ語」”)

不肖の生徒は勘だけを頼りに学ぶ。今回は、テキストとミュージカルについて講義がすすめられた。(文字を読んで理解するのと、それを自由に操る(発語)するとは全然違う。分かっちゃいるが・・・)

① 名詞を愛称形にする接尾辞「指小辞(縮少詞)」の練習:
- 文中の名詞に、2種(相対的:diminutiveと絶対的:iminutive)の指小辞を付加する。(一種しかないものがある)

② 名詞を複数形にするいろいろな接尾辞の練習:
- 文中の名詞に、複数形にする接尾辞を付加する。(ן , -ען , -ער- が浮かぶが、ひとつひとつ覚えるしかないのでは)

③ テキスト補足文で、阿呆村(町)とでもいうべき「ヘルム(כעלעם)」の小話:
- イディッシュ小話の真髄であり、各自感想を述べあう。(私としては、猥雑さまで感じ取ってしまう)

④ ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の紹介:
ー 「陽は昇りまた沈む」(SUNRISE SUNSET)のイディッシュ語歌詞について解説をいただく。

(映画:英語版)


(イディッシュ語版)

(Youtubeに登録のyoksh77、Viraに感謝)

2018年1月10日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 新年の音楽

年初のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/3)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、新年の音楽にまつわる話を紹介した。
(日本語放送未聴取のため、他言語放送より曲目だけ列記する)

・百済の歌と伝えられる「井邑詞(せいゆうし:정읍사)」の伴奏曲「寿斉天(수제천)」

・日本公演のため、1993年に編成された創作打楽器グループ「プリ」の行進曲「道軍楽(길군악)」

・パンソリ「春香歌」から、李夢龍が詠じた詩「暗行御史出頭するが암행어사 출두하는데)」より
     金樽美酒千人血
     玉盤佳肴萬姓膏
     燭淚落時民淚落
     歌聲高處怨聲高

2018年1月9日火曜日

ゆき 行き 雪

少し言葉遊びすると、「ゆき 行き 雪」の連想から浮かぶのは郷愁だ。

なぜか演歌の歌詞に、夢破れて帰る故郷が、雪深い北国と描かれる。

「北帰行」は演歌をこえて歌われたし、「ホームにて」で語られるふるさともそうに違いない。

雪は音をたてない。もし聞こえるとしたら、それは吹きつける風の音、打ち寄せる波の音だ。

2018年1月8日月曜日

イ・ソンヒの「バラ」

2006年、22周年コンサートステージで、イ・ソンヒが真っ赤なドレス姿で「バラ(장미)」(13集所収、作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)を歌った。彼女のいつものファッションとの違いに、世宗文化会館会場がどよめいたという。大冒険だった。

(本ブログ関連:”バラ”)

赤は、情熱の色である。百万の想いを込めて、バラに託して届けようと、男は作業に没頭し、女はその色彩に溺れる。若い男女の情熱が、熱いたぎる想いが、赤く結晶するのを、天井桟敷から鑑賞しよう。おじさんには遠過ぎて、バラの香気も届かぬのが・・・ちょっと残念であるが。


あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

2018年1月7日日曜日

(雑談)空港への着陸

子どものころの夢は、空を飛ぶことだった。自家用機を持つなんて想像もつかない。高級スポーツカーだって無理なのに。(こんな話をすると、イ・ソンヒが「ポルシェ 911ターボS」を所有していることを思い出す、羨ましい)

パイロットになって、自分の手で、雲間を駆け抜け大空を飛翔するなんて、なんと素晴らしいことだろう。でも叶わぬこと、ならば旅客機の客席に座るしかない。でもちょっと物足りない、やっぱり操縦席に座りたい。

(本ブログ関連:”飛行機”、”飛行場”)

飛行機の着陸は、素人にとって離陸以上に最もスリリングだ。旅客窓は機体の横向き視界でしかないが、それでも真下に住宅街が迫ると、こんな高度で大丈夫だろうかとうろたえたりする。たいていの飛行場はそんな環境にある。(交通・運輸の特性から、民間空港を生活圏から遠く離れた場所に設置するのは効率上、按配よくない・・・)

ネットの「らばQ」サイトに、「最悪の空港はどこ?」といった問いかけがあって、それに対してコメントが寄せられている。また一般に、最も危険といわれる空港がある。これら合わせて、Youtubeに探した。いずれも山頂、山腹にある。

当然ながら、コックピットから見る映像はリアリティがあって、機体の揺れも感じられる。滑走路手前に小山があるなんて!とか、滑走路が短すぎないか!といったヒヤリとする疑似体験できる。パイロットは難なくこなしている。(素人には、山岳の乱気流が気になるけれど)

次の映像の上段は、米国のウェスト・ヴァージニアのチャールストン、「イーガー空港」への着陸(Cessna Citation Bravo)、下段は、ネパールの東端、旧称「ルクラ空港」への着陸(Dornier 228)である。エンジンと風切り音が盛りあげる。ちなみに、ずんぐりノーズのドルニエ228は、わが地元でお馴染みの機体だ。

Yeager Airport(Charleston、WV、US)・・・処々に山霧が立つ中を


Lukla Airport(Nepal)・・・ 山肌が迫るというか、突っ込むよう

(Youtubeに登録のcaptmoonbeam、Monir Shresthaに感謝)

2018年1月6日土曜日

久し振りの地震

昨日、ほぼ同時刻に起きた地震のため、その規模を誤った情報が流れた。日経新聞の記事、「緊急地震速報で再び誤報 気象庁『技術的の限界も』」(1/5)は、<誤報>について次のように報じている。(抜粋)
------------------------------------------
5日午前、関東地方や福島県に緊急地震速報が発表されたが、強い揺れは起きなかった。気象庁は、ほぼ同時刻に茨城県沖富山県西部で起きた2つの地震を、同一の大きな地震と誤って処理したと発表。気象庁は、相次ぐ「誤報」をなくすため、システム改善を進めてきたが、担当者は「技術的な限界もある。どうすれば防げるか検討する」と話している。
------------------------------------------

実は、緊急情報が流れたのも知らずいた。後に、上記の会見を聞いても、そんなものかと気にも留めずいた。そこへ! 今日の日付に変わった深夜に、零時54分ころ、ズズズズと揺れが遠くから押し寄せてきたのだ。久し振りの地震。思ったより激しい・・・どうなるかと不安を感じ、ストーブの火をあわてて消した。揺れはすぐにおさまった。慌ててテレビをつけて情報を確認した・・・意外とあっさりしたものだった。

当地は、一瞬の体感は<震度4>だったが、気象庁発表では(近隣の町で)<震度3>または<震度2>。一瞬だったせいだろうか。

平成30年01月06日00時59分 気象庁発表
------------------------------------------
・06日00時54分頃地震がありました。
・震源地は千葉県北西部(北緯35.7度、東経140.0度)で、震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は4.8と推定されます。
------------------------------------------

(追記)
読売新聞(YOMIURI ONLINE)の記事「関東周辺、地震相次ぐ…都心・神奈川で震度4」(1/6)によれば、今回の地震(06日00時54分頃発生)は、「東京23区で震度4以上を観測したのは、2015年9月12日以来、約2年4ヶ月ぶり」とのこと。

2018年1月5日金曜日

小寒2018

今日は、今年最初の二十四節気「小寒」。この後に、「大寒」を控え、ますます寒さが厳しい。外に出れば冷気に躊躇し、戻れば部屋の温もりにも安堵する。

(本ブログ関連:”小寒”)

昨日(1/4)から、大方仕事始めだが、図書館の方は今日から開館のよう。そんなわけで、図書館もうでをした。思いのほか利用が多く驚く。正月休みを今週いっぱい取った人がいるのだろうか。

スタディールームの予約時間まで、PCサービスを利用してネットを閲覧した。昨年の< イディッシュ語 > 教室で使用したネット教材「YiddishPOP」を見直す。意外と頭に入り、初めて学んだときと比べてすっと理解できた。どうやら進歩?しているようだ・・・。

(本ブログ関連:”YiddishPOP”)

ちなみに、この学習ソフト(YiddishPOP)は、以前制作した < 英語学習ソフト >「BrainPop ESL」をベースにしたものという。なるほど体裁がよく似て、ロボットのMobyまで出てくる。(BrainPop ESLは、スマホ対応ソフトがあって、iTuneで無料購入できるそうだ)

2018年1月4日木曜日

イ・ソンヒの「風花」

最大手の調査会社、韓国ギャラップによる「2017年 今年を輝かせた歌手と歌謡」(2017/12/19発表)のアンケート調査の結果、イ・ソンヒは、(昨年、海外を除いて、国内ツアーなど大規模なコンサートがなかったにも関わらず)10位を確保した。

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ発表-歌手”)

レポートには、彼女の代表曲として、「風花(바람꽃)」(SBSドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」の Part6 で歌ったOST)、「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(15集アルバムのタイトル曲)、「因縁(인연)」(13集アルバムのタイトル曲)が挙げられている。

SBSドラマ「青い海の伝説」は、2016年11月16日~2017年1月25日の間、11パート(回)に分けて放送された。イ・ソンヒがOSTを担当した回の視聴率は、同番組中最高を得ている。若者と<人魚>とのファンタジー・ロマンスドラマであるが、イ・ソンヒの澄んだ声は、無垢さを呼び覚ますようで、以前もTVドラマで、<九尾狐>とのファンタジー・ロマンスを歌っている。

(本ブログで、以前記したことだが、時空を超えたラブ・ファンタジーとして、1971年に20世紀初頭の舞台女優モード・アダムズとの出会い、或いは、新婚旅行の途中に立ち寄った「みずうみ」で、12歳のとき亡くなった少女との出会い、森に迷い込んだ青年の前に現れた古い館の過去に住んだ女性との一瞬の出会いといった物語がある)


まだ、夢を見るのです
夜空に霞んだ月明りのように
まばゆい思い出の中で、その人は
ぼんやりと浮かんできます

風に舞う花びらに
暖かいあなたの香りを感じて
過ぎ去ったような
わずかだった因縁は、もう
私の全てなのに

同じ空の下あなたと
一緒にいるということを
掻き消されるのじゃないか恐いのです
青い海水平線まで
歩けるなら
あなたの 手を離したくないのよ
            ___

空に彩る星明かりに
暖かいあなたの息遣い感じて
運命のようにあなたと
このままそんな風に、残って
息することができるなら

*同じ空の下あなたと
一緒にいるということを
掻き消されるのじゃないか恐いのです
青い海水平線まで
歩けるなら
あなたの 手を離したくないのよ

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録の1theK (원더케이)に感謝)

2018年1月3日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」罷経

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2017/12/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、念仏(罷経(파경))に関連する曲を紹介した。(キム・ボエさんによる、昨年最後の放送から)

始めに、昔から人びとは、その風土の中で、神を身近に暮らしていたことを次のように紹介された。
・世に、多くの人々が信じるさまざまな宗教がある。インドに3億もの神があり、ネパールに今も少女の生神がいる。日韓にも多様な神々がいる。山に山の神、家に家を守る神、家の中にも、敷地を守る神、子供を守る神、台所、井戸、ひいては手洗いにも神がいた。昔は、生まれてから死ぬまで神と一緒と考え、伝統的な日や誕生日に、神々に祈った。
・昔、盲(めいし)の人(僧)が<門付>しながら、経を唱えた。家族の平安を祈って歌う「罷経」で、あらゆる悪鬼をなだめ、家から追い払う内容で、目的なく彷徨う神や、悔恨を残して死んだ魂をなだめる。祭祀後、食物を少し器に入れて、屋外に置き、悪鬼がそれを食べると出て行くと信じた。悪鬼を呪うかわりに、食べさせてなだめようとした。

▼ <悪鬼を追い出す内容の歌>「罷経」を聴く。鼓の響きと合わせて、シャーマニズムの香りがしてくる。

次に、昔の人々の、神々との独特な関わり方について次のように紹介された。
・神は、全知全能で人々を見守ったり、罰を与える存在と思いがち。昔、人々は、神も人間と似て、先に心を開けば、神も自分に良くすると信じた。最善を尽くしても神が関心を示さねば、仕える必要がないと考えた。船が難破の危機にさらされて、海で溺れかけた船乗りは、神を象徴するものから先に捨てた。船を守らぬ神は要らぬと、神前で振舞った心境が分かる。
・「クッ(祭祀を捧げる、祭儀:굿)」の歌に「大監ノリ(대감놀이)」がある。本来、ソウルとその近郊の京畿道、今の黄海道地域で祭祀を捧げるとき歌った。「大監」は、巫女が神を祭る尊称で、大監を喜ばせると良いことがあると信じた。京畿地域の歌い手は巫女でないがうまく披露した。

▼ 「大監ノリ」を聴く( ← ノリ:놀이には「遊ぶ」の意もある)。楽しく神との対話、憑依を感じるよう。

最後に、布施の念仏の曲「報念보렴)」について次のように紹介された。
・布施の念仏という意の曲「報念」がある。昔は、寺に住んで村を回りながら歌や踊りを披露した歌い手(寺堂牌(사당패))がいた。その時、人々を祝福するため歌った曲だ。

▼ <国の平安を祈り、全てのことが順調であることを祈る>から始まる「報念」を聴く。ありがたい言葉だろうな・・・。

2018年1月2日火曜日

日めくりカレンダー

数年来、パソコン横に、日めくりカレンダーを吊るしている。初めのころ、日ごと切り取るのを忘れたりしたが、今は毎日とどこおりなく続けている。小型版のため、情報量が少ないけれど、それでも一日分の表示を、旧暦、行事、格言にいたるまで一通り読む。

この動作、何処かで見たような。そう、民家の玄関先でボーっと見つめてたたずむ爺さんや、畑の中にぽつんと立って道行く人を目で追う爺さんが、ダブってくる。不思議とお婆さんは少ないが、歳をとるとこんな風な振る舞いをしてしまうようだ。

一点に集中しているのではない。始めた動作の終わり方を知らないのだ。幼いころ、一生懸命に泣いて、そのうち何で泣いたか分からなくなって、泣くのを止めたことがある。似た展開だが、自覚がないところが違う。今それが残念なのだ。

大晦日に、1/365になった日めくりカレンダーが揺れていた。新しいものに交換するとき、なぜか寂しい思いがした。やっぱり遠くに置いて、ボーっと眺めた方がよかったのだろうか。

2018年1月1日月曜日

2018 明けましておめでとうございます

2018年(平成30年) 明けまして おめでとうございます

こちらは、タイトル「Milestone(里程標)이선희 팬 (イ・ソンヒ ファン)」の通り、韓国の歌手イ・ソンヒさんの、歌手活動・作品だけでなく、社会との関わりにいたるまで、一種のバイオグラフィ(伝記)ブログをめざしています。

2009年以来、ブログという日記スタイルで記述しています。イ・ソンヒさんについての情報の入手手段がネット以外になく、このところ週一回程度の登録におさまっています。(彼女のコンサートに、過去4回参りましたが、今後は体力相談といったところでしょう)

ところで、TEDスピーチで紹介された、脳活性化のために < 新しいチャレンジが必要 > に沿った我流の経験も記しています。

学生時代、複数の科目を学んでいたときと比べれば、最近まで、ひとつだけ専念すればよく楽ちんだったはず・・・にもかかわらず、そのひとつも果たせぬまま、一昨年から更にもうひとつ加えてしまい、「二兎を追う者は、一兎をも得ず」の通り、いまだ一兎も得ておりません。(韓国語教室、イディッシュ語教室

今年は大きな節目、めげずに、先を行く兎を <猟犬?> となって追いかけたいと思いますが、頑張って、途中で息切れせぬよう、祈るばかりです。